鋼鉄ゴーレムと湿り気魔術師

ジーコ

砂に埋もれた鉄片





 真夜中のディバスタ砂漠はよく冷える。

 周辺にも遮る物が無く、昼間大地に照り付けていた太陽光の熱があっという間に奪われ、日付も変わらない内に極寒の地と化す。

 昼夜の気温差は凄まじく、それこそ夏と冬を行き来しているかの様に変化が激しい。

 今宵もまた、砂漠は月光に照らされ白銀に輝いていた。


 寒冷期の様に冷気が立ち込める死の大地のど真ん中を歩く人影が一つ。

 分厚い防寒具を身に纏った彼女は、吹き荒れる乾いた風を肩で裂く様に真っ直ぐ歩を進めていく。


「うぅ、寒いなぁ……」


 ここ最近、砂漠に吹き荒れる風が強くなっている様な気がする。

 時間帯によって帯びる色を変える乾風は、数ヶ月前よりも更に激しく、大きく、鋭く吹き、この地に棲まう者全てを苦しめている。

 それは彼女も同じだった。

 魔物の革で拵えた防寒着を何重にも重ねなければ耐え切れない程の寒さ、そして風に徐々に体力を蝕まれている。

 出来るだけ早く、家に帰り着きたい。

 その一心で彼女は帰路を急いでいた。


「…………あれ」


 小高い丘陵を越えた所で、ふと彼女は丘の麓で砂に埋れかけている旅人の死体を発見した。

 追い剥ぎにでも遭ったのだろうか、衣服こそ残っているが荷物は全て無くなっている。


 この砂漠で誰かが行き倒れる事など日常茶飯事だ。

 厳しい環境、それに適応した屈強な魔物。

 天地双方から襲い掛かる脅威の前に人は無力で、一昔前には高名な冒険者のパーティが砂漠の魔物に襲われ全滅したという記録も残っている。


 可哀想に。


 亡骸に哀れみの視線を向けていたその時、不意に死体の肩がピクリと動いた。


「えっ、嘘……生きてる……」


 思わず彼女は死体、いや、遭難者の側へ駆け寄り、身体を仰向けにさせて首元に指先で触れた。

 呼吸は浅いが脈も安定しており、目立った外傷も無い。


「…………気、失ってるのかな」

 

