第9話
最初は映画に行くと決めていた。デートコースはいくつも考えたが、そのほとんどが最初に映画館に行くものだった。
健治は流行りの映画を見に行く程度。咲希も興味が湧くものがあれば行く程度。二人とも特別映画が好きというほどではない。
なぜ映画に行くかと言うと、話題を作るためだ。
健治と咲希は普段から頻繁に会話している。これまで咲希に話しておらず、咲希が興味を持ちそうな話題は健治の手持ちに多くない。仮に話題が無くなっても思い出話という幼馴染ならではのカードがあるが、それは切りたくなかった。
思い出話にはほぼ確実に秀人が出てくる。せっかくの初デートで他の男の話題を持ち出したくはない。
上映されている映画はアクションの大作からラブロマンスまで幅広い。デート的にはラブロマンスを選ぶのが王道な気がしたが、以前ちょっと気になると咲希が話していた少女漫画が原作のラブコメ映画を選択した。健治も原作は履修済みなので、面白ければ普通に盛り上がれるし残念な実写でも残念さを笑うことができる。
もう咲希が映画を見た後かもしれない、というのが懸念事項だったが、幸いまだ見ていないようだった。
「雑誌の写真だとコスプレ感ありそうだったけど、映画で見ると違和感なかったね。見に来てよかったわ」
「うん、俳優さんたちも全力でコメディしてて面白かった」
映画はなかなかのクオリティだった。クソ映画とこき下ろすよりも面白かったと盛り上がりたかったので、心の中でその素晴らしいクオリティにスタンディングオベーションした。
目星をつけておいたレストランで昼食にする。コースを決めるうえで一番悩んだのが食事だった。咲希がデートの時にデート的な食事を期待しているか、好物を食べたいか分からなかったからである。そして咲希という女は、写真映りがよさそうなものよりもがっつりした食事が好きなのである。
最終的に選んだのはピザが売りのレストランだった。咲希も健治も好きな食べ物で、かつ見栄えもよくてがっつりしている。一度秀人と来てメニューと味は確認済み。小さいピザを頼めばお互いのを交換できるとデートっぽくていいよね、という考えもあった。
そしてその考えは正解だったらしい。咲希はピザに舌鼓を打ち、映画の話で盛り上がることができた。
昼食後、腹ごなしにウィンドウショッピングなど予定を順調に消化していった。
健治にとって人生で指折りに楽しい時間なのに、一秒過ぎるごとに心臓を締め付けられるような感覚があった。
理由は分かっている。告白する時間が近づいているからだ。
別に、フラれたところで咲希との人間関係が終了するわけではない。デートに誘おうと思えばまた誘える。
しかし、咲希は人間関係の線引きが厳密だ。一度告白されて断ったなら、相手に余計な希望を持たせないためにも一定の距離を縮めることを許さない。そんな現場を何度も目にしてきた。
健治が長い付き合いだと言っても、長い付き合いだからこそ、より確実に距離を置こうとするだろう。
楽しければ楽しいほど告白するのが怖くなる。
「でも、ここは日和っちゃ駄目なところだよなぁ」
「健、何か言った?」
夕暮れ時の公園でうそぶいた健治に、咲希が振り返った。
デートの最終目的地は近所の大型公園だった。
小さい頃、よく連れて来られたのをよく覚えている。
咲希は走り回り、秀人は黙々と筋トレまがいの運動をしていた。健治は二人のどちらかについて歩いていた。
久しぶりに二人で来たいと思っていた。咲希は退屈しないか心配だったが、遊具を見て懐かしいと目を輝かせていた。
「めっちゃ楽しいなって」
「わかる。普段あんまりいかない場所にも行けるし、懐かしいとこに来たら二人で盛り上がれるし」
「よかった」
心から思う。
健治なりに咲希が好きそうな場所や楽しめそうな場所を盛り込んだつもりだったが、それがあっているかどうかは蓋を開けてみないと分からない。咲希が楽しめそうなコース、と銘打っても理由をつけて自分が行きたい場所を優先しているのではないかと悩みもした。
「咲希が楽しいならよかった」
「健ももっと気を抜いて楽しんでいいんじゃない? 今日はずっと緊張してる感じだったよ」
「エスコートしなきゃって気負っちゃったかも」
「じゃあしょうがないか。言ったの私だし」
咲希が朝、エスコートよろしくと言っていたことを思い出して小さく噴き出した。
けどきっと、そんなことを言われていなくても健治の態度は変わらなかった。もともと精いっぱいもてなすと決めていた。
「それに、緊張してたのは自分のためでもあるから」
「そうなの?」
「うん、僕は咲希が楽しんでくれるのが一番うれしいみたいなんだ。だから絶対楽しませてやるぜって思ってた」
「なにそれ」
咲希はおかしげに笑う。
健治も笑うが、言ったことは全て大真面目だ。
しぶい顔をする秀人に頼み込んで店を巡ったのも、恥を忍んで友人に聞き込んだのも、すべては咲希と楽しく遊ぶため。
「僕は咲希が好きだよ」
公園を歩きながら、言葉がするりと口を出た。
今日の緊張とはまるでそぐわない、あっけなくあっさりとした告白。
咲希はぽかんとした顔で健治を見る。
健治も驚いていた。本当はこの先、夕日が差し込む広場で告白しようと思っていた。
――ああでも、しょうがない。言っちゃったし。
きっと健治が一番言いたいタイミングだった。予定が狂ったのに焦りや悔いがまるでない。
