愛と死

「2001年宇宙の旅」から続く「宇宙の旅」シリーズの完結編・「3001年終局への旅」では、主人公が最後に、人間にとって重要なのは愛と死だ、と思って終わります。

創作でも、その二つは重要だと思います。


例えば「ソードアート・オンライン」(SAO)は、まさに愛と死がかかった物語です。

同作は仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインゲーム(VRMMO)を舞台としたエピソードをよく展開しますが、主人公・キリトはその中で恋人や様々な仲間(ときにAIも含む)を得ます。

また、タイトルにもなっているゲーム・SAOは、プレイヤーがゲーム内で「死亡」したらゲーム用のヘッドセットにリアルの脳を焼かれて死亡するというデスゲームと化します。また、その後キリトや仲間たちが体験するいろいろなゲームや仮想世界でも、死などのリアルな利害(ときにAIの「生死」も含む)が常に関わってきます。

そういう形で愛と死を描いているから、「SAO」はVRMMOものの金字塔であるのです。


それから「SAO」との比較で、「シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜」(シャンフロ)も取り上げるつもりでした。

「シャンフロ」では、主人公・サンラクは恋愛しない(彼に片想いしているヒロインはいます)し、別にプレイヤーのリアルな生死などがかかっているわけでもありません。

だから当初は、「SAO」に比べて「シャンフロ」では愛と死が足りない、と批判するつもりでした。

しかし「シャンフロ」でも、主人公と他のゲーム仲間やノンプレイヤーキャラクター(NPC)たちとの友情は一応あります。

それに、NPCにも愛と死が関わるドラマがあります。例えばNPCの一人・遠き日のセツナは幽霊であり、彼女の墓を守り続ける恋人・墓守のウェザエモンを「眠らせて」やってほしいとプレイヤーに頼みます。そのセツナとの交流を経て、サンラクのゲーム仲間の一人・アーサー・ペンシルゴンは、彼女に感情移入してしまうのです。

それに、「シャンフロ」は緊張感のない俺ツエーの話ではなく、強敵たちとの激闘に次ぐ激闘があるので、「SAO」みたいにプレイヤーのリアルの生死がかかっていなくても緊張感があります。

だから「シャンフロ」にも、一応愛と死はあります。


ほとんど他人の作品を説明するだけでここまで来ましたが、ともかく愛と死は創作において重要であるということがお分かりいただけたでしょうか。

自分も、シリアスな物語を書く際には、

・主人公に愛する人たちを持たせる

・主人公のリアルの生死(そこまでいかなくても、リアルな利害)がかかっている

という二つの点を心掛けたいと思います。


この記事から、愛と死の重要性が伝われば幸いです。

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