第18話『憤怒』と『暴食』(6)

「良かった。これでようやく報酬の話に移れる」


 魔王はほっとしたように大きく息を吐き出すと、フラムに微笑みかけてきた。


「報酬? オレに魔力をくれて、戦い方も教えてくれるんだろう?」


 普通なら、魔王の莫大な魔力を譲渡してもらえるというだけで、魔将ですら忠誠を誓うだろう。


 それに加えて、魔王は本来秘匿しておくべき知識まで惜しみなく与えてくれるというのに、これ以上何を望もうか。


「それらは業務上で必要なことなので、報酬にはなりません。私がフラムさんに期待する役割は、この上なく大きい。国家の要たる軍権を預けるのですから、その重要性たるや、内治の要たるプリミラさんと双璧を成すほどです。ですから、私はあなたにも個人的な報酬を受け取って頂きたい。報酬を受け取るということは、責任を負うということにもつながるからです。私は小心者でしてね。報酬を受け取らない仕事という物を、信用できない」


「……そう言われてもな。現状、魔王様の言う目標と、オレの目標は一致している。特に欲しい物はねえな。強いて言うなら、部下とオレに良い装備を――とか考えなくもねえけど、それも、魔王様に言わせりゃ、『業務上必要なこと』か?」


「そうなりますね。難しく考えなくてもいいんですよ。フラムさんの将来の夢――やりたいことは何ですか?」


「夢? オレの目標は魔族のトップに立って、リザードマンという種族全体を盛り立てることだ」


「それは、フラムさんが『やるべきこと』であって、『やりたいこと』ではありませんよね。私が知りたいのは、フラムさん個人の欲望です。あるでしょう。あなたにも、趣味の一つや二つ」


「……やけに自信満々に言ってくれるじゃねえか」


「――フラムさんの巣には、素敵なアクセサリーがたくさんありましたね。髪飾りに、イヤリングに、ネックレスに、指輪に――どれも、中々、良いセンスだと思いました」


「ちっ、そういうことか。初めから知ってて言ってやがったのか! ああ、そうだよ。オレはどうやら、かわいい物が好きらしい。……笑えよ! こんなナリしてまるでヒトの小娘みたいで滑稽だってよ!」


 フラムは頬に熱を感じながら俯いた。


 日頃はかわいい物への欲を抑えているのだが、ドラゴンの習性である収集欲が爆発した折には、どうにも『地』が出るらしい。


 フラムはヒトから略奪する時、自分でも無意識的に、そういった飾り物の類を集めていた。


 ドラゴンの習性か、一度集めた財物を捨てることには異常な抵抗を覚え、仕方なく幾重にも爆発性のトラップ魔法をかけて巣の奥の奥の奥の宝箱に隠しておいたのだが、魔王には見破られていたらしい。


「何を笑うことがあるのですか。フラムさんには他の女性の方と同じように着飾る権利がありますし、そうするべきだと思いますよ」


 魔王は真剣な表情で言う。


「似合わねーっつってんだろ! オレがシャムゼーラみたいなかっちりしたドレスを着たらオーガに化粧させたみたいに変ちくりんになる。かといって、『色欲』のサキュバス共みたいなダルっとした服を着たら薄汚れたヒトの物乞いみたいになるんだよ!」


「なぜそう決めつけるのですか? 服にも色んな種類があり、着こなし方にも様々なアレンジがありますよ。フラムさんの背格好は、私の元いた世界では『モデル体型』といって、女性が皆憧れるフォルムでした。プリミラさんも背が高くスタイルが良いですが、あまり胸が大きすぎると服を選ぶので……そういう意味では、あなたはファッションに恵まれているとさえ言える」


「服を選ぶどころか、オレには着れる服がねえよ。オレの身体から出る熱で、大抵の布なんてすぐ燃えちまう」


 フラムは遠い目をして言った。


「開発すればいいでしょう。防火性の繊維を。現段階でも、耐熱性と延性高いミスリルやらオリハルコンやらを薄く加工すれば、服は作れるはずです」


「おまっ! 何言ってんだ! 高級品のミスリルや宝物のオリハルコンで、戦の役にも立たねえ服を作るなんて! そんな無駄で、盛りのついたヒトの娘みたいなこと……」


 魔王の提案は、フラムの中には存在しない発想であった。


 金属とは武具にする物であって、断じて服にする物ではない。


「何が問題ですか? 『傲慢』も『強欲』も『色欲』も、魔族の美徳でしょう。魔将であるあなたがその程度の贅沢をしたとしても、誰が咎めます?」


 魔王の言うことは、魔族的には完全に正論だった。


 しかし、急にそんなことを言われても、『はい。やります』と言えるほど、フラムは素直になれない。


 ぶっちゃけ恥ずかしいのだ。


「くっ――そんな余裕があるなら、オレは部下の装備を全部高級品にするぜ」


「そうしたとしても、金属が余るから申し上げているのですが……。ふう、中々頑固な方だ。どうやら、フラムさんは、まだご自身の魅力に気付いていないようですね。――そうでした。実は、言い忘れていましたが、フラムさんにもう一つお願いしたい仕事があったんです」


