『ポッキーの日』side大和


「伊織くん!ポッキーゲームしようよ」

 耳に飛び込んできた言葉に思わず振り返ってしまった。

「!」

 俺の視線は女子の制服の間をすり抜けて、伊織の視線とぶつかった。

 けれど、目があったのはほんの一瞬だった。

 伊織の席は、数人の女子たちに囲まれてしまっていて、その中心に座る姿を俺の席から確かめることはもうできなかった。

 廊下側の一番後ろ、それが伊織の今の席。

 そして、同じ教室内の窓ぎわ一番後ろが俺の席だった。

 いつもであれば、そっと椅子を後ろに引いて背中を窓枠にもたせてさえいれば、伊織の姿を俺の視界に入れることなんて容易いことだったのに。

「うわ、伊織のやつまた女子に囲まれてるな」

 俺の机の上で必死にノートを写しながら、冨樫とがしがため息交じりに呟いた。

「ほんとに、な……」

 俺は胸の中で生まれた不安を押し込めるように、笑いを混ぜて返す。

 けれど、耳の奥に残ってしまった先ほどの言葉が、俺の頭をぐるぐると回っている。

 ポッキーゲームってあれだろ?

 端と端を咥えて食べていくっていうあれだよな?

 え、なんで?

 あ、今日11月11日なのか。

 いや、そうじゃなくて……

「……」

 たかがゲームじゃないか。

 それくらい、なんだって言うんだよ。

 別に本当にキスするわけでも、彼女ができるわけでもないじゃないか。

 それでも——どうしたって、俺の意識は廊下側へと引っ張られていく。

 伊織は今、どんな表情かおをしているだろう?

 困っている?喜んでいる?

 冨樫の手が数式をなぞっていくのを視界に入れながらも、俺の耳は遠くの声を拾おうと必死だった。

「写真撮るだけだから、ね」

「そうそう本当にやるわけじゃなくて、ほんの一瞬だけ」

「写真撮ったらすぐに離していいから」

「……」

 伊織を取り囲む女子特有の高くて弾む声は聞こえるのに、伊織の声だけが聞こえない。

「何、あれ?」

 大きくなっていく女子たちの声に、冨樫がノートから顔を上げた。

「あ、なんか今日ポッキーの日だからって」

「あぁ、それでいつものごとく写真撮らせてくれって集まっているのか」

「うん……」

 俺は顔を廊下側に向けたまま、喉を鳴らすように小さく返事をする。立ち上がることのできない足を軽く投げ出し、それでも必死に耳だけは音を拾おうと神経を研ぎ澄ませてしまう。

「……」

 冨樫が再びノートに向き直ったのだろう、シャーペンの芯がノートを滑っていく音が空気を震わせる。

「……そんなに気になるなら、行けばいいのに」

「え?」

 意識の外で呟かれた冨樫の言葉は、俺の耳にはぼやけた音にしかならなかった。

 振り返って、確かめようとした俺に、冨樫は視線をノートに落としたまま言った。

「ここからじゃよくわかんないけどさ、伊織、困ってるんじゃない?」

 まっすぐ引かれた罫線の上に沿って、静かに数字と記号が並んでいく。

「いつもなら写真くらい簡単に撮らせてるのに、未だにそんな音聞こえないし」

「……」

 サラサラと目の前を流れていく数式は、当たり前に正しい答えを導き出していく。

「幼馴染なら、助けてやれよ」

「いや、でも、」

 冨樫は顔を上げると、俺をまっすぐ見て笑った。

「それくらい、普通だろ」

「!」

 その言葉に、俺の背中は窓枠から離れ、投げ出された足が床を捉える。

「……仕方ない。ちょっと、行ってくるわ」

「いってら〜」

 呆れたように笑う冨樫の声に振り返ると、冨樫はもうノートへと視線を落としていた。



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