第37話 サーティン氏の答え

 ふっと顔を上げ、時計を見ると、既に夜も半ばを過ぎていた。このくらいにしよう、とオリイは髪をくくった紐をするりと解く。

 冷蔵庫の中からオレンジジュースを取り出してコップになみなみと注ぐ。それをごくごくと飲み干して、さあ眠ろうか、とベッドに向かう。今日はまだ元保護者は帰ってこない。ウェストウェスト主星に用がある、と言ったきり、戻らない。

 オリイはその間、Dear Peopleの編集部に行ったり、部屋の中で作業を続けていた。それは単調な時間だった。出かけて、仕事をし、食事をし、また帰って、仕事をする。

 出かけた時の仕事と部屋に帰ってからの仕事は別のものである。だが仕事は仕事だった。オリイは黙々と、文字通りそれをこなしていた。

 そして今日も、その単調な一日が終わるところだった。

 扉を叩く音がした。

 オリイは一度、聞き間違いかという様に頭を軽く振った。夜にはこういうことはよくあるのだ。アパートの扉をいたずらで叩いて、そのまま駆け出していく少年。救いを欲しくはないか、と問いかけてくる宗教の勧誘。そのどれにもオリイは反応しない。

 だがその音は違っていたらしい。

 二度目のそれを耳にした時、入りかけた毛布の中からするりと抜けだして、オリイは迷わずに扉の鍵を開けた。

 そして扉を開け、微かに笑った。


「ただいま」


 鷹は、抱きついてくる元被保護者を避けることはしなかった。後ろ手に扉を閉めると、そのまま自分から相手の背に手を回した。

 どうしたの、と言いたげにオリイはぽん、と鷹の背をはたく。だが彼は何も答えなかった。ただそのまま、しばらくの間、相手を抱きしめていた。


 

 そうだ、とサーティン氏はその時答えた。


「私は確かに、その時、彼を見ていたのだよ」


 鷹はその時戸惑った。確かに戸惑う自分が居たのだ。


「何もその様に言葉を無くす必要はなかろう。この世の中にはよくあることだ。ただ私の立場にある人間なら、一応の建て前として、妻を持つこともあろうがな。実際それも考えた」


 後継者のことか、と鷹は考える。それだけではない。確かに後衛を預かるものとしての「妻」は彼等実業家の世界では必要であっただろう。だがこの目の前の男はそれを拒否したらしい。


「だが、どうにもその気にはなれなかった。それは君の予想する通りだ。私はあまりにもナガノという人間に入り込みすぎていた。当時、私にとって彼は愛すべき仕事の一部であり、仕事がまた彼とだぶっていた。ある種の人間にはそういう時期があるだろう?何もかも忘れて何かに没頭する時期というものが」


 あるのだろうか、と彼は思った。少なくとも、鷹にはそういう「時期」は無かった。


「……いや、君には無いのだろう。ナガノもそういうことを言っていた。彼自身がそうだった。彼は私に言ったものだ。うらやましい、と」

「……うらやましい?」

「この退屈な人生の中で、そんな風に、何かに打ち込むことができる君がうらやましい、と彼はよく言っていたものだ。そういうものなのかね?君達の様な、種族にとっては」

「それは……」

「我々は、どれだけやりたいことがあふれていようが、時間切れでやり尽くせないということが多い。いや時間が限られているからこそ、やり尽くせないことを夢見るのかもしれん。だからそういう我々からしてみれば、君達の様な時間の有り余る種族はある意味、うらやましいというものだ。だが奇妙なものだな。そういう彼はこちらをうらやましいと言った」


 鷹は自分の胸の辺りがひどく冷たくなっていくのに気付いた。その冷たさは、胸から次第に広がって、腕に腹に足に……ゆっくりと全身を冒していく。身体が、固くこわばっていくかの様だった。

 普段は回避しているが、面と向かって言われたくは無いことというものが自分にもあったことに彼は気付いた。


「そのせいかどうかは知らないが、私が彼の持ち出した遊園地の話を実現させたい、ということを切り出した時には、奇妙な程喜んだものだ」

「……だけど彼にはその経験は」

「経験はそれなりにあったね。長い間一所には居られない、とは彼も言っていたが、数年一ヶ所に一つの名で居ることはできない相談ではない。彼は君達の軍を脱けた後、様々な職種を点々としたらしいな。仕事は、選ばなければ何かしらあったらしい。身体を壊すということだけは考えなかったから、彼はそれこそ何でも試したらしいが、その中で、何故か土木建築には惹かれるものがあったらしいな。時々傭兵に出て小金を稼いで、SPBに預けておいたそれで、無論別の名で、ウェネイク総合大に入ったんだよ」

「……あなたの母校でもありますね」

「彼と会ったのはそこだった」


 ウェネイクは。鷹は記憶の中からその風景を引っぱり出す。現在の帝立大学と、どう違っているというのだろう。現在のそこならば、彼は何度か足を踏み入れたことがある。気配を殺せば、あんな、雑多な場所は、身を隠すにはそう悪い所ではない。何処の学府も、決して景色は悪くない。ただし長居は、いつも以上に出来ない所だったが。


「私は青田刈りに行ったんだ」


 さらりとサーティン氏は言う。


「私の母校だ。きっと私の様に、何かがしたいのに、機会が無くてどうしようもない気分でいる奴が居ると思った。ただ、私の側からしたら、能力もまた必要なのだがね。焦燥に駆られている学生は山ほど居た。口も巧い者もたくさん居た。当時の私には、吐き気のするような厚顔な輩も居たものだ」

「ところが彼は違った?」

「違ったね」


 即答が返ってくる。


「何しろ最初の面談の時から、スポンサー候補である様な私に媚びる様な気配は全くなかった。大概の学生も研究生も、多少遠くても、良い条件で就職させてくれる所だ、と思ったらもうなりふり構わないのだろう。そんな中で、彼は違っていた。何せ、当時の教授が勧めても勧めても来ないというから、わざわざ呼び出したら、こう言ったものだ。『そんなことしているうちに、植民初期の建造物が焼けてしまったらどうするんですか』ちょうど彼はその実地調査に出る所だったらしい。そんなことだよ? そんなこと、だ」


 くくく、とサーティン氏はひどく楽しそうに笑う。


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