天井の逃走劇1-1

「金髪の吸血鬼ハンターを探せ! 名前はレオン・シェダール。永き時を、祖先と鎬を削ってきた一族の当主! 客には騒ぎを悟られるな。静かに事を済ませるのだ!」


 エディは家臣たちを集めて命ずると、自らも屋敷の中にレオンの姿を探し始めた。

 つかつかと廊下を歩き、忌まわしい陽光の如き金の髪に目を光らせる。ただの金髪ではない。酷く目障りで、聖なる力に満ちた、憎たらしい光だ。


「……それにしても」


 エディは自問した。何故あいつはエナジィを奪われていながら動けたのだ? 謎だ。


       ☆


 逃げてこられたはいいが、これからどうすればいい。

 レオンは屋敷の裏口に身を隠しながら、難しい顔をしていた。

 正体がバレた。目的もバレた。教授と相談して入念に計画していた暗殺計画も水泡に帰した。


「ああ、畜生!」


 レオンは自棄になったように頭をガシガシかくと、懐から出した銀のナイフを右手に握り、左手には首からはずした十字架を握り締め、チェーンを掌に巻きつけた。

 静かに済ませられる任務ではなくなった。ターゲットには仲間がいる。多勢に無勢で攻めてこられるのも時間の問題だ。


 どうやらエディ・ソワーズはプライドの高い男らしい。自分の主催した夜会が人間レオンにめちゃくちゃにされるのは、この上なく屈辱であろう。だとすると、大勢の客に侵入者の存在がばれないように、それを始末したいところか。

 きっと奴はもう動いている。レオンを殺すため、賑やかな夜会の裏で手下どもを暗躍させているに違いない。


 ――立ち向かわねば。


 シェダール家の男が、吸血鬼を前に背中を向けたとあっては、その名が廃るってもんだ。

 レオンは、つい先程エディの前から一度撤退したことをすっかり失念しながら、裏口の扉に手を掛けた。その時、レオンがノブを捻るより先に、向こう側から扉が押し開かれた。

 ぎく、と身を硬くしてナイフを構えたが、顔を覗かせた相手に見覚えがあるとわかると、ほんの少し警戒を解いた。


「あら、外に出ちまうのか、このドア。いよいよ遭難してしまったぞ」


 豪華な内装とはうって変わって、垣根とは名ばかりの、連なった枯れ木を見て独り言を零した男が、レオンを見下ろす。


「よお、無事だったか、人気者」


 アルカード・カンタレラは、気の知れた友人にするみたいに、やあ、と手を上げた。


「何してんだ、こんなところで? エディはどうした」


「いや……」


 レオンは視線を落とすと、少々躊躇ったように声を低くして、

「さっきは助かった。ありがとう」

「え?」


 アルカードは一瞬、どうして自分が礼を言われているのかわからず、きょとんとしていた。が、やがて得心がいったという風に、ポンと手を叩いた。


「ああ、あのときな。なぁに、お安い御用ってもんよ」


 アルカードは胸を反らして笑う。

 レオンの言うさっきとは、エディに囚われていた時のことだ。エナジィ不足でありながら、急に動けるようになったのは、アルカードがレオンに催眠術を施してくれたからだった。


 催眠術。吸血鬼が得意とする超能力の一つで、他者を自分の思うままに操ることが出来るちから。

 二人の間でいつの間に、そのようなやり取りがあったのかと不思議がる必要はない。「あなたは、だんだん眠くなる」などと、眼前で懐中時計をゆらゆらさせなくても、吸血鬼の手にかかれば、相手の目を見つめて念じるだけでいいのだから。互いに瞳を見つめ合っていた数秒間の早業である。


