Mother’s story

長谷 旬

episode.1



「ねぇ、早く続き聴かせてよ〜」

「もう、悟は本当にこのお話が好きなのね」


 彼女はそう言って膝の上に座るまだ幼い少年の頭を優しく撫でた。

 それに答える様に少年は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「うん! お母さんのお話、すっごい面白いんだもん!」

「そう……。面白い……か……」


 寂しそうに呟いた彼女の顔を自分は良く知っていた。

 この話を聞かせてくれる時は決まって彼女はその表情を浮かべるのだ。

 そして、その顔を見せたと思うと、最後に自分の名前を呼んだのをよく覚えている。


 その光景は次第に薄れ、気がつくと自分の目の前にはいつもの天井が見えていた。


「……朝か」


目が覚めた俺は重い腰を持ち上げて、窓に掛かるカーテンを勢いよく開いた。そこから入る朝日は俺にいつもの朝を告げているように思えた。

 朝日に当てられながら、さっきまで見ていた夢を思い出す。


「……あれ? さっき見てた夢……。どんなのだったっけ……」


 夢を忘れるなんて事はよくある話だ。


 いつもならしょうがないで終わらせていたが、今回はどうしても気になって仕方がなかったのだ。

 必死に脳内を巡らせている刹那、勢いよく扉が開いた。


「おはよー、さっちゃん!」


 そう言って俺に勢いよく抱き付いてきたのは、三歳になったばかりの俺の従妹、美咲だった。


「美咲、おはよう。いつも起こしに来てくれてありがとな。でも今日はちゃんと起きてただろ?」

「んー、さっちゃんをおこすのはミサキのやくめなんだよー」


 そう言って無邪気に怒った美咲。

 そんな彼女を宥めながら俺たちは居間へと降りると、そこには朝食を食べている叔父と、俺の分の朝食を並べる叔母のいつもの姿があった。


「おはよう、悟。今日、終業式だったよな。明日から夏休みなんて、羨ましいなー」

「おはよう、悟くん。今日も美咲に起こしてもらったの? もう高校二年生なんだからちゃんと一人で起きれるようになさいね」


 いつもと変わらずの対応で告げてくる二人に俺も返事を返す。


「夏休みなんて言っても、ほとんど店の手伝いをするんだから休みの気分しないよ、健三叔父さん。美由紀叔母さんも、今日はちゃんと美咲が来る前に起きたんだからそんな事言わないでくれるかな」

「大事な高二の夏なんだから、青春を謳歌しても良いんだぞ」

「美咲が行くよりも先に起きたの⁉︎ 珍しい事もあるのね〜」

「さっちゃんはミサキがおこすのー」


 そんな美咲以外は至って変わらないいつもの風景だった。これが今の俺の日常だ。


 俺、内海悟は小学三年、当時八歳だった時に女手一つで俺を育ててくれた母を交通事故で亡くし、それからは母の弟であった、叔父、相田健三に引き取られた。叔父は祖父の代から続くラーメン屋『相田商店』で働いている。


 俺もそんな叔父に引き取られたという事もあり、高校に入ってからは店の手伝いをして、少しでも俺を育ててくれた恩を返せるようにと働いていたのだ。


 俺が中学生の時に二人の間に生まれた相田家の長女が美咲だ。彼女が幼い時から俺は美咲を妹の様に接していて、そんな彼女も俺を『さっちゃん』と呼んで、兄の様にしたってくれている。

 

 俺はそんな優しい家族のおかげもあって、ここまで育つ事が出来た。

 母を亡くしてすぐの頃は、ずっと寂しくて一人でふさぎ込んでいた時期もあったが、今は何不自由なく生活できている。


 そんな俺はいつも通り朝食を平らげると、夏休み前、最後の登校となった学校へと向かった。

 

 代わり映えのしないいつもの町並みを歩いていく。

 周りには高い建物は一つもなく、田んぼや直ぐ近くには山もあって、とてものどかで平穏な町だ。


 母が生きていた時は東京に住んでいた事もあり、それと比べると本当にど田舎だ。だけど、この町並みは自分を優しく包み込んでくれる様でとても気に入っていた。


「おはよう、さとちゃん。今日も美咲ちゃんに起こしてもらった?」


 そう言って俺を『さとちゃん』と呼んだのは、中学の頃から付き合っている俺の彼女、笹木鈴華だ。

 

 彼女は、俺と同じ高校に通い、家も近いことからいつも二人で登下校をしている。

 鈴華は清楚な見た目で、それでいて可愛く、人当たりも良い性格なので、地味な俺なんかには本当にもったいない彼女だ。


「おはよう、鈴華。お前までそんなこと言うのかよ……。今日は珍しく一人で起きたよ」

「えっ⁉︎ 本当? 凄い! 立派だよさとちゃん! ……って、良い歳にもなって、それが普通だよ! まったく……。でも、どうかしたの? 寝坊上等のさとちゃんが一人で起きるなんて。なにかあった?」

「なんだよその決まり文句は……。まあ、今日は珍しく夢を見てな……」

「……夢?」


 俺の言葉に不思議そうな顔を向ける彼女に俺は話を続けた。


「……そう。夢と言うか、思い出みたいな感じだったと思うんだけど……。俺が小さい時の……。ダメだ、思い出せない……」


 俺はその夢の内容を語ろうとしたが、やはり記憶が薄っすらとして思い出す事が出来なかった。


「今朝の夢も思い出せない様じゃ今日の約束もまさか忘れちゃってる? 今晩、皆んなで天体観測するって約束。昨日は大雨だったけど晴れて良かったよね」

「ああ、ちゃんと覚えてるよ。なんでも数十年に一度見える流星群の観測だったよな」


 今日は前から話題に上がっていた、流星群を観測する為、夜にクラスの皆んなで観に行こうと約束していた日なのだ。


「そう! 私、流星群なんて初めて見るから本当に楽しみ! どんなお願い事しようかなー」

「お願い事って……。子供じゃある前し」

「あー、なに? 未だに一人で起きれないさとちゃんには言われたくないんですけどー」


 俺と鈴華はそんなたわいもない話をしながら、学校へと向かった。


 程なくして学校に到着し教室に入ると、案の定今日の天体観測の話で持ちきりだった。

 その中でも一番はしゃいでいると思われるクラスメイトの一人が俺と鈴華に気付き駆け寄ってきた。


「おはよう、笹木さん! あと、内海も……。今日、裏山で予定通り星見に行くからな! 時間は十九時に裏山の入り口に集合! 暗いから懐中電灯とかあると良いかも! まあ皆んなスマホのライト使うと思うんだけどさ」


