第18話魔法はいつか解けるもの

 ダレンさんとの話し合いから一週間後の約束の日。

 今日はリディアを外に連れ出す。この一歩が最初で最後の大きな一歩になる。ここさえ乗り越えることが出来れば彼女はきっともう大丈夫。

 私も覚悟を決めないといけない。場合によっては彼女にとってきつい言葉を投げかけなければいけないのだから。

 私は意を決してからいつものようにリディアに魔法をかけて邸の中を歩き出す。


「私はさ、幸せって掴みに行かないと手に入らないものだと思うんだ」

「何の話?いきなりどうしたの?」

「私はリディアに幸せになってほしい。だから頑張ってほしいんだ」


 いつもならば邸の中をぐるっと一周して部屋に戻るだけだが今日は違う。今日の目的地は庭。そこでダレンさんに待ってもらっている。


「目を開けて」

「え?」


 私は庭に出るための扉の前で合図する。

 美しく手入れされた庭の中には彼女の父であるダレンさんが佇んでいる。

 私はいつもと違う風景に戸惑い立ちすくんでいるリディアに声をかける。


「外に出よう。今日はいい天気でとても気持ちがいいはずだよ」


 リディアは何も言わずに俯く。


「外の世界は怖いし嫌なことだってたくさん転がっている。だからってずっと立ち止まっていちゃダメだ」

「…………」

「リディアッ!」

「っ!」

「引きこもっていれば悲しいこと嫌なことには出会わないかもしれない。でも楽しいことにも嬉しいと思えることにも出会えない!

 ただ時間だけが過ぎてゆく人生で生きていてよかったって笑顔で言える?

 私はリディアに生きていてよかったって笑顔で言えるようになってほしい!だから飛び出そうこの狭い箱庭から。飛び出した先にきっと幸せになるための出会いがあるって信じて。

 一緒に行こう」


 私が手を差し出すと俯いたまま、でもしっかりと手を握ってくれた。

 そして私達は歩き出した。相変わらずリディアは俯いたままで亀のように遅い足取りだけれども、一歩一歩確かに前へと進む。


「顔を上げて」


 リディアが顔を上げた先には疲れ切った顔をしたダレンがいた。

 妻に先立たれ己も心に傷を負いながらも、一人娘のためにも家のためにも自棄になることが出来ずに頑張っている父親の姿がそこにはあった。


「お父様……心配かけてごめんなさい」

「いいんだメル。よく頑張った」


 リディアとダレンはお互いに泣きながら抱擁を交わした。数カ月ぶりの父と娘の再会となったのだった。




 ―――




 次の日からリディアの生活は変わった。もう彼女に魔法は必要ない。目を開けてちゃんと自分の意志で歩くことが出来る。

 私の仕事の大部分は終わった。だってもう私という杖がなくても歩けるのだから。


「アリアはもう少ししたら帰っちゃうの?」

「帰らないよ。だってまだ震えてるじゃん。一緒にいるよ」


 手をつないでいる私にはわかる。彼女は使用人など、大人が近くにいると少しだけ震えているんだ。

 リディアは外に出るための心の強さを手に入れた。でもそれだけだ。トラウマ自体は残っている。

 トラウマっていうのはそう簡単に無くせるものじゃない。頭でわかっていても身体が勝手に反応してしまうものなんだ。

 もしかしたら一生治らないかもしれない。だから少しでも緩和出来るように私に出来るだけのことはするつもりだ。


「ねえ、なんでそんなに良くしてくれるの?」

「私はリディアが大好きなのさ。大好きな人の為になにかしたいと思うのは当然でしょ」


 私はイケメンホストのごとく瞳を見つめて言い放った。するとリディアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 あれれ?今までなら何言っての?バカじゃないのみたいな反応がきたのに。今日はツッコミの調子が悪いみたいですね。


「私、アリアに何かお礼したい」


 リディアは顔を赤くしたままそんなことを言い出した。

 お礼か、どうしよう。私が男だったらお嫁さんになってよって言うところだけど、残念ながら私は女だし。


「そうだ!じゃあ寝る時にリディアが私を抱きしめてよ。いつも私が抱きしめる側で一方通行の好意じゃん」


 リディアと出会って約二ヶ月経ったわけだが、一度も抱きしめてくれたことがない。いつもリディアは私に背を向けている。


「あ、ごめん。私小さい時にお母様に後ろから抱きしめてもらって寝てたから居心地よくて」

「そうだったんだ。じゃあ今日からは交代制ね!」


 ふふふ。今日の夜が楽しみだ。


 夜、眠る時間になると約束通りベッドの中でリディアが抱きしめてくれた。


「もうちょっと強くお願い」

「こう?苦しくないの?」

「ちょっと苦しいくらいがいいんだよ」


 はぁ幸せだ。このまま死んでしまってもいいって思えるくらいに。

 なんかティモに抱きしめられてもリディアに抱きしめられても同じように幸せな気分になれてる。

 精霊の言う通り男女どっちでも良い気がしてきた。そんなことより自分が幸せな気持ちになれるかどうかが重要なんだ。




 ―――




「そうだお風呂に入ろう」


 リディアと邸の中を探索するようになってから知ったけどこの家にはお風呂場が完備されている。しかも銭湯みたいに大きな浴槽だ。

 うちにお風呂はない。一応土魔法で作ろうと思えば作れるが場所がない。

 庭にどどーんと作ったら庭の雰囲気が台無しだ。さすがにそれは手入れしてくれている庭師に申し訳ない。

 だから見かけてからいつか入りたいと思っていたのだ。だけど普段はあまり使っていないみたい。この世界は水の確保が面倒くさいしお金がかかるから。

 でも成長した私ならば水はかなりの量を出せる。それに魔法でお湯を沸かすことも出来る。条件はオールクリア!もう入るしかないよね!

