4・雨宮健司

 幽霊の俺にはもう関係ないが、経営陣がいっぺんに死んだとなったら会社はてんやわんやだな……。これから一週間ぐらいは日程が狂ってみんな納期の調整に死ぬような思いをするんだろう。

 なんだか少し、懐かしくてうらやましい。

 社長が殺されたニュースは全国に速報されている。隣り合わせに三軒立ち並んだ一族の家で、四人の死体――当然、昨夜の11時台のニュースのトップ項目だった。

 札幌の鴻島印刷は日本中に知れ渡った。入院中で危篤状態だとも噂される会長の悲願が、生きているうちに叶ったわけだ。こんな形じゃ、自慢はできないけどな。

 もちろん、近い親類縁者には警察からも連絡が行っている。会社に関わっていた一族は一気に絶えてしまった。残るのは専務と結婚した経理部長だ。

 俺は経理部長に張り付くことになった。

 警察本部で、出張先の旭川から戻った経理部長が事情を聞かれているところを見つけた。部長は事件に驚くばかりで、捜査に役立つような情報は語らなかったようだ。明け方には解放されたが、殺人現場になっている自宅には帰れないので会社の業務は部下に任せ、ホテルに泊まる手配をしていた。

 警察で聴取を受けていた経理部長に社長の娘から連絡が入り、長い間い言い合っていた。その結果がホテルの予約だ。今日はそのホテルに陣取って親類を集めるという。

 そこが、彼らの〝戦場〟になるということだ。

 日本中の耳目を集めるスキャンダルになってしまったので、普通の葬式はできそうにない。殺人事件だから、解剖やら何やら警察の捜査が終わるまで日程を組むこともできない。しかも、遺産やら会社の経営権やらの奪い合いが起きる。おこぼれに預かろうという遠縁も群がってくるだろう。

 一触即発の騙し合い――そんな緊張状態がしばらく続くことになるのかもしれない。

 俺はホテルに集まる面々がどんな反応を見せるのかを調べたくて、当の経理部長より先にロビーに陣取った。彼らの人間関係をじっくり観察させてもらうつもりだ。

 部長は警察から解放されたらすぐに到着するだろうから、真っ先にホテルに入るものだと思っていた。だが、一番乗りは社長の娘だった。何度か会った時に感じたことだが、やっぱり気が強そうな女だ。その後ろに、縮こまったような夫が付き添っていた。いわくつきの孫は、家で寝ているのだろう。治君を〝殺した〟ガキだ。まだ午前6時前だから、いなくて当然だが、姿を見せるなら少しは脅かしてやりたいものだ……。

 フロントで部長が到着していないことを確認した社長の娘は、ロビーのソファーにどっかり腰を下ろして大きな声で言った。

「何やってるのかしら、経理部長。とっくに警察出てるはずなのに」

 経理部長、と言う言葉に相手を蔑む匂いが漂っている。

 そういうニュアンスには敏感なんだ、俺は。いつもバカにされて来たからな……。

 経理部長は鴻島の血筋ではないし、北興銀行側の人間――言うなれば〝敵〟だという思い込みがあるんだろう。実際の鴻島は、銀行に首根っこを押さえられた落ち目の中小企業なんだがな。ま、一族内の人材育成が成功していれば銀行に頭を下げる必要もなかったんだから、甘やかされて育った〝お嬢さま〟の世間知らずも当然の成り行きといったところか。

 この女、今後の鴻島にとっての爆弾になるに違いない。

 だが、経理部長は本当に何をやっているんだろう。警察から直行すれば10分で来られる場所なのに……。

 お嬢さま、早速スマホを取り出して連絡を入れている。

「あ、私だけど。あなた、どこにいるの?……会社? こんな朝っぱらに会社で何やってるのよ?……そんなこと、社員にやらせればいいじゃないの……早く来なさいよ。いろいろ相談しなきゃならないことがあるんだから!」