 そう懇切丁寧に伝えてきたのは、クラス委員長の富岡だ。この天体観測も彼が発案したものだ。そんな彼は俺の肩に腕を回して俺だけに聞こえる様にひっそりと声を掛けた。


「おい、本当に頼むぜ。内海が来ないとクラスのマドンナである笹木さんが来てくれないからな。そうなったら今日来る男子ども、プラス俺がやる気無くしちまうよ……」


 どうやら、俺は鈴華のおまけとして呼ばれているらしい。


「わかった、わかったから。絶対行よ。だからその手どけてくれ」


 そう素っ気なく返すと、富岡は不機嫌な態度になって言った。


「本当になんでお前なんかが笹木さんと付き合えんだよ。はー、俺がお前より笹木さんと早く出会ってたらなー」


 そんな捨て台詞を残し、富岡は次のグループへと行ってしまった。


 鈴華と付き合って四年が経つが、そんなことはしょっちゅうで、俺ももう慣れたものだ。

 

 クラスの中での俺の立ち位置は中の中。これといって仲のいい友達もいないが、いじめられている訳でもない。俺はただただ平穏に学校生活を送っている。

 唯一、鈴華と付き合っていることで、こういうイベントごとにはセットで呼ばれる。きっと鈴華が俺の彼女では無かったら、こんなイベントにも声を掛けられていないだろう。


「ごめんね、さとちゃん。私のせいでいつも付き合わせちゃって……」

「ああ、気にしないでくれ。俺もせっかくだから皆んなと仲良くなれる様に努めるさ」




 その日は一学期の終わりという事もあり、校長の有難い話を聞き、成績表を受け取ると午後にはもう放課となった。

 

 鈴華と帰っている時の事、彼女はとても機嫌良く俺に話した。


「今年の夏休みは色んな事しようよ! 海に行ったり、お祭り行ったり、花火見たり! あっ! 二人で旅行にも行きたいね!」

「海や祭りなら去年も行ったろ。少しは勉強の事も考えたら」

「高二のさとちゃんと過ごせる夏は一度きりだよ! それに私、さとちゃんよりも成績良いもん! さとちゃんこそ勉強もう少し頑張りなよ」

「俺は進学しないから良いんだよ。まあ、店の手伝いない時は付き合ってあげるよ」

「本当⁉︎ やったー! とりあえず今日は天体観測だからね! 時間なったら家まで迎えに行くから忘れないでよ!」


 そんな会話を終えた俺たちはそれぞれの家へと別れた。


 自分の家の玄関まで到着した俺は、いつもなら「ただいまー」と言葉を掛けて扉を開くが、今日に限っては黙って扉を開いた。

 物音を立てない様にそっと廊下を歩くと、突如背後に何かを感じ取ったのだった。


「お帰り、悟くん」


 そう言って不敵な笑みを向けていたのはまごう事なき叔母の美由紀さんだった。

 

 どうして叔母がこの笑みを浮かべているか俺には分かっていた。

 

 そんな叔母にもう逃げる事を諦め、彼女が今一番欲しているとす通知表を手渡したのだった。


「相変わらずの成績よね……。数学だけは良いんだけど、他は平均よりちょい下くらいかしら……。悟くん、もう少し頑張らないと大学には行けないわよ」


 そう母親の様に告げてくる叔母。その言葉に仕事休憩から戻ってきた叔父も言った。


「手伝いも有難いけど、勉強をおろそかされちゃ困るなー。悟が大学に行けなかったら、俺が天国にる姉さんに怒られちまうよ」


 そんな二人の言葉が鬱陶しく思い俺は苛立った。


「俺の人生なんだから別に良いだろ」


 素っ気無い態度でそう言い残した俺は二階にある自室へと向かった。

 

 叔父や叔母は俺を大学へと行かせたいらしいが、俺は違った。

 

 これ以上は叔父さん達に負担を掛けさせたくない。

 俺は店を継がないにしろ、この家を出て働こうと考えていた。


 叔父達は本当の両親の様に俺のことを思って言ってくれているのは分かるが、その行為にこれ以上は甘えたくない。


 俺は自分のベットに倒れこみ、気付くと眠りについていた。




 しばらくして、俺は腹部に感じる衝撃と共に目を覚ました。

 俺はその衝撃の正体を探るため痛みが残る腹部へと目を向けると、そこには満面の笑みを浮かべていた美咲の姿があった。


「……いつも言ってるけど、寝ている人に飛びついちゃダメでしょうが……」

「さっちゃん、おきたー! みさきがおこしたんだよー」


 朝起こせなかった腹いせか、美咲は満足そうにはしゃいだ。


 そんな彼女に、「分かったから、ちょっとどいてくれよ」と力無く訴える俺。すると、美咲が何かを手にしている事に気づいた。


「美咲、何持ってるんだ?」


 そう彼女に問うと、彼女は一度小首を傾げて言う。




「これさっちゃんにあげるー」




 そう言って美咲は俺の部屋からそそくさと出て行ってしまった。

 美咲から手渡された物、それは一冊のノートだった。





「『未来のあなたへ』……」






 そう書かれたノートの表紙を読み上げる俺は、そのノートをパラパラとめくり、書いてある文章に目を通した。


「これって……」


 美咲から手渡されたそのノートにはとある物語が綴られていたのだ。



 内容は未来からきた少年と出会った、一人の少女の物語。

 

 俺はその物語を読み進めていくと、ある事に気付いた。

 それは幼い頃に母から聞かされていた物語で、今朝見た夢の事を思い出したのだった。

 

 その懐かしさに浸っていると、物語はなんとも中途半端なところで終わってしまった。

 だけど、俺はこの続きを知っている様な気がする。母はこの続きも語っていた気がする。


 俺は曖昧な記憶を必死に思い出そうと奮闘したが、どうにもその先が思い出せなかった。


 この続きは母さんしか分からないのかも……。


「悟くん! 鈴華ちゃん来たよー」


 その呼びかけに、俺はすっかり忘れてた約束思い出した。

 急いで支度をして、部屋を後にしたのだった。

 

 その時にはもうあのノートの物語の事は頭から離れていた。




「もう、遅いよ! さとちゃん!」


 そう怒って告げる鈴華に俺は、「ごめん」と一言だけ謝り、俺たちは天体観測をするため裏山へと向かったのだった。




 約束通り裏山の入り口に到着すると、天体観測に参加するクラスの連中が既に集合していた。


「お二人さん遅いっての! もう〜、心配したじゃないか〜」


 そう言って俺に嬉しそうに声を掛けてきた富岡。

 

 まあ分かってはいるが、これは俺の心配じゃなくて鈴華が来ない心配だ。

 俺はそんな相変わらずの反応をした富岡に「ああ、すまんすまん」と適当にあしらった後、裏山へと登り始めた。


 