不思議と穏やかな気持ちで健治がじっと咲希の目を見返していると、咲希が前を向いた。
「えー」とか「あっと」とか「そう来たか」とつぶやく横顔はこれまで健治が見たことない表情だった。夕日が無ければ頬が赤いことにも気づけただろう。
しばらく二人して無言で歩く。やがて当初告白しようと思っていた広場にたどり着く。
「……あのさ、私、恋愛ってよく分からないんだよね」
咲希は健治の方を向かないままぽつぽつと語り始めた。
「告白されることはそこそこあったけど、してきた相手に興味なかったし。告白されてから相手を意識してーなんてよくある話だけどさ、よく知らない相手から一方的に注目されてるって普通に怖いし」
健治は気合で表情を変えなかったが、口の端はぴくぴくしていた。告白して意識させようと考えていたので、聞きようによっては健治に告白されても怖い、とも解釈できる。
僕はよく知らなくない相手じゃないから、これは過去に告白された時の感想だから、と健治は自分に言い聞かせた。
「興味ない相手に告白されるってデメリットしかなくてさ。断るのも面倒だし、そういう目で見られてるのかって思ったらきもいし警戒もする。なのに相手によっては余計な嫉妬まで買うんだからやってられないよ」
「うん、なんとなくわかる」
そういった事情が重なってトラブルが発生したこともある。当事者の咲希ですら全容がつかめないほど人間関係がこんがらがって、最終的には秀人が力技で解決した。
解決といっても咲希を問題の中心から引っこ抜いただけの対処療法だったが、しばらくすると沈静化した。咲希とは無関係なところで発生したトラブルも多く絡んでいたらしく、そちらがどうなったか健治は把握していない。
健治はうかつに手を出せなかった。トラブルが起きた時に男に助けられたら咲希がやっかみを買うのではないかと警戒したからだ。
警戒した事態は起きなかった。助けたのが学校中で腫物扱いされていた秀人だったためである。
「健も何かあったの?」
「僕はないよ」
実のところ、健治は一度だけ告白されたことがある。その時どう断るのがいいか考え込んだので断るのも気を遣う、というのはよくわかる。
他に好きな人がいる、と断ったら相手は「やっぱりかー! ちなみに岩井だよね? 違ったらめっちゃびっくりなんだけど」と極めてあっさりした対応をした。傷つけたりしないか気をもんだのは僕だけか、と当時はちょっとだけ釈然としなかった。
余談だが、告白してきた女子はそのあとに別の男子を口説き落とし人生をエンジョイしているという話が伝わってきた。
「意外。中学入った時から身だしなみ整えてたし、結構告白されてると思ってた」
「僕に告白しようって人がいたか知らないけど、今にして思えば咲希が好きだって態度でバレバレだったんだろうね」
「お、おう」
一度口にしたことで吹っ切れたのか、抵抗なく好きと口にした。咲希は微妙に居心地悪そうにもぞもぞしているが、決して嫌がっている様子ではない。
咲希が好きだと秀人にはあっさり言い当てられていた。
友人たちが健治を合コンに誘うこともなかった。
仲間外れかなーと思ったことはあったが、健治に対して気づかわしげな様子だったので理由があるのだろう、程度に思っていた。実際、他に好きな子いるやつを誤解されるかもな場に誘うのも悪いよなーという純然たる気遣いだった。
「あのさ、好きってどんな感じ?」
顔をふせながら、咲希は健治に視線を向けた。
「恋人の話をする人ってだいたいシアワセそうなんだよね。だから興味はあるけど、それがどういう気持ちなのかよくわかんない。まだ好きな人がいないのかもしれないし、いるけど気づいてないだけかもしれない。それさえわからない」
まくしたてるように言って、視線を落とす。
咲希が健治の気持ちに気付いていても一切態度を変えなかった理由のひとつがそれだ。
恋愛感情としての『好き』を健治に対して持っているか分からなかった。
健治が好きではないなら、そう分かるように態度で示して見込みがないと伝えることができた。
健治が好きなら、告白してくれれば付き合うと態度で示すことができる。なんなら咲希から告白してもよかった。
自分の気持ちが不確かだからどんな行動もとれなかった。
「どうって改めて聞かれると難しいな。ぶっちゃけ僕には咲希の気持ちが分からないし」
眉間にしわを寄せながら、健治は直截に答えた。ざっくりと言われた咲希の視線はもう一段深く沈んだ。
健治には咲希の気持ちがよくわからなかった。
健治は間違いなく咲希が好きだと言える。根拠はと言われたら困るが、好きだという答えに間違いはないと断言できる。
その確信はいつから、どうやって発生したのかもわからないほど自然と獲得していたものだ。
だから、好きが分からないという咲希の気持ちが分からない。
「でも、分かりたいと思う。咲希が知りたいなら力になりたいと思う」
咲希の顔が上がる。
「よかったらさ、もっといろいろ話してみよう。僕も恋愛の話とかぜんぜんしてないし。恋愛に対する咲希の考えもぜんぜん知らないし。咲希だって僕の好きがどういう気持ちか、わかんないでしょう」
「う、うん」
咲希がうなずいた。
目をぱちくりさせているが、嫌がったりしている様子はない。
そのことに安堵すると、いやに落ち着いていた心臓が少しずつ暴れ始めた。
……そういえば結局、付き合ってって言って無くない?
