6・斉藤純夏(さいとう すみか)

 わたしはさも忙しそうに駐車場の隅を掃きはじめた。演技、演技。だってそれが仕事だって、神主さんに言われたんだもの。

 地元で就職したかったんだけど、結局決まらずじまいで、バイトを初めて一週間。毎日同じ場所を掃いているから、ゴミなんか溜まらないよね。今のところ、空いた時間は人目につく場所に出ているだけでいいんだってさ。

 アルバイトの面接に行った私を一目で気に入ったらしい神主が、その場で役割を決めた。青少年を下働きで鍛えよう、などという親心があるわけじゃない。美人の巫女がいると言う噂が立てば〝客〟が増えるという、企業戦略でしょう。

 わたし、学校でも結構人気があったから……恋が実ったことはなかったけどね。実際、わたしが来てから境内に入って来る若い男は目に見えて増えているし。ま、〝売り上げ〟もじわじわ伸びているらしいよ。

 今も鳥居の陰に隠れて境内をのぞいているジャージ姿の学生が二人いる。見られるのは別に嫌いじゃないけど、あんなガキ、どうでもいいし。

 わ、神主の息子もこっちを見て見てにやにや笑っている。

「いいよね、君の巫女姿って。清楚で、かわいくて」

 陽介って言ったっけ、昨日から急に馴れ馴れしく寄ってくる。目をつけられちゃったみたい。あいつの相手はしたくないな。キツネ顔って苦手。三人もの霊に取り憑かれている今は、なおさら遊び人の相手なんかわずらわしい。

 考えなければならないことが多すぎるし。

「陽介さん、ここはわたしがしますから。お仕事に戻ってください」

 陽介はヘラヘラと笑う。

「仕事っていっても、暇だしね。ねえ、今度飲みにいかない?」

「わたしまだ、未成年です」

「知ってるけどさ、もう社会人なんだからさ」

「お酒なんて、飲んだことありませんから」

 陽介は大げさに驚いてみせる。

「うっそぉ! 今時の高校生って、お酒ぐらい飲むんじゃないの? ねえ、倒れたら介抱してあげるからさ、行かない?」

 別に、無理してこのアルバイトを続ける理由はない。中古の軽と免許のローンぐらいは自分で払おうと始めただけだし。母子家庭だけど、母さんはお金には困ってないから、クビにされるならそれでもいいし。

 だから、はっきりと言ってやった。

「嫌です」

「じゃあ、カラオケは?」

 しつこいな。

「嫌です」

「嫌いなの?」

 さすがに声には出さなかったが、心の中で舌を出していた。

 お酒は、好き。カラオケも、好き。嫌いなのは、あんた。付きまとわないで。

 気まずい沈黙――。

 と、三毛猫が車のドアをすり抜け、飛び出してきた。駆け寄ってくると、足もとにちょこんと座る。

 ふと、言い訳が頭に浮かんだ。

「神主様がおっしゃってましたよ。わたしが一人で境内に出ている方が客集めになるから、陽介さんには顔を出させるな、って」

 陽介はわずかに口を尖らせた。

「ふうん……」

 そのまま、庫裏へ戻っていった。

 親父の命令には従わなくてはならないよね。遊んで暮らすために欠かせない、大事な大事な金づるなんだから。

 陽介が見えなくなると、箒を動かす手を止めた。思わず、ため息を漏らしてしまった。

「でも、どうしてわたしなんだろう……」

 わたしの言葉を聞いているのは、足に頬を擦り付けている三毛猫だけだ。

 しゃがんで、三毛猫の頭をなでた。

「ミケちゃん……あなたが最初だったよね……」

 コンビニに貼ってあった求人広告を見て神社を訪れたわたしを追いかけてきたのは、ミケだったんだ。一目見るなり、霊だと分かった。庫裏で神主の面接を受けている時も、ミケはわたしのひざで丸くなっていた。太って脂ぎった神主の説明を聞いている間、ずっと不思議に思っていた。

 なんでわたしに……?

