近江守護

 

 ・享禄元年(1528年) 十月  近江国蒲生郡 永源寺  六角定頼



「喝っ!」

「痛っ!」


 隣で進藤貞治が警策を受ける。居眠りでもしてたのかな?

 警策は打ち方ももちろん大事だが、受け方もちゃんとしないと骨に当たって痛くなる。背筋を伸ばし、顎を引いて首を傾ける。

 肩の中で骨の当たらない部分を打ちやすいように差し出さないといけない。


 打ち手と受け手が慣れた者同士ならば、警策を打たれても痛みは感じず、ただ音だけが響く。

 元来が警策は座禅に集中できるように雑念が入った時の注意として打つもので、罰として打つものじゃない。



 箕浦河原の合戦の後、いつものように諸々の反省と今後の方針を考える為に集中しに来た。

 今回は進藤も共に禅を学びたいと言って付いて来た。監視のつもりかもしれんが、もう逃げたりはしないって。


 まあ、自業自得か。出陣前の醜態で進藤の信用を失ってしまったかもしれん。


 あの後、進藤から説教を食らって初めて気付いたことがある。

 元々北近江の国人衆は自主自立の気風が強く、六角には反発心を持っていたはずだ。いくら親六角が浸透し始めているとはいえ、ここまでこぞって俺の傘下に入ることが疑問だったが、その疑問も進藤の言葉で氷解した。


 史実の浅井亮政は大永期から天文期にかけて何度も六角定頼と戦ったが、敗戦を繰り返すだけでただの一度だって勝ってはいない。

 にも関わらず、浅井亮政は北近江の覇者であり続けた。それは北近江国人衆の置かれた状況がそうさせた。


 元々北近江は京極家が治めていたが、京極家も御多分に漏れずに身内での内紛、家督争いが絶えなかった。

 今回の箕浦河原の合戦も、京極高延と京極高吉の家督争いがそもそもの原因にある。


 同時期の南近江に目を転じれば、六角定頼が伊庭・九里の乱を平定して南近江全域を掌握した。それによって北近江国人衆に焦りが生じることになった。

 このままいつまでも主家が家督争いを続ければ、六角家に北近江に介入する口実を与えることになる。事実、定頼は京極の家督争いに介入する姿勢を鮮明にした。

 だからこそ、国人衆は代表者を立てて自ら担ぐ盟主を決めようとした。それが浅見貞則と浅井亮政によるクーデターの原因だ。

 北近江のことは北近江国人衆が決める。それが戦国大名浅井家を生み出した原動力だった。

 要するに浅井亮政は北近江国人衆の利益を代表する者として選ばれた。


 しかし、こっちの世界では浅見貞則が銭の力で国人衆を懐柔したため、国人衆の利益を代表する者は浅見貞則になった。

 浅見は保内衆からの借金によって半ば強制的に六角との友好路線を敷いた。最初はその行動に反発心を持っていた国人衆も、石寺楽市と繋がることによって懐が豊かになった。

 要するに浅見貞則は経済政策で成功したことになる。


 史実の北近江は敦賀や美濃の経済圏に入ることで利益を得ていた。そのために浅井は朝倉寄りとなっていく。まして、六角定頼によって小谷城を追われた際、浅井の北近江復帰を支援してくれたのも朝倉だった。

 後年に浅井久政が『朝倉のおかげで今の浅井がある』と言い放ったのもこの辺りの事情による。


 だが、南近江経済圏に組み込まれることで豊かさを享受した国人衆は、徐々に親六角・親浅見へと変わっていった。シーソーと同じで、浅見への支持が集まれば集まるほど浅井の求心力が低下する。


 焦った浅井は京から戻った朝倉宗滴の力を借りて北近江の自立を取り戻そうとした。朝倉は朝倉で不信感を覚え始めていた六角に対し、直接国境を接するよりも北近江という緩衝地帯があった方が都合が良かった。