 しかし使わないのにとりあえずお風呂場を作っておくとはさすが辺境伯家。お金持ち最高!


「アリアのお願いは聞いてあげたいけどお風呂はすごくお金かかるらしいよ。だから無理だと思う」

「私がお湯作れるから無料だよ」

「嘘。いくらなんでもこのお風呂満たすくらいたくさんお湯用意出来ないでしょ」


 リディアは魔法の知識がないからわかっていないようだけど、普段やってる氷をボロボロ作るのって大変なんだぞ。見た目的に氷作りは派手じゃないから勘違いするのはわかるけどさ。

 では疑いの目で見ているリディアさんを驚かせてあげましょう。


「ほりゃじゃばー」

「!?」


 あ、これ思ったより大量に水必要じゃん。広すぎるのも考えものだね。もうちょっと狭く作ってくださいよ。

 とりあえず浴槽を満水には出来たけど、これ上手く温められるかな……。

 お風呂のようなぬるま湯を作るのって調節がむずかしいんだよ。それをこの水量。

 変な魔力の使い方すると途中で魔力切れおこして倒れるかもしれない。

 まあ倒れたら倒れたでいいか。たぶんリディアが優しく介抱してくれるはずだ。


「出来た!」


 私は軽く目眩を起こしながらもお風呂を沸かすことに成功した。普段の鍛錬の成果が出ました。継続は力なり!


「すごい……」


 リディアは感動したように一言つぶやいた。見たか!これが今の私の本気だ!

 じゃ、さっそくお湯加減を確かめますか。


「あっちゃあっ!」


 くらくらする頭で何も考えずに手を突っ込んだらめちゃくちゃ熱かった。

 やっぱり機械のように40~42度で沸かすみたいなことは出来ないね。まあちょうど休憩もしたいとこだし少し放置しよう。

 その旨をリディアに伝え、少し部屋で休むことにした。

 私が部屋で休憩している間、何故かリディアは部屋に戻ってこなかった。今までは私にべったりだったのに。

 一人で行動できるようになったことは喜ばしいことなんだけどちょっと寂しい。


 1時間程度休んでいたがリディアは戻ってこなかったので探しに行くことにした。

 部屋を出るとすぐに掃除中のメイドさんがいたのでリディアの居場所を聞こうとするとメイドさんの方から話しかけてきた。


「リディアお嬢様に聞いて見ましたよお風呂!すごいですね!」


 部屋に戻ってこないと思ったら使用人の方々に言い回っていたようだ。

 リディア自ら使用人に話しかけられるようになったことに嬉しさを感じた。


「私にかかれば楽勝ですよ。ところでリディアはどこですか?」

「お嬢様ならニナと一緒に浴場にいましたよ」

「ありがとう」


 その後もメイドさんや執事さんに称賛の言葉を頂いた。自分の欲望のために勝手にやったことだけどここまで褒められると悪い気はしない。

 皆から褒め称えられて気分良く浴場に辿り着くとリディアとリタがお湯を冷やそうと湯もみをしていた。

 ううぅ……なんていい子なんだ。感動した!


「あ、アリア。ちょうどいい感じの温度になったよ」

「私のためにありがとう!リディア愛してる!」

「きゃ、今汗かいてるから抱きつかないで!」


 私の感謝の抱擁は引き剥がされてしまった。まあ汗かいてるならしかたないか。


「そうだ。ニナも一緒に入ろうよ」

「私もですか?お嬢様方と一緒に入るなど恐れ多いです」

「いいじゃん細かいことは。いいよねリディア?」

「いいわよ。アリアが来てくれるまではニナが私のお世話してくれたんだもの。ニナにも何かしてあげたいと思っていたし」


 私達三人はお互いの体を洗っこした後お風呂を堪能した。途中ふざけてニナに抱きついたところ「うちの子に悪戯しないで」と怒られてしまった。

 わ、私は女の子に悪戯する趣味なんかないんだからね!

 ちょっとしたコミュニケーションのつもりだったんだよ!本当だよ!

 ……正直に言うと少し膨らみ始めた胸を揉みました。ごめんなさい。


 私達はお風呂から上がると、事前に頼んでおいた山羊乳で乾杯した。


「ぷはぁ。風呂上がりのこの一杯最高だね!」

「アリア、女の子なんだからお行儀よく飲みなよ」

「いいじゃんいいじゃん誰も見てないよ」

「私達が見てるでしょ!」

「あはは」


 私は笑って誤魔化すと風呂場から撤退した。すると使用人の方々がソワソワしていた。

 ははーんなるほどわかりますよ。お風呂に入りたいんですね。お風呂は最高の文化ですもんね。


「お風呂入りたい人はどうぞ」

「ご配慮ありがとうございます!」


 最初は己の欲望のためにやったことだったけど皆にもすごく喜んでもらえたみたいだ。今後は定期的にお風呂沸かそっと。


 日暮れ間近にダレンさんが帰宅すると冷えた浴槽の前で悲しそうにしていた。

 ダレンさんは未だに疲れた表情をしているし、少しでも癒せればと思った私は今度は朝に沸かしますねと言ったところ、催促したみたいで悪いねと微笑したのだった。

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