第八話 水上楼の会見(前編)

 王国第七王女オルガがノルトハイム公爵との婚礼の日に出奔し、その後は別人と入れ替わっていたという事実はその後長きにわたり隠蔽された。その事実が公式に明らかになるのは当事者たちがこの世から全て去っていった数世紀のちの事であった。もっとも、ノルトハイム公爵夫人になったオルガの性格が変わりすぎたので当時から何かがあったのではないかという噂があったが。


 オルガが平民の娘を身代わりにして出奔した事をその日知ることが出来た人間はごくわずかであった。国王夫妻と王太子とオルトハイム公爵夫妻とノルトハイムの執事長のセバスチャンと家政婦長のローザの五人のみであった。オルガが別人になったことを「王家とノルトハイム公爵家の#個人的秘密__プライバシー__#として隠そうとしていた。


 王都にあるノルトハイム邸は大通りに面していたが、反対側は王都を取り巻く大きな湖に面していた。その湖に古代砦があった小さな島にノルトハイム別邸「水上楼」があった。ここには船でしか行けず周囲に商船が近寄る事も無いので秘密の話をするのに都合が良かった。


 水上楼の建物の内部にいた者は全員退去させられ、オルガは四人に取り囲まれるような状態にされた。ここでは公爵夫人ではなく「薬の行商人」オルガとして尋問されていた。


 「信じられないですわ。私は王女にお会いしたことがございますが、気付きませんでしたよ。本当にあなたって王女じゃないのですか?」


 真相を教えられローザはただ驚いていた。今朝からおかしいとは思っていたけど本人と信じていた。オルガの体格に合わせてオーダーメイドされた公爵夫人のドレスはぴったり合っていたし。


 「違和感は感じていましたが、まさか・・・これは一大事です。他の者に知られたらまずいですが、どうすればいいのですか?」

 

 セバスチャンは頭を抱えていた。花嫁が入れ替わっていたなんて前代未聞だし、これからどうすればいいのか。早く方針をきめてほしかった。


 オルガは少し緊張がとれたが、不安な事には変わらなかった。豪華な公爵夫人のドレスなんて奴隷とそんなに変わらないではないかと思っていた。あんまりにも堅苦しいし。


 「国王陛下はどのようなご方針ですか? まさかオルガを亡きものとなんてことはしませんよね?」


 コンラートは心配してカールに尋ねた。カールは懐から国王アンリ3世の秘密親書を取り出した。そこには簡単にこんなことが書かれていた。


1・オルガが出奔した事実を秘密にする。王室とノルトハイム家の機密であり、国務尚書など内閣に通知しない。ただし必要最低限の者には開示することは妨げないが、その者には終生秘密を誓わせること。守らぬ場合は口を塞ぐべし。


2・出奔したオルガの行方は捜索しない。出奔の事実が漏洩するためだ。それにオルガはノルトハイム公爵夫人が唯一であるし。


3・ノルトハイム公爵コンラートとオルガの婚姻は有効である。それは不変である。


4・オルガの今後はコンラートに一任する。ただし前述の秘密を守らせるように。また、公爵夫人に相応しく王女として恥ずかしくない行いをさせる事。


以上が方針である。なお、この親書は関係者に開示した後は速やかに破棄する事!


 その親書を見せるとカールは暖炉の中に投じて灰にしてしまった。国王はオルガを公爵夫人として扱えということのようだった。



 「王太子、お尋ねいたしますが国王王妃両陛下はいかがですか?」


 コンラートはカールに尋ねた。するとそれまで固く苦しい表情が崩れた。


 「コンラート、改まって聞くなよ。ここはお前とゆっくり話が出来るじゃないか! カールでいいんだぞ。気さくに話をしても構わないんだぞ。それに、オルガさんも! あなたって悪役令嬢の妹よりも良さそうじゃないか。もっと心を開いてもいいんだぞ!」


