第25話 生きていく

「あら」


「あっ」


 無事学校に着き校舎の中に入ろうというところで、田中さんのお母さんと目が合った。生徒用の玄関から少し離れた職員玄関の前、にこやかに手を振ってくれていた。傍らには担任もいて、何か話しているようだった。


「ちょっと用事、アカネ先に行ってて」


「うん、わかった」


 アカネと別れて、田中さんのお母さんの方へ向かう。いったい学校に何の用だろう? 何かあったのかと少し心配になったけど、服装もいつもより綺麗なよそ行きの服だし笑顔も柔らかいし、多分そんな悪いことではないと思うんだけど……。


「おはよう、はるかちゃん」


「おはようございます、今日はどうしたんですか?」


「いえね、ちょっとね、ふふふっ……」


 田中さんのお母さんは意味深に笑うと、チラッと担任の方を見た。担任もそれに合わせてニヤッと、何か含みのある笑みを浮かべる。


「な、何なんですかいったい?」


「べっつにー」


 腕を引っ張りながら担任を追及するが、担任はどこ吹く風と取り合ってくれなかった。


「色々お話を窺ってたのよ。はるかちゃんが娘によくしてくれてるってこととかね」


「は、はぁ……」


 前にも言っていたけれど、こうやって担任と情報を共有してたのか。まぁ、それはともかくこういう話題は目の前でされると、なんとも居心地が悪い。それに、なんとも言えず困っている私を見ながらニヤニヤしている担任がウザい。


 担任に一瞬睨みを利かせて、再び田中さんのお母さんを見ると、まっすぐな瞳で私を見返してくれていた。


「きっとあなたになら、任せても大丈夫だと思うわ」


「えっ?」


 何を言っているのだろうか? 質問する機会もくれずに、「それじゃあ、よろしくね」と言うと、田中さんのお母さんは校門へ向かって歩いていってしまった。


「しっかりね」


「痛っ」


 担任も私の背中を叩いてそれだけ言うと、とっとと職員玄関から校舎の中に入ってしまった。


「なんなのよいったい……」


 頭にたくさんの疑問符を浮かべながら、私は教室へ向かった。






 教室に入ろうとしたけれど、すんでのところで引き返した。廊下の壁に背中をあずけて、じっと深呼吸して心を落ち着けようとする。


 今、何か見えた。


 田中さんの机の周りにはいつぞやみたいに人が溢れていて、そして、その机の上に見えたのは……、


「何してんのよ?」


「ふぁっ!」


 急に声をかけられて、心臓が飛び出るくらい驚いた。声のした方を見るとシホだった。あの日見たシホじゃない、いつものシホ。


 シホは私を無視して教室に入ろうとしたけれど、私と同じものを見たのかそそくさと私のところまで戻ってきた。


「ふーん。へぇ、そうなんだー」


「な、何よ……」


 ニヤニヤしながら、私にグイグイと顔を近づけてくるシホがウザい。今だけは、この前のシホに戻って欲しい。


「何でもないわよ」


 シホはくすっと笑うと、ぽんと私の背中を叩いて教室の中に入っていった。


「何なのよ……」


 励ましたいのか、からかいたいのかよくわからないヤツだ……。って、あーもう、それはともかくどうしよう!


 結局、そのまま始業のチャイムまでその場を動くことができなかった私。チャイムの音にまぎれるようにして教室の中にコソコソと入る。わざと田中さんの机の方を見ないようにして自分の席に着いた。


「…………」


 チラッと、薄目で隣の席を見る。


 あった。居た。


 いつものカートに乗った田中さんの、いつもとは違う部分。籠の中で手足を覆うように広がっていたのは、田中さんの艶やかで長い髪だった。


「きれい……」


 いつの間にか手を伸ばし、その髪を手で掬っていた。指の間を絹のように心地よい触感がすり抜けていって、夢見心地な気分になった。教室に入ってきた担任の声がどこか遠くで響いていた。


 ドキドキして怖気づいてしまったけど、もう我慢できなかった。私は恐る恐る田中さんの頭を手に取った。硬くて、柔らかくて、ぷにぷにしてて、さらさらしてて、いい匂いがして……、色々な感覚と感情が手のひらの中でぐるぐると回った。


 そして、その気持ち全部まとめて、ぎゅっと抱きしめた。


「あったかい……」


 動いている人間のような血の温かみはないはずなのに、なぜだか涙が出そうなくらいほっとした。


「ありがとう、田中さんのおかげだよ……」


 田中さんには何を言っているかわからないかもしれないけれど、それでもお礼が言いたかった。うん、ちょっと怖いけど、


「もっと、あなたのことが知りたいな……」


 見たいような見たくないような……。何となく怖くて躊躇していたけれど、覚悟を決めた。


 田中さんの頭を私の机に置いて、垂れていた前髪を後ろに払った。


「わぁ……」


 初めて顔を見た。まるで、初めて会った人みたいだった。


「あなた、美少女だったのね……」


 綺麗だった。優しく微笑んでいるように見えた。もしも私が男の子だったら、きっとこの子に恋をすると思った。


「ずっと、あなたの顔が知りたいと思っていたのよ……」


 もっと傍にいて欲しくて、誰にも見られたくなくて、田中さんを膝の上に乗せてそっと隠した。


 ほっぺをツンとした。


「これからもよろしくね」


 きっと私と彼女は、これからも生きていくことでしょう。

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死生活 朔之蛍 @Ubiquinol

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