第120話王族専用区画

 軍艦の通路はとても狭い。


大人がすれ違う時に身体を半身にしないと通過できないように見えた。


 前を歩くお父様の身体だと、前を譲ろうと半身にしてもらっても通り抜けられそうにない気がした。立ち塞がる壁が大きすぎるのだ。お母様に抱かれてちょっと視線が高いのに、視界が塞がっているので前がまったく見えない。


「其方等は、ここで待っておれ」


 細い通路の突き当たりに着くと、そこには鉄のような物で作られた扉が視界に入る。目だった装飾もなく至ってシンプルな扉だ。扉の横には緑色に光る魔石が埋め込まれている。


 壁に埋め込まれた魔石にお父様の指先が触れると、赤い光を発して鉄の扉がズズズっと音も発てて開いた。扉の先には大人が十人くらい入れる、窓の無い小さな部屋が見える。六畳くらいの部屋なんだけど、この世界の貴族生活に染まったせいで狭く見えてしまう。慣れって怖いね。


「この部屋は、王族と貴族専用区画に繋がる転移の間なのだ。まず、我と数名で様子を見てくる。問題がなければ、王妃様、シャルロット王女、ユステア、エルステア、アリシアと数名護衛を付けて入るが良い。ユステア、案内は任せる」

「分かりましたわ、ディオス」


 お母様の返事を聞いて、目で頷く様子を見せるお父様はそのまま護衛を連れて狭い部屋に入っていった。


「転移、ロイヤル」


 お父様が呪文のような短い言葉を唱えると、狭い部屋に押し込まれた護衛達と共に一瞬にして姿が見えなくなった。


「えっ、おとうさまたちがきえた?」


 人が一瞬で消えるなんて事を初めて目の当たりにして、思わず声が出る。いっ、異世界だからテレポートできる技術があってもおかしくないけど、直面するとやっぱり驚きは隠せないのだ。目を白黒させて狭い部屋の隅々に視線を向けていると、部屋の中からお父様の声が聞こえてくる。


「ユステア、こちらは問題ない。上がってくると良いぞ」


 お父様の声が聞こえなくなると、お母様と王妃様、お姉様が部屋の中に入り、自分達を手招きする。


「シャルロット王女様、アリシアちゃん、こちらにお入りなさい。置いて行かれちゃいますわよー」


 皆んな平然とした顔で部屋に入っていったが、自分とシャーリーは未知なる出来事に戸惑い足を踏み出せないでいる。とは言え、こんなところでぐずぐずしていて置いて行かれたら……。少し顔色の優れないシャーリーに視線を向け、彼女に手を差し出した。


「シャーリー、ひとりではこえられなくてもふたりいっしょなら」

「そっ、そうですわね。わたくしたちならもんだいありませんわ」


シャーリーはにっこりと笑顔を見せ、差し出した手を重ねてくれた。ゆっくりとぎこちない足並みで部屋の中へ向かう。通路と狭い部屋の境界を越えると、一目散にお母様と王妃様の元に駆け出し抱き着いた。


「ふふ、皆さんよろしいかしら。いきますわよー」


 お母様の呼びかけに少し顔が強張り、抱き着いた腕に力が入る。


「転移、ロイヤル!」


 身体が一瞬宙に浮いたような感覚を覚える。このままどこかに飛ばされてしまいそうな不安を感じた自分は、ギュッと瞼を閉じてお母様にしがみ付いた。


「うむ、揃ったな。次の者達の移動がある、こちらに参るのだ」


 後ろからお父様の声が聞こえ、移動が完了した事を頭では理解したが、身体が強張り、足が梳くんでしまい自分は振り向いて確認する事ができなかった。


 こっ、このくらいたいした事ないですよ! と心で強がってみるものの身体が正直なのである。微動だにしない自分を、お母様はすくい上げて抱っこしてもらって部屋を出た。


「ここはこの船の居住区になるが、他の区画とは隔離されておる。許可された者しか転移の間を使っても入れない区画であるから安心するがよいぞ。」


 ドヤ顔で自分達に説明するお父様。さっきから気になっているのだけど、お父様の手慣れた案内を見ていると、この船に何度か来たことがあるのかな? 細い通路には幾つも十字路があったけど、スイスイと進んでいったし……。


「おとうさまは、このふねをごぞんじなのですか?」

「うむ、我はこの船の開発から関わっておるのだ。アリシアが生まれてからは余り足を運んではなかったがな。大きな改修は行っておらぬゆえ、この船の中で分からぬ事はないのだ」


 さすが、お父様です……この船を造ったひとりなのね……。この船を使って海戦に参加したとかそんなレベルじゃなかった。想定していない答えに、尊敬の眼差しをお父様に向ける。底知れぬお父様の凄さに圧倒されてしまった。


