第11話
一年後に世界が終わるからといって入院患者がいなくなるわけではない。
つまみだした分を含めて若干減りはしたが、家族が受け入れを拒否した人がいたり、仕事をやめて時間ができたからと健康診断に来て大病が見つかった人がいたりと差し引きはトントン。
薬を飲んでいるか確認をしたり、体を拭いてやったり、簡単な検査をしたりと真治はてきぱき仕事を片付けていく。
「いつもありがとうね。こんな年寄りの面倒見させて申し訳ないわ」
「とんでもないです。好きでやってることですから気になさらないでください」
看護師が減っていることは入院患者なら誰でも知っている。こうしてお礼を言われる機会も増えた。
真治は笑顔で対応する。仕事だからではなく、お礼を言われることが嬉しいからだ。
同僚から引き受けた分の患者のもとを回り終え、真治が担当する最後の患者のもとへ向かっている時だった。近所の中学校の制服を着た少女が廊下を歩いてきた。
「あ、小百合ちゃん、おはよう」
真治が笑顔で挨拶すると、小百合は小さくお辞儀をして「おはようございます」と返した。
「今日もお見舞いにきてくれたの? いつもありがとう」
「いえ、別にお礼を言われるようなことじゃないです。プリントを届けに来てるだけなので」
「それでもこまめに顔を見せてくれる人がいるっていうのはありがたいことだよ」
「そうですか。わたしは学校があるので失礼します」
「引き止めちゃってごめんね。じゃあまた」
小百合は会釈して真治が来た方へ歩いていく。
その背を少しだけ見送り、真治は最後の患者のもとへ向かう。
病室の扉をノックすると「どうぞ」と病人のものとは思えないほど快活な声が返ってくる。
「おはようございます」
「おはよう、歩くん。今日も元気そうで何よりだ」
病室に真治を迎えた前島歩はにこにこと笑っていた。
ベッド脇のテーブルには皿と二本のフォークが置いてある。まだ朝も早いというのに小百合はゆっくりしていったらしい。
「さっき小百合ちゃんとすれ違ったよ。朝に来るなんて珍しいね。いつもは夕方とか夜なのに」
「昨日渡し忘れたプリントがあるってわざわざ来てくれたんです。ぶっちゃけどうせ学校行けないんでもらってもアレなんですけどね。渡すにしてもメールでいいような気がします」
「確かに。今時ならプリントを写真にとってメッセで送るとかでよさそうだけど」
「まあ僕としては松葉さんが来てくれるんでプリント万歳なんですけどね」
歩はからからと笑った。
小学校を休みがちで、中学校に進学するのとほぼ同時に入院生活に入った歩は友達が少ない。時折お見舞いに来る小百合は同年代で唯一の話し相手であった。歩がねだって学校の話を聞くことも多い。
「早速ですけどお願いできますか」
「もちろん」
歩がベッドの傍らに置いてあった車椅子に乗り込むと、真治が車椅子を押す。
向かう先はリハビリテーション室。歩はここで日課のリハビリを行う。
歩は運動能力が次第に衰えていく病にかかっている。原因は不明で治療法も見つかっていない難病であるが、運動することで進行を遅らせることができる。そのことが分かって以来、リハビリは歩の日課となった。
リハビリ室程度の距離であれば自力で歩いていくこともできるが、足取りがおぼつかず危険なので往復には真治が手を貸してやっている。歩の病室へ最後に向かうのも時間を確保するためだ。
歩はリハビリに熱心だ。体調が良い時であれば自ら負荷を上げ、体調が優れなくても少しは体を動かそうとする。
怠れば歩くこともできなくなると考えれば熱心さも当然と言える。しかし病の進行速度を考えると、あと一年運動機能を維持するだけならここまでする必要はない。
「今日も熱心だね」
歩行訓練を終えて汗まみれで息を切らす歩についそんなことを言った。
普段の真治とは違う、聞く人によっては皮肉のようにも聞こえる言葉。
失言だ、と真治は内省する。歩に思うところはない。それどころか気持ちのいい挨拶や礼を言う歩の手伝いは真治にも楽しいことだ。
