第二次六角包囲網(8)第二次天王山の戦い
・天文七年(1538年) 九月 山城国紀伊郡 淀城 六角定頼
松平清康との和議をまとめた後、大急ぎで淀城に戻った。
あの後、京に戻った山科言継と近衛稙家の尽力のおかげで、新田流清和源氏の世良田弥四郎頼氏が三河守に補任された記録を見つけ出してくれた。と言うよりは、創り出してくれたと言った方がいいな。
力技もいいところだが、ともあれ松平のご先祖様が三河守に補任されたという『前例』が出来た。あくまでも『自称』ご先祖様だがな。
前例があるのならば話は早い。朝廷としても程なく三河守に補任することは苦しからずという結論に達した。ただし、世良田清康に与えるのは問題視された。
というのも、世良田氏は松平氏の自称祖先であり、世良田清康を三河守に補任することは清康以外の松平も三河守に補任される資格を得ることになってしまう。そこで、近衛と山科が一計を案じて『世良田頼氏』の子が藤原氏庶流に養子入りし、藤原姓へと変わったという記録を作った。
松平清康はその藤原氏庶流の『得川義季』の流れを汲む者ということで、帝から清康個人に対して『徳川』への改姓の勅許を頂き、藤原氏『徳川清康』を三河守に補任するという形で決着した。
非常にややこしいが、要するに『三河守』という官位が三河松平氏の家職とならないように、あくまでも清康個人への補任であるという事にするための理由付けだ。
出自の怪しい者に対しての最大限の譲歩というやつだな。実際の補任は次の春の除目においてということになるが、ともあれ三河守の官位が正式に下されることは内定した。
色々と裏技を使わせた近衛には相応の礼物を贈っておかないと……。
「お帰りなさいませ」
淀城の居室に戻ると、待ち構えていたかのようにいつものしかめっ面で進藤貞治が入って来る。様子を見る限り留守中は特に何事も無かったようだな。
「うむ。留守中ご苦労だった。尾張の件は何とかケリがついた」
「ようございました。しかし、こちらはちと問題が起きております」
……トラブってたのか。分かりにくい奴だ。
「どんな問題だ?」
「伊勢に兵糧の買い付けに出向いていた伴庄衛門からですが、南伊勢の北畠は兵糧を出すわけにはいかぬと申して来たと」
「何?」
それはマズいな。北畠までが敵に回れば、こっちは明らかに兵力不足だ。
「尾張軍から一部を割いて中伊勢の防衛に回さねばならんか?」
「いえ、北畠は我らに味方して大和へ進出した畠山尾張守を叩くと申してきました」
「ほう! ということは、大和方面は北畠に任せてしまえるというわけだな」
「左様にございます」
それでも進藤のしかめっ面は崩れない。
「それで、問題とは何だ?」
「北畠の動きによって大和方面の戦線が膠着したため、大山崎に向かって細川・三好・赤松らの軍勢が進軍を積極化させております。南が駄目なら北から崩すという心づもりなのでしょう」
大山崎か……。北の戦線は斎藤利政・三好頼長・斯波義統らの一万五千が守っていたな。
「守備に不足はないか?」
「今のところは。ですが、いつまでも我らが尼子と睨み合っていては埒が明かぬのも事実です」
「ふむ……」
そろそろ動いてもらうとするか。いい加減あっちもケリがつくだろう。
「文を書く。至急届けてくれ」
「ハッ!」
・天文七年(1538年) 十月 山城国乙訓郡 大山崎 三好虎長
……やはり今日も大山崎を抜くことが出来んか。
斎藤山城守とは大した男だな。これだけ攻めかかっているのに隙らしい隙を見せぬ。二万の軍勢を持ってして、まさか勝竜寺城はおろか大山崎の防衛陣すら抜くことが出来んとは……完全に想定外だ。
このまま尼子が六角を討ち破るのを待つだけでは讃岐守様(細川持隆)の主力たる我ら三好勢の立つ瀬がない。何としても大山崎を抜いて勝竜寺城を落とさねば……。
”彦次郎様”と呼ぶ声にはっと顔を上げる。見ると孫四郎(三好長逸)が儂の方に馬を寄せて来ていた。
「彦次郎様、いかがなされました?」
「いや、大山崎の陣を抜く方法は無いものかと思案していてな」
言いながら視線を北の山上に向けると、天王山にはためく『三階菱に五つ釘抜』の旗が目に入る。まったく目障りな旗よ。
「孫次郎様……いえ、孫次郎の軍勢は厄介ですな」
「うむ。こちらが大山崎の陣に攻めかかると、山上から側面を突いて来る。かといって天王山砦に攻めかかれば、大山崎の斎藤勢に背後を突かれる。全く持って厄介な布陣をしておる」
儂につられて孫四郎も天王山に視線を向ける。
阿波を捨てた身でありながら同じ三好の旗を掲げるとは、何とも忌々しい話だ。
「寄せ手を二手に分けましょう。播磨勢には大山崎を攻めて頂き、我ら阿波勢にて天王山砦を落とす。天王山さえ奪い取れば、逆にこちらが両面から美濃勢を挟撃できまする」
「うむ……」
やはりそれしかないか。
しばし瞑目した後、再び目を開く。天王山には先ほどと何も変わらずに三好の旗がはためいている。
……やはり我らは戦わねばならんようだな。兄上……。
・天文七年(1538年) 十月 山城国乙訓郡 大山崎 斎藤利政
