第8話 勇者降臨


 飯田恒夫が目を覚ましたのは、白亜の聖堂だった。


「ここ、は? 俺は、確か、ブラック企業の諸悪の根源を成敗して――」


 恒夫は安全を確かめるように身体のあちこちを触ってから、やがて、自身を囲む円形の魔法陣と、さらにその外を取り巻いている神官たちに視線をくれる。


「ようこそお越しくださった。人類の希望よ! どうか非力なる余たちに力をお貸しくだされ!」


 進み出たのは、一人の中年の男だった。


 一見、枯れ木のようなやせぎすの身体だが、不思議とひ弱な印象を与えない、不思議なオーラを纏っている。その瞳のギラつきが、恒夫の人となりを物色するように輝いていた。


 金糸の刺繍が施されたとびきり上等な僧衣を身にまとっており、身分の高さをうかがわせる。


(上級国民か?)


「お前は?」


 恒夫は本能的な反感を抱えながらもそう誰何した。


「おお、申し遅れました。余はグロリア8世。不徳なるも星領を預かる神のしがない奴隷です」


 その慇懃な物言いが、恒夫が誅殺した大企業の部長とダブる。


 ますます気に食わない。


「先に言っておくが、俺は宗教というものが信用できない! 宗教は心の弱い者につけこんで金銭や労働力を収奪するシステムだ! 俺はそんなひどいことを絶対に許さない!」


「これは手厳しい。確かに余たちは神のように全知全能ではない故、完全無欠とはいきませんが、手の届く限りで地上に神の平穏をもたらせるように努力しております」


「ふん。それで、何で俺をここに呼んだ?」


 恒夫は、勧善懲悪の物語を好み、そういった類の小説やマンガによく親しんでいた。


 異世界から勇者として召喚されるなんて夢物語は絵空事だと思っていたが、それでももし仮に実在するなら、自分のような正義のために行動できる人間が選ばれるべきだと考えていた。


(そうか。きっと、俺の正義が評価されたんだ!)


 薄々そう感づきながらも確認のために尋ねる。


「はい! 世界を混沌に陥れる悪しき魔王がこの世に産まれ落ちました。魔王の配下たる魔族は、無辜の民を殺し、時には略取し、陵辱の限りを尽くします。先だって余たちは、そのような悪を滅ぼすべく、聖戦を起こし、あと一歩のところまで敵を追いつめておるのですが、敵は悪あがきに首魁たる魔王を召喚した由。勇者殿には、余たちの聖戦に同道して頂き、どうか埒外の力を持つ彼の魔王を討伐して頂きたいのです!」


 グロリア8世はわざとらしく跪き、両手を組んで恒夫に祈りを捧げる。


「事情は分かった。俺は、弱者を苦しめる悪党が大っ嫌いだ。お前たちの言うことが本当なら、魔王をぶっ殺してやる」


「おお、本当ですか! さすがは勇者どの! あなた様こそ、世界を照らす光! 正義の剣を体現する御方です」


 グロリア8世のおためごかしを、恒夫は冷めた気持ちで聞いていた。


 かつて、恒夫を採用した企業もそうだった。


 人手不足だといって恒夫を持ち上げて採用しておきながら、不景気になるとすぐに斬り捨てた。


「そうか。ただし、協力するかを決める前に、あんたたちが本当に『正義』か、確かめさせてもらうぞ。ちょっと街を見てくる!」


 魔王を討伐しにいったら、実は真の悪は召喚者だったという話はよくある。


 恒夫はかしこいのだ。


 決して騙されない。


「ごもっともです。では、神官共に街を案内させ――」


「必要ない。俺は自分でやる!」


 恒夫はそう言って、聖堂のステンドグラスを打ち破って、外へと転げ出た。


 奴らに従って、見学したところで、都合のいいように誘導されるに決まってる。


 求人サイトの募集文句や、会社説明会で並べ立てられる美辞麗句と同じだ。


「お待ちください! 勇者様! ――いけない! 召喚されたばかりで勇者様は動転しておられる! 皆の者! 何としても人類の希望たる御方を保護せよ!」


 背後から響くグロリア8世の叫び声を無視して、恒夫は街へと駆けた。


 身体が軽い。


 神官共では到底追いつかないスピードだ。


 恒夫は、やはり自分は勇者になったのだと実感する。


 通行人を手あたり次第に捕まえて話を聞く。


 どうやら、魔王が降臨したのは本当らしい。


 魔族という奴らが原因で起こった戦争で、住処を失った人々にもたくさん出会った。


(魔王、絶対滅ぼす)