どうしてこんなことを言ってしまったのかと考えると思い出されるのは一件のメッセージ。思考の片隅に追いやったつもりでいたが、ささくれのようにずっと気になっていた。
どうフォローしたものか考えるが、歩は真治の言葉を皮肉と捉えなかったようでへへへと笑った。
「実は目標がありまして。世界が終わる前に両親とまた出かけたいなって。そのために体力を落としたくないというか、できれば上げていきたいなと」
「なるほど、それは確かに頑張らないといけないな」
理由を聞いて納得がいった。歩が元気なころ、両親とよく遊びに出かけていたという話を聞いた。
きっと両親にとってもうれしいだろうと思う。家族仲が良いにこしたことはない。
歩が屈託なく笑ったことに安堵していると、歩は真面目な表情でぐっと頭を下げた。
「個人的な理由で、手伝ってくれる真治さんには申し訳ないんですけど、これからもお願いします」
「任せろ。リハビリの手伝いも仕事の内だし、歩くんと話していると私も元気が出てくるからね。むしろ手伝わせてほしい」
「ありがとうございます! そのうち真治さんに何か差し入れ持っていけるよう頑張ります!」
「楽しみにしてるよ」
顔を上げて明るく笑った歩に真治も笑顔で返す。
歩の病気は原因不明だ。これから運動能力が上がっていく可能性は低い。
しかし、原因が分からないのだからよく分からないうちに快復する可能性だってある。そうなってほしいと思う。差し入れを楽しみにしていると言ったのは紛れもない本心だ。
「じゃあ最後にクールダウンをしっかりやって戻ろうか。オーバーワークは怪我のもとだからね」
「はいっ!」
いつまでも汗まみれのままでは風邪をひいてしまう。クールダウンを済ませた歩にタオルを渡し、着替えを待つ。その間に午後の仕事の予定をまとめておくことが日課となっていた。
―――
いつも通りの一日を何度か繰り返したある日のこと。
おおむねいつも通りの一日を終え、真治が家路についたのは午後十時。夜勤やもっと遅いこともあるが、数少ない看護師を過労死させるわけにはいかないと極度の残業は止められている。
人手が足りず仕事が終わらないという直訴は「なら仕事を減らす」という院長の一言で跳ねのけられた。具体的には入院患者の数が減った。
とはいえ肉体労働、頭脳労働、細かい作業と頭のてっぺんから足のつま先までまんべんなく酷使したおかげで疲労困憊だった。
「そういえばもう買い置きの食材なかったか。インスタントで済ませるか」
帰り道、のたくた自転車をこぎながら夕食の材料がないことを思い出した。
深夜営業しているスーパーもあるが自宅から少し遠い。今から買い物に行く気力はなかった。
コンビニによることさえ億劫で、まだ残っていたはずのインスタント麺でも食べようと考えながら自宅へ向かう。
冬の夜風に冷えながらアパートの階段を上る。自室がある二階の通路で真治は足を止めた。
「遅いし」
「……は?」
真治は両手で目を覆いマッサージした。
ひどく見覚えのある姿が自室の前にあったからだ。
もしかすると勘違いしているだけで別人かもしれない。向こうも真治に声をかけてきたが、向こうも勘違いしている可能性はある。
あるいは疲れが見せた幻覚かもしれない。目の前の少女を幻視するほど恋焦がれた覚えはないが。それは真治の弟のすることだ。
マッサージしても目をこすっても眉に唾をつけても少女はいなくならなかった。
幻覚でも勘違いでもないことをようやく観念した真治は、ため息交じりに口を開いた。
「なんでいるの、咲希ちゃん」
「説明はするけど、そろそろ家にあげてほしいんですけど。寒いんですけど。代わりにご飯作ってあげます」
咲希は右手にぶらさげたスーパーの袋を真治に突きつけた。
よく見れば手は真っ白で唇は青っぽくなっている。冷え切っているのは明確だった。
なんなんだ、と思いながらも真治は弟の幼馴染を伴って自室に入った。
到底いつも通りとは言えない一日の終わりだった。
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