乱世波及す

 

 ・天文十二年(1543年) 五月  摂津国島上郡 高槻城  六角義賢



 夜空を渡る風も暖かさが増して来た。もう夏だな。

 この城に来るまでにも麦の刈取りが盛んに行われていた。百姓の夏は短い。麦の収穫が終われば、急いで田を耕して田植えをせねばならん。

 この一年間、この辺りは幾たびも戦場になった。それでも、百姓達は麦を植え、米を植え、戦火で荒れた土地を実りの大地に変える。

 人の営みとは、なんと強靭な物か……。


「どうした」

「……いや、よい月だと思ってな」


 縁側に座って月を見上げながら杯を傾ける。隣では千熊丸(三好頼長)が同じように月を見上げている。

 こうして千熊丸と酒を飲むのは久方ぶりだな。


「しかし、まことに初音に会って行かなくて良いのか?」

「ああ。儂も明日には京に戻らねばならん。芥川山城まで行っている余裕は無い。それに初音は大事な体だ。無理をしてこちらに来させる訳にはいかんだろうしな」

「そういえば亀(六角義賢)も子が産まれたそうだな」

「耳が早いな。儂も先日報せを受けたばかりだというのに」

「義父上が報せて来た。初音のことと言い、慶事が続くな」


 尾張に残して来た国子が先ごろ男児を産んだと文が来た。加えて、千熊丸に嫁いだ初音にも懐妊の兆しありという。

 まさか子まで同時に授かるとはなぁ。


「そう言えば聞いたぞ。芥川山城から勝竜寺城に逃れて来た時、初音は輿を使わず馬で駆けて来たそうじゃないか」

「ああ。供をした堀田源八も初音の馬術に舌を巻いておったわ」

「はっははは。相変わらずのじゃじゃ馬だな。おまけに撤退を報せる使者が参った時、初音の奴は薙刀片手に鉢巻き姿で出迎えたと聞いたぞ」

「笑いごとではないぞ。初音は朝倉が攻め寄せたと聞いた時、本気で陣頭に立って城を守る気で居たらしい。家中ではさすがは右大将様(六角定頼)の姫君よ、女子と言えど肝の据わり様は武士に引けを取らぬ、と持て囃す声も出ている。困ったものだ」


 溜息を一つ吐いて千熊丸が杯をあける。儂も飲み干し、再びお互いの杯を満たした。


「……しかし、こうして摂津に戻れたのも初音のおかげだ」

「ん?何かあったのか?」

「朝倉に押し詰められ、命からがら勝竜寺城に逃げ延びた儂の尻を蹴り上げてくれた。大和守(篠原長政)を失って失意に暮れていた儂に、『殿は勝竜寺城をお守りあれ。私が軍勢を率いて摂津を取り返して参ります』と言い放ってな」


 なんとも……我が妹ながら、勇ましいと言うか、無謀と言うか……。


「さすがに奥にそのような真似をさせるわけにはいかぬからな。それからは甚介(松永長頼)と急ぎ合流して摂津奪還を進めた。大和守が粘ってくれたおかげで兵も半数以上は勝竜寺城へ追いかけて来てくれていた。

 初音の檄と大和守の粘りが無ければ、これほど早く摂津を奪還することは出来なかったかもしれん」

「篠原大和守か……。硬骨な御仁であったな」


 少ししんみりした空気になって再び杯を傾ける。

 朝倉・遊佐亡き後、残る堺は今蒲生が包囲しているが、今井・津田・千の三名が会合衆の説得に掛かっている。父上に膝を屈するのもそう遠い先のことではあるまい。


「そういえば、阿波の千満丸……彦次郎から文が来たんだ。大和守の討死を報せ、遺品の太刀を倅(篠原長房)に渡してやって欲しいと届けさせたが、その返礼が来た」


 嬉しそうに文を懐から取り出して儂に見せて来る。

 千熊丸は弟達と長い間行き違いがあり、兄弟で戦に及ぶこともあった。その時の辛そうな顔を覚えている。

 だが、今では文をやり取りできるくらいには関係が改善したのか。本当に良かった。


「……ふむ。阿波の仕置きにまい進している、か。一時は阿波の細川讃岐守(細川持隆)が遊佐に呼応して上洛軍を起こすという噂もあったが、どうやらそれは虚報だったようだな」

「いや、実際に讃岐守は上洛軍を起こそうとしていたらしい。だが、阿波にその余力無しと彦次郎が譲らなかったとか。主君に諌言するなどとは余程の胆力が無ければできないことだ。頼もしい男になったと思う」

「そうか……讃岐守との関係はうまく行っているのかな? この文には特に何も書かれていないが」


「……うまく行っているに決まっている。三好家は父の代より細川讃州家を支えて来た忠臣だ。六角家に転じた儂が言えた義理ではないが、讃岐守も三好を除いては阿波細川家が成り立たぬということくらは分かっているはずだ」


