嫉妬
暮れも押し迫った頃、深雪のカンバスに海人からメッセージが届いた。ちょっとした情報があるから会えないかという話だった。深雪は海人の言うちょっとした情報というのに全く心当たりがなかった。それがかえって興味を引いた。深雪はその日、家の大掃除を手伝っていたのだけれど、両親に断って海人に会いに行くことにした。なんとなく海人とは涼月では会いたくないと思って町の中心部にあるコーヒー屋さんで待ち合わせた。
「おまえまだ写甲目指してるんだろ?」
開口一番海人はそう言った。学校では毎日のように言葉を交わしていたけれど、写甲の話題は久しぶりだった。深雪は「もちろん目指してるよ。」と答えた。
「メンバーは?」
「B組の氷月さんが一緒にやってくれることになったからあと一人。」
深雪の写甲プロジェクトに風音が参加したことは瞬く間に学年全体の知るところとなった。誘う相手に困った椋沢さんはついに誰も寄り付かない氷月さんに声をかけた、という噂として駆け巡った。深雪はそうした後ろ指を指されることには慣れていたし、風音はそもそもそんなことを気にするような次元には生きていない。言いたい者には言わせておけというスタンスで放ってあった。
「そっか。そこまでは知ってる。やっぱあと一人まだ探してるんだよな。」
「うん。」
「実はさ。フォレストで見つけたんだよ。どうも東川の人らしいアカウントでさ。写ってるものからすると俺らと同い年ぐらいなんじゃないかと思うんだよね。」
深雪は腰を浮かせかけて途中で止まった。
「だけどさ。同い年だってうちの学校の生徒じゃないとだめなんだよ。写甲は学校単位で出るんだからさ。部活としては別に写真部じゃなくてもいいんだけどさ。その人うちの生徒なの?」
「ぶっちゃけうちの学校の人かどうかはわからない。でも可能性はある。」
深雪は腰を下ろして座りなおす。微妙に元の姿勢とは違ってしまった。
「なんでそう思うわけ?」
深雪が聞くと、海人は「ちょっと見てみろよ。」と言って深雪にスマートフォンを見せた。
そこには深雪や海人が通っていた小学校のところにある特徴的な時計が写っていた。文字盤の八にあたるところが“東”の字になっていて、三のところが“川”になっている。その時計が横位置の中央付近にぽつんと立っているような写真だった。
「これが写ってるからってこの町の人とは限らないでしょ。」
「まあ待て。」と言って別の写真も表示した。
文化ギャラリー、郷土館、道の駅、確かに中学校や高校の周辺を撮ったものが多い。ただ、この辺は町の中心地でもあるから、観光で訪れた人が写真に撮りそうなモチーフだとも言える。海人が画面を送っていくと、中学校の制服を着た人物の写真が出てきた。顔はフレームの外になっていて個人が識別できないように撮られている。でもこの町の中学校の制服であることは見る人が見れば一目瞭然だった。
「この辺の写真が去年から今年にかけてアップされてるんだよ。おそらくこのアカウントはそこの中学の生徒だと思うんだよね。去年中三だとしたら俺らと同い年。今年まだ中学生だとしたら来年か再来年にうちへ入学してくる可能性もある。」
海人は名探偵気取りで言う。
「だけどここの中学から別の高校へ行く人なんて大勢いるよ。」
「うちの高校へ入ってくる人だって同じぐらいいる。」
「まだあるんだよ。」と言って海人はさらに別の写真を表示する。
それは夕日を背に、地面に伸びた自分の影を撮ったような写真だった。足元から伸びた影が横位置の中央付近に写っている。深雪は一目見て、なぜ縦位置にしなかったのだろうか、と思った。深雪ならきっと地面に伸びる自分の影を撮るなら縦位置にするだろう。その写真が横位置で撮られていることには何か意図があるような気がした。
「ほらこれ。女子だ。」
海人の声に思考が遮られる。深雪は言われてみて初めて、その影の形に意識を向けた。たしかにその地面の影は女子のようだった。首のところがくびれていないのは長い髪を垂らしているからだろう。足元は台形に広がっていて足の間に隙間はない。長めのスカートかあるいはゆったりしたキュロットのようなものを身につけていると想像できた。写真のアングルからしても影の主が自分でシャッターを切ったものであることはほぼ間違いなさそうだった。
「さらに。」と言いながら海人はまた別の写真を表示する。
今度は変わった形の自転車の写真だった。自転車の後輪を横位置の中央に配置している。この人は横位置の中央に被写体を置く構図が多いな、と深雪は感じた。写っている自転車はレトロなデザインであまり見かけないタイプのものだった。
「これはさ。この自転車の持ち主が撮ったとは限らないじゃない。」
「ノンノン。持ち主とは言ってない。ほら。ここ。」
海人は写真の中の一部分を拡大表示する。それは自転車の後輪の泥除けについている反射板の部分だった。テールランプを模したような形状の反射板は、胴の部分が銀メッキになっている。そのメッキの中にこの写真を撮影した人物が写っていた。円錐形の部品に写っているので伸びてしまっていて詳しくはわからない。ただ、しゃがんで一眼レフのようなカメラを構えてファインダーを覗いているのが髪の長い女の子のようだということはわかった。