 時刻は十九時過ぎ。空はまだ日が落ちきっていないからか、遠くの空はほんのりと赤らんでいた。


 裏山に登る道中は木々が生い茂っていて、足元には明かりが差し込んで来ない事と昨日雨が降った事から地面は少しぬかるんでいる状況であった。その為、何人かは持っていた自分のスマホで足元を照らしゆっくりと進む。俺もその一人だ。



 しばらく登り続けると、その山で一番見晴らしがいい場所へとたどり着いた。

そこは高い木もさほど無く、上を見上げると一面に夜空を眺められる絶好なスポットだ。

 俺たちはそこで各々寛ぎ始め、自分の定位置を確立する。

 俺は集団から少し離れた場所に陣を取り座ろうとすると、鈴華が近寄ってきて自分のバックから小さいビニールシートを取り出し地面に広げ始めた。


「皆んなと一緒じゃ無くて良いのか?」

「こういうのは誰と一緒に見るかが大事なの。だから私はここが良い」


 そう言った彼女に俺は気を使わせてしまったと少し反省をするも、俺達は並んで夜空を見上げた。

 

 昨日雨が降っていたせいか、今日は雲もなく澄んだ星空が俺たちの視界を覆い尽くす。




「綺麗だね……」




 そう呟く彼女に「そうだな」と心無く答える。

 

 俺はロマンチックな景色は嫌いでもないが、今見ている星空はいつも家で見ている物とさほど変わらなく、別にこれと言って凄い衝撃を受けたわけではなかった。




 誰と見るか……か。




 さっき彼女からが言われた言葉が少し心に引っかかった。




 星空を眺める事、数十分。皆んなが待ちに待った流星群が始まった。

 さっきまで代わり映えのしなかった星空に星の雨がいくつも飛び交う。


 そんな星空を眺めているクラスメイト達は口々に「キレイ……」と言葉を漏らしていた。

 その中では流れ星に願い事をする女子の姿もあった。隣に座っていた鈴華もその一人だった。


 良い年にもなって、流れ星に願い事なんて……。


 そう冷めた気持ちでいると、俺のそんな様子に勘付いたのか鈴華は頬を膨らませた。



「なに? また良い歳して子供みたいって思ってたんでしょ!」

「別にー。俺はこんな事に一生懸命で可愛いなって思っただけだよ」

「それ、馬鹿にしてるじゃん! こんな事って……。後でやっぱりお願い事しとけば良かったって泣き付いても知らないから!」


 そう言った彼女は膨れっ面のままそっぽ向いてしまった。

 

 そんな彼女を宥めている間にどうやら流星群は終わってしまった様だ。



「皆んなー。流星群も終わったみたいだし、そろそろ帰るとしよう。ゴミは各々責任持って持って帰ってくれ。忘れ物のない様に気を付けるんだぞ!」



 そう学級委員長の富岡が告げると、皆んなは下山の準備を始めた。

 

 夜道を下山するという事もあり、俺はポケットからスマホを取り出しライトを照らした。



 皆んなで山を降り、最初の集合場所までたどり着くと俺はある事に気付いた。


 

 あれ……、ない……。



 俺が探していたのは、いつもポケットにしまっていた母の形見である『お守り』だった。その『お守り』は母が死ぬ直前まで大事に持っていたもので、母の遺品から俺が預かったのである。


 俺はその『お守り』をいつだって形見離さず持っていた。


 今日も急いでいたが、そのお守りはちゃんと持ってきたはずだった。

 どうやら帰る道、スマホを取り出す時に落としてしまったようだ。


 俺はそう思い、裏山へと引き返す事にした。その時、鈴華は「私も一緒に探すよ」と言ってくれたが、今日のこの会で俺につきっきりだった彼女に少しでも友達といる時間も作ってあげたいと思い、俺は一人暗い裏山へ引き返したのだった。



 スマホのライトを頼りに、俺はさっきまで星空を眺めていた付近まで戻ってきた。


 確かこの辺りでスマホを取り出したっけ……。


 そう思い、俺は暗い山道を必死に探した。



 しばらく探し続けていると、丁度崖に面した所に少し汚れた赤い小物が落ちているのに気が付いた。

 

 それは紛れもなく母の形見である『お守り』だった。


 元々年期の入った物だったが、湿った土の上に落ちた事もあって、その外見は汚れてしまっていた。

 何はともあれ、見つかって良かったと安堵する俺。その足で帰ろうとした時だった。



「えっ⁉︎」




 昨晩の雨で地盤が緩んでいたせいか、そこに足を取られ、俺が気付いた時には既に面していた崖から転げ落ちてしまっていた。





 俺はその時、人生の最後を悟った。

 

 



 崖から転がり落ち、視界に映る景色が目まぐるしく変わって行く。

 そんな中、一瞬だけ夜空に流れる星が俺の視界に映り込んだ。



『後でやっぱりお願い事しとけば良かったって泣き付いても知らないから!』


 

 さっき鈴華に言われた言葉が不意に頭に過ぎった。



 こんな事なら馬鹿にせず、願い事の一つでも願って置くべきだったかな……。



 そう思いながら、今見える流れ星に俺はある一つの願いをしたのだった。

 それは自分の生還でもなければ富名声なんてものでもない。何故か俺の頭にはふと今日見た夢の中で語る母の姿と、美咲から手渡されたあのノートの物語の事を思い出していた。








「あの物語の続き、知りたかったな……」









 そう思った瞬間、頭に強い衝撃を感じると同時に俺は意識を失ってしまった。














「……っと、だい……ぶ……」






 どのくらい目を瞑っていただろうか。


 俺はそんな自分の状況も分からなく、薄れる意識の中、何者かの声が聞こえている事に気が付いた。

 そんな声に意識を集中していると、次第にその声はハッキリと聞こえ、それが少女の声である事が分かったのだった。




「ちょっと、こんなとこで何してるの⁉︎ ねぇ、ちょっと生きてる? 死んでないよね? こういう時てどうしたら良いんだろう? 警察? 救急車? もうこんな事なら一人で来なきゃ良かった……。もう、早く目を開けてよ! ねぇってば!」




 まだハッキリとしない意識の中、焦った声色で俺に語り掛ける少女の声。

 そんな声に返事をしようと俺は重たく閉じた瞼をゆっくりと開いた。

 朝の日差しに照らされ、逆光気味に映る一人の少女の姿。



 誰だこの子……?



