第14話 プロの仕事とは? 2
ある日のことだった。常連の酒井さんが、カウンターで何時もの金目の煮付けを食べながら酒を飲んでいると
「いやさ、正直言うけど、家では薄味ばかりでげんなりしているんだよね。味が濃いのが体に悪いのは知っているけど。毎日、朝から晩までだと、いい加減飽きて来るんだよね。だからここでは何時もの味を楽しむんだよ」
そう言って嬉しそうな顔をした。俺は
「今日もですが珠姫くんという娘が作っているのですよ」
そう伝えると酒井さんは
「あの娘かい。あんな美人で可愛い娘が作ったと知って食べれば美味しさ倍増だね」
俺は香織を改めて紹介した
「珠姫香織と申します。まだまだ修行中の未熟者ですが宜しくお願い致します」
香織はそう言って頭を下げる。酒井さんは
「いやいや、こちらこそ宜しくお願いしますよ」
酒井さんはそう言ってグレーの髪の毛を揺らした。その日、暫くは何事もなかったのだが、暫くして酒井さんが
「高梨さん。少し相談に乗って貰いたいのけどね」
そんなことを言い出した。俺は
「何事ですか。私でお役に立つなら何なりと」
そう返事をすると酒井さんは
「実は私の部下で見込みのある奴がいるのだけど。最近調子が良くない感じなのですよ。心配なので訊いてみたら、『最近食欲が無い』って言うのですよ。何でも『何を食べても美味しく感じられない』とか。そこでこの店に連れて来て美味しいものを食べさしてやろうと思うのですよ」
「そうですか。是非お連れになって来て下さい。腕によりをかけて作らさせて戴きます」
俺はそう返事をすると酒井さんは
「じゃあ明後日でも連れて来よう」
その日はそう言って帰られた。
「酒井さんの部下の方は食欲が無いのですか?」
酒井さんが帰ると、早速香織が尋ねて来た
「どうもそうらしい。何を食べても美味しくないとか」
「それは疲れから来てるのでしょうかねえ」
香織はそう言うと暫くボーッとした表情を見せた。これは香織の脳内PCが研究所やその他のデータベースに接続して情報を収集しているのだ。他愛のないことなら脳内だけで済ませられるが、このような問題に謎が多い時はそれに掛かりきりになる。普通は人前ではやらぬが、俺の前だけは別だ。
「重要な問題が隠れているかも知れません」
香織はデーターが揃ったのだろう。そんなことを言って酒井さんの部下が単なる上辺だけのことでは無いと確信しているみたいだった。
「つまり、何かの病気が隠れているとか?」
「はい、それもありますけど、一番の可能性は味覚障害かも知れません」
香織は自身ありげにそう言った。
「味覚障害……」
「はい、理由は色々とあるでしょうが、まず間違いの無いところだと思います」
味覚障害と言ってもそれになった理由は色々とある。病が引き金になってる場合もあるし、単なる偏食から来てる場合もある。
「なった理由を考えんとな」
俺の言葉を想定していたのか香織は
「病からというのは考え難いですね。どうも先程のお話では勤務は今のところ普通にこなしてる感じですし、明後日連れて来るというも明後日も仕事に来てるという意味だと考えられます」
「そうか、じゃぁそれから導かれる結論は?」
香織は俺の言葉を待っていたかのように
「栄養障害から来る味覚障害だと結論しました」
「栄養障害といえば……」
香織は嬉しそうな表情で
「亜鉛不足から来る味覚障害だと思います」
亜鉛は体の色々な調整機能に関わっている。不足すると色々な神経系統に影響が及ぶ。味覚障害もその一つだ。
「じゃあ献立は決まったな」
「はい。でも当日は本人に確認してからですね」
「まあそうだろうな」
果たしてどうなるかだと俺は思った。酒井さんの話を聴いた時に、俺も頭の隅に浮かんだのは事実だった。
当日、店を開けると早速酒井さんがやって来た。一緒に若者を連れている。そしていつものカウンターに座る。
「いらっしゃいませ。今日はお早いですね」
香織がそう言って挨拶すると酒井さんは
「予告通りに連れて来ましたよ。隣に居るのが私の秘書をしている秋山くんだ」
秋山と紹介された若者は
「秋山大吾です。宜しくお願いします」
そう言って頭を下げた。香織は
「珠姫香織と申します。宜しくお願い致します」
そう言って会釈した。秋山くんはぼーっとして香織を見ている
「おいどうした?」
酒井さんが顔を覗き込むと
「あ、いいえ何でもありません。綺麗な方だなと思って」
そう言って下を向いてしまった。
「早速、始めても宜しいですか?」
「はいお願いします」
秋山くんが答えて香織の質問が始まった
「秋山さんは食べ物が美味しくないと感じていられるそうですが、具体的には何を食べてもそうなのですか?」
「はい、何か味が薄いというか味を余り感じないのです。何を食べても同じ味に感じてしまって。そこでつい酒で誤魔化しているのです」
香織は納得したかのような表情を見せ
「血糖値はどうですか?
