第41話

「ちょっと待ってて!」


 佳花は秀人の姿を認めるなり窓を開けて言い放った。

 すぐにぴしゃりと窓を閉め、二階の自室から玄関へ直行しようとして気付いた。

 今の佳花の服装は色気も何もないスウェットの上下である。肌と髪は明後日がピークになるよう磨き上げてきたので良いにしても、一年ぶりに好きな相手に会う時の服装ではない。佳花のオトメゴコロが許さない。

 部屋を飛び出そうとしていた足をなんとか留めてクローゼットを開ける。確か一着くらいは可愛いパジャマがあったはずだ。

 あまり待たせるわけにもいかない。乱雑に引っ張り出してスウェットを脱ぎ捨てパジャマを着こむ。鳥肌が立つほど冷たかったが気合で耐える。オシャレは我慢だ。

 ついでにアウターを一枚羽織って階段を駆け下りた。せっかくなら足元も飾りたかったが、ドア一枚隔てた先に秀人がいると思うと気が急いた。玄関に出しっぱなしのサンダルをつっかけて飛び出した。

 蹴り開けるような勢いでドアが開いたことに驚いた秀人の顔が目に入った。


「ほんとにまっつーだ」


 顔を合わせて最初に出たのはそんな言葉だった。

 一年間、帰ってこないかなと考え続けた相手。二階から顔は見えていたが、佳花の願望が見せた幻ではないかと疑い半分だった。

 目の前にいる秀人は間違いなく本物だった。

 ただし記憶にある秀人より体が一回り大きくなり、雰囲気が柔らかくなっていた。

 学校にいる時は周囲全てを警戒するようにピリついていたが、今は攻撃性を感じない。

 不思議と牙が抜けて人格が丸くなったようは見えない。むしろ全神経を集中する敵がいるから、それ以外に対して攻撃性が発揮されないような、そんな印象を受けた。


「ほんとにってなんだよ」

「まさかこんなタイミングで会えるとは思ってなかったから」

「あー、メッセくれたのに返信できなくて悪い」

「それはいいから。前にも言ったけど、メッセなんて無理してやりとりするものじゃないし。……こまめにくれたら嬉しいけど」

「善処する。そういや俺も驚いたよ。相沢の家ってここだったんだな。意外と近い」

「公立の同じ小学校にいたくらいだからね」


 小学校は義務教育である。公立の場合、通う小学校は住所がどの学区にあるかで決まる。同じ公立小学校に通っていた者同士ならば家はそう遠くない。

 相沢家は鈴片家から高校への通学路に近い場所にある。

 家に帰る前に高校へ行ってみようかと思った秀人は、ふと思い出して佳花へ電話をかけた。静まり返った住宅街では佳花の声が意外なほど響いた。

 もしやと思い声がした方へ進んでみるとそれらしい家があった。試しに挨拶してみればドンピシャで佳花の家だった。


「まっつー、上がってよ。ウチ、ずっとお通夜みたいな雰囲気でさ。ほら、変なやつがいるかもって思うとうかつに出歩けないし。フツーに話せる人に飢えてるんだよね」


 それは佳花の精いっぱいの誘い文句だった。

 早口にそれらしい理由をいくつも重ねて、これは告白とかじゃないですよと自分にも言い聞かせる。

 もうすぐ世界が終わる。そのことは分かっている。隕石をその目で見て、どこの誰も絶望的だと言う。明るいことを言う人は気がふれたか諦めがついたかのどちらかだ。両親の態度に否応なく現実を突きつけられる。

 告白でもして、世界が終わるまで一緒にいたいという気持ちがあった。

 けれど告白することはできなかった。


「悪い、あんまり時間がないんだ。上がってくのは――」


 きっとこう言われるのが分かっていたからだ。

 告白したところで似たようなことを言われてそれで終わりだっただろう。

 ちらりとスマホの時計を見て、秀人は残念そうな顔をする。


「――ま」

「あーあ残念」


 佳花は秀人の言葉を遮った。涙声になりそうなのをこらえる。

 泣くな。絶対に泣くな。泣いたら告白したのと同じだ。そんなの絶対嫌だ。

 いっそ今告白してしまえば、フラれても辛いのは一日二日で済むじゃないかと考えて、即座に却下した。

 今からの一日二日はつまり、死ぬまでということだ。

 残りの一生を辛いままで過ごし、みじめな気持ちで死ぬということだ。

 佳花は秀人に、告白しなければ終われもしないと言った。その言葉に嘘はない。

 ただ、佳花は終わらせたくなかったのだ。

 秀人が咲希のことが好きだと言った。実は佳花のことを好きで、なんて妄想は本人手ずから壊してくれた。

 告白しなければ結果は確定しない。誰にだって現実に起きていない行動の結果は分からない。人の心が絡むことならなおさらだ。

 曖昧なまま中途半端に終われば「あの時告白してれば最期を一緒に過ごせたかもしれない」なんて考えることが出来る。行動に移してフラれてしまえばそんなことすらできなくなる。