 お嬢様は苛立たしげに電話を切った。

 部長は会社に立ち寄ったらしい。ならば、お局たちとも出会ってるだろう。部長が何をしてたのか、後で聞いてみよう。

 俺の役割はこっちだ。

 お嬢様、横にちょこんと座った夫に言った。声をひそめている。

「父さんから聞いたことがあるんだけど、お爺ちゃんは結構な遊び人で、父さんの兄弟以外に何人か子どもがいるらしいのよね。あんた、調べられる?」

 お、そんな情報は聞いたことがないぞ。これはいい手掛かりになるかもしれない。

 俺は二人にぐっと近づいた。

 夫の返事は頼りない。

「調べるって、どうやって……」

「だって、調査会社やってるんでしょう? 探偵みたいな部下、いないの?」

「調査って言っても、マーケティングだって。ほとんど広告屋だから」

「探偵の知り合いは? 浮気調査みたいの、得意な人」

「いないことはないけど……鴻島印刷って、二重帳簿みたいのはないの? たいていの同族会社は、そんなの作って個人的な用途に流用してるんだけど。帳簿調べられれば、そんな人間関係たどりやすいんだけどな。見られない?」

 それ、今、お局が当ってるヤツだな。こっちが一歩リード、ってところだ。

「あー、それは難しいな。なんたって、あいつが経理部長だからさ。がっちり抱え込んでるよね。昔は別のオバサンがヤバい経理を仕切ってたみたいだけど、おバカな事故で死んじゃったから」

「そっか……何かしら手掛かりが欲しいんだけどな。会長からは直接聞けないのか? もう危ないんだろう? そういう時って、案外人生観が変わってぽろっとしゃべったりするもんだよ」

「そうかな……うん、時間をみてこっそり見舞いにいってみるか。もうしばらくは生きてそうだし。面会は制限されてるみたいだけど、ま、孫だから邪険にはされないし。しかもこんな事件で一族が絶えそうなんだから、気になるだろうし。他にも何か手掛かりがないかないか考えてみるわ。今の話、部長には黙っててよ。あんなヤツに先手を取られたくないから」

「でも、死んだ専務だって会長の娘だ。彼女が会長から聞いてたなら、部長が僕らより事情に詳しいかもしれないぞ」

「それをこれから探り出すのよ。今日はこのホテルにいろんな関係者が集まるから。よく観察して、邪魔になりそうな人間をあぶり出すのよ」

「で、君は最終的にどうしたいの?」

「鴻島印刷をいただく。だって、私はいきなり鴻島一族のトップになっちゃったのよ。銀行上がりの他人に盗られちゃたまらないわよ」「でも、今の鴻島印刷は大した業績上げてないぞ。印刷をメインにしている限り、この先の展望も芳しくないし。お荷物抱え込むことにならないか?」

「自分の会社が欲しいのよ。あんたの会社だっていつ倒れるか分かんないんだから。会社の運営は社員に任せとけばいいし、設備だけは立派だからうまく行かなくなれば買い手は探せるわよ」

 夫は肩をすくめた。企業はそんなに簡単に動かせないと言いたげだが、口には出さなかった。常にこの女の底が浅い欲望に振り回されているんだろう。

 とにかく、連続殺人を合図に鴻島の争奪戦が始まったみたいだ。

 殺人が争奪戦を招いたのか、争奪戦の結果が殺人だったのか?

 鶏が先か、卵が先か……。

 もうしばらく様子をみていれば、答えが出てきそうだ。


    *


 経理部長が到着すると、三人は予約してあった部屋に上がった。続々到着するはずの関係者は別の大部屋に案内するようにフロントには手配してあるようだ。その前に、鴻島印刷との関連が最も濃い彼らの間で話をまとめておこうというのだろう。

