三者の思惑
・大永七年(1527年) 七月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
亀の間で三好との交渉経過をまとめる。話し合いに応じてくれて助かったよ。
『三好の敵は道永(細川高国)ただ一人にて候』か。思惑通りだな。
俺にも高国を庇おうなんて気はさらさらない。煮るなり焼くなり、好きにしてくれて構わないよ。京の東は高国陣営と言われるが、それは正確じゃない。俺たちは『高国陣営』ではなく『足利義晴陣営』だ。
高国はあくまでも足利義晴の一の家臣として権勢を振るっているに過ぎない。たとえ実体が傀儡であろうと何であろうと、名目上六角家は足利義晴に仕える近江守護だ。
先月には堺の足利義維に仕える斎藤基速という武士が上洛し、京の治安維持と足利義維の将軍任官を願い出た。
しかし、昨年の後柏原天皇の崩御に伴って
要するに畿内の内紛を収めて天下人としての実を見せろというわけだ。
その代りと言ってはなんだが、従五位下・
その為、今畿内の幕府機能は京の東と西で分割されている。
堺の金蓮寺に居る足利義維を中心とした政権が『堺幕府』と呼ばれ、摂津や河内では堺幕府が実効支配している状態だ。
それに対し、近江の桑実寺に居る足利義晴を中心とした政権が『近江幕府』と呼ばれている。
京の東は依然として近江幕府が実効支配している。京を境に東と西で真っ向から対立しているというわけだ。
向こうは近江幕府を否定したいだろうが、こっちだって堺幕府を受け入れるわけにはいかない。
堺幕府を受け入れるということは、現行の近江幕府に仕える俺達が賊軍になってしまうということを意味する。堺幕府に協力した者の論功行賞の為に、俺達の領地を奪い取られる事だって充分にあり得る。
つまり、俺達が一所を懸けて守らなければならないのは細川高国ではなく足利義晴だということだ。
だからこそ、俺達は上洛軍を起こして足利義晴を京に戻さなければならない。俺達が『足利義晴陣営』というのはそこだ。大事なことだから二回言った。
もっとも、俺自身はそれ以上のことは考えていない。正直、摂津や河内に遠征なんて面倒だ。
あっちはあっちで事情はこちらと同じなんだから、一所を懸けて命懸けで向かってくる敵を倒していかなきゃならん。
損害も馬鹿にならないし、現状はそれで潤うのは細川高国くらいのものだからな。
とりあえず上洛までは協力する。その後は高国自身の政治力でなんとかしてもらおう。
あの
「御屋形様、ご用意ができました。お側衆の大舘様から広間にお越し頂きたいと」
「わかった。すぐに向かう」
・大永七年(1527年) 七月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
「どうだ?似合うか?弾正」
「なんとも凛々しいお姿でございます。某にも御拝見の栄誉を賜りましたこと、有難く存じます」
上座で鎧を着込んだ足利義晴が無邪気に笑う。
眩しいくらいに真っ白な
まさに軍神の化身とも言うべきお姿だ。
義晴が着用している鎧は、先だって進上した足利家重代の鎧『
足利義澄から保管を頼まれていた九里宗忍が討死したことで、宗忍の妻が幼い子の身の保証と引き換えに献上してきた。
俺はそれを本来の持主である足利義晴に返したというわけだ。
足利尊氏が着用したと伝わる御小袖は、室町幕府の正統な後継者であることを示す宝物の一つだ。実際、三代将軍の足利義満までは将軍親征には御小袖を着用するのが習わしだったらしい。
ところが、四代将軍の足利義持あたりから御小袖は滅多に人には見せない鎧へとなった。厳重に秘匿され、『御小袖御拝見』が一種の政治的ステータスになった。
見せてもらえるのは特別な家臣だけということだ。
俺は足利義晴にとってその『特別な家臣』の一人に認定されたというわけだ。
将軍位は義晴にあり、御小袖も義晴の手元にある。足利義維と比べればトップの名分としては圧倒的にこちらが優位だな。
「この御小袖を着込めば、重代の将軍家の御霊が我が身をお守り下さる気がしてくる。今ならば恐れる物など何もない。
弾正。早速ではあるが、早々に上洛を期して坂本に進軍する。その方も供をせよ」
待て待て待て待て
調子に乗って何勝手に言い出すんだ。まだこっちの仕込みが終わってないっての。
「勇ましきお言葉なれど、今はまだ管領様(細川高国)がお味方を募っておられるところです。公方様には今しばしお待ち頂き、万全を期して上洛に臨みたく思います」
「む……今ならば何を敵としようとも戦える気がするのだがな」
「お志は某にも充分に伝わっております。そう遅くない内に上洛の途に就くことになりましょう。今しばし、御辛抱ください」
不承不承ながら義晴が納得した。この前まで引きこもってたかと思ったら、鎧を着た途端にこれだからな。
ちょっと調子乗っちゃうタイプなのかな?いきなり無茶言い出さないように気を付けておこう。
・大永七年(1527年) 八月 越前国敦賀郡 金ヶ崎城 朝倉宗滴