 それが今回の近江侵攻に繋がった。


 しかし、この朝倉の近江侵攻によって国人衆の心は決定的に浅井から離れてしまう。


 元来、浅井が北近江を治める正当性は北近江の自立のためだったはずだ。浅井が主体となって六角と戦うならまだしも、今回は朝倉対六角の構造であることは誰の目にも明らかだった。北近江の自立を謳いながら、実質的には朝倉の傘下に入れと言われているに等しい。

 国人衆の目には、浅井は北近江を朝倉に売った男と映ってしまった。


 そして国人衆は究極の選択を迫られる。他国者である朝倉に従うか、元々の主筋である佐々木宗家の六角家に従うか……


 後年に織田と朝倉が争った際に国人衆の多くが朝倉支持に回ったのは、どちらも他国者だったからだ。

 相手が六角であれば近江守護家という正当性もある。どのみち自立が不可能ならば、近江守護にこそ従うべしというのが国人衆が大挙してこちらに来てくれた真の理由だった。


 進藤に説教されるまで気づかなかったのが恥ずかしい。自分で三好元長に言っていたことだ。


『領国の民を守るのが守護たる者の務め』


 俺はもう少しで、俺を頼ってくれている近江の国人衆を見捨ててしまうところだった。猛省しなきゃならん。


 今回の朝倉の侵攻は、結果的に近江一国に一枚岩の結束をもたらした。北近江も南近江もない。一つの『近江国』として六角家の庇護下に入る。それが国人衆の出した結論だった。

 それは同時に俺が今後近江を治めていく正当性にもなる。


『近江の利益を守る』


 経済的にはもちろん、軍事的な意味も含めての利益だ。他国からの侵攻を寄せ付けず、自分たちや領民たちの暮らしを豊かにしてくれる存在であればこそ、六角家は近江の支配者として認められる。

