第36話 「変な奴だったよ」
「別に謝ることはないんだよ? 聞きたいなら聞けばいい。言えることなら言ってやるよ。別に隠す程のことでもない。だが、実際俺も大したこと知っていた訳じゃない」
「と言うと?」
ディックは首を傾げた。するとサイドリバーは、コップを持ったままふと天井を見上げる。
「何って言うかなあ…… 変な奴だ、と最初に思ったね」
「へ、変な奴?」
「そう、変な奴だった」
*
「変な奴だったよ」
とサーティン氏はひどく可笑しそうに言った。彼は鷹の予測に対しては、曖昧にどうかな、と言っただけで、自分自身におけるナガノ・ユヘイという人物の思い出を語り始めた。
「当時、私はとりあえずこのチューブを中心とするコロニー群の、基本的な形を作り上げたばかりだった。私はさすがにその成功に気を良くしていたね。何と言っても、まだ私も若かった。三十代に入ったばかりぐらいだ。人手不足という訳ではなかったが、面倒な仕事だったのは事実だったので、私を雇った先輩も、誰もしたくなさそうな事業を押し付けたのだろう」
「『先輩』はD伯ですね?」
「よく調べてるじゃないか。情報は大切だよ。侵入者君」
生きている年数的には、自分の方が上のはずなのに、鷹は自分が押されている様な気がしていた。判っている。そういうことは問題ではないのだ。
「そして、その成功と共に、次の手を模索すべく、私はあちこちを回り始めた。様々な星系をね。そこで成功しているもの、このウェストウェストには無いもの、そういったものをできるだけ探して、私はそれをどう取り込めるか考えたものだ。そんな折りだ。ナガノに出会ったのは。そして私は彼をウェストウェストに連れて帰った」
「何処で……」
サーティン氏は黙ったまま、微かに笑った。
「彼は変な奴だったね。知っていることはよく知っているくせに、私達の持つような常識が無かった。例えば若いくせに、ずいぶんと古いことにばかり興味と知識を持っていて、どうしてそんなことを知っているのか、そしてどうしてそれが好きなのか、我々にはさっぱり判らない。……ルナパァクに関することを私に伝えたのも、彼だった」
「そうなんですか?」
「そうだ。彼は実にその辺りの歴史について、よく知っていた。もっとも、後で調べるとあちこちにほころびはあるのだがな」
くっくっ、とサーティン氏は笑う。ひどくそれは楽しそうな笑い声だった。
「楽しい日々だったよ。彼と一緒に仕事をした、あの日々は。私もまだ若かった。スタッフも皆若かった。何処の誰とも知らないような相手であっても、とにかく能力があれば私は登用した。そういう場所であって欲しかったんだ、私自身。私自身が、かつての職場で味わった、ひどくもどかしい気持ちを、きっとそこで昇華させようとしていたのかもしれない。いやそれはどちらでもいいな。とにかく、才能のある奴らが、どうしようもない場所で押しつぶされていくのを見るのが嫌だった。あちこちに居たそういう奴らを集めて、私はルナパァクの計画をスタートさせたんだ」
「ではあなたがあの期間、何処にも見あたらなかったのは」
「単純に、私はあちこちに行っていただけだよ。他意は無い。だから、ナガノだけじゃない。他にも、何処のその類の世界ではそうそう知られていない奴が居るはずだ。何故君は、ナガノにこだわる?」
「言ってもいいですか?」
「言ってみたまえ」
「……あなたが数少ない過去の映像の中で、彼を見ていたからですよ」
なるほど、とサーティン氏はつぶやいた。
*
「俺にしてみりゃ、歴史好きで、古いもの好きで、そして妙に腕の立つ奴、という印象があった」
サイドリバーはゆっくりと語る。その間ににも、台所から流れてくる香りは、ディックの胃袋に襲いかかる。きゅう、と腹の虫が鳴ったので、思わず彼は手で押さえる。サイドリバーをそれを見てにやり、と笑った。
「で、奴もまた、結構大食いだったな」
「大食い…… ですか?」
「ああ。その割にはさっぱり太らないんで、当時周りに居た女の子のスタッフはずいぶんと恨めしそうな顔で奴を見ていたな。もっとも奴は、そんな周囲なんぞ全く目には入ってなかったが……」
「そういうもんですか?」
「奴は仕事熱心だったからな」
……何の根拠もなく、ディックの頭に、「嘘だ」という言葉が浮かんだ。
ふと彼の中に一つの疑問が浮かぶ。
「……そういえば、サーティン氏も結婚は」
「そーいえば、しなかったようだな。馬鹿な奴だ」
「馬鹿…… って」
ディックは思わず問い返す。さすがに雇用主に対するそういう言葉がこの男から出るとは思わなかったのだ。
「だってそうだろう? そうだと思わないか?」
「……いや、でも俺はまだ未婚だからよくは判りませんよ」
「未婚だ既婚だってことじゃないんだよ? 記者さん」
「ディックです」
「そうディック、所帯を持つ相手が居るかいないか、ということだよ?あんたは確かに未婚かもしれんがな、それはあくまで法律とかそういう面のことだろ?そういうことじゃないんだよ」
「……と言うと……」
彼は語尾をぼかす。一体サイドリバーは何を言おうとしているのだろうか。酔いが回りやすい体質なのだろうか、薄めた果実酒なのに、監督の顔は既にほんのりと赤い。
「……だからって、ずっと一人で居ることなんて、無かったのによ」
え?
