用意周到

 

 ・享禄二年(1529年) 八月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



『領地の境界について訴訟の儀ある時は、寺社・奉行人・境界領主立ち合いの元で境界を決めらるること』


 境界紛争は厄介だ。現代でさえ土地境界を巡ってご近所さんとトラブルになることはよくあることだ。

 この当時は土地の境界の成り立ちについては地元の寺社に文書が保管されていることが多いから、寺社も立ち合いに加えることでより公平性が保てるだろう。


『領主同士での私的な借米や借銭は厳にこれを慎み、借銭の儀は楽市会合衆にて承らるべきこと』


 私的な借金もトラブルの元だ。すべての借銭は公的金融機関として楽市会合衆に任せる。もちろん、金利は六角家で決める。

 いわゆる公定金利を徹底させる。


 商人に任せれば高利貸しに苦しむ領主も出てくるだろうし、そもそも借銭を返せなくなるようでは領地経営は覚束ない。一時的な赤字ならまだしも、恒常的に赤字の経営なんて廃業した方がマシということだ。

 無闇に借金を増やさせないことで極端な没落を防止する。もちろん、会合衆からも経営がうまく行っていない領主には領地返上を勧告させる。

 問題は土地を失って旗本になることを恥と思われないようにすることだな。旗本衆には積極的に武功を挙げる機会を設けよう。


『神社・仏寺の訴訟は六角家奉行人によって裁可を行うものとする』


 当然だが寺社にも裁判が起こる。それについては観音寺城に寺社奉行を創設し、そこで専門的に扱う。

 百姓や領主同士の紛争と違い、寺社への裁定は一揆の引き金になる場合もあるから慎重にしなければ。



 ふぅ。草案としてはこんなものか。

 三十条にもなってしまったが、基本的には全て式目に基づいて裁判を行うこととした。式目の解釈について疑義が生じた時は評定にて決定する。六角家当主の独断で解釈を変えることは慎む。

 これなら、恣意的な領国経営にもならないだろう。



「六角様。お呼びでしょうか?」

「おお、庄衛門。遠慮せず部屋の中に上がれ」


 伴庄衛門がやって来た。相変わらず裏口から亀の間に現れる。

 こそこそ会ってたら悪だくみをしているみたいに見えるじゃないか。


「して、何があった?耳に入れたいことがあると聞いたが」

「はい。道永様(細川高国)が播磨の軍勢を率いて摂津に進軍されたことはご存じですか?」

「ああ、聞いている。何せ近江にも越前にも振られたからな」


 くっくっと笑いが出てしまう。

 予定通り高国は吠え面をかくことになった。


 朝倉に続いて六角も京を引き払ったことで細川高国は前線を維持することが出来ずに近江に落ち延びたが、その後朝倉に援助を求めに再び越前に向かった。

 ところが、敦賀郡司になった朝倉景紀は越前と近江の国境である今庄の関を固く閉じて門前払いを食らわせた。

 管領ともあろう者が、関所の番兵に取り押さえられるという醜態を演じたらしい。まあ、朝倉は今後高国に関わろうとはしないだろう。もちろん六角も関わらない。


 窮した高国は播磨に下って浦上村宗の援助を得た。相変わらず政治力だけはなかなかのものだ。

 まあ、浦上は高国の実態を知らない。上洛した後は自身が管領の一の家来として権勢を振るえると思っているはずだ。金ヅルにされるとは夢にも思っていないだろうな。


「堺方もこれを迎え撃つようで、柳本弾正忠様(柳本賢治)の軍勢が京を離れたと報せがありました」

「ほう……」


 京が手薄になったか……

 マズいなぁ。義晴の上洛病が出てしまうかもしれん。

 朝倉に勝った後、足利義晴は坂本から桑実寺に再び滞在している。近頃では何かと言えば上洛上洛と騒ぐことが多くなった。

 こっちは軍勢の建て直しでそれどころじゃないっていうのにな。


 まあ、大原高保の率いる北近江軍を残しておけばとりあえず問題はないとは思う。何と言っても大原高保は『東湖大将軍』という異名を持つ戦上手だ。軍勢の指揮ならば俺よりも上かもしれない。

