第17話『憤怒』と『暴食』(5)

「さて――では、残るはフラムさんとの雇用契約ですね」


「その前に、戦犯の処理はしなくていいのか?」


「ああ、そうでした。その件ですがね。話を始める前に、私は、一つ、フラムさんに謝らなければいけないことがあるんです」


「謝る? 魔王がオレに?」


 フラムは目を見開いた。


 魔族は格下に謝ることなどありえない。


 最強の存在である魔王ならばなおさらだ。


「ええ。ヒトの領地からゴブリン繁殖用の雌を買い付けるために、どうしても現金が必要でしてね。色々なドラゴンさんの巣を漁らせてもらいました。その中には、フラムさんの所有物も含まれていましてね。そのことを謝ろうかと。許して頂けますか?」


 何のことはなかった。


 ドラゴンには、ヒトの好むような財物を集める習性がある。


 なぜかは分からない。一説には、より強者との戦いを求めるが故に、それを引き寄せる餌となる財物を集めることがさがになったのだそうだが、眉唾物の話だ。


 ともかく、フラムもドラゴンになってから、時折、無性にヒトが好むような、宝石や金を収集したくなる衝動に駆られることは確かだった。


 しかし、集めた金銀財宝の類は、魔族においては直接戦で役に立つような物でもないので、それを奪われたところで痛痒は感じない。


「……必要なことだったんだろ。なら、許すも許さないもねえだろ。仕方ねえ」


「そうですね。仕方がなかった。フラムさんも同じですよね? フラムさんが責任者の――魔将の地位についた頃には、戦局は覆しようもない状況にあった。しかし、その中でフラムさんは精一杯やるべきことをやった。そうでしょう?」


「そうだが……」


「では、フラムさんも仕方がなかった。もちろん、負けたという結果責任はありますが、私も罪を犯しましたので、これで相殺されたということで」


「……わかった」


 金を集めるだけなら、すでに討ち死にしたフラムより格上のドラゴンの巣に蓄えている財物を接収するだけで十分だったはずだ。


 ドラゴンになってから日の浅いフラムが蓄えている財産は、生まれながらのドラゴンのそれに比べてずっと少ない。それでも、魔王がわざわざフラムの巣に踏み入ったのは、敗軍の将たるフラムを『許すための理由』を用意するために、そうしたということになる。


 フラムとしては、願ったりかなったりで、ありがたいとしか言いようがないが……。


「魔王様は、それでいいのか?」


「『普通の魔王なら、敗戦を口実に力を取り上げようとするはずなのに』ですか?」


 魔王がフラムの言わんとしたことを察したように、口角を上げる。


「ああ。モルテにしろ、ギガにしろ、オレにしろ、力を取り上げるのに十分な理由がある」


「逆に問いますが、それをして、魔族全体に何の得がありますか? どんなに私が力をつけようと、身体が一つしかない以上、できることは限られている。だから、魔族の滅亡を回避するためには、皆さんには働いてもらわなければならない」


 魔王は当然のようにそう言って、肩をすくめる。


「……プリミラの手紙の通り、あんたは他の魔王とは違うようだ」


「そのようです。でも、私にはこのようなやり方しかできない。私は本来、『魔王』ではなく、『部長』なのでね」


「その部長ってやつは知らないが、魔王様が今までのアホ共と違うっていうのはよくわかったよ。――で、オレに何をやらせたい?」


 フラムはあのプリミラが魔王のために働く理由に、ようやく納得できた気がした。


 この魔王には、『賭ける』価値がある。


 そう思わせるだけの説得力があった。


「まずは先ほどギガさんにもお願いした、精錬用の炉への火力供給の補助です。かなり大規模なものでしてね。フラムさん以外に安定的に熱源を供給できる方が見当たらないのです」


「……魔族の鍛冶師は既にいるが、そいつらじゃ間に合わない仕事なのか?」


 前線に出た魔族はあらかた死んだとはいえ、戦士が戦場で得た魂の一部を譲渡することを代償に、武具を打つ鉱魔の鍛冶師はそのまま残っているはずだ。


「彼らの持つ小規模な火事場ではスケールメリットが得られない……と言ってもわかりませんよね――とにかく、私がしたいのはゴブリンの軍団用の武器と防具を『大量生産』することでしてね。一点物に心血を注ぐ彼らとは、似ているようで全く別の仕事なんです。彼らのプライドを傷つけるようなこともしたくないですし、鍛冶師の皆さんには、今まで通り、中級魔族以上の方々へのワンオーダーの品を作って頂きます」


「ゴブリンの兵士全員に、統一した装備を与えるつもりなのか? 十や二十の話じゃねえんだろ?」


「驚くことがありますか? 兵士は装備がないと戦えないでしょう」


「そうだ――だが、先の大戦でも、ヒトの雑兵が持っていた武器はバラバラだった。防具に至ってはつけてる奴の方が少なかったぞ。ヒトは、身体の雑魚さを武器と数で補ってきた奴らだ。そんな奴らでも、雑兵の装備までは手が回ってなかったんだぞ?」


