蠢く策謀

 

 ・天文十年(1541年) 五月  山城国 京 相国寺  近衛稙家



 相国寺の茶室にシュンシュンと湯の沸く音が響く。

 この部屋も変わらぬな。近頃では小さな数寄屋の茶室を作ることが流行っているそうだが、相も変わらず一室を仕切って小さな茶室を設えてある。


 そう言えば最初に江州(六角定頼)と会ったのもこの茶室だったな。当時の麿はまだ三条との政争の真っただ中で、頼みとしていた細川道永(細川高国)は三好に敗れて腹を切った直後だった。道永に代わり、六角家の武力を得られるのならばこれほど心強いことは無いと思ったものだ。


 無言のまま一礼して江州がゆっくりと茶を点てる。

 所作は常と変わらぬように見えるが……。


 先ごろの参内では主上の御前で『六角銭は世の中に必要欠くべからざる物』と言い切ったそうだ。江州がそこまで言うからには何か余程の事情があったのかもしれぬ。

 碌に江州の話も聞かずに差し止めようと思ったのは早計であったかもしれんな。


 差し出された茶碗に口を付ける。

 芳醇な茶の香りが口の中に広がり、鼻から抜けてゆく。


「美味いな」

「ありがとうございます」


 茶碗を置いて背筋を伸ばす。こうして招かれたのは恐らく例の件についてであろう。


「主上の御前にて『六角銭は必要欠くべからざる物』と言い切ったそうじゃな」

「はい。これからの日ノ本に必ずや必要な物と信じております」

「何故じゃ? こう言っては何だが、たかが銭ではないか。麿には大内と喧嘩をしてまで守らねばならぬ物とは思えなかったのだが」

「たかが銭、されど銭、でございます。銭はあらゆる物の取引を媒介しておりますれば、これが不足するということは天下万民の取引が円滑を欠くということ。一つ六角家だけに留まらず、日ノ本全体の問題に発展致します」

「しかし、銭ならば大内家が明から取り寄せておる。それを使うことで今まで充分に回って来た。確かに畿内では不足気味かもしれぬが、西国が安定してきている今であれば、大内家にもっと大々的に渡唐船を仕立てさせれば無用の争いを生まずに済むのではないか?」

「その明から銭が入って来なくなれば、どうなりましょうか?」


 江州が真剣そのものの目でこちらを見て来る。

 銭が入って来なくなれば……か。確かにそれは考えておらなんだが……。


「入って来なくなるとは?」

「言葉通りの意味です。今までは明国から銭を取り寄せておりましたが、今後も明国から取り寄せられるとは限りません」

「そのために足利や大内は明と友好関係を築いておるのだろう?」

「そもそも明国が銭を作らなくなれば、どうなりましょうか」


 銭を作らなくなる……。

 そのようなこと、あるはずはないと思うが……。


「あるはずがない。そう思し召しですかな?」


 麿の顔色を読んで江州が胸の内を言い当てる。

 その通りだ。あるはずがあるまい。


「ですが、世の中に確かな物など在りはしませぬ。栄華を誇った平家も没落し、源氏の世も鎌倉から室町へと移り変わりました。

 唐土も同じにございます。様々な国が興り、そして滅びていった」

「明も滅びる……と?」

「いずれはそういうこともあり得ましょう。滅びなくとも、明国が銭の鋳造を止めてしまうかもしれない。それでもなお銭を取り寄せられると思うは、いささか楽観が過ぎると言わざるを得ない。そういうこともあり得ると考えておく方が賢明と存ずる。