「アリシアちゃん。お父さんと一緒に、私もお手伝いしましたのよ」

「学院の歴史の授業でこの船の活躍を教わりましたのよ、お母様。アレサンディウェールとアヴィニョン、アポリネスタスの同盟海軍がサントブリュッセルへの侵攻してきたときに、こちらの船が上陸を防ぐのに役立ったと聞いておりますわ」

「まぁ、もう二百年近代史を習ってますのね。この船は、王都の岬を端から端まで繋がるように設計しましたの。彼等も港の前に大きな城壁が突然聳え立って驚いたと思いますわ」

「ふむ、懐かしい話であるな。奴らは、この船が元々五つの船で構成され、まさか洋上でひとつの海上城壁になるとは想定していなかったのだ。上陸を試みた船団と、後衛の指揮船団が完全に切り離されたからのう。今でも、この真下に奴等の船の残骸が眠っておる」


 お父様が淡々と当時の戦いの様子を語って聞かせてくれる。これだけ大きな船を造らなくてはならかった事情を考えると、かなり大きな戦いだったのだろう。島の様に大きい船と思っていたけど、理由を聞いて納得した。


 今回は、この大きな連結された船の後方から一つを切り離し、王族指揮船と繋げて大精霊の下へ向かう。全部を一度に動かすのは港の防衛力が落ちてしまうからだ。


 それでも、普通の商船や軍艦より横幅も縦幅も大きいらしい……。ちょっとやそっとの嵐では転覆してしまうような危険もないでしょうね。海底の隆起した箇所に船底が引っ掛かって座礁……もありえると思ったけど、お父様曰く、如何様にでも対処できるそうだ。


 頼もしすぎるよ、お父様。


この船の活躍を聞きながら、王族専用の区画に敷かれた赤い絨毯を歩いていく。ここに来た時にさっきまで見ていた木材や鉄製の壁じゃなく、おしゃれな模様のある壁紙と、ちょっと黒っぽくて艶のある木材が施された通路です。


「まぁ、ぐんかんなのにずいぶんとごうかなつくりですのね」


 シャーリーも気になって何気なく呟いたが、本当にここが軍艦の中なのかと思う。どちらかといえば、豪華客船ですね。


「こちらのエリアは、王族や侯爵、国境周辺を守る辺境伯までが利用できますの。英雄や聖女の称号を持つ者も準じますわ。エルステアとアリシアちゃんは、サントブリュッセルの聖女と認定されてますから好きに使って良いのですよ」


 お姉様はともかく、自分が聖女待遇なのは初耳……王様と何らか取り交わした話なんだろうけど……。子供だから深く突っ込まず待遇にあやかる事にした。アリシアは聖女じゃなから違う部屋ですと言われて除外されても困っちゃいますし。


「こちらが王妃様の専用ルームでございます。向かいに私と二人の娘がおりますので、ご用の際はお申し付けください」


 どの部屋も置かれている調度品や内装に緻密な細工が施されている。この区画を好きに使って良いらしいけど、触ってうっかり壊したらと考えるとはしゃぐのは危険な気がした。いまの自分では弁償するお金はないだ。


「ディオス、昼食まで時間がありますから遊技場に行きましょう。子供達も退屈の限界がきていると思いますの」

「そうであるな。王妃、我々は屋外プールに行こうと思うが、ご一緒なされますか?」

「ええ、すこし気分を変えたいと思っていたところですの。シャルロット、これからこの船で一番楽しくて涼しい場所へ移動しますわよ」


 王女様の言葉に、シャーリーだけでなく自分もお姉様も笑みが零れる。確かに王族区画は豪華で泊まる分には何ら不便はなさそうなんだけど、それだけじゃ体力の有り余る自分達は満足できないのだ。


 お父様の後ろに続いて、三人で手を繋いでついて行った先には潮の香りと太陽に光が降り注ぐ大きな広間があった。広間の中央には大きな円がくり貫かれ水が張ってある。


 プール? たぶん、これは温室プールではないだろうか。天井を見上げると、ガラスで覆われていて、青い空が広がっていた。はは、軍艦なのにプールまで付いているなんて、まったく想定外ですよ。


「エルステア、アリシアちゃん、王妃様とあちらで水遊びしていらっしゃい。とても気持ちいいですわよ」

「はい! おかあさま! おねえさま、シャーリー、いきましょう!」


 プールを見てはしゃぐ自分は、急かすようにマントを取るのを手伝い側仕え達に渡すと、一目散に駆けていった。プールサイドに着いていきなりダイブする事はない。飛び込んで物凄く冷たい水だったら身体がびっくりしてしまう。逸る気持ちを抑え自分は、プールに手を入れ水温を確かめた。


 うん、温室プールだからいきなり飛び込んでも問題なさそうです。とは言え、準備運動はしておいたほうがいいかな。まだ、小さい子供ですし。そんな事を思っていると、後ろから駆けつけたシャーリーが、そのままプールに入ろうとしている。