 そこに映った少女は俺よりも年が少し低くいような顔立ちで、黒く長い髪を後ろで二つ束ねるカントリースタイルの髪型をしていた。


 そんな彼女の顔からは焦りと共に透き通った目には少し潤みがかっているように見えた。



「あ、良かった! 生きてた! ねぇ、あなた大丈夫なの?」



 そんな心配そうに問いかける少女に応えようと身体を動かしたが、節々からくる痛みから思うように動かない。



「大、丈夫……。それより、ここは……」

「本当に大丈夫? 大人の人呼んでこようか?」

「いや、多分大した怪我じゃないから、少ししたら立てると思うし……」

「そう……。それなら良かった……。でも、こんな所に放って置くわけにもいかないし……」



 彼女が色々考えてくれていると、考えがまとまったのか、意を決した面持ちになり、徐ろに腕を俺の背中へと回し、肩を貸すように支えてくれた。


「この山降りたすぐの所に私の家があるから、そこまで何とか移動しよう」


 そう言って彼女は俺を抱えるようにして立ち上がらせた。


 いきなりの出来事とその現状にまだ何も整理が出来ていなかったが、とりあえずはその少女の好意に甘える事にしたのだった。




 少女の細い腕に支えられながら山を降る。


 どうやらここは昨夜天体観測した裏山で間違い無いだろう。

 崖から落ちた俺はそのまま気を失ってしまったようだ。


 スマホで助けを呼ぼうとも考えたが、どうやら崖から落ちた時に何処かへ落としてしまったみたいだ。代わりを務めるかのように俺の手には『母のお守り』が握られていた。


「そう言えばあなた、この辺りに住んでるの? 見ない顔だけど名前は?」


 俺を抱えながらにそう声を掛ける少女。


「俺は内海悟。一応小さい頃は東京に住んでたけど、ここ十年くらいはこの町に住んでるよ。今住んでる家も山降りた所にあるんだけど」


「内海……。聞かない苗字ね。でも東京暮らしなんて羨ましい! 私、東京に憧れてるんだー。もし私の家より近かったらそこまで運んであげるわ」


「ありがとう。で、君は? 君の名前」


「わたし? 私は七海。十四歳。中二だよ。山降りた直ぐの所にある学校に通ってるの」


「あ、じゃあもしかして須々木ノ中? 俺も通ってたよ!」

「そうなの⁉︎ じゃあ、もしかして先輩? あんまり歳上っぽく感じないけど。……それよりあんな所で何してたの?」

「……あはは。実は……」


 

 そう言って俺は昨日の出来事を彼女に話した。




「流星群? 昨日そんなのあったかしら……」


 

 そんな事を尋ねてきた彼女。


 割とニュースにも取り上げられていた事で、流星群は有名だと思うが、彼女が興味無かっただけだと、その時は思っていた。




 たわいもない話をていると、いつの間にか俺たちは山を下り終えていた。

 途中からは何となく見知ったルートになっていたので、今いる場所が昨日、皆んなで集合した場所である事はわかった。しかし、その場所には何処か違和感を感じていた。

 

 昨日は日も暮れていたからか、今は少し違って見えるのだろう。そう思い、それ以上は深く考えなかった。

 

 そんな俺達はそのまま町の方へと足を進めた。





 時刻はおそらく朝の九時頃だろう。

 その時間でも道を通る人は全くいなく、穏やかな町並みを彷彿とさせた。

 そんな町並みを横目に俺はある違和感に襲われていた。



 あれ? ここに確かコンビニってあったよな……?

 あれ? この通りって、ついこの間舗装されてなかったか……?

 あれ? ここって子供の頃潰れた駄菓子屋のはずなのに看板出てる……。



 そんな違和感に苛まれていた俺は少しづつ悪寒を感じていた。


 何だろうか。いつもの町のはずなのに何かが違う。よく知った町並みが、今見ているこの景色は少し新鮮に感じる……。




「ふー、やっと到着! ここ私の家なの。ここで少し休んで行って」


 そんな事を思っているうちに、どうやら彼女の自宅に到着したらしい。

 そして彼女に連れて来られたその場所を見て俺は驚愕した。




 ちょっと待ってくれよ……。ここって……。




 彼女が連れてきたのは、俺もよく知っていたが、何処となく古めかしい雰囲気を漂わせる叔父のラーメン屋だった。


 その叔父の店を指差して、彼女は確かに『自分の家』そう言ったのだ。

俺は訳もわからず呆けていたのも御構い無しに、彼女は俺の家でもある叔父さんの店の扉を開けた。


「お父ちゃん、ちょっと手伝って。この子怪我してるの」

「あぁ? ナナ、朝っぱらから大声出すんじゃねーよ! ん? どうしたんだその坊主は?」


 彼女がそう言って、呼び出したのは、中年の男性で厳格そうなおっさんだった。


 どう見てもそこは叔父のラーメン屋の店内だ。


 厳格そうなおっさんが立っているその位置にはいつもなら健三叔父さんの姿があるはずだった。




 本当に待ってくれ……。ここは俺の家で、健三叔父さんの店で、俺はこんなおっさんや俺を甲斐甲斐しく世話してくれている少女の事なんて知らない。




 相変わらずパニックに陥っている俺をよそに、少女とおっさんの話は進んでいた。


「この子……、悟くんって言うんだけど、裏山で倒れてたから連れてきたの。手当てしてあげるから、茶の間に移動させるの手伝って」

「裏山で倒れてただぁ? 大丈夫か坊主? って、お前なんか……」




 もう身体の事なんてどうでも良い。俺は今の状況について行けてない。即ち全然大丈夫じゃない!



 そう思っているのもつかの間、少女から言われるがままにおっさんは俺を抱え上げて、ひょいと裏の茶の間へと運んでくれたのだった。

 

 おっさんが運んでくれたその茶の間も、自分の良く知っている叔父の家そのものだった。


 間違いない……。ここは叔父さんの家だ……。じゃあ、健三叔父さんは一体どこに? 美由紀叔母さんは? 美咲は? この人たちは一体誰なんだ……。


 俺は何が起きているのか全く分からなかった。



「とりあえずナナに手当てしてもらうが、見た感じかなり弱ってそうだな……。坊主、名前教えろ。どうせこの辺りに住んでるんだろ? 親御さんも心配するだろから俺が連絡入れといてやるよ」



 俺の家は確かにここだ……。ここなんだ。ここのはずなのに……。でもどうして……。



 俺が未だに状況を整理できていないままに、とりあえずおっさんの質問に答えた。


「……内海、……悟です」

「……内海? そんな苗字の家この辺にあったか? おーい、咲子。ちょっと来てくれ」


 唖然とした表情を浮かべている俺をよそに、また誰かを呼んだおっさん。すると奥にある台所から一人の女性と幼い男の子が現れた。



「もうどうしたんだい、朝から騒がしいね。……おや?」



 小さい男の子を連れたその女性は俺の顔を見るなり不思議そうな顔を浮かべた。

 そんな彼女の姿を目にした俺は思わず口を開けたまま止まってしまった。なぜならそれは俺が幼くして事故で死んでからもう会えないと思っていた人の姿だったから。






「……か、母さん……?」






 かすかに漏らしたその言葉を周りにいた人達は一世に俺に目を向けた。


「なにぃ? 母さんだと! おい、咲子どう言うことだ! お、お前まさか隠し子……⁉︎」


 そんな事をおっさんが言ったと同時に、咲子という女性から勢いよく振り下ろされた右手がおっさんの頭に直撃する。


「イタッ!」

「あんた、滅多な事口にしてんじゃないよ!」

「いってぇー。おい、坊主! おめぇが変なこと言うから俺が殴られたじゃなねぇーか」

「す、すみません……」


 怒鳴り散らしてきたおっさんに反射的に謝ってしまった。


 

