第126話 時の女神の気まぐれ

 真っ黒な雲が空を覆い尽くす。白い壁にオレンジ色の屋根の建物が並び西洋の観光地みたいな美しい街のオデッセイだったのに、目を覚ませばあちらこちらから黒い煙が昇り、屋根は崩れ落ち、綺麗に敷き詰められた石畳の道は瓦礫が散乱していた。


 視線を少し遠くへ向けると、鎧を纏った人達が、炎に照らされ赤く光る物を振り回して暴れているように映り、道の至る所に人が折り重なるように倒れていた。倒れているのに微動だにしない人達の状態を察した自分は、視線を避けるように足元に目を移すと、そこにも人が倒れている。


 倒れているエルフの格好はここ数日良く目にし、いつも小さい自分にも礼儀正しく接してくれた近衛騎士団の人だ。


「だいじょうぶですか?」


 うつ伏せで倒れている近衛騎士に声をかけたが反応がない。もしかしたら怪我をして気絶してしまったのかもしれないと思い、様子を伺う為に顔を覗き見る……が……その行為が安直だった。


「ひぃ」と、声が出てお尻から地面に倒れる。


「かお、かおが……」


 目が抉れ、焼き爛れた頬が地面と同化するほどめり込んでしまっている。酷い姿の騎士を見て恐怖を覚え、視線を逸らし濡れたお尻に構わず引きずりながらその場から離れようと地面を蹴った。


 ユグドゥラシルの神殿で見た惨状よりもっと酷い光景に、歯が勝手にカチカチと音を鳴らし、頭の血が引いていく。


 さっきまで皆と船の中でゆったり寛いでいたはずなのに……一体、どうしてこんな場所に……。


 そっ、そうだ、おっ、お母様、お姉様はっ!


 焦り、悲しみ、孤独……いろんな気持ちが胸を締め付け混乱する頭……ウッと、迫り上がる嗚咽を押し留めいつも側にいるはずのお母様達を探そうと試みた。


 誰か、誰か助けて。

 お父様、メリリア……お願い……。


 黒い煙と焦げつく臭いが鼻に付く。家族が誰も周りにいない孤独に絶婆の文字が浮かび上がり、そのまま地面に膝をつき両腕を抱えながら蹲った。


「あぁーん?こんなところに身なりの良いエルフのクソガキがいやがったぞ!」

「チッ、こんなガキじゃ楽しめやしねぇ。おい、祭壇に連れて行け!」


 荒々しい声が頭上から聞こえたと共に、脚をガッと鷲掴みにされ下半身が浮いた。


「あ、あぁっ、いや、いやだ。やめて」


 必死に地面に手を引っ掛け抵抗したが、なす術なくうつ伏せのまま引き摺られた。


「うるせぇガキだな、黙れ!」


 自分の脚を掴む男が怒声を上げる。その瞬間、後頭部に衝撃が走しり、温かい何かがジワっと髪を濡らした。ズキンともいわない強烈な痛みで、そのまま意識が途切れる。


 ……


 冷たい感触が頬に伝わり、意識が薄らと戻る。後頭部がジクジク痛む。自分の力では身体を起こす事も出来無い。重たい頭はそのままに視線を先に向けると、一面を黒く覆った穴のような物が見え、外周を囲うように幾つもの十字架建っていた。


 はっきりとしない意識の中、大小建ち並ぶ十字架に目を細めて捉えようと試みた……。


 ひとつの十字架をはっきり捉えた瞬間、これまで経験した事の無い悪寒を感じ、胸がスカッと抜けたような脱力感を覚える。


 うっ、うそだ……。

 そんな……。


 そこには一抹の希望も無く、絶句する。自分の目を疑うように、十字架から視線が外せない……。これが現実な訳がないと何度も自分に言い聞かせる。


 そんな事……ありえるはずがない……。


「はっはっはっ、こいつはとんでもない魔力持ちだ。なるほどな。こいつが例の娘か。王族共の血もなかなか良い贄であったが……これは素晴らしい。この力であれば、あのお方もお目覚めになるだろう」


 気色悪い声が自分の直ぐ側から聞こえ、脳に絡みついてくる。


「ぬはは、如何に英雄と言えど、魔法も精霊の力も封じればただの人よ。我らの野望を悉く潰してきた忌まわしきエンシェントエルフもこれで滅ぶのだ! くっくく、実に気分が良い」


 饒舌に語る男の声がどんどん大きくなる。その声は、自分と十字架に磔にされている家族達に向かって言葉を発しているように聞こえた。


 うす気味悪い声の主。その表情は、自分の視線からは窺い知れない。けれど、ズボンや靴の装飾から同じエルフ族の貴族のように思えた。右手には、お父様と同じような大きな剣を抜き身で持っている。


