初戦

 

 ・永正十六年(1519年) 三月  近江国蒲生郡 岡山城  九里宗忍



「殿、用意はよろしゅうございますか?」

「うむ。いつでも出られるようにしてある」


 主君の伊庭出羽守はどこか落ち着かない顔をしている。もっとどっしりと構えてほしいものだ。

 新しき六角四郎がどの程度の者かは知らんが、所詮坊主あがりで銭勘定だけが得意な男だと聞く。武士の戦のことなどわかってはおるまい。


「宗忍よ。真に四郎を討つのか?」

「もちろんでございます。彼奴の父親は我が父をだまし討ちに致しました。親の無念を子に晴らすは乱世の習いでございましょう」

「ふむ……しかし、六角家は元々近江守護の家でもあるし……」


 いまさら怖気づいたのか?

 先の戦乱では六角は逃げ回るばかりだったのだ。足利義澄公をこの岡山城に迎えて幕府に忠誠を示したのは、ご先代の伊庭貞隆様と我が父だ。

 それを伊庭様の勢力を削ぐために彼奴の父がだまし討ちにした。例え守護と言えども許せるものではない。


「今更引き返して何になりましょう。既に事は動き始めております」

「うむ……」


 やれやれ、これでは先代の氏綱に敗れるのも無理はない。やはり六角四郎を退けた後は、私が近江の実権を握る他はないな。




 ・永正十六年(1519年) 三月  近江国蒲生郡 嶋郷黒橋口  六角定頼



「田を荒らしまわっている部隊を追い払え!深追いはするなよ!」


 各軍に伝令を飛ばしながら指揮を取る。嶋郷の三田村庄みたむらのしょう一帯は今で言う近江八幡市のあたりだ。北側には八幡山がそびえたち、八幡山の西と南に湿地帯が広がっている。

 敵は湿地の西の田園地帯を荒らしているようだ。


「御屋形様!甲賀衆からの伝令です!」

「通せ!」


 ひと声喚くと、腹巻に鉢巻という軽装の男がやって来て馬前に膝を着く。


「申し上げます!八幡山から望見するに、九里勢は舟木村の辺りを進軍しているようです。数はおよそ三百」

「それが本隊だな。新助!平井・永原・蒲生と共に正面から当たれ!くれぐれも深追いするなよ!」

「ハッ!」


 脇に控える進藤しんどう新助貞治さだはるに指示を出す。池田高雄が俺の家老なら、進藤貞治は俺の親友だ。年齢も俺の二歳下で気安いしな。

 平井と永原は俺が推奨する以前から配下に日置吉田流の弓術を習わせていた弓兵使いの上手だし、蒲生は言わずと知れた六角の忠臣になる男だ。


 もっとも、今の蒲生家は日野で幕臣として独立している。今回は分家の蒲生高郷が求めに応じて軍勢を出してくれただけだ。要するにお手伝いというわけだ。

 蒲生勢は日野の山地を本拠とする地侍が多く、甲賀衆ほどではないが身体能力に優れている。

 後年の六角の戦では、重要な場面では常に蒲生勢が先陣を切って戦った。信長にとっての滝川一益みたいなものだな。

 今回の九里との戦ではとりあえず御縁を結ぶだけだが、いずれは俺に心酔させなきゃならん。未来が分かっているとはいえ、人の心を掴むってのは戦や内政よりもはるかに難しい。



 遠くで鬨の声が聞こえる。いよいよ戦が始まったか。


 琵琶湖の方に視線を回すと、雲の隙間から光が差し込んでいるのが見える。まるでスポットライトを当てているように、湖西の比良山の一角だけを照らす。


 キレイだな。


 前世では湖岸道路をドライブした時にさんざん見た光景だが、何度見てもこの景色だけは美しい。

 雲の隙間から太陽の光が差し込んでいるだけだと頭ではわかっているが、何か神々しものが光の指す所へ下ってきているようだ。昔の人が神様が下りて来る道だと信じたのも頷ける。



