名前をつけよう 其の1


 あれからいつの間にかぐっすり眠っていたらしく、道満に起こされ、朝餉を食べるために寝殿まで行きお師匠様に挨拶をする。

 …朝食を運んでくれた人はやっぱりホラーだったけど、ご飯はとても美味しかったです。

 全員が食べ終わった頃にお師匠様が口を開いた。

「道満、お前はこのガキの名前をつけてやれ。まずはそこからだ。私は用事があって昼まで帰ってこないから頼んだそ」


 それだけ言うとお師匠様は昨日の夜と同様払い除ける動作で去れ、と伝える。


 なんで名前を道満に付けてもらわないといけないんだろう、と不思議に思って道満を見る。


「ああ、そういえば昨日のやつ会いたいか?」

 昨日のやつって私を転ばせたあの妖怪のこと…?

 昨晩の彼の冷えた目付きを思うと、ここで会わなければそのまま道満にその子が殺されてしまいそうな気がしてこくこくと頷いた。

「よし、ついて来い」


 立ち上がった道満は黒くて四角い靴を履きそのまま庭に出る。私はそのままその後に続く。

「お前、はきものはどうした?」

「わたしのぞうり、やまでころんだときに、どっかいっちゃった。でもふだんははかないから、 べつにだいじょうぶだよ、どうまんにいちゃん」


 庶民は貴族とは違い、基本的には靴は履かないのだが、あの時は山という足場の悪い場所に行くため草履を履いていた。

「…いやこれからはそういうのもひつようになると思うから、こんど買いにいくか。あと兄ちゃん呼びはやめろ」

「?なんで?めいわく…?」

 昨晩まで兄ちゃん呼びしても何も言われなかったのになんで急にそんな事を言うんだろう。


「あのな、これからおれたち『しゅじゅう』になるだろう?だったら兄ちゃん呼びはおかしいだろ…?」

 ああ、そういうことか。

「でも…おししょうさま、しゅじゅうは、どうまんにいちゃんのいうこときいて、ささえることっていってたよ?」

「あー…まあそうだな」

「それって、きょうだいってことでしょ?」

「は?なんでそうなる!?」

「だってかあさんが、きょうだいはなかよく、ささえあいなさいって。いもうとには、うえのいうことよくききなさいって」

 それってきょうだいでしょ?と笑って見せれば道満は何度か目をぱちくりさせた後、困ったように微笑んだ。


「ったく、そういうことにしといてやるよ」

 すたすたと少し早足になった道満の背中を追う。

 ちらりと顔を覗きみれば照れくさそうに頬を掻いていた。


 うわぁっ…!道満が照れてる…!!レア顔!!拝んどこ…!!

「あんま見んな、なんか腹立つ」

「ぶふっ…!」


 道満の照れた顔はゲームでもめったに見られなくてついついガン見していたところ、私よりも少し大きな手で顔面を塞がれる。

 …これ以上やったら怒られるかもしれないし、やめておこう。

 抵抗しない私を一瞥し、無言で歩く彼に大人しく着いていく。


「着いたぞ」

 屋敷の庭は山の麓と繋がっているらしく、木の枝に私を転ばせた小妖怪が吊り下げてあった。

「え、かわいそう…」

「かわいそうってお前な…。まあいい。お前こいつをどうしたいんだ?」

「じゃあまずおろしてもらってもいい…?」


 道満は近くにいたほかの小妖怪に命じて、地面に降ろさせた。目線を近づけるためにしゃがんでみせると、小妖怪が怯えたように身じろぎする。


 こういう態度に見覚えがある。小学生の頃、同じクラスに転校してきた子が気になって、ついからかうような言葉をかけてしまい先生に叱られ、気まずそうにしていた同じクラスの男の子。