 ミケにばかり気を取られ、面接の後に頭に残っていたのは時給千二百円という数字だけだった。

 ミケはそのまま、わたしについてきた。わたしが閉じた車のドアを通り抜けて、ひざに飛び乗ってきたのだ。

 人に見られる心配がなくなり、安心して猫に話しかけた。

「君、どこから来たの? わたしと一緒にいたいの?」

 わたしは昔から、他人には見えないものを見ることが多かった。バス停で佇む影の薄い女、夏の夜に漂う炎の固まり、知り合いの肩にちょこんと乗った小さな人影――。

 子供の頃は、その度に見えるものを他人に教えて気味悪がられた。自分にしか見えない〝何か〟に話しかけ、母親から叱られた。自分が普通ではないと知ってからは、何を見ても口に出さなくなった。

 だけど、見えなくなったわけじゃない。それらが霊であることも知った。霊が時に、人間に危害を及ぼすことも。

 でも、霊が怖いと思ったことは一度もない。こちらからは見えても、向こうはわたしに気づかないことが多いし。お互いに見えていても、大体、霊がわたしを避けていく。霊の多くは、そうやって人間と共存する処世術を身につけているみたい。

 野生の熊みたいに、本質的に人間が怖いんじゃないのかな?

 だからわたしにとって霊は、時おり身近に現れるだけの、風景みたいなものだった。特別に霊感が強いのも、個性の一つとして諦めている。そんなわたしにも、ずっと後を追ってくる猫の霊は初めてだった。

 三毛猫はひざの上でころころ喉を鳴らしている。

「いいよ、来ても。どうせ、わたしにしか見えないんだから」

 それをきっかけに、人間の霊が集まりはじめた。

 まず、大垣直恵。いかにも幽霊ですっていう白装束の口うるさいおばさんにはうんざりしたが、なぜかわたしの側から離れようとしない。

 次に、高山治。中学生ほどの坊やだけど、学生服姿は賢そう。毎日新しい霊が現れる理由は分からなかったけど、おばさんの関心は美少年へ移って、私は普段どおりに過ごせるようになった。

 そして、雨宮健司。くたびれたグレースーツのおっさんとなんか知り合いになりたくないのに。

 三人が揃って初めて、やっと彼等に共有点があることが分かった。全員が鴻島印刷の関係者で、社長の横暴が原因で命を落としていた。心の底に、会社への復讐心を抱いていた。

 それまでわたしは、幽霊たちにつながりがあるとは思わなかった。

 で、事の重大さが飲み込めてきた。

 きっとミケが三人を呼び寄せたに違いないんだ。猫の霊力は、人間なんかよりはるかに強いから。

 何らかの理由で鴻島印刷に恨みを持ったミケが、復讐のために人間の〝仲間〟を集めようとしたんだと思う。でも、普通の人間は猫と会話ができない。その猫が幽霊なら、もう絶望的。仲間を集めるためには、最低でも霊と意志疎通ができる人間の協力が必要なんだよね。

 だからミケは、霊力が強い人間が集まりそうな神社周辺で協力者を探していた。ミケの眼鏡にかなったのが神社のスタッフではなく、アルバイト希望の一般人だったのはたまたまだったんでしょう。

 そしてミケは、鴻島印刷に恨みを持つ霊を集めはじめた。わたしを中心にして、復讐のためのチームを結成するために――。

 私は否応なしに、他人の敵討ちに加勢するはめになってしまった。霊が見えるから。猫の言葉なんか分かんないのに。 

 運が悪いったらありゃしない。

 その後は、どこに行くにも三人と一匹がついてくる。幸い、トイレと風呂だけは一人きりになれた。おばさんの監視のおかげだ。おばさんは、男たちがわたしを見る目が妬ましくたまらないのよね。

 坂を転げ落ちるばかりのおばさん、だからさ。

 そんなドタバタが一週間も続いているのに、いまだに何をどうすればいいのか分からない。理由もなく巻き込まれただけなんだから、どうやって幽霊たちから逃げようかと、ずっと頭を悩ましていたんだ……。

