4・雨宮健司
社長はゴルフを嫌っている。だから、この家にクラブはないはずだ。だが俺は、社長の死体のそばにあった煤けたクラブに見覚えがあった。金属製のドライバー。支店長就任の顔見せだとコンペに誘われた時に、銀行屋に混じっていた会長が振っていたものだ。『市販品だが珍しい品だぞ』と自慢していたのを覚えている。
それを言い出せずにいた。
会長は今、入院している。だが次男――鴻島印刷の常務は、離婚して会長の家で暮らしているのだ。きっと今も、一人で隣の会長宅にいるはずだ。
会長の家から持ち出されたゴルフクラブで、社長が殺された……犯人はたぶん、顔見知り……となれば、一番疑わしいのは常務じゃないか……。
そんなことは、迂闊に口に出せるものか。と困惑していたら、会長宅でも死体が発見されたという。
直感した。
あ……常務だ……。常務も殺されたんだ……。
お局が俺に向かって叫んだ。
「何ぼんやりしてるのよ! 行くわよ!」
仕方なく会長宅へ入った。死体なんか見たくないのに……。
それを見た瞬間、やはり足がすくんだ。
高い吹抜けになった居間の奥で、常務が仰向けに倒れていた。胸に包丁が深く刺さっている。何度か抜き差ししたのか、着ていたジャージにはいくつも裂けた跡があって、血塗れになっていた。
一目で、死んでいると分かる。気分が悪くなって、目を背けた。
常務は頭も悪いし常識もない。人が良いのが唯一の救いで、鴻島一族の出来損ないと言われていた。だが、こうなると同情する気にもなる。
怖かったろうな……痛かったろうな……。
お局がすっと前に出た。身を屈めて死体に突き刺さった包丁を調べる。ちらっと見てしまった。やっぱりエグい……。
お局は手を伸ばして包丁に触ろうとするのだが、もちろん指がすり抜けてしまう。動かすことなんか、俺たちにはできやしない。
警察の邪魔だろうが!……っと一喝してやろうかとも思ったが、当の刑事はお局の頭の中に足を突っ込んでも知らん顔だ。何も感じないのだ。もちろんお局も、我関せず。
人間と幽霊は、普段こうやって同じ場所を共有しているわけだ。この風景にも慣れるしかないな。
だが、なんで常務まで殺される? たぶん、常務が社長を殺したのに。
いや、誰かが常務と社長夫妻の三人とも殺したってことか? 俺たち以上に鴻島印刷を恨んでいた人間がいたのか……。
お局、身体を上げて俺に言った。
「この包丁、ゾーリンゲン――ドイツ製だね。しかも、超高級なセット品。ネットとかで売ってるパチモンとは質が違う。もったいないよね、こんなヤツ殺すには」
いちいち言葉にひがみと憎しみがこもっている。生きているうちは、この常務のアホさ加減にあれこれ振り回されたのかもしれない。俺も同じようなものだから、気持ちは分かるが。
だが、包丁?
高級品ならこの家にあっても不思議ではない。一応は名が通った企業の常務なんだから。でも、一人暮らしのオヤジが普段から包丁なんか使うか? 会長は何年も前から病院に入ったままだし、常務は一人暮らし。食事は全部外食だと聞いたことがあるが。
この包丁は、犯人が自分で用意したものなんだろうか……。それなら、刃物を持った犯人を家に入れるのはおかしい。
しかも、社長は常務のものらしいクラブで殴り殺されている。なんだか、何もかもが妙にずれている感じがする。
二人の刑事が、ぼんやり死体を見下ろしていた。そこへ、社長宅にいた刑事や鑑識がなだれ込んでくる。
死体を見つけた刑事が言った。
「最初は留守だと思っていたんです。鍵はかかってるし、人の気配もなかったんで。会社を通じて常務に連絡しようとしてたんですが、全然行き先が分からなくて。しかし、これだけニュースになっているのに、何も言って来ないのはおかしいじゃないですか。で、仕方なく鍵をこじ開けたらこの始末で……」
社長宅で仕切っていた刑事がうなずく。
「まさか、殺されてるとは思わんよな……。この家の者か?」
「今、会社関係の人間がこっちに向かっているところです。専務とも連絡がつかないんで、その旦那の経理部長です。仕事先の旭川からこちらへ向かっているはずで――」
「専務って……隣に住んでいるっていう鴻島の長女か? 連絡つかないのか?」
「ええ……って、まさか⁉」
「隣を見て来い! 鍵がかかってるなら、ぶち破れ。人が殺されてるかもしれないぞ!」
え? 専務まで殺されてるのか⁉
お局がいきなり姿を消した。小僧が後に続く。
俺はどうしていいか分からずに、ぼんやりと警察の現場検証を見つめていた。足がすくんでいたのだ。幽霊の俺が心配することではないが、この上専務まで殺されてしまったら鴻島印刷はどうなる? 残された社員は、誰が守る?
俺の妻や子どものことなど、誰も気にかけなくなってしまう……。
お局が戻って来た。
「やっぱり、専務も殺されてた!」
小僧が続く。
「凶器は金属バット! 殴り殺されてた!」
「台所の包丁セットを見て来たの。そしたら、一本欠けてた。たぶん、こっちで常務に刺さってたのはそれ」
「でね、バットであっっちこっち壊した跡があった。置き時計も床に落ちて電池が取れてた。指していた時刻は、20時32分。爆発があった少し後だね」
なんだか、異様に詳しく調べて来たな。俺、そんなに長い時間放心してたのか?
しかもおまえら、なんか楽しんでいるように見えるんだけど⁉
会社の一大事なんだぞ! 連続して四人も殺される事件が起きたら、大事件になって他のことなんか誰も気にしなくなるじゃないか。
復讐はどうなるんだよ。俺の家族はどうなるんだよ。
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