「いたぞ!」


 急に割り込んできた声に、レオンははっと飛び上がる。

 忙しない足音が幾つも聞こえてくると、アルカードの背後に伸びる廊下の奥から三人の吸血鬼が走ってくるのが見えた。


「やばい」


 レオンはアルカードを押しのけるようにして屋敷に入ると、右手側に伸びる廊下を、放たれた弾丸のように駆けてゆく。


「アルカード・カンタレラ! そのガキを捕まえろ」

「えー……」


 アルカードは、遠ざかってゆくレオンの背中を見送りながら、やる気の無さそうな声を返した。

 駆けつけてきた三人のうち、二人はレオンを追い、一人は憤慨した様子でアルカードへ詰め寄る。


「カンタレラ、貴様、どうしてあいつを捕まえない。あの子どもは吸血鬼ハンターなんだぞ」

「え、そうだったのか」


 アルカードは驚いたように目を見開いたが、さほど焦ってはいないらしく、呑気に腕など組んでいる。

 その様子を見て、相手は更に息巻いて、

「事の重大さを理解してないな!」と声を荒げた。


「へん、そんなこと、どうでもいいのさ」

「なんだと?」


 家臣の吸血鬼は、威嚇するように眉を歪めた。


「あの子どもがハンターだからなんだってんだ。オレには無害そうなガキよ。それよりオレ、エディ・ソワーズ嫌いだからな。協力なんかしてやらないぜ」


 気障でエラそうで、外面だけよくて、内心で他人を見下ろしているエディ・ソワーズを、アルカードはいけ好かない奴と思っていた。(事実、そうである)


「だからオレは協力しない。お前らも、オレのこと嫌ってンなら、都合のいいときだけ期待するのはやめてくれよ。な? じゃあね」


 歯に衣着せぬ物言いに、二の句が次げないでいる吸血鬼を残して、アルカードは大広間を目指して、再び屋敷内を彷徨いはじめた。


       ☆


 レオンは、正面に見えてきた扉を、蹴破る勢いで開けた。中は夜会の行われている大広間と違い、薄暗く、家具も何も置いていないがらんとした部屋だった。剥き出しの木の床には、分厚く埃が積もっている。廃城内の全ての部屋が手入れされているわけではないようだ。


 急いで扉を閉めると、部屋の中央へ向かって行って、廊下から二人分の足音が迫ってくるのを耳で確かめる。

レオンは腰を低く落し、扉の方を向いてナイフを構えた。駆けて来る足音に耳をすませ、距離を推し量る。

 さあ、開け、開け! ――今だ!

 レオンは扉に向かって駆け出した。

 ばたん、と向こう側から扉が開く。


「来たなァ!」


 先頭を突っ込んできた吸血鬼に向かって、銀のナイフを振りかぶる。明確な殺意を秘めた深緑の瞳に、血のような赤が混じり、細く裂けた朱色の唇の端から覗いた犬歯は、人間にしては少し鋭すぎるような……?

 襲い掛かられた吸血鬼は、眼前に迫ったハンターの相好に不気味な雰囲気を見た様な気がした――確信が持てなかったのは、視界の中央を縦に走った銀光の行方に、目を奪われたせいであった。


 レオン・シェダールが握った銀のナイフが、己の身を裂いたのだと悟るより早く、吸血鬼はその姿形を崩し、埃の絨毯の上に、灰の山を築いていた。

数歩遅れてやってきたもう一人の吸血鬼は、仲間の灰を飛び越えたところで、左手の十字架を押し付けられた。悲鳴を上げる暇もなく灰と化す。

 あっけない決着に、レオンは些か拍子抜けした。

騒ぎになるのを恐れて超能力を使わなかったのだとしたら、本末転倒もいいところだ。

 レオンは、肩の力を抜くように深く溜息を吐くと、自分を守ってくれた銀のお守りにそっと口付けをした。

 銀は吸血鬼の弱点だ。この世にある様々な作品では、主に銀の弾丸の入った拳銃で吸血鬼は滅びるが、レオンが自ら進んで拳銃を手に取ることはなかった。

 学校での実技指導で握ったことがあるくらいで、実践ではあまり使いたくない。これはレオンの個人的な都合なのであるが、彼は拳銃が苦手だった。手にするのが怖くて仕方なかった。冷たいグリップを握り締めていると、底冷えのする昏い記憶が鮮明に蘇ってくるのだ。


 ――やめろ。

 レオンは、刹那のうちに過ぎった不快な感情を振り払った。

 ……静寂。追っ手の気配はない。

 レオンは気を引き締めながら、大広間の喧騒を辿るべく、自慢の聴力を頼りに、部屋を出て歩き始めた。

 客人の多い夜会の中心にいれば、奴は簡単に手出しできないだろう。

 下手に手を出してレオンが会場の真ん中で命を落せば、それは大変な騒ぎとなり、パーティーは失敗に終わる。そして、エディ・ソワーズのプライドは粉々に打ち砕かれることだろう。

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