「ジョゼフ様、報告です。地下祭壇の準備が整いました」

「うむ、後は此奴らを捧げるだけだな。聞け、我ら混血種が世界を統べる時が来た! あのお方をこの地に再びお迎えするのだ!」


 男の号令に合わせて、次々と人を磔にしたままの十字架を押し倒してく。


 ぁぁぁ……お父様、お母様……どうしてこんな酷いことが出来るのだ……こいつら人じゃない……悪魔だ……。


 いつも窮地には何かしら、奇跡を起こしていた自分だったが、この惨状を目の当たりして、何かが起こる気配がない。ただただ彼らの悪魔のような所業を見ているだけしか出来なかった。


 絶望に暮れる自分の頭が突然上がる。


 ガシッと、髪の毛を掴まれ顔が上を向く、赤黒く焼けるような眼を持つ男が視線を無理やり自分に合わせきた。そのまま男の顔まで身体を引き上げられ、口から溢れでる黒い靄を吹き付けてくる。


「くくく、奇跡だ、何だと言われていたようだが、所詮は小娘。人族の未知なる力を得た我らの前では無力であったわ! ユグドゥラシルの力無き今、お前らは滅ぶ運命が決まっていた。我らの侵攻を妨げていたサントブリュッセル王の結界が書き換えられ、魔力と精霊の力が無力化されているとは思いもしなかったであろう。狼狽え、我らの圧倒的力の前に怯える姿は実に愉快であったぞ」


 男は聞いてもいない事をベラベラと自分に吐きつけるように語る。


「どうだ? お前を逃がすために立ち塞がり、為す術もなく我らに嬲り殺された家族の無様な姿は? くくく、哀れなお前も直ぐに追わせてやろう」


 口の端を上げ不敵な笑みを見せる男。


 逃げるように男から視線を外そうと目線を下げようとした時、髪の間から自分たちと同じようなエルフ耳が見えた。


 ……同じエルフ族が裏切った?


 一瞬、脳裏に考えが過ったが、男の言葉によって思考が遮られる。


「我らの崇高なる計画を妨害し続けたお前らには死をもって償わねばならぬのだ! あの方の血肉として闇の中で永遠に彷徨うが良い! 素晴らしいであろう? 喜びで口も開けぬようだな?」


 男がガバッと口を開き、自分の顔に再び黒い靄を吐きかけると、掴んでいた髪を力任せに引き上げほうり投げた。


 宙に浮いた浮遊感は直ぐに終わり、身体は真っ逆さまに落ちていく。


 このまま落ちて地面に落ちれば即死は免れない。


 お父様、お母様、お姉様……シャーリー……グレイ……


 皆……


 走馬灯に皆の顔が浮かんでは消えていく……


 ……


 穴の底がバガッと開き、悍ましい眼が現れる。


 ブシュッ!


 一瞬聞こえた音を最後に、意識は暗い闇に包まれた。


 ……


 ……


 ……


「アリシアちゃん!」

「アリシア!」

「アリシア様!」


 誰かが自分を読んでいる?


 ……


「アリシア! おきて!」


 小さい子の声が脳裏に響き、ついさっきまで眼前に映った惨状がフラッシュバックし寒気を覚えた。


「アリシアちゃん、お母さんはここですよ。起きて顔を見せてくださいな」


 お母様の優しい声……が聞こえた……。


「おかあさま!」


 闇の奥から光を感じ、手を差し出そうと意識を向けた。


 ピタッっと何かが手に当たった。


 冷たく感じていた自分の肌から温もりが伝わる。


 鼻の先から甘い匂が香り、肺を満たしていく。


 頬にじんわり湿り気を感じ、フワッとした何かが押し付けられた。


 ドクッ! ドクッ! ドクッ!