 オルガはそう言われてが、緊張はとけなかった。でも短く言葉は返した。


 「あ、ありがとうございます。オルガはうれしくおもいます・・・」


 王太子カールがどんな人なのか分からないから。でも、話は分かる相手のように思えた。それに本当の兄のように感じていた。


 「コンラート、うちの両親か? 本当に驚いて呆れていたぞ! あいつは王女でなければ好きな事が出来るし、男だったら冒険家になりたいなんて言っていたんだ。でも、そんなことなんか許されないだろ。だから甘やかして来たんだが、身代わりを仕立てて出奔するなんて思っていなかったよ。

 親父は怒っていたしお袋は卒倒して寝込んでしまっているさ。おかげで今日の日程は全て取り消しさ! 取りあえず三人で話し合ってさっきの事を決めたんだ。親父は最初出奔を公表すべきだ、そんな親不孝な娘のために国民を欺くことになるからと息巻いていたんだけど、俺が説得したんだ。

 だって、そうだろう? 我が国は比較的平穏だけど隣国のように急進的な共和主義者によって革命が起きる危険は常にあるだろう? 妹の事を・・・まあ悪役令嬢として評判が悪いが、それを根拠に騒動が起きても困るしな。それに、お袋もなぜかその娘が可哀そうだというんだよ」


 カールの話を聞いてオルガは複雑な気分になっていた。自分を身代わりにしたオルガって女は王女という地位が嫌になっていたんだと。でも、だからといって、拉致して公爵夫人に仕立てるなんて、あんまりじゃないのよと!


 その時、水上楼の窓は締め切られ、カーテンも閉められていたため外の風景は見えなくなっていた。この時、室内には王太子カールの副官も護衛さえもいなかった。護衛は建物の一階で控えており、三階の会見の場になった通称「獅子の間」には五人しかいなかった。この五人がオルガ本人と正体不明の協力者と国王夫妻以外でオルガが入れ替わっていることを公式に知った最初の人間になった。


 その場にいたオルガは容姿が出奔した元王女とうり二つであったが、その出自は謎に満ちていた。赤子の時に遺棄されていたが、その時から高貴な身分の出身と思われていた。なぜなら王国では金髪碧眼は支配階級の証とされていた。無論、例外も数多いが上級階級の大多数はそれに当てはまっていた。孤児院で生活しながら教会の祭祀の手伝いもしていたし、一時は修道女見習いになったこともあったが、これはオルガの容姿が良かったためである。


 それはともかく、この時からオルガは孤児院出身の天涯孤独の薬の行商人の娘ではなく、世間を欺いてノルトハイム公爵夫人オルガとして生きて行かなくてはならなくなった。結婚前は悪役令嬢と軽蔑され評判が悪いオルガとして。


 「オルガさん。あなたは本当に我が妹のようにしかみえないです。ちょっと見せてくれませんか? あなたの右ひじを」


 カールのお願いに何でそういうことを言うのかわからないまま、右袖をオルガじゃめくった。それにしても、貴族というのはこんなにも装飾が付いたドレスを纏っているのは面倒なものだと感じながら。露わになったオルガの右ひじをみてカールはこういった。


 「オルガさん、我が妹のオルガには右ひじに星型のアザがあるのです。知っている者は限られているのですが、気を付けてください。もしかすると知っていたら、指摘されるかもしれませんから」


 それを聞いたオルガは今度は左袖をまくり始めた。いったいなにがあったのかと思っていたら、オルガは自分のひじを示した。


 「オルガ王女ってこんなアザがあったのですか? わたしにもあります」


 オルガの左ひじには綺麗な星型のアザがあった。


 「そうです。不思議ですね左右が違っていますが全く同じアザですよ。それと聞きますが、もしかすると左利きですか?」


 カールの質問にオルガは不思議な表情を浮かべていた。


 「はい、王太子殿下。わたしは左利きです。もっとも、文字を書く時は右手を使いますが、それが?」


 オルガは何を聞くのだろうかと思っていた。


 「オルガは左利きだったのです。本当にあなたはオルガによく似ていますね。でも、話し方は丁寧ですけど」


 カールにそう言われオルガは少し気持ち悪くなった。そこまで悪役令嬢の女に似ていたなんて嫌だと。でも、これからは、そのオルガとして生きて行かなければならないのが嫌だった。

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