香織が尋ねると秋山くんは
「この前の検診では高かったです。糖尿になる寸前だと言われました」
「ダルさは?」
「怠いです。だから休みの日は酒を飲んで一日寝ています」
「今までの毎日の食事はどうなっていますか?」
秋山くんは戸惑いながらも正直に答えて行く
「朝はファストフードですね。ハンバーガーが多いかな。朝〇〇ですね。昼は会社の食堂でうどんか蕎麦ですね。夜は友人や会社の仲間と居酒屋で一杯やりながらツマミを食べますね」
聴いていて、やはりだと香織は考えたみたいだ。表情で判る。それに典型的な亜鉛不足の食事だ。
「ありがとうございます。それでは料理を作って来ます」
香織はそう言って調理場に戻って来た。
「やはり亜鉛不足から来る味覚障害ですね」
香織はそう言って冷蔵庫から食材を取り出した。今朝市場で普通の食材とは別に仕入れて来て、仕込みをしていたのだ。それを調理する。
「出来ました」
暫く経って香織が俺に報告する。
「牡蠣と牛肉か。豚のレバーは使わなかったのか」
「好き嫌いがありますからね」
出来た料理を香織は秋山くんの前に出した。勿論酒井さんの分もある
「おぼろ牡蠣の三杯酢です。生の牡蠣を片栗粉を付けて茹でて、冷ましたものに大根おろしを乗せ、三杯酢であしらったものです」
「この上に乗っている針みたいなものは?」
酒井さんが尋ねる」
「針生姜です。味のアクセントと彩りです」
二人が牡蠣を口に運ぶ。まず酒井さんが
「これは美味しい。牡蠣は生でなくとも、こんなに美味しいのか」
そう言って感心していると秋山くんは
「生姜の辛さで味の感覚が少し蘇って来た感じがあります。正直酢の物って苦手でしたが、何か酸っぱさと辛さが寝ていた感覚を蘇らせてくれた感じがあります。それに牡蠣が驚くほど旨く感じます」
二人共良く箸が進む。そして次が運ばれた
「牛肉とチーズのアスパラ巻です。スライスした牛ロースを、さっとお湯に潜らせ冷水に取ります。水気を取り、伸ばしてスライスチーズを乗せて、芯に茹でたホワイトアスパラを入れて巻いて行きます。軽く温めて、バルサミコで作ったドレッシングを掛けて戴きます。どうぞ」
まず酒井さんが口に運ぶ
「うん、牛肉とチーズが合うね。ホワイトアスパラとの相性もいいね」
「巻いた後に少し温めていますから、牛肉の旨味が溶け出しているからだと思います」
続いて秋山くんが口に運ぶ
「ああ、美味しい! こんな感覚今まで忘れていました」
そう言って喜ぶ。香織が
「秋山さんは亜鉛不足による味覚障害を引き起こしていました。亜鉛が不足すると味覚の障害に他、だるさや疲れやすく感じることが多くなります」
香織の言葉に秋山くんは
「全部当てはまります」
そう言って驚きの表情を見せる
「秋山さんの日頃の食事を伺うと、朝のファストフードのハンバーガーは多少の牛肉は取れますが少なすぎます。同じファストフードなら牛丼の方が未だマシです。あたまの大盛りを頼めば亜鉛が多い牛肉が少しは取れます。お昼ですが、たまには牡蠣フライ定食でも頼んでください。お蕎麦やうどんでは消化吸収する時に亜鉛が消費されますので不足を引き起こします。夜は色々なオツマミを頼んで下さいね。野菜から魚介類まで幅広くです。そうして食生活に気をつけていれば、直ぐに治ると思います」
香織に言われて秋山くんは感心して聴いていた。香織は何やら自分のカバンから瓶詰めを取り出した。
「そして、これは私から秋山さんにプレゼントです」
「え、プレゼントですか。これは……」
「私が作った牡蠣の佃煮です。常温でも持ちます。冷蔵庫に置けばかなり持ちます。これをお食事の時に食べていただければ亜鉛不足は解消されると思います」
そう言って瓶詰めの牡蠣の佃煮を渡した。秋山くんは恐縮して
「いや〜本当にありがとうございます! それにお土産まで頂いてしまって」
そんな事を言って喜んでいた。
後日、酒井さんが来て何時ものように飲んでいたのだが
「そう言えば、秋山くんがね。香織さんの事を良く口のするようになってね」
そんな事を言ったので俺は
「へえ〜どんな事を言っているのですか」
そう問いかけると酒井さんは
「それがね。『あの香織さんという方はどんな人なのでしょうか』とか言うから。知りたかったら自分で調べなさい。まずは自分で店に行って口説いてみれば。って言ってやったんだよ」
そう言って笑う。
「珠姫さん。だからそのうち秋山が来るだろうけど、適当にあしらって下さい」
酒井さんは香織が相手にしないと思ってるが、こればかりは判らない。でも、真実は決して口外してはならないのだ。それどうするかが重要だと思った。こればかりは香織の気持ち次第だ。俺よりも秋山くんの方が同世代だし話が合うだろう。彼はイケメンでもあるしな。只、仲良くなっても自分の真実を話せない香織は、辛い立場になるかも知れないと思うのだった。
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