第3話 3皿目

 双子の兄妹である道矢と巳茅が在籍している鋼道学園(こうどうがくえん)は三年前、国が買い取った築四十年の建物をリノベーションした学園である。

 目的は土魚により両親を失った子供達の受け入れ。

 世間では〝土魚ハンター養成所〟と呼ばれている。

 何故なら学科の他に“ハンターコース”“情報処理コース”“支援コース”といった土魚退治専門コースを必須としているからである。

 二百名余りいる生徒の半分以上は土魚を直接退治するハンターコースを選択している。

 そして次に人気なのが土魚の生態を叩き込んだ頭脳でハンターに指示を出すオペレーターを育成する情報処理コースだった。

「あの変種、あたしが撃つ前にハナクソみたいにちっさい脳が潰れて死んでたんだって。ねえねえ、やっぱお兄ちゃんがやったんでしょ?」

「だから誰か知らない女子がやったんだって」

「またまたー、変な嘘ついてないでホントの事言っちゃいなよ。実は俺、一撃必殺の凄腕ハンターだったんだ巳茅、って言ってよー。そしてハンターコースに転入してあたしと一緒に土魚退治しようよー」

「そんな裏チート設定無いから、っていうか行かないからハンターコース」

「ちぇー、つまんね~。にしてもさ~、支援コースのどこがいいの? お兄ちゃんこ~んなくっさくてキッタナイとこに一人ぼっちじゃん、他のコース員はサボってばっかだしさ」

 その言葉が全てを物語っていた。

 支援コースにいる生徒は三学年合わせても二十人余り。

 しかも毎日顔を出すのは彼一人といった寂しいものであった。

 その支援コース活動の場であるキッチンの床は現在一部使用不可になっている。

 何故かというと、見知らぬ女子が倒した変種土魚を撤去する際床をくり抜き、その部分にコンクリートを流し込んだからだ。

 少々鼻にツンとくるそんな室内で道矢と巳茅は昼食を取っていた。

「それより巳茅、いつもいつもインスタントばっか食べて……これも食べろよ」

 コッペパンを頬張る道矢が手にしたマグカップを巳茅に向けた。

 そこには皮を剥いたプチトマトが数個浮かぶコンソメスープが湯気を上げていた。

 支援コースはハンターの健康面をサポートする為のコースで、主に自治体から支給される食材と学園内で栽培した野菜類で健康的な献立を作るのがコース員の役目だ。

 土魚が跋扈する畑や田を手放した人類が収穫出来る野菜や穀物は激減。屋内、屋上で栽培する方法でなんとか保っていた。

「あたし、トマト嫌ーい。いいじゃん別に、食べ物なんか腹膨れればそれでいいじゃん」

 貴重な食材を使ったスープには手を付けず、カップやきそばをすする巳茅。

 世界的な食料難にも関わらず、インスタント麺類は大量に生産されていた。

 短期間で育つ様品種改良された小麦を工場内で大量に育成する技術が確立されたからだ。

 だが健康面に大きな問題が起こる可能性が高いとする専門家の意見もあり、道矢としてはそれらをキッチンに置きたくないのだが、安定して食材が揃う訳も無く、渋々大量に支給されてくるインスタント麺を置いているという訳である。

「ハンターの健康を維持するのが俺の役目なんだよ」

 小さくなったコッペパンをトマトスープで喉の奥に流し込んだ道矢が立ち上がる。

 そして丸椅子に腰かけた巳茅の側に来ると、小さなテーブルに置かれたスープ入りマグカップを持ち上げ妹の鼻先へ突き出した。

「ほら。ともかく食べなさい! そして『美味しいわぁ!』って口をしなさい、俺はそれが見たいの!」

「お兄ちゃん、その口フェチ発言マジ引くからやめてくんない?」

「んむっ、これはどうしようもない俺の性なんだよ……ともかく! いいから食べなさいって」

「うう……トマトが無ければ、まだマシなのになあ」

「コンソメスープとトマトは合うから。粉末バジルと粉チーズも入れてあるし、ほら」

 突きつけられたマグカップに嫌そうな顔で鼻を近づけた巳茅が匂いを嗅いだ。

「うっええ、やっぱ無理!」

 思わず鼻を手で覆う巳茅だったが悲劇はそこで起きる。

 鼻へ向かう手がカップに接触してしまったのだ。

「あ!?」

 乾いた音を立て床に落下したマグカップがスープを撒き散らし、円を描いて止まった。

 兄と妹、固まったままそれに目が釘付けとなる。

「こ、これはさ、偶然が重なった悲劇で~悪気があった訳じゃないの、お兄ちゃんもわかってるよね~、当然わかってるよね~?」

 恐る恐る兄へ目をやる巳茅、その顔は何故かぎこちない。

 パンッ!