 鼓動に合わせて心が凪ぎる。


「おはよう、アリシアちゃん。悪い夢を見てたのね、お母さん達はここにいますよ」


 胸の谷間に埋もれていた自分は、首を少し上げ目を見開き視線を上に向けた。


 涙がどんどん溢れ頬を伝い、口がへの字に曲がっていく。


「おかあさまっ! おかあさまっ!」

「良い子。良い子。怖い夢を見ちゃったのですね。大丈夫ですよー。お母さんはアリシアちゃんと一緒ですよー」


 夢……あれは夢……。


「アリシアちゃん、お姉ちゃんもずっと側にいましたのよー。旅の疲れで魘されちゃったのかもしれませんわ。今日は、ずっと側にいますからねー」

「アリシア、わたくしもおりますの。ふるえながらねむっていてしんぱいでしたわ」


 お姉様とシャーリーの声が確かに聞こえる。


 皆を失ってしまう……そんな考えるだけでも恐ろしい夢。お母様にしがみつきながらボロボロ涙が溢れる目で自分の手を見る。


 白くて柔らかい手。地面を引きずられ血だらけになっていた手はそこにはなかった。皆の自分を心配する声で身体が温かくなっていく。


 悲しみと安心した気持ちがごちゃごちゃに絡まり思考が整わない。けれど、夢で見た事をお母様に話したい。全部話さないとこの気持ちが落ち着かないのだ。


 ふにゃふにゃした口でなんとか言葉を発する。


「おおきい……あなが……みんな……みんな……おちちゃったの。まちがもえて、こわいひとがおいかけてぇ……」


 十字架に磔にされたお母様達の姿が鮮明に思い出され、喉の奥が熱くなり言葉が詰まる。


「けっかいがこわれて……みんなちからがでなくなったの……」


 抱きしめるお母様の腕がギュッと強くなった。


「まぁ、なんて怖い夢なのでしょう。アリシアちゃん、頑張って教えてくれて嬉しいわ。もう安心して良いのよ、アリシアちゃんが見た夢は起こりませんから」


 頭の上にお母様の頬が当たり、全身が優しい温もりに包まれる。


「大丈夫、大丈夫よー」


 ゆっくり背中をさすってくれる手。


 大きい手と小さい手が交互に上から下へ……。


 ざわつく心は、徐々に穏やかになっていく……。


 そのまま、お母様の胸に涙で濡れた自分の頬を当て、眠りについた。




 ――悪夢から覚めた翌日。自分がサント・ロワイヤルから下船し、オデッセイのアレク宮殿で寝ていた事が分かった。あの夢は、どこで見たのだろう……まだまだこの世界の地理に疎すぎて考えても答えは出ない。


「おはよう、アリシアちゃん。お目目が少し腫れてますわね」


 そう告げると、自分の目元にお母様の手がかざされた。フワッと一瞬温かさを覚えると少し厚ぼったい感じの目元がスッキリした。


「おかあさま、ありがとうぞんじます」

「ふふ、どういたしまして、アリシアちゃん。いつものくりくりの可愛いお目目になりましたわ」


 可愛い……そう、アリシアの容姿は自分で言うのもなんだけど可愛いのだ。

 ちょっと恥ずかしさを覚え、お母様の胸で顔を隠した。


「可愛い、可愛い、アリシアちゃん。お顔を見せてくださいな」


 優しく頭を撫でてくれるお母様。


 しばし、顔を隠したまま撫でられ続けた。


 お母様の温もりを確かめるように全身で受けた後、朝食の席で、先日見た自分の夢を今度はしっかり皆に話した。


「ふむ、そのような恐ろしい夢を見てしまったのか。アリシア、幼いながら大変であったな」

「本当ですわ。こんなに小さい子に恐ろしい夢を見させるなんて、時の女神は何を考えているのかしら。今度お会いしたら叱らないといけませんわね」


 夢の話の一部始終を語ると、お父様は目を細めて自分を心配してくれた。隣に座っているお母様は、夢の話なのに神様に物凄く怒っている。


「時の女神の気まぐれにも困ったものですわね。それで、ディオス様、結界の状況はどうでした?」

「うむ、あまり良い話ではないが、時の女神が示した通り、結界が何者かに書き換えられようとしていたぞ。六箇所のうち二つは上書きされておった。このままでは結界が持たぬ故、この後ご同行頂きたい」

「分かりましたわ。ここオデッセイが揺らげば王都は目と鼻の先……急ぎ結界を修復いたします。アリシア、貴女のお陰で私達は危機を乗り越えられそうです。王に変わってお礼申し上げます」


 王妃様は目を伏せ、少し頭を下げた。


 こんなチビっ子にも礼を述べる王妃様に、思わず関心してしまい気後れしてしまった。


「もったいないです。こわいゆめがやくにたててよかったです」

「国の危機をお知らせ頂けたのは良いですけど、アリシアちゃんを怖がらせたのは許せませんわ。アリシアちゃん、お母様がちゃんと時の女神に謝罪させにこさせますの」


 本当に辛い夢だった……しかもそれが正夢になりそうな事態が起きている事に身体が震え出す。


「こんなに怖がらせちゃって、大丈夫よー、もう大丈夫ですよー」


 お母様は震える自分を抱え、膝の上に乗せて抱きしめてくれた。


 時の女神の気まぐれ……暗闇に包まれる前に見た大きな赤い眼が脳裏に蘇る。ギュッと抱えるお母様の手を握り、腕に顔を寄せた。


 いまならまだ……


 自分一人では変えられない未来をお父様達に託すため、もう一度あの夢を思い出しながら言葉を並べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る