 恒夫の中で、魔王を殺すことが確定した。


 本当に公正を期すなら、魔族サイドからも話を聞くべきであったが、そんなことは全く考えない。


 恒夫は、自身の半径10メートル以内にしか思いが及ばない近視眼的な男だった。


(神官共は、狡猾な奴らだ)


 一方、グロリア8世を始めとする神官たちについての情報を集めたが、そちらについてはよくわからなかった。


 誰に聞いても、『神に最も近い偉大な御方たちです』と、判で押したような異口同音の答えが返ってくる。


(みんなが同じ意見なんて不自然だ。これはきっと洗脳だ。ブラック企業でよく見た奴だ)


 恒夫の中で、初めから結論は決まっていた。


 本人は無意識だが、つまるところ、宗教は悪という地球で培った偏見が最初にあり、それを補強する材料を探しているだけなのだ。


 そして、神官たちも聖人ではない以上、潔白ではいられない。


 すぐに、『材料』は見つかった。


 巡礼路に近い大通りは一人も見当たらなかったが、奥に行けばいくほど、一人、二人と見えてくる、目の光を失った者たち。


(奴隷か! 何が神の正義だ!)


 恒夫は憤怒と共に、自身の正しさを再確認しつつ、聖堂へと帰る。


 その姿を目にした神官たちがすぐに駆け寄ってくる。


 報告を受けたグロリア8世も息せき切ってやってきた。


「おお、勇者様! お戻りくださいましたか!」


「やはり、魔族たちが生きる価値のない悪党どもだとわかった。魔王共々、俺が倒す」


「それはありがたい!」


「だが、あんたたちに完全に賛同する訳でもない。あんたたちは正義じゃない。奴隷を解放しろ。今すぐだ」


「――なるほど……。さすが勇者様に隠し事はできませんな。余たちは神の下に全てのヒトは平等だという教えを信奉しております。しかし、残念ながら、俗世の者たちは卑しい金銭欲に支配されており、下々まで神の愛を伝えてきれていないのは事実です」


「白々しいことを言うな! お前たちも奴隷を使っているだろう!」


 恒夫はいら立ち紛れに壁を殴った。


 衝撃派が壁を貫通し、穴を開ける。


「ごもっともでございます。余たちは、悪と知りながらも奴隷を使っております。奴隷商人が売りにくるのです。余たちが買わねば、商品として価値がないとされた奴隷たちは殺されてしまいます。奴隷を買う悪、奴隷を見殺しにする悪、どちらを選ぶかを迫られ、やむなく後者を選んでいるのです。全く、あの卑しき奴隷商人どもときたら、神の正義が伝わらないのです。それも含めて余たちの不徳の致すところです。まこと申し訳ない」


 グロリア8世は殊勝に瞳から涙を流してひれ伏す。


「そうか……。つまりは奴隷商人が悪いんだな」


「はい。まことに度し難い、金稼ぎにしか興味のない卑しき者たちです」


「納得した」


 恒夫は、もちろん、グロリア8世の三文芝居に納得した訳ではなかった。


 『やはり、どこの世界でも宗教は腐っている』と納得したのだった。


 言い訳も予想の範疇にあった。


「それは上々。では、早速、滞在して頂く部屋へご案内いたします。勇者様をもてなすにはいささかみすぼらしいと思われるかもしれませぬが、貧しき神の家故、どうかご容赦を」