 ……仮にそうなってから慌てても遅い。天下に必要欠くべからざる物であるならば、今からでも日ノ本の内で代わりの銭を用意する準備を始めるべきでしょう」


 ……なるほど。

 江州はいずれ明も滅びると見ておるわけか。確かに道理ではあるが、それならば尚の事、『今』でなくとも良いであろう。


「……怒っておるかの?」

「正直、いささか腹を立てております。何故某に直接言わず、主上の御前で言質を出させようとなされたのかと」

「そなたの推進する計画を止めるにはそれぐらいの理由があった方が収まりが良いだろうと思ったのだ。まさか主上の御前でも己を曲げぬとは思いも寄らなんだ」

「……常日頃から太閤殿下には様々にお世話になっております。某は太閤殿下を頼りとし、某も太閤殿下からは頼りとされていると自惚れて参りました。

 せめて一言、内々の場で某にご意見を下されば、事前にお話が出来たものをと悔しゅう思っております」


 江州の表情が一層険しくなる。

 確かに江州の頭越しに『六角銭』の鋳造を差し止めようとしたことは腹を立てても致し方あるまい。麿も先に江州と話を致すべきではあった。


 だが……


「許せ。今のそなたを止めるには主上にお縋りするしかないと思うたまでだ」

「某を……止める?」

「左様。今のそなたは強い。己の信念に忠実で、何者の言葉も聞き入れぬほどに圧倒的に強い。だが、誰も彼もがそれについて行けるわけではない。現に大内家は、そなたの行為を今までの慣例を無視する物と憤った。『乱世を終わらせるために』というそなたの信念は麿も応援するが、さりとて周囲を置き去りにしては無用の争いを生むだけで終わることになるだろう」


 初めて江州が意外そうな顔をした。

 やはり己では気付いておらなんだか。だが、徳川を討って東を安定させた六角は、次はいよいよ西国の情勢に介入しようとしていると世間では見ている。大内と尼子の仲裁はその最初の一手であると。


 今回大内が六角銭に敏感に反応したのも、今後の情勢を見据えてのことであろう。六角家が敵か味方かを見極めようというのが本音であると思う。

 世間は江州自身が思っている以上に江州の動きを良く見ている。そこを理解して欲しいのだ。


「某は大内家と争うつもりは毛頭ありません。明銭も引き続き領内での通用を認めておりますし、明銭と一合銭の交換比率も定めておりますれば、大内家の懸念するようなことにはならぬと存ずる」

「それを公方が調停する時間を貰いたいのだ。大内家から訴えが届いた時は公方も寝耳に水の話であった。事前に何も聞いていなかったが故、公方はあくまでも『六角銭は六角領内でのこと』と認識している。

 麿にした話を公方にもしてほしい。足利の立場も今少し気遣ってもらいたいのだ」




 ・天文十年(1541年) 五月  山城国 京 相国寺  六角定頼



 ……俺は周囲を置き去りにしていたのだろうか?