独り言の様だった。独り言に違いない、とディックは思った。
「ま、いいさ。そんなのは奴らの勝手だ。俺の知ったことじゃない。それでいいっていうなら俺は知ったことじゃない。だがなあ……」
「あらあらまあまあ」
奥方が顔を出す。そしてすっと手を伸ばすと、夫の手からさりげなくコップを取り上げる。
「何だよまだ半分残ってるじゃないか」
「先にごはんですよ。せっかくのお客様が作ってくれているんですからね。ちゃんと味を見てくれなくては私は嫌ですからね」
そういう訳でごめんなさいね、と言って監督の奥方は、ディックからもコップを取り上げた。無論彼は快くそれを手渡した。サイドリバーはちぇっ、と舌打ちはしたものの、怒っている様子はない。
ディックはそんな二人の様子を見ると、何となく胸の中が暖かくなるような気がする。本当に。
長い時間を一緒に過ごすことの強さのようなものを、彼等のような年代の夫婦を見ていると時々感じることがある。もちろんそれは、どれだけ素晴らしいものに見えても、現在の自分達に当てはめることはできない。時間というものがそこには必要なのだ。
だけど、自分達がそうなるには、少しばかり、難しいものがあるような気もした。
自分はサァラの中の、足りなくてあがいているものを埋めてやりたいと思った。彼女が居ることで、自分の中のすき間が埋められるような気がした。今も、それは感じている。だけど、それは砂漠に水を撒くようなもので、一瞬だけ埋められたような気になったとしても、ずっとそれが続く訳ではない。
それはそれでいいのかもしれない。少なくとも自分に関してはそうだ。失った故郷への思いは、この地で暮らす忙しさの中で、次第に薄れつつある。
忘れる訳ではない。ただ、それは、遠い日の出来事として、懐かしく思うものに変わっていくのだ。
だがサァラの中にある空洞は、そういう類のものではない。彼女は知りたがっている。自分が誰なのか。何処で生まれて何処で育ったのか。
そしてどうしてここに居るのか。
足下がふわふわするのだ、と彼女は言っていた。背中が時々嘘寒くなるのだ、とも言っていた。毎日の忙しい仕事に追われている時はいい。だがそんな時にも、ふっと気を抜くと、そういう瞬間が来るのだ、と。
だから、自分はそんな時には、少しでも彼女を掴まえていてあげたいと思うのだけど。眠れない夜や、予期しない暗闇に脅える時には、その華奢な身体を抱きしめていてやりたいと思うのだけど。
「……どうしましたの?」
不意に、金属の輝きがディックの目を打つ。丸いスプーンが、自分の目の前に置かれて、彼は我に帰った。奥方の声ではなかったので、彼は思わずそちらに目をやった。
「アナさん」
「覚えていて下さったの? 記者さん」
「は、はい……」
先日とは違って、ずいぶんと穏やかな調子でアナ・Eは彼に微笑みかける。
「お口に合うかは判らないですが……」
「貴女が……」
大きな鍋が食卓の上に置かれる。四角いテーブルのそれぞれの辺に深皿とスプーンが並べられていた。奥方は鍋のフタを開ける。途端に、ふわりと独特の香りが立ち上がった。
「あれ?」
ディックは思わず声を立てていた。
「どうなさったの」
「この料理…… 貴女が、って言いましたよね」
「ええ」
アナはうなづく。そうだ確かに、この匂いには覚えがある。
「……アナさん、ご出身は何処ですか?」
「私?」
「何だい、唐突だなあ」
監督は呆れた顔をしてディックを見る。
「……いえ、何か変わったスパイスだなあ、と思って……」
「ああ、この料理のことね。私の故郷では珍しくもないものなのだけど。……って御存知?」
ディックはうなづいた。確かそこは、戦争中に結構な損害を受けた所である。
「まだ若い頃だったけど、そこから逃げ出して、ここまでやってきたのね。そしてあの子が生まれたのだけど……」
「大丈夫ですよ、必ず見つかります」
慌ててディックは付け足す。
「そうよね。見つけなくてはね。あの子は私をずっと待っているはずなのだから」
「そうですよ。絶対……」
「お前…… いい奴だなあ、記者さん」
ディックです、と訂正する気力はもう彼には無かった。
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