 これは今後も肝に銘じなければならん。俺がそれを忘れた時は、近江は反乱と一揆が頻発する修羅の国と化す。


 軍事的に領国を守る方法はたった一つしかない。こちらから他国に積極的に出て行くことだ。

 守りに入れば軍事的に衰退することは避けられない。浅井長政、六角義賢、朝倉義景……

 いずれも自領を守るための行動に終始したことで、自領すらも失ってしまった。

 戦国大名は守りに入っては駄目だ。攻め続けなければ自国すら守れない。これが歴史が教える真理だ。

 今後は俺も積極的に他国に勢力を伸ばして行く必要がある。


 天下を取った男達も皆そうだったんだろうな。元々は自分たちの大切なものを守るために戦った。守るために攻め続け、それが結局天下取りに繋がった。

 史実の六角定頼が『天下を取ろうとしない天下人』と呼ばれたのは、別の見方をすれば『無理に天下を取りに行く必要が無かった』ということでもある。


 史実では定頼がどれほど天下に興味を示さなくても、天下の方が定頼を必要とし、その力を振るわせた感がある。

 つくづく幸運の星の元に生まれた男だったと思う。



 スッと肩に警策の置かれた感触がある。背筋を伸ばし、顎を引いて首を左に傾ける。


「喝っ!」


 パアンと派手な音がするが、痛みはほとんどない。

 正面の禅師に一礼し、再び呼吸を整えて思考の森へと集中する。



 ともあれ、今後の方針としては軍団の再編成が最優先事項だ。


 他国に攻めるにせよ何にせよ、強い軍団が無ければ話にならない。

 今回の戦で失ったものは大きいが、得たものもある。北近江衆という近接戦闘に優れた兵団が手に入った。今後の六角は戦い方そのものを変えていく必要があるだろう。


 朝倉宗滴を討ち取った蒲生定秀の武名は今や天下に轟いている。

 実態を知ればその功のほとんどは父である高郷のものであり、定秀はいわばごっちゃんゴールを決めただけだ。

 だが、民衆や野次馬はいつの時代も英雄譚を好む。


 戦の武功話に尾鰭がつき、今や定秀は機を見て単騎敵陣に突撃し、宗滴の首を獲って悠々と自陣へ引き上げた古今無双の豪傑ということになってしまった。

 朝倉の軍勢は定秀の威に恐れをなして身動きもできなかった、ということらしい。


 今の蒲生定秀は『近江の軍神』『俵藤太たわらのとうたの再来』と持てはやされている。伝説とはこうやって生まれていくのだろうな。


 戦の前から定秀に娘を嫁がせることが決まっていた馬淵重綱は近江中の武士から羨望の目で見られている。軍神様の舅殿になるんだからな。爆上がりした蒲生株を買い占めていた男ってわけだ。


 定秀本人がこの噂に一番困惑している。変にクソ真面目なところは相変わらずだ。

 だが、この噂を利用しない手はない。


 今後六角と相対する敵は先陣に蒲生の旗を見ただけで威圧感を覚えるはずだ。宗滴のことを思い出し、首筋が寒くなる大将も出て来るだろう。

 今後の軍編成は蒲生を中心に行うことにしようか。



「喝っ!」

「痛っ!」



 やれやれ、進藤の悟りの道はまだ先が長そうだな。




 ・享禄元年(1528年) 十月  近江国蒲生郡観音寺城  蒲生定秀



 御屋形様から呼び出されて観音寺城へ赴いた。先日の戦のことで話があるらしい。

 どのような話だろうか。できれば妙な噂を打ち消してもらいたいものだが……


 最近は城下でも様々な視線を向けられることが多くなった。

 本当に困ったものだ。俺を英雄と語ってくれるのはいいが、父上が何もせずに死んだように言われるのは我慢がならん。

 朝倉宗滴を討ち取ったのは蒲生高郷だ。俺は最後に夢中で槍を突き出したに過ぎない。

 父の受けるはずだったほまれを横取りしているようで心底居心地が悪い。


「蒲生様。御屋形様がお呼びです」


 小姓の呼び出しで亀の間に向かう。御屋形様の手元には文があった。


「おお、藤十郎。呼び出して悪かったな」

「いえ、何事でありますか?」

「うむ。まずはこれを渡しておこう」


 御屋形様が書状を差し出す。感状か。


「此度の戦、お主自身が何と言おうと武功第一はお主だ。これはその証だ。遠慮なく受け取るがいい」

「ハッ!ありがたく頂戴いたします」

「それとこれも遣わす」


 おもむろに御屋形様が床の間の刀掛けから太刀を一振り取り上げて差し出す。


「雲次だ。お主の功にはこれでも足りぬが、俺の気持ちとして受け取ってくれ」

「ハッ!かたじけなく」


 雲次と言えば御屋形様の愛用の太刀。そのような物を頂けるほどの誉が果たして俺にあるのか……


「……そう暗い顔をするな。これも渡しておく」


 御屋形様がもう一通書状を差し出す。

 これは……


『去る箕浦河原合戦において、手ずから武勇を振るい、自身討死せられ候えといえども、蒲生藤十郎に朝倉宗滴を討たしめた大功は計り知れず。よって摂取院に蒲生左兵衛大夫高郷の弔い料として二百貫を奉加致し候、恐々謹言


 蒲生左兵衛大夫殿』


「お主の父への感状だ。余人は知らず、俺はお主の父が果たしてくれた功をしっかりと分かっている。これはその証だ。

 仏前に供えてやるがよい」


 ……視界が滲む

 いかん。大切な感状に雫が落ちてしまう。


 御屋形様は分かって下さっていた。

 父が何もせずに死んだわけではないと。我が父高郷は、六角の誇る武勇の男だったと。


「世上の噂など気にするな。少なくとも俺とお前だけは、左兵衛大夫高郷という男を知っている。それで良いのではないか?」

「……ハッ!お言葉忝く。父もきっと喜んでくれます」


 そうだ。俺と御屋形様は蒲生高郷という男を知っている。それでいいではないか。

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