好きだと言った。しかし好きだからどうしてほしいとは言えていない。
そして今の、咲希には恋愛感情がよく分からないという話を聞いた流れで、付き合ってほしいと言うのは場違い甚だしい。このタイミングで言ってしまえば、まるで力を貸す見返りに付き合えと言っているようだ。
「えっと、じゃあ、これからお願いします」
どうにかタイミングを見計らって挽回できないか、と考えていると咲希が健治にぺこりと頭を下げた。
会話の流れから今後いろいろ話していこうと提案したことへの返答と判断した。
「うん、よろしく」
「健が期待してた通りにはできないかもしれないけど、私も頑張るから」
「ん?」
「どうかした?」
認識の齟齬がある気がした。
咲希が好きを知りたいなら話をしよう、という提案への回答なら健治の期待という言葉はないはずだ。
ということはまさか。
「念のために聞きたいんだけど、今のお願いしますって、何に対して?」
「何って、これから付き合うって……あれ?」
咲希の動きが止まる。数秒ほど無言の時が流れ、今度は夕日の中でもわかるほどはっきり咲希の顔が耳の先まで赤く染まる。
「そういえば健、付き合ってとは言ってない……? あれ、えっ、ごめんちょっとまってちょっと私今なにすっごい早とちり――――!?」
咲希はちょっとしたパニックに陥った。
健治も慌てる。告白が不十分だったと認識した直後に承諾をもらったせいでいまひとつ現実を呑み込めていなかった。
しばし二人でわちゃわちゃして、それから落ち着いて共通認識を作る。
「や、その、付き合ってほしいってずっと思ってたから咲希はあってる、正しいよ」
「いやでも今の話聞いてもそう思う? ぶっちゃけ私は健に恋愛感情あるかどうかも怪しいよ? 考えようによってはただ健を利用しようとしてる的な……」
「なんでそこまで自分を性悪にするんだよ。咲希は人を利用してどうこうとか『後でばれたら面倒臭いし』って言ってやらないだろ」
「……確かに! かえってめんどい!」
ある意味で自分より自分のことを理解している幼馴染の慧眼にはっとする。
「それじゃあ、改めて。僕と付き合ってください」
「はい。よろしくお願いします」
そうしてやっと、二人は付き合うこととなった。
―――
咲希を家まで送り、自宅のあるマンションへ向かう。
ずっと足元がふわふわしていた。どんなに高級な絨毯でもこれほど柔らかくはないだろう。
夢見心地とはこういうことを言うのか、とかろうじて頭に残っていた冷静な部分で考える。
なるほどうまいことを言うものだ。現実感がなくてぼんやりして、今にも布団の中で目を覚ましてしまいそうな。
「でも、夢じゃないんだよな」
マンションの階段を上がる。普段は憂鬱な通り道でさえもスキップ交じりで登ってゆく。
自室の扉を開けてもいつも通りただいまの声はない。今日はそのことさえ気にならなかった。
荷物を適当に放り投げ、ダイニングの椅子に腰かける。さっそく咲希に『今日はありがとう。楽しかった』とメッセージを送る。返信が来たタイミングで次はどこに行きたいか聞いてまたデートに誘う心づもりである。
続いて秀人に『咲希と付き合うことになりました。ありがとう』とメッセージを送った。デートに誘えたのも、付き合い始めることになったのも秀人がいたからこそ。背中を押してくれた秀人と喜びを分かち合いたかった。
メッセの画面を見ていると、ひとつの名前が目に入った。
『鈴片真治』。
端的に登録された名前は、ここ数年没交渉となっている兄のもの。
「どうせ死ぬなら後悔は残したくない。ダメでもともと。やってみれば案外うまくいくかもしれない。……よし」
健治は意を決して『久しぶり。今度食事にでも行きませんか』とメッセを送った。
ほどなくして咲希から返信があり、今度はどこかでゆっくり話をするということになった。健治は当たり前のようにデートの予定が決まったことが嬉しくて泣きそうになった。
しばらくして『おめでとう。よかったな』と秀人から返事があった。
兄から返事は来なかった。
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