 もう何がどうなってるんだ……。ここは確かに俺の家で、そこには知らない少女や顔が怖いおっさん。それに母によく似た女性の存在。



 頭を悩ませている俺を見かねてか、七海が事の経緯を咲子という女性に説明してくれた。



「なるほどね、とりあえずここに来た事情は分かりました。とりあえずナナは直ぐに手当てしてあげな。あんたは店の準備があるだろ。この子の事は私とナナに任せて仕事に移んな」

「へ、へい……」


 そう言っておっさんと七海に指示する咲子さん。

 厳格そうなおっさんも彼女の前ではタジタジなようだ。





 それからしばらくして、俺は一通り手当てをしてもらい、痛みはまだあるが最初よりかはまだ動けるようになっていた。

 俺は手当てしてもらっている間に状況の整理に勤め、少し落ち着いてきていた。

 そんな様子を見た咲子さんが、俺と七海に声を掛けた。


「ナナはまだ朝ごはん食べてないでしょ? 悟くんもまだなんじゃない? 残り物だけど食べていきなさい」


 そう言って、俺と七海、咲子さんと三歳くらいの男の子で少し遅い朝食を囲んだ。


 朝食を食べている途中、質問攻めに合うかと思いきや、咲子さんと七海は何も聞かず、只々いつも通りかと思われる振る舞いで俺に接してくれた。


 こんな状況であるにも関わらず、その光景に自分はどこか安心していた。


 


 改めて自分の考えを整理する時間をもらった俺はこの状況に関して考えを巡らせた。


 まず、俺は昨日、裏山で天体観測を終えたの帰り道に『母のお守り』を落とした事に気付いて裏山へ一人で探しに戻った。

 その時に足を滑らせて崖から落ち、目が覚めるとそこは裏山で七海に助けてもらい二人で町へと降りたのだ。するといつも知っている町並みが、何処か違う新鮮ものに感じた。


 決定的なのは自分が居候させてもらっている叔父のラーメン屋が一晩にして、何故か七海の家になっていて、おっさんや咲子さん、三歳の男の子まで住んでいる状況に。


 そして、どことなく母の面影を感じる咲子さんの存在。そして、七海の名前……。


 ここまでの情報をまとめるとなんとなく今の状況が理解できた。そして一つの結論へと結びつく。


 だがその導き出された答えはあまりに非現実的すぎた。


 そんな事が起こるものだろうか。ドラマや映画の世界でしか聞いた事がない。


 そんな現実から目を背けるような言い訳ばかりを考えていたが、今起こっている事実を受け止めるしかない。そう思ったのだった。


 そうして俺は一つの結論を胸に秘め、目の前の現実へと立ち向かう決意を決めた。




「……落ち着いたみたいだね。じゃあ、悟くんのこと教えてくれるかな?」





 俺の様子を見て優しく声を掛けた咲子さん。


「すみません。自分の話しをする前に何点かお聞きしたい事があるのですが、いいでしょうか?」


「ええ、良いわよ。何から?」

「まず、皆さんのお名前を今一度教えてください」


「……名前? そうね、まだ自己紹介してなかったわね。私の名前は相田咲子。旧姓は堀北で、厨房で無愛想に開店前の準備してるのが私の旦那の相田光雄。あなたの隣に座っていてあなたをここまで運んでくれたのが長女の七海。そこで仮面ライダーの人形で遊んでいる三歳の男の子が長男の健三よ。他に家族は居ないはずだけど……。私があなたの母親であってたかしら?」



 そう言って意地悪気に微笑む咲子さん。



「いや、その事に関しましてはこちらの間違えでした。すみません」



 そういうと、咲子さんは「いえいえ」と笑顔で答えてくれた。




 この質問だけで、俺の現実離れした結論が決定的なものとなった。


 自分の名前は[内海悟]。[内海]は父方の姓で、母方の姓は[相田]である。現に叔父さんの名前は[相田健三]。先ほど紹介にあった、仮面ライダーのおもちゃで遊び、ヨダレをダラダラと垂らした坊ちゃんと同姓同名である。

 しまいには、俺が物心ついた時には既に無くなっていた婆ちゃん爺ちゃんの名前は[相田咲子]と[相田光雄]である。


 そして、俺の隣に座り、甲斐甲斐しくも、怪我した俺をここまで運んでくれ、手当てをしてくれた彼女の名前は[相田七海]。七海は俺が八歳の時に亡くなった母親と同じ名前だ。


 その彼女の母親である咲子さん(亡くなった婆ちゃんと同姓同名)は死んだ母親の面影があった。





 うん、これは紛れもなく、言い逃れもできないほどにあれだ。





 最後にこういう自体に陥った時のテンプレートな質問がある事を俺は知っている。

 これを聞けば一発で自分の置かれている状況がはっきりするのである。





「今って西暦何年の何月何日でしょうか?」




「今は1985年の七月三十日だけど」







 これではっきりした。


 そう、内海悟(十七歳)高校二年の夏、流星群を見に行ったあの日、ひょんなことから過去にタイムスリップしてしまったのである。


 自分が生きていた時代では五万という程、タイムスリップに関しての映画やドラマがあった。その数々のタイムスリップ物の映画やドラマを見てきたこの俺が、こう言った状況での一番大切な事、この世界での禁止実行を熟知していないはずがなかった。



 禁止事項その一。

[未来の事を他言してはならない]

 これによって元の世界に多大なる影響を及ぼす可能性がある。

 

今のところ平気かな……。自分、テンパってただけで、ほぼ話しなんてしてないし……。



 禁止事項その二。

[過去の自分と接触してはならない]

 これはドッペルゲンガー説にもあたるが、同じ時間軸に同時に同じ人間が存在する事があってはいけない。もしその状況が生まれた時、片方の存在が消えて無くなるとされている。

 

 まぁ、今回は自分が生まれていないのでこれに関しても問題ないだろ。




 禁止事項その三。

[自分と関係が深い人物への過度な接触はしてはならない]

 自分の親族なら尚更。それによって自分が存在しない未来へと改変される危険性が高い。


 うん……。分かってた。分かってたよ。


 これがはっきり言って一番自分にとって厄介な注意点だって事は。

でもさ、無理だよ。だって目が覚めたら目の前に既に母親(七海)がスタンバってたんだ。ゲーム起動した瞬間に即ゲームオーバーってどんなクソゲーかよって思うくらいにはもう詰んでた。