 確かに一合銭の鋳造に当たっては六角家の独断で事を進めた。どの道言っても理解されないと思っていたが、それは確かに周囲への配慮を欠いた行為だったのかもしれない。


 足利の立場……か。


 そもそも今回の事は大内家が幕府に訴えたことから始まった。今や幕府の意思決定は俺の意思決定であるとも言っていい。それを承知の上で大内義隆は幕府に訴えた。

 六角家だけではない。足利幕府そのものが信に足る相手かどうかを見極めようということか。


 俺はなんて間抜けなんだ。

 肝心なことを見落として、ただただ上から抑えつけられたことに腹を立てていたんだからな。


「失礼なことを申し上げました。某の不明でございました」

「麿の方こそ、先にお主に話をしておくべきであった。して、此度の件、どう落とし前を付ける?」

「左様……」


 今度こそ困った。


 帝の前で大見得切ってしまった手前、今度は鋳造を中止するわけにはいかない。そんなことをすれば俺が帝の前で大ウソを吐いたことになる。

 旧三条派の公家が鬼の首を獲ったようにあげつらうことは目に見えている。


「ひとまず、商人達に通用を一時的に中止するよう要請致します。その間に公方様と今一度話し合いたいと存ずる」

「そうしてくれると助かる。公方は頭の悪い男ではない。きっとお主の想いも汲んで事を捌くだろう」


 ともかくは義晴の裁定に従おう。これは事前の根回しを怠った俺のミスだ。

 戦に勝つだけが世を変える術じゃない。分かっていたはずなのに、無意識のうちに俺は思い上がっていたのかもしれんな。


 しかし、今更だが大内義隆は何故一合銭の事を知っていたんだろうか。

 大内家から正式に幕府に訴えが起こされたと言うことは、大内家は遅くとも先月の内には一合銭のことを把握していたことになる。

 自然に周防まで話が伝わったにしてはさすがに早すぎる。


 ……元々大内義隆は俺を警戒し始めていたのかもしれない。

 改めて進藤を遣わし、友好関係を確認するべきかもしれないな。




 ・天文十年(1541年) 六月  和泉国和泉郡 岸和田城  遊佐長教



 やはりこの『平蜘蛛』の釜の姿は優美よな。ただそこに在るだけで茶室の風情がぐっと良くなる。見た瞬間に一目惚れしたが、やはり儂の目に狂いは無かった。


「甚太郎。良い釜を見つけて来てくれたな。この釜は今や儂の自慢の逸品よ」

「お目に適って良うございました」


 甚太郎と共に茶を一服。

 この備前焼の茶碗も良い。昨今流行りの信楽と違い、黒く焼しめられた風情は独特の渋さがある。

 気に入りの茶器で飲む茶はまた格別よ。


「しかし、近衛太閤にしてやられたな。六角と大内の争いに発展するかと思ったが、上手く幕府の裁定に六角を従わせた。

 公方様の裁定となれば、大内も文句を言えぬだろう」


 六角銭の件は幕府の預かる所となった。今はまだ裁定が出ていないが、六角家は幕府の裁定に従うと公式に宣言を出した。

 これならば、大内も強いて文句を付けることはできまい。


「諦めるにはいささか早うございます」

「何?」


 甚太郎が茫洋とした顔つきで壁の一点を見つめながらポツリと呟く。

 こやつはまだ手を隠しているというのか?


「公方様の裁定が出るまでは、六角銭の流通を制限していると聞きました。手前どもではその前に京にて三貫ほど密かに六角銭を買い集めております」

「ほう」

「これを博多との取引銭に混ぜましょう。明銭とは明らかに違う銭が混じっていれば、必ずや大内家に確認が入るはずです。

 畿内での通用を制限しているはずの六角銭が、博多で発見される……。

 大内様はさぞ、腹を立てられましょうな。口では幕府の裁定に従うと申しておきながら、裏では平気で通用を始めている、と」


 なんと……。そこまで見据えて動いておったか。


「ふ……ふっふっふ。内池屋。そちも悪よの」

「笑っている場合ではございません。御代官様にも動いて頂かねばなりませんぞ」

「分かっておる。……そうさな、天王寺屋(津田宗達)の手代辺りに手配りをしておこう」


 内池屋の取引で六角銭が明るみに出れば、さすがに近江宰相も背後で儂が動いていると勘付くだろう。

 だが、天王寺屋は本願寺と懇意にしている商人だ。天王寺屋の取引で発覚するならば、近江宰相は本願寺の謀略と勘違いをするだろう。背後で動いているのが儂だとは気付くまい。


 甚太郎がゆっくりと頭を下げる。

 まったく、こやつを味方につけられて本当に良かったわ。


「しかし、何故そこまで近江宰相に刃向かおうとする?近江宰相の施策はお主ら商人にとって利があることは確かであろう?」

「……事情が変わったのですよ。堺に来て様々な物を見るうちに、六角様の政では救われぬ者達が居ることに気が付きました。それらの者達の生きる場所を作ることが手前の使命と存じております」


 ふむ……。

 まあ良い。こやつと問答をすることもあるまい。儂にとって近江宰相を追い落とす策を出す知恵袋であれば充分だ。


 幕府御相伴衆などでは足りぬ。儂はまだまだ上に行く。

 まずは強大な六角家を孤立させ、天下の顰蹙ひんしゅくを買わせる。儂が表舞台に出ていくのはその後だ。


 ふっふっふ。

 はぁーっはっはっはっは。

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