「なるほど。もっともな心配ですが、結論から言うとできます。理由は三つ。その一、魔族はヒトよりも長時間働ける。その二、下級魔族には報酬を支払う必要がないので、ヒトの工場に比べて生産コストが安い。そして、その三、『彼ら』はまだ知らないことを、私は知っている。もちろん、フラムさんが熱源を供給できる前提になりますがね」


 魔王は、フラムの疑問を意にも介さない様子で言う。


 こうも当たり前のように言われると、本当にできるような気がしてくるから不思議だ。


「そりゃ、力をコントロールして火を供給することくらいはできる……が、今は冬場だし、オレの力は十全とはいえない。あんまりでかい箱だと、魔力が足りなくなるかもしれない」


 フラムは正直に白状した。


 魔族の価値観的には弱みは見せたくないが、見栄を張って魔王に隠し事をしても、最終的には権能で強制的に答えさせられるのだから無意味だ。


「必要な分の魔力は私が譲渡します。プリミラさんにもそうしました」


「……なら、何も言うことはねえ。やるよ」


「よかった。もう一つやって頂きたいことは、ゴブリン軍団の教練と指揮です。彼らを、半年以内に――いえ、出兵の刻限も考えると5ヶ月以内には、軍隊として、使えるようにしてもらいます」


「……手紙にも書いてあったが、本当にゴブリンを兵士にするつもりなのか? 無礼を承知でいうが、身体はともかく、性根が兵士向きじゃねえ。あいつらの性悪さを魔王様は知ってんのか?」


「知識としては理解しているつもりです。すでに、シャミー――シャムゼーラさんに、神官衆を使って、ゴブリンの洗脳と再教育を試してもらっていますが――おっしゃる通り、中々手ごわいですね。新しいゴブリンを生産した暁には、すでにいるゴブリンとは完全に分離して、既存のゴブリンの価値観や習俗に染まらないように徹底するつもりです。まっさらな状況から仕込めば、なんとか使い物になると思うのですがね――ヒトの世界には『学校』というものがありましてね。ご存じですか?」


「知らないが、兵士として素質が保証されるっつうんなら、問題ない。オレが部下のデザートリザード共と一緒に、ゴブリンどもを教育してやる」


「ええ。早速、と言いたいところですが、まずは、フラムさんも含め、少々お勉強して頂く必要があります。ちょうど、ゴブリンのファーストロットの製造完了までには一ヶ月近くあるので、学習する時間はあるでしょう」


「オレたちじゃ、指揮官としては不足ってことか?」


 フラムは不機嫌を隠せず、そう問いかけた。


 フラムにも、脳筋ばかりの魔族の軍において、集団として生き抜いてきた誇りがある。


「はっきり申し上げるならその通りです。例えば……フラムさん。先の大戦、どうすれば勝てたと思いますか? 仮にあなたが、全軍を指揮できる立場にあったとしての話です」


「……勝てた――かは分からないが、斥候を出した時点で今までの敵との違いに気づいて山岳地帯まで退けていれば、少なくとも兵に損害はなかった。ま、実際は、当時の魔将共が納得するはずねえし、戦闘は避けられないだろうな。だとしても、全員で一斉に突撃っつうのはナシだ。下級と中級の魔族共を突っ込ませて様子見、魔将クラスは後陣でそいつらを援護する。アンチディスペル空間じゃあ攻撃魔法は使えねえが、あの雑兵共なら、それこそ群れに巨石を放り込むだけでも十分ダメージは与えられるからな。んで、後衛の魔将と前衛が協力してヒトの英雄を食い止めて、何とか騎兵に外から回り込まれるのを押さえられてたら、少なくとも大敗はない。引分けか、惜敗ってとこだ」


 フラムは魔王の問いに、すらすらと答えた。


「ふむ。前者の場合は、結局、戦線が後退し、敵は無傷の軍隊を使って、易々と今回と同じ地域を占領できますね。さらに余力を駆って、ちょっとした砦くらいは築いて、侵略拠点を確保していたでしょう。つまり、敵は戦略目標を達成する。その後は――敵が馬鹿正直にすぐに突っ込んできてくれれば、こちらにも勝ち目はありますが、そうでない場合、支配する領土の面積の差から、ヒトは勢力を増し、魔族は徐々にジリ貧となる。後者の場合は、微妙なところですね。現状よりは多数の兵力を温存できた可能性もありますが、中途半端に戦えてしまったことで、撤退の機会を逸して、戦線が拡大する。結果、さらにまずい状況になっていた可能性もあるかもしれない。仮に全て上手くいって勝ち続けたとしても、中級・下級の兵士を相当に損耗しているので、ヒトの領土を占領し、統治するのは難しい状況だったかと思います。つまり、得るものは少ない」