 あとの注意点としては過去に存在する人には極力接触しないようにって事にくらいだけど、これに関しては現状況ではクソ喰らえだ。

よって俺としては現在もうすでに禁止事項の一つに触れているわけで、やけくそな俺は個人の独断と偏見によって、これら全ての禁止事項を無効とする。










「実は俺……、未来から来ました」










「「……はぁ?」」






 突拍子も無い俺の発言から、咲子さん(婆ちゃん)と七海(母さん)は呆気に取られ口をポカンと開けていた。



「驚かれるのも無理はありませんが、まずは聞いて頂きたい……」



 そう告げ俺は、目の前にいる十四歳の少女を指差した。


「そこに居る七海さんは、俺の母さんなんです」


「……は? はぃ⁉︎」


 俺の思わぬ発言に困惑する母。その横でまだ状況を飲み込めていない祖母の姿を確認すると、今度はその彼女に言葉を掛けた。


「……さっきのご飯、凄く懐かしい味がしました。先ほどは『母さん』などと呼んでしまい大変失礼いたしました。婆ちゃん」


「……えっ⁉︎ えっと……、うん……。いいのよ。間違えを認めて謝る事は大切ね。でもね、さらに間違った答えにありついてやしないかい?」


「間違えるはずがないよ。あの味は俺の母さんが昔作ってくれた味とまったく同じ味だったから……。それと爺ちゃん。写真でしか見た事は無かったけど、写真ではもう少し優しそな顔してたんだよなー」



「ちょちょっと待って! 私、母さん? え、何? どういう事?」

「少し落ち着いて、母さん。それに人が話してる時は最後まで聞かないとダメだろ。これ母さんが教えてくれた事だよ」


「私そんな事教えてない! ってか、誰が母さんよ!」


 

 母と認識した上で久しぶりの感動の再会を交わす俺たちだった。

 続いて仮面ライダーで遊ぶ無邪気な男の子、健三叔父さん(三歳)のもとに駆け寄り、その小さくなった彼を持ち上げどこか懐かしげに声を掛けた。



「そして健三叔父さん! 俺が一番驚いたのは叔父さんだよ! こんなに小さくなっちゃって……。いつもガミガミと説教を垂れていた叔父さんの面影ゼロだよ。小さい時に好きでもないヒーロー物のオモチャをやたら買ってきてくれると思ってたら自分が好きなだけだったんだね……。でもね、自分はまだ男だったからいいけど、三歳の自分の娘の誕生日プレゼントに仮面ライダーの変身ベルト(旧型)をプレゼントするのはどうかと思うよ」



 一頻り自分の思いを叔父に伝えると、当の本人は小首を傾げていた。

 そんな彼を降ろすと、再び未だ話を理解していない祖母と母に顔を向けた。




「それで自分が過去に来た経緯を話させて頂くのですが……、実は今から丁度二十六年後の昨夜、裏山で流星群を眺めていた帰り道、足を滑らせてしまい、そのまま崖から落ちて気を失ってしまいました。そして気づけば今朝の状況というわけです。ここにくるまでは、皆さんが実の家族である事、自分がタイムスリップしてきたなんて事には気づきませんでした。母に助けてもらった事も偶然かと……。なので元の時代への戻り方も分かりません。僕からお話出来る事は以上になります……」







……………………………。







 しばしの沈黙が起こった後、母が隣にいた祖母の肩を叩き俺には聞こえないようにと耳打ちし始めた。


「お母ちゃん、この人怪しいよ。新手のセールスマンかも」

「そうね〜。タイムスリップなんて最近映画でやってたかしらね。今の子はすぐテレビに影響されちゃうでしょ?」

「それに私まだこんなにピチピチなのに母さんなんて……。凄いムカつくんですけど! 大体、私の子供ならもっと可愛いはずなんですけど!」

「それに関しては私も同感よ。私もまだ孫を持つ年齢でもないのに婆ちゃんなんて……。失礼しちゃうわ。……でも最初にあの子の顔見た時、なんか変な感覚したのよね。可愛くはないけど、どこか憎めない……、みたいな」




 俺に聞こえないようにコソコソと話しているようだが、当の本人にその会話はダダ漏れであった。

 

 二人だけの会議を終えたところで、何かしらの答えを出したのか、自分の方に向き直り「コホン」と咳払いをすると祖母が口を開いた。



「じゃあ、悟くん。君の言うことが本当であるならば、それを証明できるものはないのかしら? あなたが未来から来た証拠や、ないしは私たちの家族である事の証言とかね」


 そう言った祖母は、かかって来いと言わんばかりの風貌を見せていた。


「そうだな、婆ちゃんの事はあまりわかんないけど、母さんの事なら……」

「それで良いわ、話してみなさい」

「ちょ、ちょっとお母ちゃん! 私まだ心の準備が出来てないんだけど!」

「あんたが悟くんが怪しいなんて言ったのよ。なに? まさか言い出しっぺのくせに、もし本当だったら……、とか思って怖気付いてるの?」

「ち、違うわよ! 別にこいつが未来から来たとか信じてないし、私の息子だなんて認めてないから!」


 そう言い張る母に俺は少しだけイラッとした。



「いいでしょう。そこまで言うなら俺が知ってる母さんの恥ずかしエピソードを洗いざらい話してやろうじゃないか!」



「……の、望むところよ!」




 臨戦態勢に入る俺と母。


「まず、母さんが幼稚園年長の時、園のお泊まり会があったみたいで、そこで寝ていた母さんは怖い夢を見てしまい、盛大にお漏らししたとか。その後、婆ちゃんに迎えに来てもらって一人だけ帰宅したらしいですね」


「ぐっ!!!」



 俺がそう告げると、母さんは顔を真っ赤に染めた。

 俺は母に二十のダメージを与えた。

 隣にいた祖母は「おぉー」と何やら関心ている。



「続きまして、小学一年生の時、遠足にお弁当を持って行ったはずが何故か運動靴の袋とお弁当の袋を間違えて持って行き、それに同情した友達から弁当を少しずつ恵んで貰うけど今度はそれを盛大にひっくり返してしまって、結局先生が近くのスーパーで買ってきた惣菜パンを一人悲しく食べたとか」



「ぶはっ!!!」


「あー、あったねそんな事も」



 母にさらに二十のダメージを与えた。

 血反吐を吐きそうな勢いで咳き込む母をよそに、高笑いを決め込む祖母。

 

