反帝国組織MM⑩ルナパァクで会いましょう

江戸川ばた散歩

第1話 次の仕事はルナパァク。

「まあったく」


 女は後ろ手にワンピースのボタンを留めながら言った。背中にボタンがついているタイプなんて選ぶんじゃなかった、と内心つぶやく。

 ちょうどひざの上に切り替えが来る、ローウェストの、ベージュとダークブラウンのツートーンのワンピースだった。

 椅子の上には、同じベージュのクロッシェハットが、薄手のコートと一緒に置かれている。

 そしてその帽子でいつもは押さえている髪が、ぱらりと落ちてくる。短いが、短いなりに気を抜くと跳ね回るその髪を、彼女はうるさそうにかき上げる。


「ああ全く。貴方っていつもこうなんだから。もう少しゆったり、余韻に浸らせてくれたっていいんじゃない? 鷹」

「だってあなたは、仕事の話で来たんじゃなかったの?」


 小気味いい程のよく通る声が、彼女の前を通り過ぎながら、楽しそうに問いかける。

 もう、と彼女はぱん、とベッドを両手ではたきながら、ややすねた表情をしてみせる。

 視界の中で、既に相手の男は細身の黒いパンツを身に付け、ベルトのバックルまで留めている。実に冷静。それだから腹が立つ。

 むき出しになった上半身に残る幾らかの跡が、それまでの自分との行為を思い出させる。だがそれ以外には何一つとして、鷹と彼女が呼ぶ男の上には無い。鍛えられた体。細身なのだが、それは無駄な肉が無いということでもある。


「……はいはい。どうせ私は貴方にとってはただのお仕事仲間ですものね。ふん」

「いえいえ、マルタは非常に有能なお仕事仲間ですよ」

「おだてたって、何も出ないわよ」


 鷹はにやり、と口の端を上げる。

 部屋の隅の小さなアイスボックスがぱた、と音を立てる。彼はそこから小さなびんを彼女に投げた。


「危ないわね!」

「あなたこれ嫌いだった?」

「アルヘン産のフラカジュース? ……ったく」


 こういう所が嫌なのよね、ときりきりとフタの周りの金属を切りながら彼女は思う。それは前の仕事で会った時に、これは好きだ、と何気なくもらしたものだった。

 ちゃんと覚えていることをこの男はわざわざ自分に見せつけるのだから、始末に負えない。

 淡い黄緑の液体。ふたを開けると、しゅっ、という音とともに、爽やかな香りが彼女の鼻をくすぐった。全く。


「……ルナパァクよ」


 彼女は一口含むと、そう切り出した。


「ルナパァク? 月の公園?」


 鷹は同じ大きさの、色の違うびんのフタを開けながら問いかける。


「とぼけるんじゃないわよ。そこが何だか貴方知ってるくせに。今回の仕事はそこよ」



 扉を開けた時、マルタは思わず息を呑んだ。

 この仕事仲間の被保護者兼同居人が、自分の方に視線を向けている。扉を開けた瞬間だ。

 いつものことなのに、まだ慣れない。

 部屋から出てきた自分を、じっと見つめる大きな目の、何処か奇妙な形をした光彩が、時々彼女は怖くなる。

 声でも掛けてくれれば、まだいい。だが、この同居人は、言葉を発しない。鷹が拾ってきてからこのかた、まだ一言も言葉を発しないのだという。

 言葉を解さない訳ではない。だから、発声器官に支障があるのかもしれない。

 だが本人がかたくなに医者にかかることを拒否するので、様子を見ているのだ、と仕事仲間は以前彼女に言ったことがある。

 彼女はじっと自分を見据える視線にやや圧迫感を覚えながらも、ぽん、と同居人の肩を叩いていく。


「またねオリイ。お仕事がんばって」


 するとオリイ、と呼ばれた同居人は、小さくうなづく。殆ど、この同僚の部屋を出る時に必要な儀式のようなものだ、とマルタは感じずにはいられない。

 彼女が出て行った後の部屋は、音もさほど無く、静まり返っていた。オリイは扉の鍵を閉めると、まだ自室に居るはずの保護者兼同居人の姿を視界に探した。

 扉を開ける。鷹は椅子の背もたれに大きく背をまかせると、胸の上で長い指を組み合わせながら、天井を見上げていた。オリイは扉をこん、と叩く。途端、鷹の視線が自分の方を向くのに嬉しくなる。

 身体を起こした同居人に近づくと、オリイはその大きな手を取って、「お仕事?」と書き付けた。そうだよ、と鷹はうなづいた。それは穏やかな口調だった。

 そして続けて「何処?」とオリイは書き付ける。


「それなんだけどね……」


 鷹は苦笑する。オリイは首を傾げる。真っ直ぐな髪の毛が、さらりと流れる。


「ルナパァク。マルタの奴、よりによって、あそこが今度の仕事だって言っていたよ」


 オリイは眉を、微かに寄せた。


「さすがに俺も断りたかったんだけどね……」


 よりによって、切り札を出してくるとは。

 だけどもしかしたら、今度こそ、「そう」かもよ?

 鷹はやや苦々しい気分で、何度も肌を重ねている相手の口調を思い出す。


「だから、今度はお前はついて来なくてもいいよ」


 すると鷹は次の瞬間、自分の頭がいい音を立てるのに気付いた。


「……何するのよ」


 オリイは首を大きく何度も振る。髪が軌跡が描いて揺れる。

 まあそう意志表示するんではないか、と思ったけれど。鷹は苦笑した。


「……はいはい、判った判った。……俺はあまりお前を連れて行きたくはないんだけど

ね……」

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