「では、我が朝倉は十月に敦賀を発し、近江坂本へと参りまする。公方様、六角殿にもそのようにお伝えください」
「相分かった。宗滴を心から恃みと思っている。頼んだぞ」
管領様(細川高国)が下がって行くと、代わって広間に孫九郎(朝倉景紀)が入って来た。
「義父上。再び京へ上られますか」
「うむ。六角からも共に戦いたいと催促の文が来ておった。儂と六角が手を組めば三好など立ちどころに駆逐できよう」
孫九郎が不満げな顔をする。相変わらずこ奴は六角弾正を侮りおるな。困ったものだ。
「そのような顔を致すな。六角軍の力に関してはお主も認めておるのだろう?」
「それは……確かに六角の軍事力は馬鹿に出来ません。しかし、あの御仁は……」
「では、良い機会だからもう一度六角弾正という男をしっかりと見よ。此度の上洛にはお主も連れて行く」
「真ですか!?」
孫九郎の顔一面に喜びが出て来る。
前回の上洛戦では若年の為に連れて行かなかったからな。孫九郎も既に二十二歳だ。京のことを知るのは遅いくらいかもしれん。
「うむ。お主が我が朝倉の先手を務めよ。一万の軍を動員して上洛しよう」
「一万……過去にない規模ですね」
「そうよ。此度は京を奪回した後、摂津や河内にも進軍する。堺で公方の真似事をする足利義維をこれ以上野放しにはできん。公方様は義晴公ただ一人でなければならん」
おそらく弾正もそのつもりであろう。我らにとっては堺公方など絶対に認めるわけにはいかん。
堺を含め、細川六郎(晴元)や三好筑前(元長)などは全て討ち滅ぼしてくれる。
「義父上。しかし一万もの軍を動員すれば、加賀の一向一揆に対する備えが充分では無くなるのでは……」
「なに、一向門徒共は今は往時程の力はない。現状ならば北郡の国人衆で対応できるだろう。真柄庄などの国人衆も北への備えに残していく」
「承知いたしました」
さて、南郡の軍勢を連れていく事を一乗谷に連絡せねばならんな。
もっとも、此度は左衛門尉様(朝倉孝景)も否はあるまい。
・大永七年(1527年) 九月 摂津国住吉郡 堺 金蓮寺 三好元長
「筑前守。まだ上洛はできぬのか?」
「ハッ!まずは摂津や河内の地歩を固めねばなりません。公方様には今しばし御辛抱ください」
上座で左馬頭様(足利義維)が不安そうな顔をされている。無理もない。
朝廷から暗黙の了解を取り付けたとはいえ、いつまた義晴方が再び上洛するかわからんのだ。
一刻も早く摂津や河内・丹波の国人衆を掌握せねばならんという時に、身内であるはずの越後守(三好政長)や柳本弾正忠(柳本賢治)らは摂津国人衆の口車に乗って阿波勢を『後から来て我が物顔に振る舞う成り上がり』と非難している。
摂津国衆から茨木伊賀守殿(茨木長隆)を筆頭奉行人に抜擢したことで何とか不満を抑えられたが、いつまた不満が噴き出すかわからん。
これでは近江公方を利するだけだというのが何故わからんのか。
「早くしろよ、筑前。ぐずぐずしていると道永めに再び京を奪回されるかもしれんのだ。天下の大権を左馬頭様の元へともたらさなければならんぞ」
「ハッ!某もそのことは心配しております。出来るだけ早くに左馬頭様と六郎様(細川晴元)を京へお連れ致す所存にございますれば、今しばしお待ちくだされ」
細川六郎様からも叱責が飛ぶ。
分かっているなら六郎様も今少し摂津国衆の不満を抑えるようにしてもらいたいものだ。
まだ若年であるとはいえ、儂に対しては『筑前だけが頼り』と言い、越後守や弾正忠には『その方らだけが頼り』と言い放っていると聞く。
それがそもそも内部対立を煽っているということに気付いてもらわねば、いつまで経っても天下は収まらんぞ。
天下の大権と気軽に言うが、天下を治める器量というものを持ってもらわねば。
…………天下か。そもそも天下とは一体何なのだろうな。
元々儂が阿波を出たのは道永憎しの一念であったことは否めない。しかし、堺に上陸して摂津や河内の国衆を見るうちに、これでは駄目だと思うようになった。
そもそも摂津・河内・山城などの国人衆は利に敏すぎる。利によって簡単に背く。
これでは天下が収まるわけはない。
今こそ天下に信義を守ることを徹底させねば、何度討ち平らげても同じだ。
天下は利によってではなく義によって治められなければならん。その事を六郎様にも重々承知していただかねばならん。
左馬頭様は十七歳。六郎様に至ってはまだ十三歳だ。
年寄(年長者)である儂がしっかりせねば、道永を没落させても天下は今以上に乱れるだろう。
信義を守り、帝を守護し、天下に安寧をもたらす。それこそが天下人たる者の務めだ。
六角からは十月には上洛軍を起こすことになりそうだと連絡がきていたな。
明確な敵が現れれば、こちらの内紛も収まるかもしれん。敵を前に味方でいがみ合っている場合ではない。なんとかそれまでに信義を守るということを徹底させていかねば。
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