 魔王も即答する。


「……魔王様の言う通りだよ。多分、あのバカ共は、互角か、それ以下の戦いでも、ちょっとでも勝算がありゃ、イケイケで突っ込んで行っただろう。その場合、ヒト共の軍勢は、多分、撤退するフリして軍勢を立て直して、そこに調子に乗ったオレたちは突っ込んで――結局、同じ結末だろうな。ヒトの領地に近づけば近づくほど、敵は色んな小細工を打てるんだし」


 フラムは素直に頷いた。


 魔王の分析は、フラムが敗戦後に考えたこととほぼ同じだった。


「認識を共有できたようでなによりです」


「……じゃあ、オレからも聞かせてくれ。同じ条件ならあんたなら勝てたか?」


「はい。私なら、オーガは歩兵とは混ぜません。あれは、ヒトで言う所の、騎兵として運用すべきです。知能が足りないというなら、オーガの上にコボルトなり、ワーウルフなりを騎乗させて、指示を出させる形で運用すればよかった。守勢にあるこちらは地の利を生かせるのだから、地形を利用してオーガを埋伏させ、逆に敵の後方に回り込むこともできたでしょう。先の大戦のレポートを聞く限り、オーガは歩兵として役に立ってないどころか、味方の邪魔になっていたようですから、彼らがお荷物から決戦兵器に変貌するだけで、戦局は大きく変わっていたでしょう」


「オーガを馬代わりにするだと!? それは無理だろ! オーガはコボルトの上位種だぞ? ワーウルフとオーガはどっちも中級魔族だが、ワーウルフは『中の中』、オーガの方が『中の上』で上だ。自分より下の魔族に上に乗られて、従う魔族がいるかよ!」


 フラムは声を荒らげてそう反論した。


 二足歩行――通称『鬼型』が歩兵と中心となるが、その進化の過程は細分化されている。ゴブリンの上位種がコボルトで、ここまでが下級魔族。コボルトの上位種はオーク、その次がオーガで、ここまでが中級種族。その次は、ギガンテスなどの上級種族へと続く。


 一方、ワーウルフは、一見、二足型に思えるが、厳密には四足型の魔族である。


 下級魔族の魔狼から、中級魔族のワーウルフへと進化、後は全て上級魔族で、ケルベロス→フェンリルといった具合で進化していく。


 ちなみに、リザード系は特殊で、下級魔族はおらず、『デザート』、『フロスト』など、属性ごとの違いはあるものの、生まれた時から中級魔族である。ちなみに、上位種はもちろんドラゴンだ。


 ともかく、魔族は自身が『上』か『下』かにとても敏感なのだ。


「そうですね。その下級・中級・上級、進化といった概念が、あなたたちの柔軟な軍団編成を邪魔していたようです。その偏見を取り払って、ゼロベースで軍団編成を考え直せば、我々はさらに強くなれることでしょう。今までは因習もあって無理だったかもしれませんが、幸い、うるさ型はみんな死にました。しかも、魔王の権威によって、いくらでも強権的に軍政を改革できる状況にある。滅亡を前にして、やらない理由がありますか?」


「……返す言葉もねえよ。それに、魔族は実力主義だ。仮にあんたの言う、ゴブリン軍団が結果を出せば、魔族の価値観はひっくり返る。最弱の種族が、魔族の最強の軍になるんだから。全ての魔族が、個人の力じゃ何もできないと知るだろう」


 フラムは喉のつっかえが取れた思いだった。


 抱いていた『魔族はもっとやれるのに』という漠然とした感情を、言葉にしてもらった気さえしていた。


 魔王の示す世界は、フラム個人にとっても魅力的だった。


 集団が価値を持つということは、それを動かすことのできる人材――指揮官の価値もあがるということだ。


 その役割を担えるのは、現状、フラムとフラムの部下しかいない。


 魔王の言葉が実現した暁には、リザード族全体の価値を示すというフラムの目標は、期せずして叶うこととなる。


 魔王の提示する世界では、フラム個人が頂点を目指す必要はもうないのだ。


「その通りです。そして、集団の力を発揮できる軍にするために――魔族全体を強くするために、私はフラムさんに知識を学んで頂きたいのです――などと偉そうなことを言いましたが、私は将軍ではないのでね。正直、私がフラムさんにお伝えできるのは、経営学史上で重要な軍隊の組織論と、いくつかの有名な戦史など、基礎的な軍学の知識だけなのです。それも、異世界の知見ですから、机上の空論で、実践的なものではない。現場で擦り合わせをするフラムさんが一番大変だ。それでも、私はあなたにお願いするしかない。適任は他に誰もいないからです。いかがでしょう?」


 魔王はそう言って、長口上で乾いた口を潤すように茶を口に含んだ。


「やるさ。やらない理由がねえ。そもそも、感情的にも、オレはヒト共に舐められっぱなしっつーのは許せねえしな」


 フラムは握りこぶしを作って、そう宣言した。


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