 大原高保の配下には赤尾・海北・北河・雨森・井口などの木之本武闘派集団も居るから、国境防衛なら問題ないだろう。

 その意味では上洛できないことも無い。蒲生の南近江軍を動かせばいいんだからな。


 ただ、今南近江軍は北伊勢遠征の準備を進めている。

 まずは足元を固める為に北伊勢の八風・千草両街道を抑え、桑名と四日市への通行を完全に掌握する。

 伊勢湾を挟んでは尾張の知多半島とも交易が活発に出来るようになる。


 八風街道は既に梅戸高実が抑えているから、今回準備しているのは千草攻めだ。

 というわけで、蒲生定秀は梅戸高実と共に北伊勢国人衆へ調略の真っ最中だ。正直上洛している暇なんてない。

 今回も朝倉を言い訳にして切り抜けるか。



「もう一つ、三好筑前守様が阿波へ帰国されたとのことです」

「ほう。それは……とうとう六郎に愛想を尽かしたか?」

「そういう訳でもないようですが、どうやら堺方の内紛に自ら身を引く決断をされたようで……」

「そうか」


 まあ、賢明だろうな。

 俺が京を引き上げた後、三好元長は山城国守護代に任命されたが、柳本賢治や松井宗信とケンカが絶えなくなったらしい。

 悪いことに、元長の勢力が大きくなることを警戒した細川晴元までもが柳本達に肩入れしている。

 ずっといがみ合いを続けていたが、とうとう頭に来て帰ってしまったようだな。


 だが……


「三好も柳本も居ないとなれば、それほど大きな軍勢でなくとも京は奪回できるか」

「左様で。今は京の警備は木沢左京亮様(木沢長政)が受け持たれていますが、兵数はせいぜい三千に満たぬと聞きます」


 木沢長政か……

 畠山義堯よしたかの家臣でありながら細川晴元に接近しているって話だったな。

 まあ、畠山は今落ち目だから細川に乗り換えたってとこだろう。蝙蝠のような男だ。


「つまり、さしたる労力も無く京を落とせるということか?」

「そうなります」


 ふむ……

 となると上洛を先にしてもいいな。だが、それによって細川高国が復権するのもあまりよろしくない。

 正直完全に見捨てた相手だから、今更復権されても気まずいだけだ。

 どうするかな……



 考え込んでいると部屋の外から声が掛かる。


「御屋形様。桑実寺の公方様から至急話したいことがあると使いが参っております」

「わかった。半刻後に参ると伝えてくれ」

「ハッ!」


 小姓が下がると伴庄衛門が労りの籠った目を向けて来る。


「どうやら上洛病が出たようだ」

「御察しいたします。ですが、申し上げたように上洛の障壁は今は低くなっております」

「わかった。貴重な報せをありがとうな」

「いえ。では手前はこれにて」


 言い放つとまた裏口から出て行く。よっぽど玄関から入るのが嫌なんだな……




 ・享禄二年(1528年) 八月  近江国蒲生郡 桑実寺  六角定頼



 御前に伺候すると挨拶もそこそこに義晴が畳みかけて来た。


「少弼!聞いたか?」

「はあ……何を、でございますか?」

「とぼけるでない。京から柳本が兵を退いたというではないか」

「……それは正確ではありませぬ。某の聞くところでは京には未だ木沢左京亮が居残って警備を続けているとのことです」

「なに?そうなのか?」


 義晴が隣に座る大舘尚氏を大袈裟に振り返る。

 そうか。大舘オマエが余計なことを吹き込んだ犯人か。


「確かに木沢が居残っておりますが、率いる兵は三千に満たぬかと。

 その程度、少弼殿ならば物の数には入りますまい」


「おお!そうなのか!」


 義晴が再びこっちを向く。

 やはりあの口実で断るしか無いか。


「恐れながら、近江と越前は未だに緊張状態にあります。お互いに軍勢を建て直すために一時矛を収めているに過ぎません。

