第4話 4皿目

 君はこの前の――

 そう言おうとした口が固まる。

 この部屋からテレポーテーションしたかの様に消えたあの時と同じ、またもテレポーテーションの様にここへ現れた事に気付いたからだ。

この女子の行動は常軌を逸している。

 ふいに背筋がゾクっとなり、体が小刻みに震え出す。

「あ、あんた一体何者なんだ?」

 精一杯平静を装ったつもりだったが明らかにその声は震えていた。

 そんな彼をきょとんと見詰める女子。

「ん……その、私はこの学園の生徒だが? その……一介の、ただの女子生徒だが?」

 左右の人差し指をツンツンさせながらバツが悪そうに視線を逸らす。

 それに道矢が目を瞬かせる。

 少し冷静さが戻って来た気がした。

「じゃあさ、何年生? 何組? コースは?」

 椅子から立ち上がり、矢継ぎ早に質問を繰り出す。

「え? え? なんねんせい? く、くみ? こー……す?」

 激しく目を泳がせ、外国人に道を尋ねられたオバサンの様に両手を左右に振る。

 それを前に余裕が生れた道矢は次の質問をした。

「じゃあ名前教えてよ」

 あたふたしていた女子が急に胸を張った。

「三ツ星美味(みつぼしびみ)だ! 自慢は白く丈夫なこの歯。美味しいものを食すにはまず歯というからな」

 そして自らの歯を拳で叩く。

「さあ、名乗ったぞ! 名を尋ねた相手には自らも名乗るのが人間の礼儀なのだろ う! さあお前も名乗れ! そして己の自慢も言うのだ」

 その有無をいわさぬ力強い口調に道矢の身体が再び震え出す。

「な、鳴瀬道矢。自慢は……えーっと、料理……かな」

「ふむ、鳴瀬……道矢、という名前で料理が自慢なのか、ふむ。私は料理にうるさ いぞ。で、なんねんせいだ? く……くみは? こー……すは?」

 鬼教官よろしく両腕を組み、ツンと顎を上げた美味が両目を薄く閉じてその場を行ったり来たりする。

 途端に恐怖で固まった道矢の体から力が抜け、何なんだコイツは? という疑問が頭に浮かぶ。

「教えるのだ! 早く!」

 再び道矢の体が竦む。

「二年……B組……支援コース……です」

 立ち止まった美味が横顔のまま道矢に目を向けた。

「よくわかった。私はお前が言った……その、二年やB組や支援コースとやらより 上の者だ。それをわきまえた接し方をするのだ。わかったな、鳴瀬道矢」

 猛獣みたいな恐ろしいトコあるけど、わかり易い人だーっ。

 道矢はコクコク頷きながらそう思った。

「と、ところで何でまたここへ来たんですか? その……えーと、美味先輩」

「む……先輩? 先輩とは……確か自分より上の者を指す呼び名、だったな。ふ  ふ、悪くない」

 顎に指を当てブツブツ呟いた美味がギロっと道矢を見る。

「先輩はな、お礼をしに来たのだよ。鳴瀬道矢」

「お礼、ですか? 美味先輩」

「数日前、ここでピーナッツチョコレートを頂いただろう。そのお礼だ」

「え? ああ、これですか」

 さっき摘まんでいたピーナッツチョコを木の器から手に取った道矢こう勧めた。

「美味先輩、食べますか?」

「むっ、お礼もしてないのにまた頂くなどそんな事は……」

 言葉とは裏腹に彼女の目はチラチラとピーナッツチョコに熱視線を送っている。

「遠慮要りませんよ、大量に贈られてきた賞味期限間近のやつですから、って、  あ!」

 ピーナッツチョコが指から滑り落ちた。

 放物線を描きながら落下したピーナッツチョコが床に当たろうとしたその時、瞬間移動してきたかの様に現れた美味がそれを受け止めた。

 そしてあっという間に口の中へ納めてしまった。

 驚きの余り動けない道矢の足元でモグモグと口を動かし、犬の様にしゃがみ込んでいた美味が我に返って立ち上がる。

「むっ、その、こほん。何というか反射的に動いてしまった。ピ、ピーナッツチョ コが危機に晒されているのを見過ごせなかったというか」

 そう言って顔を赤らめスカートの裾を払う美味にどこか可笑しくなった道矢が声を殺して笑う。

「い、意地汚い奴と笑ったな!」

「ち、違いますよ。本当にこれが好きなんだなと思って」

 そう言って木の器に盛られたピーナッツチョコを目で指す。

「まあいい……ところでお礼がまた一つ増えてしまったな。さあ言え、その通りの事をしてやろう!」

「えーっと……困ったな。あはは」

 こちらを真っ直ぐ見る怖い程の眼光に冷や汗を掻きながら頬をポリポリ掻く。

「むっ!」

 美味が組んだ腕をほどくとそのまま道矢を突き飛ばした。

 女性とは思えない強烈な力で突き飛ばされた道矢が三メートルは離れているキッチンの壁に背中を打ち付けた。

「うぐう!……あっ!」

 背中の痛みに一瞬閉じた目を開ける。

 その目がさっきまで自分が立っていた床から顔を出している変種土魚の姿を捉えた。

「下僕が! 人間との会話を邪魔するな!」

 腰を落とした美味が跳躍すると片足を天井に向けた。

 そして床に沈もうとする変種の頭頂部へ勢いそのまま踵落としを決めた。

 ピシュゴブッ!

 泥が破裂した様な音を混ぜた鳴き声を上げた変種が顎から床に倒れ込む。

「ほっ……え!?」

 道矢が胸を撫で下ろしたのも束の間、部屋の壁や天井から五つの背びれが浮かび上がった。

 そして、全ての背びれが道矢へ向かって来る。

「ひええ! 頼んます、あいつらを何とかしてくださいー!」

 壁に背中を押し付ける道矢に美味がつまらなそうに顔をする。

「それが私にやって欲しい事か、まあいい」

 両腕を左右に広げた美味が前傾姿勢を取った。

 その後の美味の姿を道矢は目で追う事が出来なかった。

 何かの影が背びれ付近に現れては消え、別の背びれ付近にその影がまた現れるという光景しか目に出来なかった。

「これでいいか、鳴瀬道矢」

 その声に驚き横へ目をやると美味が立っていた。

 だらりと下げた両腕は灰色の液体にまみれ、ポタポタと雫を垂らしている。

 改めて道矢は室内を見渡した。

 壁や天井の背びれはオブジェの様に固まって動かなくなっている。

「せ、先輩……本当に人間なんですか?」

 恐る恐る美味に目をやる。

 それに美味がピクっと頬を引き攣らせた。

「……な、何を言ってる。どう見たって人間にしか見えないであろう?」

 刀の血を振り飛ばす様に素早く両手を左右に振って灰色の液体を飛ばす。

 その飛沫が道矢の顔に当たった。

「うええ! す、素手で土魚を倒せる訳ないよ! 絶対!」

 変種の体液を慌てて手で拭いながら言い返す。

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