 魔王は一瞬呆れたように肩をすくめながら、キリっと表情を仕事モードに切り替えて、そう切り出した。


「あ? 仕事?」


「ええ。先にも申し上げた通り、しばらくの間、上級の鍛冶師の方の一部は、手持無沙汰になると思うんですよ。なにせ、彼らの顧客であった上級魔族が軒並み死んでしまったんですから。鍛冶師の方々には中級以上の魔族の装備を作ってもらいますが、中には『そんな安い仕事はしたくねえ!』とおっしゃる方々もいると思うんです。フラムさんと同じく、頑固でクリエイティビティに溢れた者たちが」


「確かにいるだろうな」


 魔族の鍛冶師の中でも、一級の者たちは変にこだわりが強いというか、気に入った仕事以外は受けないような所があった。彼らはルーティーンのように似たような武具を何度も作る仕事は嫌がるだろう。


「フラムさんは、そのような方たちと一緒に、新たな服を開発してください。条件は『機能的でありながら、ヒトが見ても美しいと思える服』です。服といっても、モデルが必要ですし、誰が着るかのイメージが漠然としていては仕事になりませんから、まずは、フラムさんがご自身に似合う服を作ってみてはいかがでしょうか。もちろん、軍の仕事に支障が出ない範囲で余裕のある時に、ですよ。当然」


「……魔王様、馬鹿にしないでくれ。そんな見え見えのお膳立てをされて、魔族のために必要じゃねえ仕事をお恵み頂いてもなあ、オレは喜べねえよ」


「いえ。恵むとかではなく、本当に必要なことなのですよ。私たちはいずれ、ヒトの勢力と戦争ではなく、外交という形で交渉を持つことになるでしょう。その時までに、魔族にもヒトが驚嘆するような『文化』を持っていたいんです。現状、ヒトと魔族には接点が薄すぎるので、少しでも共通言語となる物を確保しておきたい。軍事力がいくらあっても、野蛮人と見下してくる者は一定数いるでしょうからね」


 魔王の言っていることを、フラムは半分くらいしか理解できなかったが、それでもその言葉を額面通りに受け取るほど、愚かではなかった。


 魔王は『必要だ』と言ったが、『あったらいいが、なくても何とかなる』程度のニュアンスであろう。


 それでも、全く無駄な仕事でないということは確からしい。


「――し、仕事ならしょうがねえな。魔族使いの荒い魔王様だが、付き合ってやるよ」


 フラムは照れ隠しのぶっきらぼうな口調で答え、頷く。


 それは、フラムの欲望と矜持のボーダーラインぎりぎりをついた、とても魅力的な提案であった。


(こいつにゃ、敵わねえ……)


 フラムは目の前の男に敗北感を覚えていた。


 『魔王としての力』にではない。


 フラムは決してただの武力には屈服しない。


 今までにも、フラムより強い者はたくさんいて、その中で生き残ってきたのだから、ただの力ならば、『いつかは越えられる』と考える。


 知識?


 半分はそうだ。


 この男は、フラムの知らない、集団を支配するのに必要なことをたくさん知っている。今のフラムにはないものを持っている。


 なら、この男の持っている知識を全て盗めば勝てるか?


 今のフラムには、とてもそうは思えなかった。


 フラムがこの男に敗北感を覚えたのは、なによりも『相手を動かす力』にあった。


 服従ではなく、協力を得る手腕。


 強引ながらも反発を受けずに、周囲を巻き込んで動かす力。


 恐怖で統治する魔将とは違う。


 仮初の正義で酔わせるヒトの英雄でもない。


 彼を表現する適切な言葉を、今のフラムは持たない。


 それでも敢えて何か当てはめるなら――


(それが『部長』ってやつなのか?)


 最初に魔王が口にした、フラムの知らない謎の単語がふさわしい気がした。


 この男を越えるには、学ばなければならない。


 知識だけではなく、その思考や振る舞いの全てを。


「ありがとうございます。では、フラムさんが納得されたならば『報酬なし』で契約しましょうか」


 魔王は本当にうれしそうに微笑む。


「ああ……。いや――、一つあったわ。オレが魔王様に望む個人的な報酬が」


「ほう。それはどのような?」


「魔王様、あんたのことを『師匠』って呼んでもいいか?」


「どうぞ。お好きなように」


 魔王はにこやかな表情のまま頷く。


「じゃあ、ま、よろしく頼むよ。師匠」


 フラムは早速、自分だけに許されたその新しい名称で男を呼ぶ。


 それは、魔王という魔族全体が服従すべきお仕着せの権力ではなく、フラム個人が聖という個体を『上』であると認めた証であった。


「『強欲』のレイが、暇つぶしに魔王様の顔を見に来たよ」


「『色欲』のアイビス、参上したのじゃ」


 直後、謁見の間の扉の先から聞こえる、二つの声。


(これで、七魔将全員が揃ったって訳か)


 魔族の歴史が、今、この瞬間に大きく動き始めたことを、フラムは肌で感じていた。

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