大野郡司
・天文三年(1534年) 十二月 美濃国厚見郡枝広館 斎藤道三
大原殿の援軍のおかげもあって過日の朝倉の侵攻は撃退できた。
それは良いのだが、土壇場で軍勢を出さずに日和見を決め込む者達が居た。結果的に朝倉を撃退できたから問題にならなかったものの、仮に六角家が朝倉家に負けておればそれらの者達がどのような挙に出ていたかと考えると安穏ともしていられぬ。
気になって調べていると
待っていると御屋形様の御成りが告げられた。
鷹狩りに出かけておられたと聞いたが、今日は晴れているとはいえ昨日降った雪が一面に残っているというのによくもまあ出かけるものよ。国の大事よりも鷹狩りの方が大事とは呆れる他はない。
「面を上げい」
ゆっくりとした足取りで上座に参られる。顔を上げると鷹狩り姿のままだ。つくづく呑気なものだ。
「急なことでしたが、お目通り叶いまして有難うございまする」
「良い。それより用件を申せ」
「ハッ!過日の朝倉の侵攻の折り、某は御屋形様より軍を預かり、戦に当たりましてございます」
「うむ。働きには満足しておる。それがどうした?」
「その戦で日和見を決め込み、某に協力しようとせぬ者達が居りました」
「……誰のことじゃ」
「小守護代の長井弥太郎(長井景弘)」
じっと様子を伺う。やはり長井の名を出しても驚かぬか。
「某の調べた所では越前の次郎様(土岐頼武)と密かに通じ、朝倉の軍勢を美濃に引き込む手引きをしたとのことにござる」
「……何かの間違いであろう。弥太郎がそのようなことをするはずがあるまい」
「何ゆえそう断言できまするか?」
「弥太郎の父は儂を美濃の国主にするためにお主の父と共に働いた男だ。その子がよもや次郎に与するとは思えぬ」
ふむ……。実のところ弥太郎が越前と通じているというのは真っ赤な嘘だ。
儂の偽りにも眉一つ動かさぬか。よほど長井弥太郎を信用しておるか、あるいは長井弥太郎は御屋形様の指示で動いていたか。
「ともかく、今は無事に朝倉を撃退したことで美濃国内の安定を図るべき時だ。道三には益々の手腕を期待している」
「長井弥太郎については……」
「お主の考えすぎであろう。今はそのことを詮議するよりも領内の仕置を優先せよ」
しばし目線を合わせても御屋形様の目に動揺は見られぬ。いっそ大桑から聞いた話をぶつけてみるか?
……いや、それにはまだ機が熟さぬ。
御前を下がって枝広館の廊下に出ると晴れた空が眩しい。小春日和というのか、寒いが良い天気だ。
だがその想いも束の間、大桑常陸介の言葉が再び脳裏に蘇る。
―――長井弥太郎は斎藤新九郎を討つ用意を整えていた
大桑に届いた密書を見せられるまではまさかと思っていた。御屋形様が六角と誼を通じる儂を警戒しつつあることは感じていたが、まさか朝倉の侵攻を受けたその時に儂を討ちに来るとは容易に信じられなんだ。朝倉の脅威は去ったとはいえ、それは此度の戦で六角が勝ったからだ。仮に六角が負けていれば儂を討っても美濃は朝倉に蹂躙されて御屋形様も国主の座を次郎に奪われることになる。そのような危険な真似をするほどの阿呆だとは思われぬ。
だが、長井は確かに兵を集めていた。それが朝倉と戦う為のものではなく、朝倉との戦で疲弊した儂を討つためのものだったとすれば……。
近江宰相様(六角定頼)があまりにも鮮やかに朝倉を撃破されたために結局は儂もほとんど戦をすることなく朝倉を追い出す事が出来たが、そうでなければ儂は味方に背を討たれる所であったということか。
御屋形様は長井弥太郎の動きを、その理由を全て知っておったのであろう。仮に長井の独断であったならば、長井が朝倉と通じていたと聞かされれば少なからず動揺が生まれるはず。しかし御屋形様の目には一切の動揺が無かった。
……味方を集めよう。長井弥太郎は儂と美濃を二分できるだけの勢力を持っているし、そこに御屋形様が味方をすれば儂がずんと不利になる。
いかに近江殿から援軍を頂けるとしても肝心の儂の兵が寡兵であれば結局は美濃を六角に売り渡すことになってしまう。美濃を他国に売り渡すことは断じて出来ん。
大桑は美濃そのものを危険に晒す今回の長井の挙に腹を立てている。それに大御堂城の竹中遠江守や北方の安藤伊賀守などを味方に付ければ西美濃をまとめることもできるだろう。
まさか儂が近江殿の手の上で踊ることになるとはな。だが降りかかる火の粉は払わねばならん。こうなれば近江殿の思惑に乗るしかあるまい。
土岐頼芸を追い出して儂が美濃の国主となる。
・天文四年(1535年) 二月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
年が明けてお寅の方にも懐妊の兆し在りと報告があった。これで俺も一安心だ。やっぱニンニクの強精効果ってすごいのかね。
ニンニクは南近江でも栽培を始めた。薬効云々はともかく、ガツンとニンニクの効いた肉料理なんて食いたいに決まってる。やっぱ食文化は豊かさの一種のバロメーターだよな。