 きっとこの子もそんな感じで私にちょっかいをかけたのだろう。


「きみはきっと、わるぎがあっていじわるしたわけじゃないんだよね?」

 出来るだけ優しく問いかけてみれば、丸い緑色の瞳には溢れんばかりの涙を溜めて何度も頷く。

「なら、わたしのことがきになって、あんなことしたの?」

 これにも肯定するように頷く。

「…お前、こいつをどうするのか決まったか?」

「うん、おともだちになりたい」


 私の発言に道満はもちろん、小妖怪たち全員がありえないという顔付きで私を見つめる。

「わるぎがなくてそういうちょっかいかけるのって、たぶんなかよくなりたいっていみだとおもう」

「だからってお前…。きのうのことはなかったことにするのかよ?」

 うーん、それを言われるとちょっともやっとする。だけど…。

「なかったことにはできないかもしれないけど、これからなかよくなれるとおもうんだ」


 転校してきた子とちょっかいを出した彼はあれ以来仲良くなり、社会人になった今でも親友と呼べる関係にあるというのを、私は知っている。

「…はぁ。そいつをそばにおきたいなら一ついいほうほうがある」

「ほんと!?」

「ああ。こいつをお前の式にしろ」

「しき…?」

「術師とけいやくした妖怪のことだ。これが神や神のけんぞく…神のぶかとかなら式神という」

「けいやく…ってどうするの?」

「けいやくの主になるお前の血をそいつにあたえるんだ。そして名まえをよんでたましいごとしばるんだ」

 血の中の霊力と名前による支配で魂を縛る、そう道満は言っている。


「…べつにしばりたいわけじゃないんだけど?」

「本来ならこいつはころされてもおかしくはない。だが生かすとあればそれなりのせいやくが必要となる」

「そっかあ…。ごめんね、きみのことじゆうにしてあげたかったけど、そのままはむずかしんだって」

 きゅうー、としょんぼりしつつ擦り寄ってくる姿に安堵した。

 良かった、嫌われてはないみたい。


「どうまんにいちゃん、ちってすこしでもいいの?」

「ああ、もんだいない」

 ひじに出来ているかさぶたを引っかくと血が滲んでくる。


「もし…きみがいやじゃなかったら、わたしのしきになってくれる…?」


 血が出てきているひじを差し出してみると、恐る恐るぺろり、またぺろりと舐めてくる。

 これは受け入れてくれるということでいいんだよね…。

「よし、つぎは名まえだな。名まえを付けてけいやくかんりょうだ」

 道満の言葉に頷き、小妖怪を観察してみる。


 ペット化されたカワウソぐらいのサイズ。白を基調とした短い毛並みと背中と首周り、足先と尾先に灰色混じりの黒い毛が生えている。姿形はイタチのように長細いフォルムに、狐のような尖った大きな耳、そして長くて細い尾。

 まじまじと眺めてみても、やっぱり特徴的なのは丸くて澄んだ緑色の瞳だった。


「こいつはおそらく、いろいろないきものがまじった妖怪だろう」

 隣で分析している道満もじっと小妖怪を見つめていた。


「あのね、このこのなまえ…ひすいっていうのはどうかな?めのいろがね、きれいなみどりいろだなぁっておもって…」

 この子は前世で本とかネットで見た翡翠の石を思い出させるほど綺麗な瞳を持っている。

「うん、いいと思うぜ。そういう石とかにはたいまのこうかがあるからな」

「たいま…?」

「悪いものをしりぞけるって意味だ。んで?かんじんのお前はひすいって名まえで良いのか?」


 道満が問うと、その視線の小妖怪はきゅうきゅうと機嫌よさげに私の足元に擦り寄ってきた。

「きにいってくれたみたい…!!」

 擦り寄ってきてくれたことが嬉しくて道満にやったぁと報告すれば髪の毛をわしゃわしゃと撫でられる。

 それに気を取られていると、翡翠が膝の上に乗って私の頬をぺろぺろ舐めてきた。

「えへへっ、これからよろしくね、ひすい!」

「きゅいっ」


翡翠が返事をすると、おでこがじんわりと熱を持ち、左右対称の淡いオレンジ色の紋様が浮かび上がる。

「え、なに…?どうまんにいちゃん…ひすいだいじょうぶなの…!!?」

 不安になって道満を見つめると、にっこりと微笑まれた。

「だいじょうぶだ。これはけいやくしたときに出るしるし、けいやくいんだ。けいやくいんは一人一人もようが違うんだ。だからこれがひすいが『おまえの式だ』っていうあかしになる」

 翡翠に何かあったわけじゃないと分かり、安堵の息を漏らした。


「よかったぁ…!」

 ぎゅうぎゅうと抱きつけばくぅーと少し苦しそうな声で鳴かれた。


「じゃれあってるとこ悪いけどよ、こんどはお前の名まえのばんだからな?」


「…あ」


 そういえばそうだった。

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