 彼女は首を上げ、辺りを見渡す。魔物の姿や気配は無い。

 気を失った人間をこの砂漠のど真ん中で放置する事は、腹を空かせた魔物へ餌をやる事と同じだ。

 流石の彼女も人が死ぬ様を知らぬ振りで無視出来る様な、血も涙も無い悪魔ではない。

 目が覚めるまでなら匿っても良い筈だ。


「うぅ、重いな……」


 彼女は荷物を乗せた手車の上に遭難者を載せると、それを引いて砂丘の向こう側へ消えていった。




~~~~~~~~~~~~




 

 良い匂いだ。

 木材と乾いた紙、そして微かな薬品の甘い香り。

 久方振りに嗅ぐそれに引き揚げられる様な形で、彼は目を覚ました。


「……んっ」


 重い瞼を開けると、彼は自分が見知らぬ民家のベッドに寝ている事に気が付いた。

 上半身を上げ、辺りの様子を見渡した。


 純白のベッドは窓際に設置されており、その向こう側には青々と茂る緑と湖が見える。

 部屋を四方で囲む棚には、怪しげな薬品や物品が詰められた瓶が陳列され、机の上には何十冊もの分厚い本が絶妙なバランスで積み重なっている。

 壁には奇怪な模様が精密に描かれた大きな紙が貼られており、その周りを大量のメモ用紙が囲っていた。

 家主は学者か何かなのだろうか。

 少なくとも農家や職人の家の内装ではない。


「此処は……」


 何も分からないままベッドを這い出て、棚に並ぶ瓶のラベルまで注意深く観察していると、不意に机の向こう側の扉が開いた。

 その隙間から姿を現したのは、巨大な帽子に目元を隠した一人の女性だった。


「あっ、えっと……起きたんだ。その、怪我も無くて安心したよ……」


彼女が帽子を外すと、その素顔が明らかになった。

 整った美貌はやや不安げな色に染まり、眉毛はハの形で固定されている。

 透き通る様な琥珀色の瞳は決して此方へは向かず、毛量の多い群青の髪は整えていないのか背中を覆い尽くす程伸びている。

 年齢は二十代前半くらいだろうか。 

 

 どうやら水汲みに行っていたらしい、この近くにオアシスでもあるのだろうか。


「やっぱりさっき飲ませた薬が……効いたみたいだね」


 彼女は木桶の中を満たした水を水瓶に移しながら、尋ねた。


「君ね、砂漠のど真ん中で倒れてたんだよ……覚えてる?」

「えっ……」


 その時、彼は自分の意識が砂漠で力尽きた所で途切れていた事に気が付いた。

 照り付ける様な日光に体力を奪われ、魔物の脅威に常時晒され安寧の時間も無く、ひたすら休まずに歩き続けるしか無い。

 ディバスタ砂漠に足を踏み入れて四日目、遂に動けなくなった彼は地面に伏し、意識を手放したのだった。


「……はい、覚えています」

「そっか。記憶も飛んでなくて良かった……」


 女性は台所に置かれていた籠の中から平たいパンを数個取り出すと、それを平皿の上に載せて、コップと共に此方へ持って来た。


「お、お腹空いてるよね……ご飯、食べる?」

「その丸いパンは一体?」

「これはね……セコっていう平焼きパンだよ。普通のよりも味は悪いけど、とっても長持ちするんだ……ほら、座って良いよぉ」


 彼は女性からの催促を受けて、テーブルを囲む質素な椅子に腰掛けた。その向こう側に彼女が座り、正面から向かい合う。


「……初めて見る食べ物ですね」

「うん、そりゃあこれ、冒険者向けの携帯食料だから……知らないのも無理無いかもね」


 目の前に置かれた皿に盛られたセコを手に取ると、彼は水を少しだけ口に含んだ後に齧り付いた。

 保存に適しているという話の通り、生地に水分は無く、まるで土の塊をそのまま食べている様な食感だ。

 微量の砂糖が入っているのか仄かに甘く、乾き切った肉体に糖分が染み渡っていく様で手が止まらない。

 その姿をどこか遠い目で眺めながら、彼女は口を開いた。


「えっとね……私、ケヴィエンっていうの。キミは?」

「……ファレットです。西の国から来ました」

「あら、あっちから来たんだ……」


 ファレットと名乗った男は凄まじい勢いでセコを平らげていく。


「あー、ゆっくり食べないと……戻しちゃうよー」

「戻しませんよ、どうせ」

「え、えぇ……?」


 その言葉にケヴィエンは困惑していたが、一切苦しげな様子を見せずに次々とセコを口へ運んでいくファレットの様子に彼女は気圧される。

 彼は数分の内にセコを食べ切ると、深く息を吐いた。


「ふぅ……ご馳走様でした。ありがとうございます、貴重な食料を態々」

「いやぁ、いいんだよ……。どうせ一人じゃ食べ切れない量だったから」


 ケヴィエンはボサボサの青髪を揺らして、空いた皿を流し台の方へ持って行った。

