6・斉藤純夏
幽霊たちが消えて、やっと人心地ついた。で、今までがどれだけ異常だったか、改めて思い知った……。
うわぁ、疲れた……。
私はソファーにぐったり転がった。ミケが私のおなかに飛び乗って寝始めたけど、この子一人なら別に構わないし。
だけど、なーんでこんなバカな騒ぎに巻き込まれちゃったんだろう……。前世のバチとか当ったんだろうか。
そうはいっても、あいつらを成仏させないとこの先いつまで付きまとわれるか分からないし。でも、会社を叩き潰すなんて、どうやったらできるの?
そんなことを考えてるうちに、ぐっすり眠ったみたい。
目が覚めたら、おばさんが私を覗き込んでた。
げ。
おばさん、私の表情を読んだらしい。目つきが険しくなった。
「あたしだってこんなとこに帰ってきたくないわよ。なんであんたみたいな小娘に命令されなきゃならないんだか」
「消えてくれていいんですよ、わたしは」
「できるなら、とっくにしてるわよ。会社の内情を見てきたわよ。相変わらず火の車だけど、なんとか銀行に支えられてる。でも、それも長くはないかもね。このところ、頻繁に鴻島一族で家族会議を開いてたみたい。みんなのスケジュール表に書いてあった。何を話し合ってるかまでは分からなかったけどね。しかも専務の婿、あれ、息子とセットになってる銀行の回し者だから。いずれ会社を乗っ取る気だと思うよ。あんな潰れかけの会社、銀行が掴んだって再生できるかどうか分かんないけどね。ま、設備だけは不相応に立派だから、全国規模の大手が買収の話とか持ってきてるのかもしれないけど……」
会社の話はめんどくさい。銀行だとか事業だとか、女子高生のまんまの脳ミソを乗っけている私に考えろって? むり。そんな知識はないし、お金儲け、趣味じゃないし。
ぼーっと聞き流してたら、怒鳴られた。
「なに関係ないって顔してるのよ! こっちは必死になって帳簿も調べてきたんだからね!」
帳簿? 会社のお金の流れとか書いてある書類? 本みたいになってるやつでしょう?
変なところが気になった。
「その手で、ページ、めくれたの?」
おばさん、手柄をほめられたと思ったのか、急に笑顔になった。
「それがさ、書類の中に、頭、突っ込めるんだよね。なんかさ、こうやって頭を食い込ませて目の辺りを持ってくと、そこんとこに書いてある数字とか読めちゃうのさ。幽霊って、案外便利だよね。そんなもんなの?」
知らないわよ。でもその姿を想像すると、かなりキモイ。
「今まで、あんまり友達になった幽霊はいないから……よく分かんないけど、人によってはできるのかな? 才能なんじゃない?」
わ、おばさん、またにっこり笑った。
その笑顔も、なかなかキモイ。
と、少し遅れて坊やが帰ってきた。
ニコニコしながら部屋に飛び込んできたが、先におばさんが帰っていたと知ると一気に表情が凍り付く。
おばさん、気配を察したのか振り返った。
「治ちゃーん」
ふーん、幽霊同士でも気配って感じるんだ。何の足しになるのか分かんないけど、幽霊に関する知識は確実に増えていく。
坊やがつぶやく。
「ただいま……」
なんかその返事、イヤ。家族みたい。あんたらは家族じゃないし、友達でもないし。取り憑かれただけだし。
「治ちゃんは何か収穫があったの?」
おばさん、仕切りたがっている。いいのよ、仕切ってくれて。全部あなたたちで片付けてくれれば、わたしなんか必要ないんだから。
「収穫っていうか……」
坊やがわたしを見た。こいつも、なんか褒めてもらいたがってるような顔をしてる。
うっとうしいな!
おばさんが催促する。
「なになに! お姉さんに教えて!」
出た、お姉さん。
坊や、おばさんから身体を離しながら応えた。
「マックが使えるんだ」
はい? マック? マクドナルド? 使える、って?
おばさんが突っ込む。
「マックって……制作が使ってる、コンピュータ?」
「うん」
コンピュータ? 幽霊が、コンピュータ使えるの?
「だって、電源入れたくても指が素通りしちゃうでしょう?」
「それが、電源入れるぞって考えただけで、起動しちゃったんだ。キーボードも使える。キーは素通りして押せないんだけど、入力はちゃんとできるんだ……」
「うそ……すごじゃない、治ちゃん。それなら、パソコンのデータも自由に見られるわけ?」
「パスワードとかかかってるものは無理だろうけど。僕、ハッカーじゃないから」
と、おばさん、わたしに向かって顔を突き出した。
「あんた、パソコン持ってないの? ノートとか」
あー、そういうのは面倒くさくてキライ。私って変わり者に見られてるから友達少なくて、スマホで充分だし。
「ないよ。母さんも持ってない」
「今時の娘のくせに、使えないわね」
坊やがつぶやく。
「パソコンで何するの?」
「あたしでもできるのか、どんなパソコンでもできるのか、知りたくない?」
「あ、そりゃそうだね」
「ね、そうでしょう! 治ちゃん!」
おばさん、坊やの腕を掴んだ。心ならずも、坊やに同情してしまった。
が、坊や、不意にうれしそうに言い放つ。
「スマホなら持ってるんでしょう? 純夏さんのスマホ、貸してよ!」
何でそんなにニコニコするのか……あ、こいつ、プライベート情報を覗こうと企んでる!
