現代百物語 第34話 谷本新也という人は

河野章

現代百物語 第34話 谷本新也という人は

(ついてきてるな……)

 谷本新也(アラヤ)は後ろを振り返らずに、溜息をついた。

 左斜め後ろに、妙な気配を感じる。

 ぞくぞくとした背中の凍るような感覚もある。

 職場を出て数分、帰宅途中だった。

 周囲は春の気配で、温かな乾いた風が吹いていた。

 人も、人でないものも浮かれている気配がする。

 新也は妙な体質を持っている。おりとあらゆるホラーやオカルトなものが……寄ってきてしまう体質だ。

 けれどだからといって、それを撃退する知識も力も持ってはいない。

 積み重ねてきた体験からなんとなく避ける、できるものなら逃げる。それしか新也にできることはなかった。

(今度は何だろうか)

 先程、交通事故現場の近くを通ったのが悪かったのかもしれない。

 四辻を何気なく横切ったのが悪かったのかも。

 左耳の後ろの方からぶつぶつ声がする。

 男性の声のようにも女性の声のようにも聞こえるが、ぼそぼそと喋りかけられている位置に、振り返っても誰もいないことは分かっていた。

(家には連れて帰りたくなし……)

 家を『彼ら』に知られて、それで何度も嫌な目にあっている。

(先輩の家に寄る、とか……?)

 どうにか藤崎柊輔に押し付けられないだろうかとふと思ってみる。

(どうにもあの人は鈍いからな)

 知り合いの、というよりもはや友人の、藤崎はちょっと変わった人物だ。

 新也の妙な体質を気にせず、面白がってどこへでもついてくる。

 それどころか新也の力を当てにして、怪奇小説を書こうというのだからどこかしら人とズレていると言っても過言ではないだろう。

 しかも、藤崎は殆どの場合『彼ら』を見ることがなく、何も影響を受けない。

 本当にちょっと……相当変わった人物だった。

 そう考えているうちにも駅に着き、仕方なく新也は電車に乗った。

 電車や携帯電話、電気機器に『彼ら』は弱い。

 それらを利用すれば離れてくれることも多かったが……。

(ついて……きてるか)

 残念ながらぼそぼそと喋りかけてくる声は消えていなかった。

 恨みがましい声だ。聞いているだけで滅入ってくる。

 新也はふと顔を上げて目の前の、扉のガラスを見た。

 ――いた。

 新也の背後に、新也より背の高い男性が張り付いている。

 30代くらいのスーツを着たサラリーマン風だ。顔は俯いているので見えない。

 男は手を上げて、新也の左肩へと手を置いた。

 その重みはない。ひんやりとした冷たさだけがあった。

 新也の耳元へ一層、男が口を寄せてくる。

 口端がニヤァと上がっているのが見えた。その口腔が異様に赤い。

 唇の端が切れ上がって、裂けていく。

 すっと新也は目を逸らした。

(久々に……怖い……)

 最近は藤崎の影響もあり、この感覚を忘れかけていた。

 『彼ら』は怖い。その存在だけで怖い。

 何をするわけでもない。ただ居るだけのものも多い。

 ……だが、『彼ら』は新也を見つけると近寄ってくる。

 不思議な現象、怖い者として姿を現す。

 なぜだか分からない。

 本当に新也がただそういう体質なのだろう。

「あんた」

 声をかけられた。

 最初、新也は無視した。自分への声と思わなかったからだ。

「背中に何か背負ってるあんただよ、あんた」

 新也ははっと顔を上げた。

 扉近くに立っていた新也のすぐ横の席に、小汚い格好の中年男性が座っていた。最近珍しい、浮浪者だろうか。ボロボロの上着に、先が剥がれて靴下が覗いた革靴を履いていた。

「あんたな」

 男は新也の袖を引いた。

 それだけで、背中のぼそぼそいう声が一瞬止んだ。

 浮浪者のような男は前歯が欠けた口でにっと笑うと、新也の手を握った。

「これを持ってな、次の駅で下りてまた乗ると良い。その背中のが剥がれるぞ」

 そう言って、新也の手に角が取れて丸くなったただの石を握らせる。手のひらに容易に包めるほどの小石だった。

「え?」

 新也は聞き返した。その次の瞬間には、電車は駅へと到着していた。

「ほれ、今だ」

 浮浪者の男に押されるようにして、新也は駅のホームへと降りた。

 電車を見ると、浮浪者の男は笑顔で手を振っている。

 ぼそぼそ言う声がすうっと離れていくのが分かった。

 新也は自分の背中を振り返った。

 先程ガラスに写っていた男が駅の階段に向かい去っていくところだった。そしてその男をさらに女が追っていた。

 二人いたのか、それともあの女がこの駅であの男を待っていたのか……。

 手には小石だけが残った。

「また妙な目にあったな……」

 新也は溜息をついた。

 中途半端な駅で降ろされてしまった。

 次の電車が来るまでには30分以上もあるようだった。



【end】

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