「さっきの影とここに写ってるやつはぴったり合いそうだろ。このアカウントはそこの中学の女子。ほぼビンゴだと思う。」海人は言い、「銀ピカのものが写ってたらだいたい撮影者も写りこんでるよ。」と続けた。
「こいつは一眼レフみたいなカメラでファインダーを覗いて撮ってるみたいだからさ。写ってても顔まではわからない。でもスマホで撮ってる人はだいたい顔は無防備だからな。カフェ写真みたいなやつのスプーンとかさ。覗けば顔まで特定できたりするんだよ。」
深雪は感心すると同時に少し怖くなった。何気なくフォレストにアップロードした写真で撮った人がわかってしまうのだ。光沢のあるものを撮る時、自分が写りこんでしまわないようにと気にすることはある。ただそれはあくまで、メインの被写体を邪魔しないように、という理由だった。スプーンへの写り込みなんて気にしたことがなかった。
自転車の一部に写っている少女。彼女はそこに自分が写っていることにも気づいていないだろう。深雪はなんだか彼女のことを覗き見しているようで後ろめたさを覚えた。
「写真から探るのはこの辺が限度かな。ただアカウントはわかってるからこのアカウントにメッセージを送ることはできるよ。興味あるならこのアカウントの情報おまえのとこへ送っとくけどどうする。」
こんな覗きみたいなことをして特定して、仮に同じ高校の生徒だったとしてもそんな風にアプローチされたらどう思うだろう。深雪はこの人に連絡を取ることはできないと思った。ただ、それでも情報は送ってもらうことにした。単純に、彼女の撮った写真をゆっくり見たいと思ったからだ。
その日の夜、床についてからゆっくりと海人に教えてもらった人のフォレストを眺めた。風音の写真ほど圧倒的な力があるわけではない。でも何か心惹かれるものはあった。
海人が選んで深雪に見せた写真以外にも、まだたくさんの写真がアップロードされていた。中学生を撮った写真もいくつかあった。どれも制服姿で、どれも顎より上は写らないように撮ってあった。そして、どれも女子だった。男子の写真は一枚もない。風音の自撮りみたいなものではなく、この人の写真は明らかに自分自身ではない誰かを撮影したものだった。
一枚一枚進めていくと、ある一枚が深雪の目を捉え、息が止まった。それは制服を着た少女の後ろ姿だった。腰の後ろで手を組み、上半身を左へひねってこちらを振り返ろうとしているようなポーズだった。例によって顔は写っていない。深雪の目を引いたのはその手だった。細く白い指。軽く握った右手を左手で支えるように、後ろ手に手を組んでいる。しなやかに伸びるその白い指には見覚えがあった。
「風音…?」
鼓動が速くなる。深雪はあわてて写真を切り替え、制服の少女が写っているものを見直す。もしかしてぜんぶ風音なんじゃないか。顎が写っているもの。首までしか入っていないもの。ぜんぶ同じ人物のようでもあり、そうでないようでもある。風音の顎、風音の首、そうだと思えばそんな気もしたし、別人だと思えば別人のようでもあった。ただ、手だけは確信があった。深雪は何度もその手を見直した。この手は風音だ。間違いない。なぜそんなに確信を持てるのか自分でもわからなかった。それでもこの手は風音の手だ。そうとしか思えなかった。
写真の日付を見ると、アップロードされているのは今年の5月だった。風音はもう高校生だったはずだ。でも去年撮影された写真を今年アップロードしたということは大いにあり得る。
これがもし風音だとしたら、シャッターを切ったのはきっと風音の友達だ。この写真は隠し撮りなんかじゃなく、撮られている方も撮られていることを意識している。モデルみたいに写っている。風音にそんな友達がいることは一度も聞いていない。こんな風に写真をやっている友達がいるなら、話してくれても良さそうなものだ。
深雪はいてもたってもいられなくなった。でももはや家へ電話を掛けられるような時間ではなかった。一瞬、風音がカンバスをやっていればすぐ連絡できるのに、と思ったけれどすぐにそれは否定した。ここに写ってるのは風音なのか、それを聞くのはやはり会って直接でないと嫌だ。深雪は初めて、カンバスでほとんどリアルタイムにコミュニケーションが可能であっても、そんなものには代えられない状況もあるということを知った。
深雪の中で渦巻いているものには、今のところ確かなものは何一つない。それなのに勝手に状況が捏造され、空想が暴走していく。そんなこと聞いてみないとわからない、と深雪は自分に言い聞かせようとしたけれど効果はなかった。逃げ場のない苦しさを感じた。
この気持ちはなんという名前だろう。
とても寝られそうになかった。
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