お寅の懐妊が発覚したことで志野が妙にウキウキと次の側室探しに精を出している。嫁自ら愛人探しなんて現代じゃおかしな話だが、まあそれもこの時代の習いだと思って深く考えないようにしよう。
そんな日々の中、俺は観音寺城の亀の間で進藤貞治と額を突き合わせている。
北陸も雪解けが近くなり、朝倉から返書が来たらしい。
「朝倉は何と言って来た?」
「四月には上洛し、公方様にお目通りを致したいと」
「ふむ……」
素直に俺に膝を屈するのならば可愛いもんだが……。
「左衛門尉自ら来るかな?」
「さて、文には『上洛する』とだけ書かれてありました」
言いながら進藤がニヤリと笑う。わっるい顔してんなコイツ。
「やはり代理を寄越すかな」
「恐らくは。某が使者に参った時の様子を考えれば家中は随分と紛糾したことでありましょう。かと言って、このまま手をこまねいて征伐軍を受けることになれば、それこそ朝倉家の存続が危ぶまれます。
上洛して公方様に詫びればとりあえずその目だけは防げます」
まあ、優柔不断の義景ならばともかく孝景ならそのくらいの判断力はあるだろう。
だが、当主自らが行けばそれはそれで家中がまとまらん。下手をすれば朝倉景紀を中心に家中が割れる。
そこで第三の選択肢として、代理を寄越して将軍に詫びたという実績だけを作るというわけだ。当主自ら膝を屈する形でなければ景紀も負けた負い目でそれ以上文句は付けられないだろう。
問題は……。
「誰を寄越すかな?」
「大野郡司の朝倉次郎左衛門(朝倉景高)でございましょうな。他に務まる者が居りませぬ」
「だろうな。家臣を寄越して終わりでは火に油を注ぐことにもなり兼ねん。一族といっても九郎左衛門(朝倉景紀)を寄越せばどんな問題を引き起こすかも分からん。他の弟達では郡司という風格に欠けるし、残るは次郎左衛門しか居らぬ」
進藤がゆったり頷きながら茶を一口飲んでほほ笑む。
「大野郡司が上洛したならば、せいぜい
「六角の後援で朝倉家の家督を奪い取りたくなるくらいに……だな?」
進藤が再びゆったりと頷く。
今回の朝倉の敗北でもっとも割を食ったのは大野郡司の朝倉景高だ。
何しろ、孝景が余計な下心を出して北近江にまで進軍しようとしなければこれほど手痛い敗戦にはならずに済んだ。
俺が京に掛かり切りになっている間に美濃を攻めるだけなら、西美濃北部にある程度の地歩を築けたかもしれない。それが朝倉景紀の敗戦で美濃からも撤退せざるを得なくなった。
実際の所、北近江での敗戦が無くとも朝倉が美濃で勝つ目は薄かったと思うが、実際はどうだったかは重要じゃない。問題は朝倉景高がそう考えている可能性が高いということだ。
それなのに将軍家へ詫びを入れに行くという役目を振られる。
景高にすれば面白くないはずだ。朝倉家中で自分の憤懣を分かってくれる者は居ないという被害妄想も生まれているだろう。
当主の孝景は朝倉の戦力をこれ以上損なわない為に朝倉景紀を残しているんだろうが、短慮な景高はそれを孝景が景紀を可愛がっているからだと思い込む。理性で動く人間は感情で動く人間の行動を完全には理解できない。孝景には景高の思考が分からないはずだ。
今回の上洛は孝景にとっても苦渋の決断なんだろうが、覚悟の決め方が足りないよな。
本気で朝倉の再生を目指すならば、俺に言われる前に景紀に責任を被せて腹を切らせ、何を置いても自分が上洛して畳に額がめり込むくらいに土下座するしかなかった。名門武家の看板も何もかも投げうって事実上六角家に従属し、ひたすらに命乞いをする。朝倉がそこまでやれば、俺もこれ以上朝倉征伐を言い出すことは出来なくなる。
だが、名門朝倉家のプライドがそれをさせなかった。景紀を生かしているのがその証拠だ。武家の名門として復活する夢を捨てきれなかったんだろう。
朝倉景高は俺の手駒として精々越前国内を引っ掻き回す役割を担ってもらう。それこそ、国人衆がもうこれ以上朝倉家にはついて行けないと呆れかえる程にな。
それもこれも全て進藤の献策通りだ。負けて追い詰められた朝倉を嵌め殺そうってんだから、進藤もいい根性してるよ。
「新助、お主もワルよのぅ」
「いえいえ、御屋形様ほどでは」
「ふっふっふっふ」
ノリもいいじゃないか。なんだか本当に悪だくみをしてるみたいで楽しいぞ。
……ん?
そういえば進藤はこのお約束を知らないよな?
あれ?ということは、本心から俺のことを……?
「では、某はこれにて失礼いたします。朝倉が上洛する前に京で出迎える用意を整えまする」
あ、ちょっと待って……。
頭を下げて行ってしまった。
俺、家臣からどんな風に思われてるんだろう。そんなに悪だくみの好きな腹黒男に見られているんだろうか……。
ちょっとショックだ……。
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