 ……千熊丸が複雑そうな顔をしている。

 阿波細川家はあくまでも平島の足利中納言(足利義維)を奉じている。足利を滅ぼし、新たな体制を築かんとしている父上とは本来的に相容れぬ存在だ。

 三好彦次郎と細川讃岐守の関係がうまく行っているということは、千熊丸は再び弟と戦わねばならぬということだ。

 出来ることならば、三好の兄弟が再び争うようなことにならねば良いが……。



「どうだ? 久しぶりに一局打たんか?」


 いつの間にか千熊丸が将棋盤を持って来ていた。


「ふむ。いいだろう。久しぶりにコテンパンにしてやろう」

「何を。儂に負けて半べそかいていたことをもう忘れたか」

「逆だろう。お主が儂に負けて悔しそうに口を震わせておったのだ」

「こいつ。ならば今度こそ泣きべそかかしてくれる」




 ・天文十二年(1543年) 六月  阿波国板野郡 勝瑞城  三好虎長



 荏胡麻油の灯りの下でいくつもの書状に次々と目を通す。

 どうやら状況は思っていたよりも深刻だ。


「板西城の赤沢も讃岐守様についたか」

「はい。本人の意思というよりは、周りの乙名達がそうさせたようです」


 孫四郎(三好長逸)が眉間に皺を寄せて俯く。

 もはや再び上洛軍を起こすことは避けられぬのかもしれぬ。


「ひとつ、お伺いしてもようございますか?」


 孫四郎が思いつめたように顔を上げた。


「殿は何故、上洛軍に反対されまするか? 六角が足利公方を討ち滅ぼした今、阿波細川家としては中納言様を奉じて上洛し、足利の天下に復するというのはもっともなこと。

 讃岐守様に支持が集まるのも、ひとえにその理屈が真っ当なものであるからです」

「……勝てぬからよ。六角の力は強大だ。讃岐守様は右京大夫(細川晴元)が波多野を動かすと言われるが、例え波多野が動いたとしても六角の畿内支配はビクともせぬだろう。

 皆はかつて我が父三好元長と共に細川道永(細川高国)を追い払ったことに自信を持ち、此度も六角を追い払えると単純に考えておるが、あの時と今とでは状況が全く違う。六角の勢力は細川道永ほど脆弱ではない」


「しかし、それでは殿は六角の天下を認めると?」

「……悪い選択ではないと思うのだがな。中納言様は仮にも足利のご血統だ。それに阿波では広く尊敬を集めている。六角としても、明確に敵対しなければ強いて滅ぼすことは出来まい」


 何より、四国に征伐軍を送るには六角も敵を抱えすぎている。東国の動きも不透明な今、うかうかと畿内から大軍を四国に送ることなど出来ぬはずだ。

 こちらが動かねば、六角もまたこちらを気にしている余裕は無い。


「中納言様は何と申しておられるのですか?」

「中納言様は六角と争うことに消極的だ。一旦は天下争奪から降りた身として、今更天下を望む気にはなれぬと申されていた」

「では、そのことを讃岐守様に申し上げれば……」

「無論申し上げたさ。勝ち目のない戦であり、中納言様にも天下を望むお気持ちは無いと何度も申し上げた。だが、讃岐守様は聞き入れて下されぬ」


 あの女狐のせいかもしれん。

 小少将が儂を疎み、讃岐守様に対して儂を除くように進言しているという噂もある。小少将自身が申しているのか、あるいは父親の美作守(岡本清宗)の差し金かは分からぬが。


「ですが、このままでは殿は阿波で孤立することになります。いっそのこと――」

「言うな」


 孫四郎が途中まで出かかった言葉を飲み込む。

 いっそのこと、兄上を頼って摂津からの援軍を請えと申したいのだろう。

 だが、それでは三好家は本当に讃岐守様を裏切ることになってしまう。例え勝ったとしても、兄弟で通じて細川家から阿波を奪い取った逆臣とのそしりを免れぬ。


「予め言っておくが、儂が讃岐守様のお側を離れることは無い」

「……このままでは、讃岐守様ご自身の手によって殿が除かれるかもしれませんぞ」

「それも覚悟の上だ。我ら兄弟は讃岐守様によって救われた。今更意見が合わぬからと讃岐守様に刃向かうことなど考えられぬ」


「ならば……ならば、せめて筑前守様(三好頼長)に現状をお報せし、いざと言う時の逃げ道を用意なされませ。筑前守様ならば必ずや殿をお迎え下されましょう。

 このままでは本当に殿のお命まで……」

「それも出来ぬ。神太郎(安宅冬康)は未だ安宅家を掌握しているわけでは無い。むしろ実権は周囲の乙名が握っている。儂が摂津へ密使を送れば、必ずや讃岐守様の御耳に入る。