 あるいは、腹の探り合いの前哨戦か。

 部屋に入るなり部長が言った。

「今度のことでは本当にびっくりさせられました。お電話では、今後のことを話し合いたいとか……」 

 あっさりしたもんだ。妻を含めて四人もの人間が死んでいることにも大してショックを受けていないらしい。それは、お嬢様も同じだ。両親が殺されたというのに……。

「はっきり言っておきますけど、あなたは鴻島の一族じゃありませんから。鴻島印刷はお爺さまが作った会社ですから、血がつながった私にも相当の権利があると思うの」

「それがご両親を失くしたばかりのお嬢様が言うことでしょうかね……」

 さすが部長、突っ込みは手堅い。

 だが、お嬢様も負けてはいない。

「わざわざこんな部屋を取ったのは、腹を割った話がしたいからんでしょう? あなただって私が両親を嫌ってたことは知ってるはず。

だから今まで鴻島印刷には直接関わらなかったんだから。他の連中の前では悲しんでみせるわよ。あんたも本性を見せなさいって」

 部長は肩をすくめた。火花が飛ぶつば迫り合いというヤツだ。

「どういう巡り合わせか、私が鴻島の序列のトップになってしまいました。今日中に会長にお目にかかって今後のことを相談しますが、それまでは私が仕切る、ということでご了解願います」

「そりゃ、仕方ないけど……大体、おかしいじゃない。いきなり四人も死んじゃうなんて。飛行機事故でもないのに。何があったの? 警察で詳しく聞いて来たんでしょう?」

「口外しないという約束で、ある程度の捜査情報は聞いています。まだ始まったばかりで正式な捜査本部も開いていないので、正確とは言いがたいですが。それによると、最初に殺されたのは社長夫妻で、犯人の常務が家に帰ったところを専務に殺され、その専務が正体不明の誰かに殺された、とか……専務を殺した犯人らしき人物はすでに拘束されたということです」

 こいつ、自分の嫁を〝専務〟と呼んでいる。ま、銀行の都合で〝会社〟と結婚したようなものだから、それが自然なのかもしれない。部長の家に忍び込んだ坊やは、仲が良さそうな夫婦だと言っていたのに……。

「なに、そのへんてこな話……。なんで一族が急に殺し合わなきゃいけないのよ」

 部長は声をひそめた。

「それについては、理由が……」

「なに、それ⁉」

「実は二日ほど前、会長の病室に皆が集められまして……。会長の様態は回復の見込みがなく、治療を打ち切ることが決まったのです。余命は最大でも、あと一ヶ月……」

「うそ……」

 俺にも意外だった。入院の理由は末期ガンだろうとは噂されていた。なるほど、それが一族の諍いに火をつけたのか……。

「私は出席しなかったのですが、その時に一族にはもう一人子どもがいると教えられたと聞きました」

 おいおい、重大情報じゃないか……。

「やっぱり……」

「専務の下になる男子――三男ということです。腹違いではあるのですが、会長は実子として10年以上前に認知しているそうです。ただし、それを知っていたのは死んだ会長夫人だけだったとか。その経緯を詳細に記した遺言書はすでに用意されているようです。ですので、鴻島印刷に関してはその男子も発言権を持っているということになります」

「それ、誰だか分かってるの?」

「いや、まだ。本人はずっと海外生活をしていたようで、数日のうちに顔を見せるということでした。その際に会長を交えて再度会談を持つという約束だったのですが……」

「それ、警察に話したの?」

「いや、まだ。あなたとの相談が先だと思っていましたので……」

 部長が上目遣いにお嬢様を見上げる。

「何の相談?」

 部長はしばらく黙っていたが、意を決したようにつぶやいた。

「三男の排除。私は北興銀行との強い繫がりを持っています。あなたが率先して鴻島印刷の経営に乗り出してもらえれば、三男には口を出させないように会長を説得できるか、と……」

「手を組もうってことね」

「あなたには看板になっていただきたい。私は銀行の発言権をもっと大きくして鴻島を脱皮させたい」

 お嬢様、笑った。

「面白いんじゃない? あ、でも、専務を殺した犯人って、どこかで鴻島とつながってるんでしょう? 三男とも関係があるの? 雇われた殺し屋、とか……?」

「そこはまだ分かりません。警察の調査待ちと言うことで」

「わかったわ。じゃ、その線でこの先も処理していきましょうね」

 二人は笑い合った。

 こりゃ、お互いを信用してないな。腹の内と互いの隙をうかがっている目だ。

 この先、何が起こるんだか……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る