最終話 赤白鳥の星冠(4)ー3


 ボールの前に位置しているのは、葉月先輩一人だけである。

 超長距離のボールを蹴る場合、精度以前に届くか届かないかという問題が発生する。

 インサイドキックに使用する太ももの内側の筋肉、ないてんきんのパワーに優れる葉月先輩にキッカーを任せ、圭士朗さんはカウンター対策の守備位置についていた。

 ペナルティエリアでは楓の登場により、マークに再び混乱が生じている。

 楓の身体能力の高さも、GKにコンバートされるまでは前線の選手だったということも、敵は把握しているだろう。

「おいおい、笑わせるな!」

 混乱する敵選手の中心で、楓は声を張り上げる。

「俺のマークが一人で足りるわけねえだろ! もっと来い! 最低三人は必要だ!」

 鬱陶しいくらいに大袈裟な男だったが、楓がマークの必要な選手であることに疑いはない。

「葉月先輩! ここに落としてくれ! 一回チャンスがあれば十分だ! 一人残らず跳ね飛ばして、ぶち込んでやるぜ!」

「イエス! 楓! イエス! つきかまを抜いてくれ!」

「ノー! リオ! ノー! かんがくいんさえずるぜ!」

 久しぶりに三馬鹿トリオの仲間が前線に現れ、無駄にテンションが上がっているのだろう。

 ニュージーランド人が意味不明な奇声を上げ、楓も釣られて天に向かって吠えていた。

「……あの猿たちは、どうしてゴールを決める前からあんなに自信満々なんだろう」

 呆れ顔でが呟く。

だか! 何で前線に上がろうとしているの! 持ち場を離れたら、補習十時間だからね!」

 騒ぎ立てる楓とリオを見て、いてもたってもいられなくなったのか、フィールドの奥から穂高がこっそり前線に上がろうとしていた。

「油断もすきもない」

「あいつらには緊張感ってものがないんですかね」

 後半二十三分、スコアは未だ動いていない。

 ギリギリの戦いが続いているものの、三馬鹿トリオには気負った様子がまったく見られなかった。気まぐれな楓とリオはいつものことだが、CBとしての公式戦も五試合目を迎え、ようやく穂高にも気持ちの余裕が生まれてきたのだろう。

 ボールをセットした葉月先輩は、小指と人差し指を突き上げ、蹴る位置を仲間に伝える。

 それから、長い助走と共に先輩は全力でロングボールを蹴り上げた。


 ボールが高く放たれた瞬間、楓は自陣方向に向かって全速力で走り出していた。

 マークについていた二人の選手が、そのまま楓についてペナルティエリアから引きずり出されていく。何もかもが意図通りの展開だった。

 王者を打ち倒すための奇策とはいえ、負けているわけでもないのに、GKを前線に張り付かせておくはずがない。こちらのセットプレーを脅威と感じ、美波高校は全員が守備に戻るようになっている。楓の上がりは敵の陣形を崩すために放ったかくらんの一手でしかない。

 走り出した楓は、その俊足を生かして一目散に自陣へと舞い戻る。そして、一連の楓の動きがおとりだったのだと敵が気付いた時にはもう遅かった。

 葉月先輩の上げたクロスは、見事な精度で楓がけたスペースに落ちていき、伊織が誰よりも早く落下点に入る。楓の動きに攪乱されたせいで、マークがバラバラになっていた。

 敵は肩に手をかけてジャンプをさえぎろうとしたが、伊織は並のパワーで止められる選手ではない。ファウル気味の妨害をものともせずに飛び上がり、ボールを斜め前に叩きつける。

 角度のついたボールがペナルティエリアを横切り、そのボールに誰よりも早く反応したのは常陸だった。バウンドしたボールに対して身体を倒し、ハーフボレーの体勢に入る。

 遅れて飛び込んだ敵のSBが、シュートコースを消すためにスライディングを試みる。

 常陸のシュートが早いか、ブロックが早いか。コンマ数秒の世界で展開された攻防には、結果が提示されなかった。敵のスライディングを見た常陸が、シュートモーションを止め、バウンドしたボールを真横にトラップしたからだ。

 常陸はスライディングを試みた敵を飛び越えると、大きくなってしまったトラップのせいで、二メートルほど離れたボールに突っ込んでいく。同時に敵のGKもボールに向かって走り出していた。

 大きく軸足を踏み込んで常陸がシュートモーションに入り、その眼前にGKが飛び込む。

 ボールに先に触ったのは常陸だった。

 フルパワーで放たれたシュートがGKの腹を直撃する。

 鈍い音を立ててボールが跳ね返り、誰よりも早い反応で伊織が足下に収めた。

 身体を寄せたDFをシュートフェイントでかわし、伊織はボールを前方にトラップする。

 ラインを割る直前、ゴールの真横でボールに追いつき、一度、顔を上げる。

 ゴールまでの距離は、およそ五メートル。GKが飛び出しているため、伊織の前を妨げる選手はいなかったが、シュートを打つための角度も残っていなかった。

 しかし、伊織は一瞬も迷わない。ラインの外に右足を踏み込むと、身体を大きく開き、左足のインサイドでしっかりと回転をかけたシュートを放つ。

 伊織の身体にはCFセンターフオワードとしての遺伝子が刻まれている。今、フィールドに立っている二十二人の選手の中で、恐らく過去に誰よりもシュート練習をおこなってきたのが伊織だ。

 様々なシチュエーションを想定して、あらゆる角度、あらゆる体勢から、飽きるほどにシュート練習を続けてきた。子どもの頃からずっと、ずっと、シュート練習を続けてきたのだ。

 積み重ねた経験は噓をつかない。角度のない位置から、左足のインサイドで放ったシュートは、その回転によってゴールマウスの左サイドネットに吸い込まれていく。


 後半二十四分。

 先制点はレッドスワンの5番、キャプテンきりはらおり

 超長距離セットプレーの零れ球から、ついに赤羽高校がリードを奪ったのだ。


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