 最悪の場合、儂と共に神太郎まで裏切り者として処断されることになるぞ」


 いや、神太郎だけではない。仮に儂が讃岐守様に叛意有りと見做されれば十河へ養子に入った孫六郎(十河一存)までも累が及ぶ。

 神太郎や孫六郎は讃岐守様の肝煎りで養子に入ったのだ。その周辺には讃岐守様の配下の者も近侍している。

 仮に儂が阿波を脱出すれば、その時点で弟達は見せしめに斬られると思わねばならん。


「どこに讃岐守様の耳があるかわからん。このこと、くれぐれも他言は無用だ。よいな」

「……」




 ・天文十二年(1543年) 六月  越後国古志郡 栃尾城  宇佐美定満



 左衛門尉(長尾晴景)が動いたと報せがあった。北条弥五郎(北条高広)が直江津から敦賀に向かう船を求めていたという。

 儂や柿崎弥次郎(柿崎景家)を補佐に付けるなどと見え透いたことをする。我らを体よく追い払い、上田長尾と共に越後の支配体制を固める腹積もりであろう。


 ふん。そうはさせるか。

 忌々しい話だが、こうなれば揚北の者どもと手を組むしかあるまい。


「失礼致します!」

「駿河守、どうした?」

「一大事にございます。恐れ入りますが御人払いをお願い申す」


 左右に控える近習が不安そうな顔をするが、平三殿(長尾景虎)が一つ頷くと揃って退出していった。

 これで良い。近習の中には左衛門尉の息のかかった者も居るはずだからな。


「して、一大事とは何事だ? まさか中条が動いたか?」

「いえ、動いたのは左衛門尉様にございます」

「兄上が? 一体何を為されたというのだ。まさか越中の神保が?」

「いいえ。北条弥五郎を京へと遣わされました。直江津にて我が手の者が北条を捕らえましたが、左衛門尉様は京の六角と誼を通じ、左馬頭様を弑し奉るおつもりにございます」

「……」


 平三殿が言葉を失くす。やはりまだまだ童子よな。左衛門尉が単純に我らの言葉に納得して左馬頭様を奉じていると信じておったのだからな。


「……まさか。駿河守(宇佐美定満)よ、いかにそちが父上と争っていたとはいえ、兄上をそのように侮辱するのは許さぬぞ」

「某をお疑いならば、この書状をご覧になられるがよろしかろう」


 左衛門尉様直筆の書状を手渡す。中を読めば一目瞭然。

 六角右大将(六角定頼)に対し、足利の遺児を預かっていると報せ、必要ならば直ちに捕らえると申し出ている。

 いかに平三殿が子供とはいえ、いや、子供なればこそ疑う余地などあるまい。


 しばらく内容を読み進めていた平三殿の手が次第に震え出す。

 どうやら現実を思い知ったようだな。


「こ、この書状はどこから手に入れた!」

「北条弥五郎を直江津にて捕らえた折、所持していた物にござる。ご覧の通り、左衛門尉様の花押が据えられております。これでも某の言を妄言と申されるおつもりか」

「……儂にどうせよと申すのだ」

「左衛門尉様に代わり、長尾家を率いて左馬頭様の御身をお守りなされませ。左衛門尉様はこの越後を六角に売り渡す所存とお見受け致しました。かくなる上は、平三殿を府中長尾家の当主と仰ぎとうござる」

「しかし、我らが春日山を目指せば揚北の者どもは背後を突いて来るのではないか?」


「ご心配召されるな。既に揚北衆とは話を付けてありまする。皆左馬頭様をないがしろにする左衛門尉様に憤りを持っておりますぞ。

 この乱世にあって、常に人は私利を求めて信義を置き去りに致します。なればこそ、平三殿が信義を第一に左馬頭様を守護し奉ると申されたことを皆頼もしく思っております」

「……相分かった。急ぎ出陣の用意をせよ」

「ハッ!」


 フン。

 所詮は童子よな。信義だなんだと耳触りの良いことを言えば簡単に御せる。


 揚北衆は上田衆と府中衆が越後を支配することが気に食わぬのよ。だからこそ、儂の話に乗って来たのだ。小僧に過ぎぬ平三ならば神輿として申し分無い。

 神輿は軽いに越したことは無いからな。


 さて、まずは黒滝城の黒田和泉守(黒田秀忠)に急使を出そう。華蔵院(五智国分寺)におわす左馬頭様をお救い申し上げねばならん。

 その後は、春日山城を一気に攻略する。


 忙しくなるな。


――――――――


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公募用原稿の追い込みの為、しばらくの間週一回更新とさせていただきます。

申し訳ありませんが気長にお付き合いください。

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