「シャーリー、ちょっとまって! プールにはいるまえにじゅんびうんどうです!」


 小学校から染み付いたプールのお作法をシャーリーにも教えてあげないと。


「なんですの? じゅんびうんどうというのは?」

「プールにはいるまえのおさほうですよ。うでをまえからうえにあげてー、いち、にー、さん、しー。シャーリーもいっしょにどうぞ」

「まねをすればいいのね。プールにはいるまえに、おかしなうごきをするのですね。うみのかみにいのるぎしきなのかしら?」


 いや、ただの準備運動です……両腕をぐるんぐるんと大きく回したり、つま先に手をつけ、後ろに仰け反る。ラジオ体操の最初の動きだけシャーリーと一緒に行った。


「これで、からだがほぐれましたの」

「アリシアちゃん、私も準備運動をやってみますわ。これでよろしいかしら? いち、にー、さん、しー」


 不思議な顔で自分達を見ていたお姉様。楽しそうに準備運動している姿が気になったようです。


「おねえさま、しゃーりー、これでからだがみずにぬれてもびっくりしませんよ。プールにはいりましょう!」


 二人に笑顔で告げると、そのままくるっとプールに振り向き小走りで水面目掛けて飛び込んだ。バシャッと小さい水しぶきが水面を揺らす。


 はぁー、プール気持ちいいー。


 子供向けに作られているのか底は浅い。すぐにプールの底に到着した自分は、太陽の光を肌で感じながら全身の力を抜いて浮き上がる力に身を任せた。


 プカーっと、水面に上がる自分をお姉様とシャーリーは訝し気に見ている。あれ? 何か変な事したかな……。もしかして、プールにもお貴族様の作法があるのだろうか。


 恐る恐る二人の様子を伺うように目線を合わせる。


「アリシア、みずのなかにはいってもへいきなのです?」

「驚きましたわ。アリシアちゃんが突然飛び込んで水の底に沈んでしまって。気持ち悪くなってませんか?」


 やはり……上流の方はプールに飛び込んだりしませんよね……。三人しかプールにいない貸し切り状態だから、飛び込みも問題ないと思って油断しました。せっかくなので、お姉様とシャーリーに飛び込んで入ると気持ち良い事を力説。


「おふろにはいるのとかわらないから、だいじょうぶですよ」


 お姉様はすんなり理解して、ちょっと助走を付けてからプールにダイブ。早速、浮き上がる気持ち良さを体験してもらった。しかし、シャーリーはすこし尻込みしてなかなか踏み込めずにいる。


「シャルロット様、水の中に入っても息をしなければ水は入ってきませんわ。水の中に入ってしまえば、身体が勝手に浮き上がってきますの。ゆっくり浮き上がるのを感じられて、とても気持ちが良かったです」

「そっ、そうなのですね。エルステアさまがそうおっしゃるのであれば。うぅ、でも……」


 このまま、背中を押してしまって無理やりプールに飛び込ませる事はできるけど、それをやったら不敬とか言われて大問題になりそう。

 

「シャーリー、わたくしといっしょにてをつないではいるのはどうでしょう?」

「いっしょにはいってくれますの?」

「はい。でも、いっしょにとばないとぶつかってしまいますから、めをつぶってもよいですから、とびだしてくださいね」

「わっ、わかりましたわ。アリシア、しっかりたのみますよ」


 シャーリーと手を繋いでプールサイドに立つと、お姉様は少し距離を取って見守ってくれている。


「いち、にー、のー、さん。のさんでまえにとんでくださいね!」

「さんでまえに。わかりましたわ」


 ギュッとシャーリーの手に力が入る。既に彼女は目を瞑っていて、自分の声が聞こえる事に集中していた。


「いち、にー、のー、さん!」


 少しシャーリーのタイミングが遅れたけど、間違いなくプールに飛び込めたようだ。水中で目を開けてシャーリーを見ると、しっかり息を止めて身体を丸めて浮き上がろうとしていた。


 さすが王女様ですね。一回で潜れるようになっている。シャーリーが水面に顔を出すタイミングをみて自分も起き上がった。


「シャーリー、どうでした? きもちよかったでしょう?」

「ええ、とてもきもちよかったですわ! ふわーっとからだがゆらゆらゆれながらうきあがりましたの。こんどはひとりでやってみますわ!」


 その後、何度か繰り返し皆んなでプールに飛び込んで遊んだ。


「あの子達、とても楽しそうに遊んでますわね。シャルロットに良き友が出来て嬉しいですわ。ありがとう存じます、ユステア様」

「もったいないお言葉です、王妃様」


 プールサイドの日陰でお茶をされているお母様達に笑顔で手を振って見せる。


 この後、このアルキペラヌス海から始まる争乱に、ここにいる誰もが気付く事はなかった。

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