 そんな、未来ではもう拝むことが出来ない光景に俺は少し目を潤ませたが、まだまだ俺は攻め込んでいく。




「今度は小学三年の時の話。一番の悪ガキと母でクラスの領地を掛けて喧嘩して、崩壊寸前だったクラスを統一したとか」



「おっ! それはちょっと誇っていいやつよね!」


「あら、そんな物騒な子に育てた覚えはないんだけどねー」



 母のライフは五回復した。

 そんな母は毅然とした態度で優雅にお茶を口に含む。


 まあ、俺も自分の母親だ。そんな悪いことばかりは言ってしまうのは気が引ける。





「まあ、そんな母ですが小学六年生の時まではオネショしていたそうですが」





「ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーー!」




 母は口から勢いよくお茶を吹き出した。


 今の一撃で母のライフポイントは残り十を切ってしまった。


 祖母もオネショのことを聞いて、「困ったものよね、正確には中学一年生までだけども」とつぶやいた。

 

 母さん、息子に見栄を張るならもう少し頑張ってもらいたいものだ。



「じゃあ母さんも苦しんでいるみたいなので、これで終わりにしたいと思います。自分、母親思いのいい息子のつもりなので……。いくら『自分の息子にしては可愛くない』と言われたとしても、これ以上、母の苦しむ姿は見たくありません」


「……そ、そうね。これ以上は不毛だわ。まあ、この程度の情報なら周りの友達とかに聞いたら教えてくれそうだしね……」


 なぜかここに来ても強気な姿勢でいる母。

 どうやら俺は彼女のライフポイントを読み間違えていたようだ。




「そうだ、母さん! 中学一年生の時に婆ちゃんの大事なネックレス壊しちゃったみたいだけど、大丈夫だった?」





「ちょっっっっっと!!!!! 何言ってんの! ねぇ、何言っちゃってんの!!!」




 テーブルを飛び越え、俺に飛びかかってきた母。だが時すでに遅く、婆ちゃんの方を見ると、スッと立ち上がり、なにかを確認するべく寝室の方に向かって行った。

 


 程なくして祖母が戻ってくると、彼女は不敵な笑みを浮かべながら、




「ちょっと、七海。こっちへいらっしゃい」




 と、母を手招きして物陰へと連れて行ってしまった。

 



 数分後、物陰からボロボロと涙を流す母と、満面の笑みを浮かべる祖母が戻ってきた。



「ありがとね、ネックレスの事教えてくれて。で、まあまだ信じ難いけど、これ以上言及しても仕方のないことだし、一旦あなたが未来から来た私達の家族だって事を認めましょう」


「ほ、本当ですか⁉︎ ……良かった。本当に良かった」



 正直不安だった。


 いきなり過去に飛ばされ、こんな状況に追いやられてどうしたら良いものかと、本当に自分の正体を明かしてよかったのかと、不安でたまらなかった。


「で、悟くんを未来から来た孫だと信じた上で聞きたいんだけど……」


 祖母が改まって俺に聞いてきた。


「未来の私たちは今どうしてるんかな」

「……」


 覚悟はしていた。


 自分の素性を明かすと言うことは、未来の自分たちの様子を聞いてくんじゃないかという事を。

 

 これに関しては真実を述べるのは気が引ける。

 だって、今現在、自分が生きている時代で生きているのは、そこで呑気に仮面ライダーで遊んでいる健三叔父さんだけなのだから。



「……自分は、婆ちゃん爺ちゃんに会ったのが小さい頃だったから、あまり覚えてなくて……」



「……そっか」



 祖母はなにかを悟ったかのように、それだけ言って優しく微笑んだ。



「わ、わたし……ヒック、私は……ヒック、まだ……ヒック、認めてないんだから……ヒック、ね……ヒック」



 自分の母親のこんな情けない姿を見れるなんて思っても見なかった。

 まあ、母のその後も自分は話したくなかったから今は信じてくれない方がいいかもしれない。



「まあこれで、わたしにも早すぎる孫が出来たわけだし、未来への戻り方も分からないんじゃしょうがないわよね。当分はウチに泊りまなさい。孫なんですもの」


「え⁉︎ わたしまだ信じてないんだけど! お母ちゃん、こんな板げな可愛い娘がいるこの家に思春期男子を泊めたらどうなると思ってるの⁉︎」

「なんもねぇーよ! 痛いげな可愛い娘の前に母親だから! 言葉には気をつけろよ!」

「ちょっと仮にもあんたが言う母親に対して口の聞き方がなってなくない⁉︎ 教育が行き届いてないみたいなんですけど!」

「それ完全ブーメランですから! なんならそこで仮面ライダーのオモチャで遊んでる三歳の叔父さんにも直撃してまっすから!」



 そう俺らが歪な年の差の親子喧嘩をしていると、不意に祖母が手を叩き静粛を促した。


「喧嘩は良いけど、もう一つだけ問題が残っているわよ」


「「?」」


 祖母の発言に、俺と母はふとその問題とやらに首を傾げた。



「お父さん、どうやって説得させようかしらね?」




「あっ……」



 完全に祖父の存在を忘れていた俺と母。

 確かに祖父はこの二人と違い証言だけでは納得しそうにない堅物であった。




 時は少し経って十五時となった。

 この時間になると祖父のラーメン屋は客足が減り、一時休憩となる。


「お? 坊主、元気になったみたいだな。自分の家には帰れそうか?」

「そ、それが……」


 そう告げてきた祖父に俺は意を決して自分の素性を説明しようとした時だった。



「お父さん、この子の家はここよ」




「……は?」


 

 俺が話す前に口を開いた祖母。


「おめぇ、いきなり何言い出すんよ。……ま、まさかお前、本当に隠し子だってのか⁉︎」


 このおっさん(祖父)はまだそのネタを引きずっていたのか。



「子供じゃなわ……。孫よ。孫」





「……」



 いきなり訳もわからない発言を祖母から聞いた祖父は抜け殻の様に固まってしまった。


 婆ちゃん、やっぱり俺からちゃんと順を追って説明すべきだったよ……。



「七海の子供なのよ。本当に立派に成長してバアバ鼻が高いわ」



「ブクbくbく……」



 婆ちゃん、頼むからやめてくれ! 爺ちゃん泡ふいちゃったから!