同情したのは、撤回。
私が黙っていると、おばさんが怒鳴った。
「どこ? あんたのスマホ、どこ? 出しなさいよ!」
やむを得ず、ソファーから起き出してサイドテーブルにiPhoneを置いた。坊やがホームボタンに指をのばす。
と、真っ黒だった画面に壁紙が浮かび上がった。
本当に電源が入った……。
ハローキティの壁紙を見た二人が同時に言った。
「かわいい……」
「ガキだな……」
放っとけ!
と、坊やが画面に指を置いて右にスライドさせる。画面がしっかり指先に追従して、パスコード入力の表示に変わる。
指紋認証はムリだもんね……って、ちゃんと操作できているの⁉
坊やが言った。
「純夏さん、パスコードは?」
「教えるか! 黙って中身を覗く気だろうが⁉」
あ……思わず本音を吐いてしまった。ま、いいや。
坊や、軽く舌を出してとぼけてやがる。お互い様だな。
そのうちに、iPhoneの画面が消えた。省電力設定だから、操作しないとすぐ消える。
おばさんが言った。
「あたしがやってみる」
太くて短い指でボタンに触れる。何も起こらない。さらに指を突っ込んでいく。なんか、私のiPhoneを汚されてる感じ……。でも、何も起こらない。
やっぱり人によって、いや、幽霊によって違うんだ……。
おばさん、納得したようにうなずく。
「これ、治ちゃんの特技なんだね。才能だよ」
わたしの受け売りかよ!
でも、確かめたい好奇心はある。わたしはこの間まで使っていた高校の教科書を持ち出して、サイドテーブルに置いた。
おばさんに言う。
「この中身、読める?」
おばさん、ふんと鼻をならすと四つん這いになって教科書の中に顔を突っ込んだ。目の辺りが、サイドテーブルと教科書に入り込む。
おえ。リアルで見たら、やっぱりホラーじゃん……。
おばさん、平然と言った。
「なんじゃ、こりゃ。余白に落書きかい。汚い字だな……テニス部の田中君が……何だって?」
あ! 本当に読めてる! やば!
「はい、分かりました! つぎ、治君やってみて!」
おばさんがにやにやしたまま身体を上げる。
「ふーん、あんた、田中君に惚れてたのかい。ガキのくせに」
そうよ! でも、気味が悪いって言う噂を聞いていたらしくって、話もしてもらえなかったのよ!
「何が悪いの⁉」
坊やはおばさんが本を読んだことに強い興味を示していた。
「それ、どうやるの⁉」
「どうやるって……ただ、目を突っ込んでいくだけだけど……」
坊やが同じように試す。
ホラー、パート2。うんざりして目をそらした。坊やは何やら身体をひねったり上下させたりしてるみたいだけど……。
「だめだ……僕には何にも読めない。ページの間には光も入ってないはずだし、密着してるのに、なんで一文字ずつ読めるんだろう……?」
確かに疑問だけど、そもそも幽霊がこんなことしてることが異常なんだし。
「やっぱり、幽霊によっていろんな個性が出てくるんじゃないの? 元々の能力が違うんだし、霊力だって強さがいろいろなんだから」
そこにおっさんが帰ってきた。あれ、妙に活気があるぞ?