 その背中を眺めながら、ふとファレットは疑問を口にした。


「……聞かないんですか? 俺が何でこの砂漠を一人で横断してたか」


 ディバスタ砂漠は単身、かつ徒歩で横断出来る程安全な場所ではない。

 『灼ける凍砂』とも呼ばれる程厳しい寒暖差に、他地域に流れ出れば確実に生態系を壊してしまう程強力な魔物。

 そんな場所に単身で足を踏み入れるなど、自殺行為に等しいのだ。

 

 それ程無茶な事をするならば、相応の理由が必ずある。

 ケヴィエンもその事に勘付いている筈だ。

 彼女は顎に手を置いて暫し考えた後に、振り向いて幸薄そうな笑みを浮かべた。


「そんなに言うんだったら、知りたくなってきちゃったな……教えてくれる?」

「別にそういう意味で言った訳じゃ……まぁ、いいか」


 ファレットは机の上に置いてあった岩石を手に取って掌で弄りながら、ポツリポツリと答え始めた。


「俺、行かないといけない場所があるんです。その場所へ行こうとして、砂漠を渡ったんですけど、途中で動けなくなって。ケヴィエンさんに助けて貰わなかったら今頃、砂の中か魔物の口の中でした」

「ふへへへ……良かったねぇ。因みに、その場所っていうのはドコなの?」

「白銀の街、ラドリーロです」

「へっ、ラドリーロぉ!?」

 

 ラドリーロとはこの広大な大陸の最西端に位置する都市で、王都に負けず劣らず美しい街並みで有名だ。

 彫刻品の様に美しく整った建築物と豊かな自然が寄り添う事によって実現した、美と堅牢さ双方に特化した街は遥か古来より戦火から人民を守ってきた。

 故に歴史的建造物や高価な骨董品も多く、街自体の歴史も長いのだ。


「ラドリーロなんて、此処から歩きだけなら半年は掛かるよぉ!? またまた、何でそんな所に……」

「約束なんです」

「約束?」


 鸚鵡返しに尋ねたケヴィエンの言葉に、ファレットは力強く頷いた。


「俺がラドリーロまで行って、綺麗な風景を見せるって約束したんです」

「えっ……でも、映写機とか無いよ? それに画材も……」

「要らないんです。俺の場合は」


 ファレットは着ていた革鎧の袖を巻くって傷一つ無い上腕を露出させると、何回か手首を曲げて頻りに首を傾げた。

 すると次の瞬間、


「おっ、よし来た」

「…………へっ?」


彼の掌に、色鮮やかな花畑の画像が浮かび上がった。

 『いつか見た望郷』、それがこの魔術に与えられた名前だ。

 術者の記憶の底に眠る風景や人の顔などの記憶を呼び覚まし、それを可視化させるという物で、消費する魔力も少ない事から比較的初心者にも扱い易い魔術として親しまれている。


 何の変哲も無い簡単な魔法。

 そんな物如きにケヴィエンが目を奪われたのは、間違い無く魔術を杖という媒体無しに発動させたからだろう。


 基本的に魔術の発動には媒体が必要だ。

 最たる物として挙げられるのはやはり杖、これが無ければ魔術師は魔術師に足り得ない筈だ。

 しかしファレットはそれらしき物を持っている様子は無い。

 一体どの様にして魔術を発動させたのだろうか。


「……気になりますか? どうやって魔術を発動させたのか」

「うん……気になる」


 率直に返答すると、彼は静かに笑いながら右手首を回した。


「実は俺の手首には、短く切り取られた杖が骨の代わりに移植されてるんです。こうやって手首を動かす事で杖に魔力を流し込んで……ホラ、この通り」


再び発動された『懐かしき望郷』には、可愛らしい少女の満面の笑顔が映し出されていた。

 ケヴィエンはそれをまじまじと見て、ゴクリと喉を鳴らした。


「……凄い。手首に杖を埋め込むなんて……」

「これ、創造主が俺達の為に考えて設計してくれたんです。態々杖を持つ時に邪魔にならない様にって」

「……創造主?」

「はい。俺を作ってくれた、掛け替えの無い恩人ですよ」

「………えっ」


 彼は左手に持っていた白濁色の岩石を白い歯で挟み込むと、顎に力を入れて噛み付いた。

 その瞬間、バリバリという嫌な音と共に岩石が砕け散った。

 鋼鉄はおろか石ころよりも遥かに柔らかい筈の、人間の前歯によって。


 ファレットは噛み砕いた岩石を頬張りながら、微笑んだ。


「そういえば言ってませんでしたね。俺は魔人兵(ゴーレム)、魔力で動く鉄人形です」


その顔は作り物などではなく、明らかに人間のそれだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鋼鉄ゴーレムと湿り気魔術師 ジーコ @HIROFUJI_jiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