 笑え。悲しい気持ちはおくびにも出すな。好意を臭わせることもするな。

 結局耐えられそうもなくて、負け惜しみを言いながら秀人に背を向ける。


「せっかく一番可愛いあたしを見せてあげようと思ったのに」

「あ、それ見たいな」


 すると秀人はこともなげに言うのだ。

 半回転して背中を向けていた体をさらにもう半回転する。秀人は愉快げに笑っていた。


「前にメッセで話してたもんな。世界が終わる日に一番きれいな自分になるって。そうなるように調節しているって」

「……覚えてたんだ」

「当然」

「世界が終わるのにそんなことにこだわって馬鹿みたいって思ってるんでしょ」

「ンなわけあるか。むしろ感心した。世界が終わる瞬間に一番の状態ってことは、世界が終わらなかった時には最強の自分でスタートダッシュ切れるってことだろ」


 まただ。

 秀人とのやり取りは時たま佳花に世界が終わらない未来を想像させる。

 学園祭の時もそうだった。その日のメッセは『今度は俺も行く』という言葉で締めくくられた。一年後には学園祭も何もないはずなのに。

 世界が終わる。もう駄目だ。せめて生きているうちは。

 そんな後ろ向きな言葉に囲まれる中で未来を思わせる言葉は一際強く聞こえた。


「相沢、残念会の話ってまだ生きてるか? 俺が咲希に告白してフラれたら時間とってくれるって言ってたよな」

「今から告白してくるの?」

「今日明日は無理だな。とりあえず五日後くらいに告白するとして、一週間後に予定あけといてもらえないか。で、その時に見せてくれると嬉しい」


 佳花は思わず噴き出した。

 残された時間は丸二日もない。どうやって五日後に告白するというのか。

 未来を思わせるどころではない。冗談か何かに聞こえてきた。


「一週間後ってもう地球が無くなってるじゃん。あけとくも何も予定なんか入れないよ」

「じゃあOKか」

「なんなら明後日から先、ずっとあけといたげるよ」

「まじか、気前いいな。言質とったからな。後からナシってのはナシだぞ」

「はいはい。いいですよー」


 泣きそうな気分も忘れて笑っていた。

 告白みたいに聞こえることを言わないでおこうと考えていたことすら忘れていた。

 馬鹿みたいだ。

 どうせ果たされることのない約束をするなんて。

 そして、そんな約束をしたことに舞い上がっていしまうなんて。

 この思い出だけで幸せに死んでいけるだろうなんて。


「……時間か」


 秀人のスマホが小さく振動した。アラームを設定していたらしい。

 スマホを取り出しさっとアラームを止めると、秀人は再び佳花の方を向いた。


「時間とってくれてありがとうな」

「どういたしまして。あたしも久々にまっつーと会えてうれしかったよ」

「ああ、俺もだ。……なあ相沢、明日の夜、日付が変わるころ。空を見てみないか」

「明日の夜の空って隕石が降ってきてるよね。そんなの見てどうするの」

「きっとびっくりすると思う」


 秀人は笑った。

 あまり口角を上げず、穏やかに。

 一年前に佳花が似合うんじゃないかと言ったような笑顔だった。

 どくんと胸が高鳴る。

 秀人が踵を返そうとする。高鳴っただけ胸に寂寥が訪れる。

 いっそ当たって砕けろ、なんてこの時には考えてもいなかった。無意識のうちに足を踏み出していた。

 次の一歩を踏み出せなかった。

 ごう、と唐突に突風が吹いたからだ。

 佳花はその場にとどまるのがやっとだった。

 とっさに目を庇った手をどかした佳花が見たのは、戦闘機とヘリコプターを足し合わせたような真っ黒い乗り物だった。空中に停留し秀人の間近にロープを下ろしている。

 秀人はロープをためらいなく掴み、登っていく。

 佳花はあっけにとられた間抜け面で、秀人の背中を目で追った。

 すると秀人はロープを登りきる寸前で佳花に振り返った。


「さっき言いそびれたけど――」


 通常のヘリコプターに比べればはるかに静かだが、それでも巨大な飛行機械だ。風と駆動音で秀人の声はよく聞こえない。

 けれど、次の言葉は確かに佳花の耳に届いていた。


「――また今度な!」


 佳花はぽかんとしたまま秀人が乗り込んだ飛行機を見送った。

 また今度。

 最後の言葉の意味を考えながら。


―――


 飛行機内にて。


「ふうん、あの子が幼馴染ってやつか?」

「いや、女の幼馴染には会えずじまいだった」

「いいのか?」

「いい。そういう巡り合わせなんだろう。それに世界が終わらなければいくらでも機会がある」

「は、ホケツのホケツでパイロットになったヤツが大きく出たな」

「補欠の補欠でもパイロットだ。大口叩いてやる気になるなら悪くないだろう」

「まあな。で、幼馴染じゃないならさっきの女は何なんだ」

「相沢は……付き合いの長い友達だ」

「トモダチぃ? お前に友達なんていたのか」

「失礼なやつだな。まあ、アレだ。今んところ唯一の友達だ」

「なるほどな。それであんなに格好つけたのか」

「言わなきゃ予備枠のメンバーなんて分からないからな」

「……で、気合は入ったか」

「ああ、バッチリだ。なんなら一人で隕石バラしてやろうか」

「そりゃイイ。なんかあったらぜひがんばってくれ」

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