「君たち、助けてくれ! 息子たちが大変なんだ!」
おばさんが鼻先で笑うようにつぶやく。
「何よ、急に。全然協力的じゃなかったのに、いきなり助けろって? なんか、むかつく」
「悪かった。謝るから、助けてくれ」
おっさんの話はこうだ。
奥さんが、保険金と和解金を合わせて一億円近くの金を証券会社を騙る何者かに奪われたと言う。あっさり信用した理由は、鴻島印刷のメインバンクになっている銀行が関係した証券会社からだった。銀行の関係者とも会い、鴻島印刷の経理部長とも懇意だと聞かされた。一億円を預けていれば毎月楽に暮らせる利益を生む外国債がある。必要なら元本はいつでも返却できる。そんな話を、資料を山と積んで説明されたそうだ。しかし、現金を渡した後は会社と連絡が取れなくなり、銀行に問い合わせたところそんな業者は知らないと言う。
全てが噓だった。
おばさんが言った。
「亭主が亭主なら、家族も家族ね。分不相応な欲を出すから。自業自得」
おっさん、怒りもしない。
「だよな……所詮、似た者夫婦だったんだ。本人たちも、ようやくそれに気づいた。だが、息子だけは助けたいんだ」
「命を取られたわけじゃないんでしょう?」
「だが、助けたい……。生きてる間は何一つ夫らしいことができなかった俺が、命を捨ててやっと与えられた幸せなのに……。死んで、ようやく男になれたのに……」
なんか、ぐさっと来た。
わたしも母子家庭だし。事故で死んだ父さんの記憶はほとんどない。母さんはなぜかお金に困ったことがなかったから、不自由はなかったけど。たぶん、父さんの事故で大きなお金を得られたんだと思う。でも、同じような母子家庭の友達たちは、みんなお金でつらい思いをしていた……。
お金があれば幸せになれるってものじゃないだろうけど、ないとホントに悲惨なんだよね……。
わたしは言った。
「何とかしてあげたいけど……それ、復讐の話とは別でしょう? どうしたらいいんだろう……?」
おばさんに目をやった。たぶん、怒るか苛立ってると思ったけど……なんか、神妙な表情をしている。
おばさん、つぶやいた。
「奥さん、大金が入った事を誰かにしゃべったの? べらべら自慢してたようなら、詐欺師に目をつけられたとしても同情しようがないわよ」
真剣な目だ。何かのスイッチが入ったみたい。
おっさんが言った。
「いや、そこまでおめでたくはない。俺の死因も、他人にはガンだと言っている。過労死を隠すことを条件に会社から和解金を受け取ったんだから、秘密は守っていたはずだ。当然、和解金が入ったことは誰にも言えない」
「お金を盗られたのは、和解金の支払いが済んでから二週間ぐらい? あっという間に詐欺師が嗅ぎ付けた――ってことか。なんか、話がうま過ぎない?」
坊やが加わる。
「どこからか情報が漏れたってこと?」
おばさんがにっこり笑う。
「そうそう! 治ちゃん、勘がいいわね!」
「それぐらい、誰でも気がつくでしょう?」
おっさんが言った。
「俺は気づかなかった。どういうことだ?」
おばさんが自慢げに答える。
「情報を握っていたのは、鴻島一族。過労死で騒がれると会社が危なくなるから大金を積んで黙らせた。だから部外者は知らない。でも、経理部長は知ってる……銀行にも情報は行ってるはずよね。和解金だって、銀行から借りてるかもしれないしね……」
坊やがうなずく。
「騙された原因って、銀行の名前が出てきたからでしょう? もしかしたら、本当に銀行が絡んでいるんじゃない?」
おばさんがうなずく。
「北興銀行なら、あるかも……」
わたしは尋ねた。
「何か悪い話でもあるの?」
「暴力団と裏でつながっているっていう噂は、ずっと昔からあるわね。バブルの頃からの腐れ縁だとか。今じゃ大方の銀行は身ぎれいになってるっていうけど、そんなの上辺だけだし。それに、金融再編の流れでヤミ金まがいの会社も吸収してきてるから、底には膿も溜まってるはず」
坊やがうなずく。
「銀行が情報を漏らして、詐欺で和解金を取り戻させた……ってこと?」
おっさんが身を乗り出す。
「そうなのか⁉」
おばさん、はっきりうなずいた。
「なんか、その線が一番近そう。今時、あからさまに暴力団を使うなんてないだろうけど。これって、鴻島を叩き潰す格好の材料になるんじゃない? 銀行と暴力団の繫がりまで証明できたら、あんなゴミ会社たちまち吹き飛んじゃうわよ」
おっさんが首をうなだれてつぶやく。
「だが、鴻島が潰れたところで取られた金は返らないしな……」
おばさんには火がついていた。
「ああ、腹立ってきた。なんて汚いやり方なの? 取り返してやるわよ。あたしだって嫌々裏帳簿をつけてたけどさ、あれだって銀行は知ってたはずなんだから。それどころか、積極的にやらせて、知らんぷりしてたはずなんだから。ほんと、汚いったらありゃしない。あんな会社、銀行と一緒にぶっ潰してやるわよ。ぶら下がってる暴力団だって暴き出して、お金取り返してやるわよ。なんたってこっちは幽霊で、殺したって死ない身なんだから!」
ぱっと表情を明るくしたおっさんが、おばさんの肩に手を置く。
「よろしく頼むよ!」
おばさんの目が吊り上がった。
「触らないでよ――」
あ、また地雷! ……と、おばさんの怒りの爆発が急激にしぼむのが〝見えた〟。
なんか、アクション映画の爆発シーンを逆再生したみたい。
おばさん、がっくりと肩を落とす。
「ああ……なんか、どうでもいいような気がしてきた……」
あ、分かっちゃった。そういうことね。
ここにいる幽霊たち、みんな何かの特技を持っている。だからミケに選ばれてきたんだろうとは思っていた。
おばさんは紙の書類が読めるし、坊やはコンピュータが使える。でも、おっさんの特技が分かんなかった。
でも、これで納得。
この人、会社では仕事ができなくて邪魔者扱いされてきたらしい。だから、潰れる寸前の支店に回されたんだって。この人のまわりの社員は、みんなやる気をなくすらしいって。
それが、生きていた時からの特技だったんだ。
他の人の〝やる気〟を奪ってしまう、とんでもない能力……。
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