「ああ」


 恒夫は素直に部屋へと案内され、仮眠を取る。


 そして、その晩、新米勇者はまた聖堂を抜け出した。


 日中当たりをつけていた、奴隷商人の商館を手あたり次第に襲撃する。


 奴隷商人たちは日頃から恨みを買うことも多い身の上故、かなりのコストを割いて手練れの護衛をつけていたが、勇者は常識外のチートである。


 ただ腕を振るうだけで、護衛は肉塊に変わっていく。


 そのけた違いの武力の前に成す術はなかった。


 たくさんの『おみやげ』を抱えて、勇者は聖堂へと帰還する。


「おはよう。おっさん。結構遅いんだな」


 翌朝、祈りを捧げるためにやってきたグロリア8世を、恒夫は満面の笑みで出迎える。


「ゆ、勇者様、これは……」


 グロリア8世の顔が引きつっている。


 恒夫は胸のすく思いがした。


 奴らの欺瞞を暴いてやったことが、心地よかった。


「なあに。魔王を殺す前の、ほんのウォーミングアップの世直しさ」


 ピラミッド状に積み立てられた生首、その頂点にある一つの頭をポンポンと叩く。


「さ、さようですか」


「これでもう新しい奴隷が供給される心配はないよな? もしまた奴隷商人がきたら、俺が殺すから安心してくれていいぞ。さあ、奴隷を解放しろ!」


「かしこまりました。今すぐに余の名前で布告を出しましょう」



 *    *    *



「記録にもあった通り、勇者とは狂人ですな」


「さもあらん。心のどこかが狂っておらずば、魔王に挑むことなどできぬ。――奴隷の聖都の外への移送は終わったか?」


「ぬかりなく。勇者様に感謝を述べさせる接待要員を除いて、口の固き者共の所へ送り届けてございます。布告の方も聖都中に行き届いてございます。その他の地域には、『卑劣な魔族の妨害により』、勇者様の奴隷解放のご慈愛が行き届いていない様子でございますが」


「うむ。聖都にさえおらねば十分。勇者の目に奴隷が入らなければそれでよい」


「されど、一部の教理原理主義者が活気づきそうですな」


「構わん。奴らは所詮夢想家の泡沫勢力よ。奴らはむしろ、勇者の取り巻きにして、奴を気持ちようする太鼓持ちに使えばよい」


「勇者を懐柔できましょうか」


「試してみよう。金か、権力か、女か、そのいずれにも興味がない人間はおらぬ」


「金はなさそうですな。金銭欲を嫌悪しているようでした。権力は好きそうですが、本人も自覚しておらぬ様子でしたが故、これみよがしに与えても反発するだけでしょう。女は、未知数ですな。奴隷を嫌う所から見て、商売女では無理そうだ。床上手の売女などを与えれば、『人身売買だ。許せぬ』などと言い出しかねぬ輩かと」


「ああいう手合いには下手に計算せずとも良いのよ。ひとまず、先日仕入れた『慈愛』の聖女様をあてがってみるが良い。世間ずれしてない純心な田舎の処女おとめなど、いかにも奴が好きそうだ」


「先人の知恵というものはありがたいですな。神の思し召しか、勇者ある所に聖女も現れる」


「剣には鞘という訳だな。さらに色好みなら、騎士共からお堅い戦乙女などを取り寄せても良い。ガーランドに勇者の剣を取りに行かせるおりに、偶然な出会いを装って目合わせてやろう」


「然らば、これも天祐でございましょう。当代、『純潔』の騎士は『慈愛』の聖女様と浅からぬ仲と聞いております。仕込まずとも、仕向けるのみで十分かと」


「ふむ。確かそう報告にあったな。過去に『純潔』が聖女の村を助けた縁であったか」


「はい。やはり、御心は教皇様に味方をしておられるようだ。すでに聖女には、報酬代わりに村の賦役を免除してやり、奴隷堕ちした村人も幾人か解放してやりましたが――」


「それでも、すでにガーランドに渡った奴隷までは回収しておらぬ、か。――そのあたりを原理主義者経由で焚きつけてやればよかろうな。これは重畳、重畳」


「まことに」


 グロリア8世は気心の知れた執政官と、そう密かに笑いあった。

  

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