 爺ちゃんごめんよ。祖父母孝行するどころか、俺のせいで死期を早めちまったかな。


 だが、俺の思いも届かず、祖母の暴走は止まらなかった。


「と言うわけだから、悟くんは今日からうちの子よ」


「いや、どう言うわけだよ! 危ねぇ危ねぇ、危うく孫の顔見る前に行っちまうとこだったぜ」


 

 いやもう、あんたは孫の顔拝んでるんだ。これで死なれても困るけど……。



「おい、ナナ。このババアじゃ話が進まねー。ちゃんと説明してくれ」

すがるように母へと問いかける祖父。


「私の教育が悪かったのね……。こんな性格の悪い子に育つなんて、母さん悲しいわ……。旦那は何をやってたのかしら……」



 そう言って遠くを見つめ嘆いている母(十四歳)。


「ナナまで一体どうしちまったんだよ⁉︎ おいっ、坊主! この野郎、俺の家族になんて事してくれたんだ!」

「ちょっ、爺ちゃん、落ち着いてくれ! まずは俺の話を……」

「誰が爺ちゃんだ! 頑固ジジイとは呼ばれても、爺ちゃんとは呼ばれたくは無いわ! どうせ孫に呼んでもらうならジイジと呼ばれたい!」

「おいっ、しれっと願望混ぜるのやめろ! この歳でジイジ呼びは流石に恥ずかしいぞ!」

「お前に呼んで欲しいなんて一言も言っとらんわ!」



 そんな言い争いをしていると、祖母が勢いよく右手を祖父の頭へと振り下ろした。「イタッ」と短い悲鳴と共に騒がしかった祖父が一気に大人しくなった。



「全く、いい歳してビービー喚くなんてだらしない」


「だ、だって……」


 

 祖母の一撃で完全に畏縮してしまう祖父。


 うん、元はと言えば婆ちゃんがこの状況を作り出したんだけどね。

 

 落ち着いた祖父に対し、俺は改めて事の経緯を説明した。




「ふんっ、そんなの急に言われて信じられるか! 何が未来からやってきただ。新手の詐欺か? それともテレビに毒された現代の若者かよ。大体、俺がナナを嫁に出すわけがないだろうが! お前の親父を此処へ連れて来い! 俺がぶっ飛ばしてやる!」


 さすがこの親子、考えることが同じである。そんでもってさらに上乗せして面倒くさい。


「ちょっと、お父ちゃん! 私を嫁に出さないってどう言うこと! この子が私の息子じゃないにしろ、私だって将来は素敵なダーリンと結婚するんだからね!」

「何言ってやがる。最近までオシメも取れなかったくせによく言うわ!」


「ちょっと、これ以上オネショの話はしないでよぉ!」



 え、母さん、オシメまでしてたの? それはいくらなんでも息子の俺でも引きますよ。


「……あの、話が脱線したんですけど、どうやったら信じてもらえますか?」


 俺は正直この状況を打開する策を思いついていた。

 きっと俺がこう問いかけると、この厳格な爺さんはきっとこう言うと。


「物的証拠を見せやがれ。お前が俺の孫、もしくは未来から来た証拠をな」


 予想通りの発言をしてくれる祖父。

 

 この言葉を待ち望んでいたかのように俺は立ち上がって堂々と答えた。



「わかりました。じゃあ爺ちゃんを納得させるだけの物を作ってやりますよ」



「……作るだぁ?」


 俺は爺ちゃんの言う物的証拠は持っていない。だけど爺ちゃんの孫である物的証拠を作り出すことはできるのだ。


「爺ちゃん、店の厨房借りるよ」


「⁉︎ なんだと……」


 俺は爺ちゃんから引き継いだと言われる叔父のラーメン屋で手伝いをしながらラーメン作りに関しても教えてもらっていた。そして、爺ちゃん秘伝のラーメンと餃子を作り出せる自身があった。


「この若僧が……。よりにもよって俺が命に賭けて生み出してるラーメンで証明するとは良い度胸じゃねーか。その心意気だけはかってやる。だが、少しでも下手なもん出してみろ。そん時はタダじゃおかねーからな」


 今までとは違い、ただ事ではない殺気を立てる祖父に唾を飲んだ。だけど、これはチャンスだ。祖父の納得するラーメンと餃子を作れれば俺は孫として認めて貰えるかもしれない。


 俺は気合をいれないし、厨房へと足を運んだ。





 数時間後、祖父の代から看板メニューであった味噌ラーメンと焼き餃子が完成した。


 俺が調理をする中、黙って見守ってくれていた母と祖母。そして、一度も口を挟まずジッと様子を伺っていた祖父の前に自分史上渾身の力作であるラーメンと餃子を三人の前に並べた。


 店の昼休憩の時間は十七時までとなっていたが、現在はすでに十六時半。

 俺が厨房を使ったせいもあり店は臨時休業となってしまった。



「本当にあんたの作るラーメンそのものじゃないの⁉︎」

「え、再現度高くない? 結構すごいんじゃない?」



 俺の作るラーメンと餃子を見た祖母と母は口々に驚きの言葉を発した。

 その言葉は素直に嬉しいが、問題は見た目じゃなく味だ。


 恐る恐る、レンゲでスープを掬い口へと運ぶ祖母と母。そして、二人が喉元を震わせると、




「うん! 美味しい!」

「本当! 美味しい!」





 そう言って、二人が歓喜を上げた様子に俺は少しホッとした。

 そして、続けて祖父もスープを一口。それから黙って麺を啜り、そのあと餃子へと箸を伸ばした。

 終始無言のまま食べ続け、全てを平らげた祖父はおもむろに立ち上がった。




「おい坊主、カウンターに座れ」



「え……」




 祖父からの言葉に俺は何がなんだかわからず、祖父に威圧されるがままにカウンターへと移動した。すると鍋やら何やらを取り出し、祖父はラーメンと餃子を作り始めたのだった。





 数分後、俺の前には祖父の作る、味噌ラーメンと餃子が置かれた。




「食ってみろ」




 ぶっきらぼうにそう言う祖父。

 

 見た目こそ俺が作るラーメンと餃子に似ていた。

 俺は恐る恐る、スープをレンゲで掬い口に運んぶ。




「こ、これは……」





 俺は自分を高く過大評価していた事に気が付いた。

 たしかに俺の作ったラーメンは周りから見たら遜色のないものだったかもしれない。

 だが、所詮それは真似事に過ぎなかった。

 おそらく俺のラーメンは叔父さんの作るラーメンにも近づけていないのだろう。


 俺は初めて祖父が作るラーメンを一口づつ噛みしめるように口に運んだ。そうする内に自然と涙が溢れ出している事を感じた。




「おい、坊主……」




 その言葉の続きに俺は身構えた。


 ここを追い出されてしまったら一体どうすればいいのか分からない。

 この知らない世界で一人ぼっちという考えが俺に恐怖心を植え付けてくる。。


 そう思っていると祖父はその続きを口にした。



「これが、じいじの味だぞ。どうだ美味いだろ?」




 その言葉に顔を上げると、そこには誰よりも優しく笑う祖父の姿があった。

 その様子に一気に涙が止まらなく溢れてきた。


 この涙は張り詰めた緊張が解かれたものと、二度と食べることができないと思われていた祖父の味を堪能できた感動、どちらもあるだろう。



 そんな様子を家族皆んなは暖かく見守りながら、俺は本日の晩御飯を平らげたのだった。

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