 道矢が目の前の蚊を退治するように両手を叩いた。

「わかってるって、何年お前の兄ちゃんやってると思ってんだ。うっかり手が動い たってヤツだよね、うん。つか動いちゃうよね、何か嫌いなの目の前に来ちゃっ たら無意識に払っちゃうよね。わかるわかる。でもさ、ポイントカードとかキー ホルダーじゃないんだから下に落としたら終わりなんだよね、食べ物は」

「……あ! でも落として三秒以内なら大丈夫……」

「じゃねぇよ、お前が思うよか何千倍もばい菌だらけなんだぞ床はよ。それよりお 兄ちゃん前々から言ってたよな、食べ物粗末にする奴はどうしようもないクズ  でー、はよ死なんかい!! ええからはよ死なんかい!! っていう救いようの無いゴミ クズ? って言ったよな。ってかお兄ちゃんの話聞いてる?」

「ひ、ひゃい! き、聞いてまっす!」

「本当か?」

 僅かな光が残る半開きの目で妹の顔を覗き込む。

 他人が見たら寝起き直後の目にしか見えないが、巳茅にはそれが兄のブチ切れ寸前の顔だという事を良く知っていた。

「き、聞いてますよ、お兄様」

 どんよりと死んだ魚みたいな目がこちらの目を捉えて放さない。

「お前はゴミクズじゃないよな?」

「はは~! 違いまする~。食べ物を粗末にする気など毛頭ござらんです。ついつい手がうっかり出てしまったのでござりまする!!」

 巳茅が素早く床に座り込み、土下座ポーズを取るとヘコヘコ頭を下げた。

「そうか……ならいいんだ」

 辛気臭い目に光が戻り、いつもの少々間が抜けた顔に戻る。

「ん? お前何やってんの?」

 兄が通常モードに返ったのを見届けた巳茅がすくっと立ち上がった。

「いや~、ちょっとそこに十円玉落ちてる気がしてね~」

 手をヒラヒラさせて舌を見せる。

「十円拾うのはいいけど、あんまそんな格好人に見せるなよ。一応女の子なんだから」

「へ~い」

 口とは裏腹に巳茅の心臓はバクバク鳴りっぱなしだった。

 そして安堵の息を吐くと同時に心の中でこう叫んだ。

 ……お、お兄ちゃんっ!! サイッコ~!! 人畜無害な顔から何人か殺っちゃったみたいな顔に変貌するお兄ちゃん、デンジャラスっぽくてサイッコ~!!!

「ところでさっきスープ落とした事で怒り過ぎた……気がする。やりすぎだったらゴメンな、巳茅」

 顔を引っ込め恥ずかしそうに頬を掻く兄に、首を左右に振りながら巳茅は更にこう思った。

 ……ヤンデレってんですか~、お兄ちゃんかわいい~!! うししし~、その照れる顔たまんね~!!

 何とも残念な兄妹である。

「と、ところでまだ少しスープ残ってるからそのカップ焼きそば食うのやめなさい」

「え~? ちょ、ちょっとそれはまたの機会に~」

 兄の一言で我に返った巳茅がカップやきそばを頭上に掲げた格好で勢い良くキッチンから飛び出すと廊下の向こうへ消えて行った。

「……はああー」

 ゲンナリとした表情を浮かべ、手にしたマグカップに目を落とす。

『美味しいのが一番だけど、体に良くなくちゃね』

 亡き母の声が道矢の頭に流れる。

「だからこうして工夫してるんだけどな……くそ、巳茅の美味しいって口、また見る事出来なかったか」

 独り呟く道矢が床に広がったスープを雑巾で拭き始める。

 その背後から声がした

「おい、人間」

 ビクンと背筋を伸ばした道矢が振り向く。

 そこには変種土魚を片手で仕留めた女子がいつの間にか立っていた。

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