6・斉藤純夏

 別に、レイプされたわけじゃない。怪我もなければ、盗まれたのは数千円と化粧道具を入れたバッグだけ。バッグだって、雑誌の付録だし。

 大したことないはずなのに……。

 でも一日中、気持ちは沈んだままだった。お腹も空かない。喉も乾かない。何も感じない。動きたくない。

 だからトイレにも行かず、だからといって眠りもせず、ただ布団の中でぼーっとしていた。

 何もする気になれない。

 ただただ、怖かった……。

 幽霊にまとわりつかれるだけでうんざりなのに、なんでこんな目に会わないといけないのさ。身体中調べられて、指紋まで取られて、まるで犯罪者みたい。ただ暗い道を歩いていただけなのに。

 もう、いや……。

 そんなふうに思っていた時に、鴻島印刷の社長が死んだってニュースが出たって。幽霊たち、大慌てで調べに行った。戻って来てからがまた大変。

 とんでもない事件が起きていた。

 なんで四人も人が死ぬの? しかも、鴻島印刷のトップばっかり。誰が殺したのよ……?

 何が起きてるのか、全然分からないよ……。

 母さんは買い物に出かけたという。だけど、そのまんま何時間も帰ってこなかった。メールを入れたけど、急用で帰れなくなったって返事があっただけ。

 心細いよ、一人じゃ……。

 幽霊たちにも、何でこんなことになったのか見当もつかないらしい。あれこれ調べた結果を付き合わせて、議論を始めた。

 わたしのベッドのまわりで。うるさいったらありゃしない。気分どん底なんだからそっとしておいてよ!

 ベッドに潜って丸くなった。

「あたしには何がなんだか分かんない。なんで鴻島の経営陣がいっぺんに殺されちゃうわけ? そんなことして、誰が得するの?」

「僕にも犯人は分かんないけど……。でも、事件の経過ははっきりしてるよ」

「俺にはそれも分からない。分かるように説明してくれるか?」

 わたしもそうしてほしい。この幽霊たちは殺人現場を見て来たのに、わたしは何にも知らないんだから。

「最初に殺されたのは社長夫妻。時間は多分、20時ちょうどぐらい。殺したのは、常務。会長のゴルフクラブを持って行って、家に入れてもらったところで暴れ出した。実の弟なんだから警戒もしない。そうでなければ、二人いっぺんに殴り殺すのは難しいと思うよ。始めはたぶん奥さんを殴って、次にゴミ箱を盾にした社長と争って殺した。クラブには会長の指紋の上に常務の指紋が残ってたっていうし、他の指紋はなかったんだから」

 この子、指紋が調べられるの? 布団から首を出して聞いてみた。

「指紋まで、どうやって調べたの?」

 坊やはわたしを見て、当たり前だというように口を尖らせる。

「僕じゃなくて、調べたのは警察の鑑識。幽霊だから、どこにでも忍び込めるから」

 あ、そうだよね。パトカーに便乗すれば、警察にもすぐ行けるし。

「なんだ、それなら犯人もすぐ分かるじゃん……」

「そんなわけないよ。人の心が覗けるわけじゃないし。過去とか見られるわけでもないし。警察にも分からない犯人は、知りようがない」

「そりゃそうか……」

 おっさんがつぶやく。

「そこまでは、俺にも分かる。会長のゴルフセットからドライバーが消えていたんだからな。指紋まで残ってるなら、常務が持ち出したに決まってる」

「あたしも賛成。社長は常務を馬鹿にしてたけど、家に入れてもらうぐらいは簡単だもんね」

「僕はその辺詳しく分かんないんだけど、常務って会社じゃどう思われてたの?」

「経理じゃ評判のぼんくら。役立たず。非常識のぼんぼん。経費だけはちょくちょく持ち出してたけど。ま、上から下まで、みんなそう思ってたんじゃない? 会長にはかわいがられていたけど。離婚した後に会長の家で暮らし始めたのは意外だったわよね」

「出来の悪い子どもほどかわいいってヤツじゃないか? 俺だって、息子はかわいい。俺に似て、出来は良くないが……」

「あたしは、社長も常務をうっとうしく感じてたと思うよ。できれば鴻島印刷から外したいって。なんか、別会社を作る予定もあったらしいから、そっちの社長にでもして厄介払いする気だったんじゃない?」

 坊や、すっかり探偵の口調で言った。

「ってことは、社長と常務はいがみ合っていたってことだよね。それが殺人の動機でもおかしくないわけだ」

 おっさんが参加して来た。

「常務は社長を殺した後、ガスが爆発する仕掛けを残したわけか」

 おばさんも黙っていない。

「でも変じゃない? 殴り殺しただけなら、爆発で家が燃えちゃえば事故に見えるかもしれないけど、なんで証拠のクラブを残していったの? ドアホンの録画はちゃんと消してるのに、指紋はそのままなんて……。これで殺しました、って言ってるみたいじゃん」

「僕もそこに引っかかるんだ。案外、動転してたんで単純に忘れただけかもしれないけど」

「俺も、しょっちゅうパニックになって、やるべきことを忘れてたからな……」

「誰もあんたのことなんか聞いてないわよ。じゃあ治ちゃん、常務は時限爆弾みたいに爆発する仕掛けを作ってから、知らんぷりで家に戻ったわけよね」

「だけど、そこには専務が自宅から持って来た包丁を持って隠れていた……とかね。包丁は専務が使ってたセットのものだし、指紋もしっかり残ってたし」

 おっさんが口を挟む。

「で、また証拠を残したまま家に帰った……ほら、パニックになったとしか思えないじゃないか」

「世の中の人間がみんな自分と同じじゃないと安心できないの? あの計算高い常務が人を殺すって決めたなら、そんなヘマをするとは思えない。あんたがとびきりの役立たずだったことはみんな知ってるから、そんなにムキにならなくてもいいのよ」

