第7話 血塗れ

 動いているから生きている。


 アカネがカエルのように跳び、強烈なスパイクを相手のコートに叩き込んだ。コート中央に集まったアカネとチームメイトたちが、キャッキャッと手を合わせて喜びを分かち合う。


 六時限目の体育、バレーの授業。活発な性格のアカネは運動神経も抜群で、まるで野生動物のように活き活きとコートを縦横無尽に駆け回っていた。


 動いていないけど、生きている。


 アカネの相手コートの隅っこ。まるで置き忘れた物のように、太ももから千切られたような脚が転がっていた。あっ、アカネのスパイクが転がっていた脚に当たった。ナイスレシーブとはいかず、すねに当たったボールは体育館の隅っこに転がっていった。


「どんまい、どんまい宮本さん」


「ナイスレシーブ、おしいよ」


 彼女のチームメイトたちが励ましの声をかけ、ボールの威力でコートからはみ出した片脚……、もとい彼女をコートの中に戻し、転がったボールを取りに駆ける。


 動いているけど……、生きている?


 ぎこちない助走から、ちょっと人間の力では考えられないような高さのジャンプ。もう少しでネットを飛び越えそうなありえない高さから、ボールが破裂しそうな音を立てて勢いよく打ち出されたスパイクは、あらぬ方向へ飛んでいき体育館の壁に激突。そして高く飛び上がりすぎた彼女は、地面に吸い込まれるように落ちていき……、


 バアァァァンッ! ガチャンッ。


 バレーの授業にあるまじき二つの異音、そして短い静寂。みんな慣れているので起こったことの割には落ち着いて、彼女に向かって歩いていく。


「坂本さん、飛びすぎ飛びすぎ」


「大丈夫?」


 機械仕掛けの坂本さんは、ぎこちなくウィーンウィーンとモーター音をさせながら右手を動かし、グッと親指を立てて無事をアピールするが、すぐにその腕がポキリと音を立てて取れてしまった。


「ちょっ、取れてる、取れてる」とみんなにつっこまれながら、四人がかりでコートから運び出される坂本さん。


 坂本さんは見た目は普通の動いている子とあまり変わらないが、技術的に動きがぎこちなかったり、しゃべれなかったり、表情や目が不自然だったりして、私としてはどうしても人形やロボットのような印象が拭えない子でもある。


 人間のように見えて、動いていて、生きていて、でもどこか人間じゃない、物のような感じもあって。


「ややこしい……」


「何がよ?」


 つい口からこぼれ落ちた言葉を、シホに拾われた。体育館の隅っこ、私たちはちんまりと体育座りをしながら授業の見学をしていたのだった。


「あぁ、田中さんのことね」


 シホは訳知り顔で、ニヤリとしながら言った。若干イラッとした私だったが、それを見せるのも癪なのでなんでもないような風をして続けた。まぁ、確かに当たってるし。誰かに話したい気分だったから、都合がいいといえば都合がいいしね。


「どうやって付き合えばいいのかなー、ってね」


 私の言葉にシホは少し考える素振りをしてから一言、


「どうやってって……、普通に?」


「だから、それがわかんないんだってば……」


 当たり前というようにそんな返しをするシホ。あぁ、はいはいもういいですよ。どうせみんなが普通で正しくて、私の方がおかしいんですよーだ。


「はぁ……」


 ため息をついて、膝に顔をうずめる私。落ち込んでいる私を見かねたのか、


「なによ元気ないわね。田中さん早退しちゃったけど、何かあったの?」


「……別に、何かあったわけじゃないけど」


 彼女の母親が来たことなど、事情を簡単に説明すると、


「なら、あなたがそんなに気にしなくてもいいじゃない。それは田中さんの家庭の問題よ」


「そうだけど……」


 いや、そうじゃない。今私にとって大切なのは彼女が早退したことじゃなくて、彼女との向き合い方なんだ。私は声を振り絞るようにして、ぽつりぽつりと呟きだした。


「……なんかさ、わからなくなってさ。血塗れで動けないのに生きているとか、意志があるとか……。何かもう、わかるけどわかんないの……」


 自分の心の奥底から、不安を搾り出して滴らせるようにつぶやいた。びちゃびちゃと足元に撒き散らされたそれはまるで血のように見えて気味が悪く、私を不快で不安な気持ちにさせた。


 他の人に、友達に弱音なんて吐きたくないのに……。


「ぷぷっ、あははっ」


 そんな私を見て、シホは吹き出し、笑い始めた。……って、なんでよ!


「ちょっと、人が落ち込んでるときになに笑ってるのよ!」


 ムカついた私は、笑い続けるシホの肩を摑んでぶんぶんと揺する。まったく、人が普段言わないような弱音を吐いてるっていうのに、普通笑う? ありえないわよ!


 それでも笑い続けるシホが、笑い疲れて落ち着いたころにこう言った。


「そんなこといったら、私たちだって同じじゃない。ほら、血塗れで動けないでしょ?」


「……最低」


 私が嫌そうに顔をしかめさせるのを見て、シホがまたからかうように笑った。まったくこいつは……、人が真剣に相談してるっていうのに!


「もういいわよ、馬鹿……」


 あぁもう、こんなやつに相談するんじゃなかった。私は自分の軽率さを恥じて、隠れるように膝に顔をうずめた。すると、背中を優しくポンと叩かれた。


「難しく考えすぎなのよあんたは。同じよ、同じ。みんな一緒」


「そうかな……」


「そうよ」


 私の背中に触れたシホの手はとても温かくて、それは田中さんの手に触れた時に感じた温もりと同じものだった。そうだ、一緒なんだ。一緒……、なのかな? うーん。


 やっぱりまだ正直、同じようには思えない。だけどきっと、この手の温もりだけは同じなんだと思う。


 ちらりとシホの横顔を覗く。シホは頬杖をついてぼんやりと、興味なさそうにバレーの試合を眺めていた。さっきはムカついたけれど、シホはシホなりに私のことを気遣ってくれているのだろう。


 ありがとうシホ、でも……。


 でも、私と彼女は別の人間だから、考え方も感じ方も違う。このことは、やっぱり私が自分でどうにかするしかない。


 だから、あのことも私が自分でどうにかするしかないんだ。人に相談してどうにかなるものじゃない。自分で決めなくちゃいけない。


 ふと顔を上げると、体育館の壁時計が目に入った。もうそろそろ授業が終わる。家に帰れる、もとい家に帰らなくちゃいけなくなる。


 あぁ、家に帰るのが憂鬱だ……。


 パーツを取り替え無事復活した坂本さんのスパイクが、体育館の壁に突き刺さり、ボールが轟音と共に弾けた。

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