日が暮れる。今日の戦もここまでだな。阿波・播磨の軍勢を引き受けてひと月が経つか。
敵は数日前から天王山砦との連携を崩しにかかってきている。天王山の三好孫次郎殿も随分と粘っておられるが、やはり数の差は如何ともしがたい。阿波・播磨は総勢で四万の軍勢と呼号している。話半分としても二万ほどか。対してこちらは斯波様の越前勢を加えても一万五千。あとひと月やふた月持ちこたえることは訳もないが、果たしてそれで尼子が軍を退くかは疑問が残る。
宰相様は大内と毛利が背後を突くと仰せだが、聞くところによると大友が再び筑前に軍を進めて大内は出雲出兵どころではないとの風説がしきりだ。大内の出兵が延期になったことを受けて毛利も積極策を控えているという話も聞く。
まこと、西国勢がアテになるのかどうか……。
「殿、三好孫次郎殿が参られました」
「うむ。本陣へ御通ししろ」
桑原常陸介(桑原直元)が案内に立って三好孫次郎殿を本陣に迎える。おっと、今は桑原姓から氏家姓に戻したのだったな。
「孫次郎殿、今日のお働きもお見事でござった」
「いや、山城守殿(斎藤利政)に助けられ申した。竹中殿(竹中重元)の後詰を頂かねば、我らだけでは阿波勢を防ぎとめることは出来なかったでしょう」
……だいぶ疲れているな。無理もない。
このひと月の間、ひたすらに備えを固くして守るだけの戦を続けて来た。兵糧や矢の損耗もだが、何よりも兵の士気が下がっているのだろう。士気が無ければいかに砦が堅固であろうと長くは戦えぬ。
さりとて、宰相様からの後詰を頂くわけにもいかんしなぁ……。
ここはひとつ、儂がひと肌脱ぐとするか。
「時に孫次郎殿、少しご相談があるのだが……」
・天文七年(1538年) 十一月 山城国乙訓郡 天王山 三好虎長
麓から天王山に向かって攻め上らせていると、突然東から大きな喚声が聞こえた。
「何事だ?」
「わかりませぬ。美濃勢が押し出して来たのやもしれませんぞ」
だとすると不味いな。播磨勢が崩れれば、我らも呑気に天王山砦を攻めている場合では無くなる。
暫くすると使番が駆け込んできた。
「伝令!」
「申せ!」
「ハッ! 播磨勢が大山崎の陣を突破し、勝竜寺城へと軍を進めているとの由。御着城主・小寺加賀守殿(小寺則職)の手勢が一番槍をつけたとのことにございます!」
「なに!」
そうか! ついに斎藤山城守の陣を突破したか!
これで天王山砦も落ちる。勝竜寺城を攻め取れば、男山城と淀城は南北から敵を受けることになる。それに京を守るには軍勢が足りぬはず。
この戦、勝ったぞ!
「孫四郎!」
「ハッ!」
「天王山砦を包囲する兵を残し、我らも大山崎を越えて京へと進軍するぞ! 京を陥れるのは我が三好勢だ!」
「ハハッ!」
・天文七年(1538年) 十一月 山城国乙訓郡 天王山砦 三好頼長
間もなく日が暮れる。山の上から見ると、敵軍が大山崎を越えて続々と勝竜寺城へ攻めかかっているのが見える。だが、それも間もなく軍を退いて今日の攻撃を終えようとしている。
……予定通りか。
「殿、全軍用意が整いました」
「うむ」
篠原の爺の言葉で物見櫓を下り、砦の広場へと向かう。広場には我ら山城三好家の将兵三千人が集合している。阿波三好勢からの攻撃は今は止んだ。三好の旗も大挙して勝竜寺城へ向かっていたから、全ては斎藤山城守殿の思惑通りに事が運んでいるというわけか。
「皆聞けぃ! 砦に籠って守る戦いはこれまでだ! 今より我らは山を駆け下り、阿波勢の背後を突く!」
事前に全軍に周知してあったからか、皆の顔にも気迫が籠っているな。
「これよりは夜戦となる。同士討ちを避けるため、腕に巻いた白布を目印とせよ! 布を巻いて居ない者は敵だ!」
「オオー!」
我らの鬨の声に合わせるように勝竜寺城の方角から合図の早鐘が鳴る。同時に城方の大きな鬨の声がここまで聞こえた。手筈通りだ。
斎藤殿がわざと敗れて勝竜寺城まで退き、敵を大山崎の内側へ引き込む。今頃は長岡天満宮に伏せた氏家殿、稲葉殿、安藤殿の手勢が播磨勢に攻めかかっているはずだ。間もなく斎藤殿の本軍も勝竜寺城から討って出るだろう。大山崎を突破したと油断した敵軍を勝竜寺城で抑え、夜襲によって包囲する。周辺の地理に暗い敵は逃げる方向さえ見失うだろうな。
我らは天王山砦を駆け下り、芥川城へと逃げる敵を待ち伏せする形となる。まったく、斎藤山城守殿は恐ろしいお方だな。義父上と良い勝負ではないか。
皆の声が収まるのを待ち、腰に佩いた太刀を抜いて天高く掲げる。父上が最期に儂へと持たせてくれた太刀だ。
彦次郎……出来ればお主と戦いたくはなかった。だが、あくまでも義父上の敵に回るというのならばやむを得ぬ。せめてこの兄の手でお主を討ち、細川の呪縛から解き放ってやろう。
「出陣!」
「オオー!」
太刀を振り下ろすと同時に砦の門が開かれ、松永甚介を先頭に全軍が天王山を駆け下る。この夜が明ける頃には、彦次郎との決着もついているだろう。
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