「御屋形様!蒲生勢が敵を追い散らしてさらに進軍!牧のあたりまで追いすがっております!」

「何?深追いするなと言ったのに……仕方ない。本陣も前へ出るぞ」

「ハハッ!」


 本陣の兵にも進発の命令が出されて、全軍が前へ進む。八幡山城を右手に見ながら中小森の辺りまで進出すると前方でひと際大きく躍動する蒲生の旗が見えた。


「随分張り切っているな。蒲生左兵衛大夫だったか」

「はい。膂力衆に優れた猛将でございます。日野の蒲生家でも特に武に優れた男と聞き及びます」


 いわゆる猛将型の武将だな。

 先陣を切って部下を鼓舞するタイプだ。攻めには強いが守りはからっきしってことだろうな。

 ああいう男は、武を褒めて自尊心をくすぐると喜ぶはずだ。一番槍や武功第一という言葉が大好きだろう。

 後で戻った時にはその事を褒めてやろうか。


「御屋形様!」


 ん?


 高雄が右手を指して叫び声を上げる。視線を巡らすと、津田村のあたりから八幡山の麓を回って一隊がこっちに向かって来るのが見える。

 それはいいんだが、あれって突撃ってやつじゃないのか?随分速い気がするが……


「敵の奇襲です!伏兵があったようです!」


 やっぱりか!

 くそっ。前線に半分以上の部隊を割いてしまった。こっちの手持ちは高雄の二百と俺の本隊三百しかいない。相手の数は…… くそっ落ち着け、俺は六角定頼なんだ。いずれは天下に号令する男のはずだ。こんなところで死ぬはずがないだろう。


 くそっ!


「槍!槍隊!槍衾を……」


 奇襲の受け方って槍衾で合ってるのか?そういえばそういう基本的な事は知らないで来た。どうせ勝つんだからと舐め切っていた。

 やべぇ。足が震える。


「槍隊は本陣の前に出ろ!盾を前に出して衝撃に備えろ!

 槍を揃えて防陣を組め!騎馬の者は左右に広がれ!相手の脚を止めたら左右から揉み潰せ!」


 高雄が的確に対策を打つ。心強えぇ~惚れてしまいそうだ。


「御屋形様!前線に伝令を!本陣に奇襲ありと!」

「お、おう!伝令!」


 やばい。これじゃあまるっきりお飾り当主じゃないか。


「この奇襲が敵の本命のようですな。おそらく数は七百ほどかと。九里の旗が見えます」

「七百?じゃあこっちは数で負けてるじゃないか。どうするんだ?」

「落ち着き召され。前線から兵を呼び戻せばようござる。進藤はそれを心得ておりましょう」

「そ……そうか」


 やはり将棋とは違うな。将棋には伏兵なんていう駒は無い。盤面に見えるのが全てじゃないんだ。


 敵勢がこちらの前線とぶつかった。

 凄い光景だ。人と人が全力でぶつかり合ってもみくちゃになっている。足を滑らせて倒れれば、一瞬で敵味方に踏みつぶされそうだ。

 これが実戦か……怖いけど、逃げてたら駄目だ。これからいくつも俺は実戦を勝ち残っていくはずだ。


「おお、甲賀衆が山を下って敵の後方を突きますな。八幡山の山上に陣取らせたはさすが御屋形様でございます」

「う、うむ」


 完全にマグレだ。偵察部隊として山の上の方がよく見えるだろうと思っただけだし……

 でもここは堂々としておこう。


 敵の突進はどうやら止まった。今は足を止めての突き合いになっている。まさに乱戦ってところだな。


「おお、蒲生の旗が戻って参りましたな」

「む?前線の部隊は全て戻っては来んのか?」

「全軍で戻れば背を討たれます。攻めに強い蒲生だけをこちらに向かわせて、進藤・永原・平井は目の前の敵を追い散らしておるのでしょう。進藤新助はそういう機転が良く利きます」

「そ、そうか……」


 やっぱ家臣達は戦国を生きてるだけあってよく分かってるんだな。

 くそっ。俺も負けてられるか。俺は六角定頼なんだぞ。


 蒲生高郷の叫び声と共に、騎馬だけが二十ほど敵の横腹に突撃した。

 すげぇ……あれだけ重い鎧を着た人間を軽々と吹っ飛ばしてる。膂力衆に優れてるって言っても限度があるだろ。

 蒲生の後ろからは歩兵が必死に走ってきてるな。だが、到着する前にはここも落ち着きそうだ。


「どうやら、敵の奇襲も失敗に終わったようですな」


 高雄の言う通り、奇襲をかけて来た敵部隊はバラバラになって逃げ始めた。

 一番偉そうな鎧を着た男が真っ先に逃げてるな。あれが大将だろうが、そんなんでいいのか?