 朝倉の軍備が整えば再び北近江に侵攻してくることも考えられましょう。

 今はこちらの勢力を整え、万全の態勢でご上洛のお供を仕りたく思います」


「うむ。そうなのか」


 深々と頭を下げると義晴の残念そうな声が頭上から響く。

 心配しなくてもあと二年の内には上洛軍を起こせるくらいにはなるだろう。義晴のことはちゃんとするから、もう少し待ってくれ。


 顔を上げると正面から大舘と視線がぶつかる。

 ……笑っている。何でにちゃーっと笑う?ちょっとイラっとくるんだが……


「少弼殿がそう仰ると思い、海老名と進士の両名を越前へ派遣しておりました。三日前に戻っておりますが、返書によると朝倉左衛門尉(朝倉孝景)は公方様の命であれば六角と和議を結ぶにやぶさかでないと申しておりまする」


「おお!そうなのか!」


 ……くそっ。やけに手回しがいいじゃないか。

『ここに三日前に用意した和睦の書状があります』ってか。料理番組かよ。

 こっちは侵攻を受けた被害者なんだから領土の割譲を要求して突っぱねることも出来るが……


「恐れながら、誠に左衛門尉殿がそのように仰せられたので?」

「うむ。まことだ。朝倉は朝倉で加賀の一向一揆の勢威が増すのを警戒しておるようだ」


 そうか。うっかりしていた。

 今の朝倉家当主は朝倉孝景だ。義景じゃない。

 軍事は宗滴に任せきりだったとはいえ、仮にも朝倉家の最盛期を築き上げた男だ。

 政治や外交の手腕は折り紙付きってわけか……


 孝景なら景紀の不満を抑えて和議を結ぶこともあり得る。そして、俺がゴネれば六角のせいで和議がまとまらぬと広く喧伝するだろう。被害者と加害者が立場を入れ替えてしまう。

 なまじ事実だから反論も出来ないか……


「しかし、我らも軍勢の回復には今しばし……」

「さらに!」


 言葉を遮られる。まだ用意してあることがあるのか?


「朽木民部少輔殿(朽木稙綱)も公方様の上洛のお供を仕ると申しております」


「おお!そうなのか!」


 再び大舘が笑う。

 だからにちゃっと笑うなにちゃっと。せめてニヤリと笑ってくれ。


 要するに俺がこれ以上愚図るなら朽木の軍勢でもって上洛するということか。

 マズいな……


 朽木の軍勢は二千を少し超えるくらいのはずだ。しかし、それでも木沢の軍勢だけなら追い払えるかもしれない。

 何と言っても向こうは播磨からの高国の侵攻で気が気じゃない。

 木沢の本拠は飯盛山城だから、後詰が無ければ死力を尽くして京を確保しようとはしないだろう。


 朽木の軍勢で上洛したとして、仮に高国が復権したらどうなる?

 その時は義晴の与党は細川高国が再び返り咲く。そして六角とは疎遠になる。改めて越前や美濃に六角討伐を言いつけるということもあり得るだろう。


 少なくとも俺の頭を抑え込もうとしてくるはずだ。管領の立場ならネチネチとした嫌がらせもお手の物だろうな。

 これ以上俺の勢力を拡大させないようにあの手この手で妨害してくるはずだ。


 かといって、朽木が参戦して高国派が負ければ、いよいよ本格的に近江が京の騒乱に巻き込まれる。俺も黙って見ているわけにはいかなくなる。

 弥五郎……面倒な言質を取られやがって……


 結局、俺が今すぐ上洛軍を起こすのが俺にとって一番有利というわけか。



「少弼。どうした?」


 にちゃっと笑う……

 俺の負けか。


「わかり申した。某が公方様のお供を仕りまする」

「おお!そうか!よろしく頼むぞ」

「ハッ!」


 後で弥五郎を殴りに行こうか。



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