第39話 「それでも俺がいい?」

 引き留めたのだ、とサーティン氏は言った。

 確実に、時間の流れが違う相手の手を思わず取ってしまったのだ、と。

 サーティン氏は無論自分とナガノ/シェドリスの間に実際にどんなことがあったか、などということは口にはしなかった。だが、口にはしなくとも、それは鷹には容易に想像できた。

 それで良かったのか、と鷹は訊きたかった。……明らかにこんな問いは仕事ではない。自分自身のためだった。

 そんな、時間の流れの違う相手に執着することは怖くなかったのか、と。無論変化しない人間同士にしたところで、関係は永遠ではない。短い生存年数の中で、またその中で、何度も何度も出会いと別れを繰り返すのだ。

 だが、その中で、永遠に近い関係を保っていける相手に出会えるのかもしれない。その短い生命を、それこそ年老いて死ぬまでの間を、一緒に生きてゆける相手に。

 だが、天使種は。

 同じ種族であったならまだいい。同じ時間の中を生きることができる。だが彼は同じ種族には、はじめから希望は持っていなかった。

 それが異性であれ同性であれ、天使種は、とにかく現在数が少ない。そして、その半分が追う身であり、半分が追われる身である。

 そんな中で、そんな相手に巡り会えることはまず少ない。そして、会ったとしても、その相手にそんな気持ちを持てるか、と言えば…… それはまた難しいのである。

 彼はオリイの黒い髪に何気なく指を絡めながら、別の相手のことを考えていた。

 遠い昔に自分が墜としたあの友人。とても好きだった。最初に会った時から好きだった。だけど何を本当に考えているかなんて、結局自分は判らなかった。そして自分もまた、その関係が永遠であるなんて考えていなかった。

 裏切られたとも思うが、心の何処かで、そんな予感を感じていたかもしれない。ずっと離したくない、と思ったことは、結局無かったのだ。

 なのに。

 腕の中の相手は、苦しい、と言いたげに身体を動かす。力を少し緩めて、彼は見上げる相手の目をのぞき込む。ああまただ。あの瞳だ。

 何処か奇妙な形を描くその瞳。時々不確かな形にゆらめく。永遠ではない。永遠ではないというのに。


 そんなことは大した問題ではないさ。


 涼やかな声が、響く。


 だって僕は君のことがまた判ったもの。


 そう言ったのだ、とサーティン氏は言った。ナガノは怖れない。そして花園の園主も。マリーヤは天使種と判っていて結婚し、そして離れた。だが関係を切った訳ではない。

 怖れているのはどうやら自分だけらしい。


「……お前は俺がどういう者だか知ってるね?」


 彼は目の前の相手に問いかける。知っているはずだ。何度も何度も、その「人間ではない」姿を見せつけてきた。相手が十歳をとったとしても変わらない姿なのにも気付いているだろう。

 なのに、オリイは迷うことなくうなづいた。   


「それでも俺がいい?」


 再び、相手はうなづく。

 思わず天井をふり仰ぐ。負けた、と彼は思った。

 いや、もうずっと昔から、自分はこの元被保護者に負けているのだ。本当に邪魔だったら、どれだけ泣こうがしがみつこうが、振り解いている。

 放せなかったのは、自分の方なのだ。

 あの友人は、自分のことを好きだったかもしれない。自分も好きだった。だけど自分のことを必要とはしていなかった。

 どうしようも無い感情で、きつく縛られていたかった。本当に、そんな感情を向けてくれるのなら、自分はそれに縛られよう。それが望みなのだ。

 いつかのように首に手を回す相手に、彼は応える。そのまま、髪を手に絡めたまま、ゆっくりと移動し、そして倒れ込んだ。何処でそんなことを覚えたのだろう、相手の手が、自分の衣服にかかっているのに彼は気付く。そんな手の動きを感じながら、彼は相手の頬や耳の下や、首筋にとゆっくりと触れていく。長い指は、薄いシャツの中に入り込む。

 だが次第に彼は、指以外の何かが、自分の皮膚の上を滑っていくのに気付き始めた。

 それは奇妙な感覚だった。熱帯に住む、小さな小さな虫が、大量に身体の上を動いていく時の感触にも似ていた。気が付くと、その感触は、次第に広がっていく。

 だがそれは決して不快ではない。虫ではないのだ。


 ああそうか。


 指にかかる髪の感触が、何か。

 夜目にも白い肌の、間に、黒く、髪が波打つ。

 巻き付いてくる。絡み付いてくる。


『……やっと、通じた』


 その時彼は、直接頭に響く声を聞いた。 

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