 まあ、大将が死ねば負けなんだから、あれが正しい大将の姿なのかもしれん。



「四郎様!ご無事ですか!」


 蒲生が騎馬のまま駆け寄って来る。もとはと言えばお前が突出するから本陣がガラ空きになったんじゃないのか?

 と、思っても口に出したら駄目だよな。こいつは褒めて伸ばすタイプだと思う。


「大事無い!それよりも、音に聞く蒲生の武勇しかと見せてもらった!さすがは蒲生左兵衛大夫だな!」


 嬉しそうに笑ってる。どうやらこの受け答えで正解だな。

 大将は自身の武勇よりも人心掌握が大切だ。経営者や管理職みたいなもんだな。自分が売上を作るんじゃなく部下に実績を上げさせるのが良い主君ってことだ。


 進藤や永原たちの部隊も引き上げて来た。どうやら、終わったようだ。

 予定通り勝ちはしたが、初戦は散々だった。

 まさか俺が転生したことで無敗の王者に黒星を付けるなんてことはないよな?きちんと兵の動かし方も高雄に習おう。




 ・永正十六年(1519年) 三月 近江国蒲生郡 観音寺城  蒲生高郷



「とりあえずは九里の軍勢を追い払った事、ご苦労だった」


 広間に新しい六角家当主の声が響く。本陣に奇襲を受けはしたが、何とか事なきを得た。儂が突出しすぎたのが原因だが、四郎様からそれを責める言葉は無かった。

 それどころか、我が武勇を万座の中で褒めて下された。武人冥利に尽きるというものだ。


 我が蒲生もいつまで日野の独立を保っていられるかはわからん。父上の築いた音羽城は名城だが、いつまでもそれだけで生き残ってはおられまい。

 父上の時代には先々代の六角高頼公を音羽城に迎えて美濃の軍勢を撃退したりもしたが、その父も兄の秀行と共に五年前に死んだ。

 今の蒲生家の当主は甥の兵衛尉ひょうえのじょうだが、いかんせんあの青びょうたんでは頼もしさに欠ける。だから父にはあれほど兄上の後は俺が継ぐと申したのに……


 父上は儂の粗暴さを嫌っておったが、見てみよ。乱世で命脈を保つにはその武勇が無ければ話にならん。新しき六角四郎様はそれを身を持って示されたわ。

 今や蒲生家も難しい舵取りを迫られている。あの甥は未だに蒲生は将軍家の臣だなどと申しておるが、今や将軍家が何ほどのことをしてくれると言うのだ。

 頼みの大内も周防に帰り、摂津では細川家同士が争っておるというのに止めることすら出来ん。今の世の中で力が無いということは生きる資格が無いということだ。


 それに比べて、六角四郎様の頼もしさよ。

 近江に生きる以上、近江守護に従うことは将軍家の定めた道理。その守護が頼もしいとなれば、蒲生家の命運を託すのに何の不足があるというのだ。



 ……ま、しかし、守護六角家と言えどもまだその足元は確かな物ではない。

 先の会戦のあと岡山城まで攻め寄せたが、あの城はなかなか落ちぬ。我が音羽城並の堅城だ。と言って、あの城を落とさぬ限り近江はなかなか収まらぬだろう。

 蒲生家の命運を託すに足る器量かどうか、四郎様のご器量を今しばし見させてもらうとするか。



「……という訳で、岡山城を攻め落とすには一計が必要だ。その一計は今わしが準備している。

 皆はこれから領地に戻り、各々の武を磨いておいてくれ。今一度、皆には力を借りる時が来ると思う。その時はよろしく頼む」


 一座が頭を下げ、儂もそれに倣った。


 一計を案じるか……


 一つ、お手並み拝見と参ろうか。

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