「みやぁ」

 ミケの鳴き声に、現実に引き戻された。

「ミケちゃん……あなた、本当にわたしを復讐に巻き込む気? わたし、何の関係もないのよ?」

 ミケがうなずいたように見えた。

 と、頭の上から声をかけられた。

「何か落とした?」

 顔を上げた。陽介だ。

 うわ、考え事をしている間に戻ってきやがった。

 黙ったままのわたしの前に、陽介もしゃがみ込んだ。

「また何かぶつぶつ言ってたみたいだけど。コンタクトでも落としたの? あ、オヤジ、出かけてたわ。だから、おれ、ここにいてもかまわないわけ」

 じっと陽介の目を見つめた。ここにいられたらうっとうしいんだよ。あ、追っ払っちゃえばいいのか。おもわずニヤリと笑っちゃった。

「ねえ、陽介さん」

 初めて名前を呼ばれた陽介の目が輝いた。

「なになに?」

 わたしはミケを両手で抱いて目の前に突き出した。

「この猫、見えます?」

 陽介は首を傾げた。

「何の遊び? 猫? えー、分かんないな……」

 陽介の目の中に、不安が浮かんだ。この表情、見慣れてる。子供の頃から、普通の人間はわたしに対して同じように振舞ってきたんだ。

 あ、こいつちょっと頭がおかしいぞ。ヤバい、関わりにならない方がいいかも……。

 理解を超えるものへの不安と恐怖だ。そんな女と仲良くなりたい男なんて、いるはずないよね……悲しいけど。

 わたしはさらに笑顔を広げた。

「ねえ、見えます?」

 陽介が視線をそらせる。

 あは、いい感じ!

「いや、なにも……」

「いるんですよ、猫が、ちゃぁんと」

 それでも陽介は必死に話を合わせようとする。

「えー、何だろう……困ったな……。そんなの、学校で流行ってるの?」

 陽介が考えていることぐらいは、霊能力がなくてもすぐ分かる。『酒を飲ませれば押し倒すチャンスがあるんだ』と、必死に自分にいい聞かせている。『ちょっと変な娘だけど、ここは我慢だ……』ってね。

 ちょっとじゃなくて、わたしはすごく変なの。思い知れ。

 わたしはミケを地面におろした。

「三毛猫、いるんですよ。幽霊、ですけどね」

 陽介の口がぽっかりと開く。

「幽霊……?」

「わたし、幽霊が見えるんです。なんだかこの猫に、気に入られちゃったみたいで……」

 そして、陽介の後ろに視線をずらした。止めの一撃。

「あ、あなたの後ろにも女の人が……赤ちゃん抱いてる……」

 陽介はぎゃっと叫ぶと、転げるようにして走り去っていった。

 ビンゴ、かよ。

 ほっとため息をついたわたしの後ろで、声がする。

 おばさんだ。

「ガキのくせに、やるじゃん。大人をビビらせてやがんの」

 わたしは振り返りもしないでつぶやいた。

「車にいてください。見張られているみたいで、気が変になりそう」

 おばさんは投げやりだ。

「じゃあ、なっちゃえば? 自殺でもして、こっちに来る? 四人で楽しく、マージャンでもするかい? 幽霊じゃ、パイは積めないけどさ」

 坊やの声。

「僕、車で待ってたつもりなんです。それなのに、いつの間にかここに……」

 おっさんが説明した。

「俺もそうなんだ。君に引き寄せられるみたいに……」

 わたしには分かる。幽霊たちを引き寄せているのは、ミケだ。ミケは、トイレにも風呂場にも現れたこともある。

 ありゃ。ということは、いつか坊ややおっさんも……。

 思わず叫んだ。

「もういや! あんたたち、絶対に消してやる!」

 おばさんがふんと笑う。

「やってみなさいよ、できるもんなら。あたしたち、幽霊なのよ。殺したって、死なないわ。記憶がなくなったって、あんたにしがみついてやる」

 坊やがつぶやく。

「離れたくない……」

 いやよ、こんなガキ!

「離れてよ! あなたたちとは何の関係もないんだから!」

 おっさんが言った。

「しかたないさ。俺たちだって、好きでやっているわけじゃない。他に居場所がないだけだ。何度も君から離れようとしてみた。でも、気がつくと必ず戻ってきている。もう、離れられなくなっているんだ」

 わたしは、ミケを見下ろした。

「いいわよ、分かったわよ! 本気でやってやろうじゃない。会社に復讐できればいいんでしょう? それでわたしを自由にしてくれるんでしょう? 鴻島なんか、わたしが叩き潰してやるわよ!」

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