 おっさん、下を向いて口をつぐんでしまった。

 坊やが言う。

「僕もそこが納得できないんだけど……理由はともかく、起こったことは疑いようがないよね。常務を殺した専務は、慌てて家に帰った。これはたぶん、社長の家の仕掛けが働いて、爆発したからだと思うんだ。いきなりドッカンって大きな音がしたら、誰だって驚くんじゃない? 慌てて家に戻って消防でも呼んで知らんぷりしようとしたら、誰かに金属バットで殴り殺されてしまった。その時に逃げ回ったのか、犯人は家の中をあっちこっちバットで叩いた。で、時計もひっくり返して、犯行時刻が残った――。それが20時32分。爆発から7分後。その犯人が誰だかもちろん分からないけど、さっさと姿を消してしまったんだろうね……」

 私はふと疑問に思った。

「専務にも常務を殺す理由があったの?」

 答えたのはおばさん。ゴシップネタはいくらでも出てくるみたい。

「仲は悪かったわよ。専務、とびっきり気が強い女だったから。顔を合わせたときは、いっつも睨みつけてた。次男だからって理由だけで常務になってる兄さんを許せなかったのよね。みんなお荷物だとしか思ってなかったんだから」

 私には納得できない。

「あれ? 旦那さんはいなかったの? 経理部長……だったっけ」

「運良く旭川支店に出張中。ちなみに、コネで入社した銀行勤めの息子は長期休暇で海外旅行中だってさ。お偉いさん一家は庶民とは暮らしぶりが違うわよね」

「そうだったんだ……。でも、分かんないな……仲が悪いからって、簡単に兄弟を殺しちゃうもんなの……? それに、その女の人だって殺されちゃったんでしょう? っていうか、殺した犯人も、ガス爆発の音を聞いてたはずよね。それでも家の中でじっと隠れてたの? なんで逃げなかったんだろう? 専務が必ず帰ってくるって分かってたのかな……?」

 坊やがうなずく。

「確かに。何かしら理由があるとは思うけど……今の情報だけじゃ推理もできないよ。でも、最後の犯人が生き残ってる。こいつが誰だか分かれば、いろんなことがはっきり見えてくると思う」

 おっさんがつぶやく。

「そもそも、訳の分かんない事件なんだよ。鴻島の一族がドミノ倒しみたいに殺し合っていくなんて……。しかも、ほとんど同時にじゃないか。たった一時間ぐらいの間に四人も死ぬなんて……。鴻島印刷はどうなってしまうんだ……」

 たしかに、偶然にしてはおかしすぎるよね。こんなことが起きる確率なんてほとんどゼロだってことぐらい、わたしにも分かる。

 でも、坊やは言い切った。

「一番変なのは、そこ。だから、絶対に偶然じゃない。必ず理由がある。逆にそれが分かれば、犯人が誰かも突き止められるんじゃない?」

 わ、江戸川コナンみたい!

 おばさんまではしゃいでる。

「きゃ、治ちゃんかっこいい! コナンみたい!」

 げ。考えること、一緒かよ……。

 あ……でも、なんだか少し元気が出てきたみたい。幽霊でも、近くにいると安心するのかな? まわりでワイワイ騒いでいれくれるのも、気分がブルーな時には救いになるのかもしれない。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 え? もう12時近いのに、こんな夜中に誰? そんなお客さん、今まで来たことないんだけど。っていうか、ウチってほとんどお客さんなんて来たことないけど。

 ちょっと怖くなった。

 母さんはまだ戻ってないし、幽霊は出られないし……放っとこう。

 だけど、何度も何度もチャイムが鳴らされる。終いには、ドアがドンドンと叩かれた。

 しつこいな。何がなんでも出て来いってことか。ただ事じゃない雰囲気。あ、もしかして、母さんに何かあったの⁉

 事故とかに遭ったなら、大変!

 怖いけど……仕方ないな……パジャマのままだけど……。

 玄関に出てドアミラーを覗く。

「斉藤純夏さん、いらっしゃるんでしょう? 大きな声は出したくありませんが、警察です。開けてください」

 レンズの前に立っている男の人が、手帳を開いて差し出していた。警官の制服の写真が貼ってある。昨日、警察で見たのと同じ。

 警察が何でこんな時間に? わたしを襲った犯人が捕まったとか……。

 それなら、こんな夜中に慌てることはないわよね。

 やっぱり母さんのこと⁉

 今、開けるから!

 玄関に立っていたのは四人ほどの男の人だった。後ろの二人は、警官の制服を着ている。

「母さんに何かあったんですか⁉」

 一番前にいた人は警察手帳を差し出したままだ。その横の人が胸ポケットから書類を出した。広げて、こっちに見せる。

「斉藤純夏。逮捕状だ。鴻島印刷専務、名良橋敬子さん殺害の容疑で同行してもらう」

 はい?

 逮捕状?

 殺害って……何のこと?

 背後に、幽霊たちが集まっていたらしい。気配は感じたが、みんな声が出ない様子だ。

 わたしだって、何がなんだか分かんない……。

 わたし、人殺しで逮捕されたの?

 うっそぉ……なんでぇ……。

 と、坊やがつぶやいた。なんだか、ウキウキした口調だ。

「えぇ、なに、この取って付けたみたいな超展開? まるっきり本格物じゃん……」

 このガキ、なんか喜んでないか⁉

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