Le Monstre que Dr aimait ~博士の愛したバケモノ~
平中なごん
Ⅰ ハードボイルドな朝には一杯のコーヒーを
茹だるようにクソ暑いこの街に、今日もまた朝がやってきた…。
俺は朝霧に煙るうらぶれた街の薄汚れた白壁を窓越しに眺めながら、香ばしい湯気が優しく鼻を突く、一杯の黒い液体を口元へと運ぶ。
このエルドラーニャ島のプランテーションで採れるコーヒー……ハードボイルドな俺の毎日はこの一杯から始まる……
「ブゥゥゥーッ…! 苦ぁっ! おい! ミルクと砂糖は必ず入れてくれって言ってるだろう!」
人が飲むものとは思えねえその苦さに、俺は思いっきり吹き出して朝霧ならぬ黒い霧を作り出すと、振り返って帳場の店主に文句をつけた。
「なーにが、俺の朝はこの一杯から始まるじゃ。ブラックで飲めもしないくせにハードボイルドが聞いて呆れるわ」
だが、帳場の椅子に腰掛け、その悪魔的に苦え飲みものを平気で啜りながら、ひしゃげた顔の老店主は白けた眼をこちらへ向けて逆に俺を非難する。
「うるせえ! フランクル人はカフェオレで飲むのが普通なんだよ! てか、俺の心の声を盗み聞きするな!」
「聞きたくなくともダダ漏れなんじゃよ、この未熟な
「うぐ…そ、それは……」
俺の至極まっとうな主義主張にも、こうして毎度、その権力をかさにぐうの音も出ないよう言い負かしてくるこのオヤジ……俺が二階を事務所兼住居として間借りしている建物の一階で本屋を営んでいる爺さんである。
ああ、申し遅れたが俺の名はカナール。世界唯一の〝怪奇探偵〟だ。
大帝国エルドラニアの植民地であるこの新天地(※新大陸)へ移住したフランクル人の父親と原住民の母親の間に生まれた俺は、支配層のエルドラニア人でもなけりゃあ、見てくれも原住民のように浅黒い肌をしたハーフだ。
だから、まっとうな商売では一生浮かばれないだろうと早々にカタギの道を諦め、
で、そのために悪霊や魔物とやり合うための武器として魔導書『シグザンド写本』を買い求めたのが、この本屋のオヤジとのそもそもの馴れ初めだった。
つまり、そんなご禁制の品を扱ってるってことは、この本屋もカタギの店じゃあねえっていうことになる。
いくらお
聞いた話だと、エルドラニアの船を襲って積荷の魔導書を奪い、その写本を作って流通させてるなんていう、神をも畏れぬ極悪な海賊もいるって話だ。
ま、そんなおっかねえ海賊やこの闇本屋のおかげで、かくいう俺も探偵稼業を始められたわけなんだが、最近、ようやく仕事の報酬がそこそこ入るようになったんで、小汚ねえ裏路地でも一応、このエルドラーニャ島最大の都市サントラ・ミゲルにあるこの店に事務所をオープンしたっていうような寸法だ。
「勘弁してくれよ、おやっさ〜ん。短銃とか買ったんで、今、懐が淋しいんだよ。次の仕事で金入ったら食費でもなんでま入れるからよ~。な、もうちょっと今月代待ってくれよ~。あ、あと、パンだけでもいいから恵んでくれよ~」
そんなわけで魔導書に関してばかりでなく、いろいろとお世話になっている大家のこのオヤジに、俺は平身低頭、お慈悲を賜われるよう懇願する。
「フン! 次の仕事って、ここんとこ依頼などないじゃろう? 仕事がないんなら鉱山で働くなりなんなりして金を稼いでくるんじゃの…」
だが、無慈悲にも因業オヤジがそんな嫌味を口にした時のことだった。
「ごめんください。ここにバケモノ退治をしてくれる探偵がいると聞いて来たんですが……」
不意に入口のドアが開き、そんな声が背後で聞こえた。
振り向くと、そこには濃い茶のフード付きマントを羽織った背の高い男が立っている。
人目につきたくないのか? フードを目深にかぶってはいるが、覗く顔は若い白人のものだ。まあ、美男子の類だろう。
「あん? ……あ! もしかして、お客か!? ああ、それは俺のことだ。この怪奇探偵カナール、金さえもらえれば悪霊でも魔物でもなんでも引き受けるぜ?」
俺は一瞬、ポカンとした後、彼が依頼者であることに気づく。
「どうやら鉱山労働は免れたようだの」
オヤジもそれを悟り、またそんな余計な嫌味を言う。
「それは頼もしい。ぜひ、お願いしたい仕事があるのですが……お金はこれで足りますでしょうか?」
だが、オヤジに眉をひそめる俺を他所に、男はけっこうな銀貨の入っていそうな皮袋を懐から取り出し、チャリンチャリン音をさせながらそう尋ねてくる。
「おお! なんと耳触りの良い響き! じゃ、詳しい話は上の事務所でお聞きしましょうか、ムシュー?」
俺は一も二もなく了承すると、慇懃に気取って男を二階の事務所へと誘った。
「――お頼みしたいのは、私の村に出るバケモノの退治です」
事務所…といっても粗末な机と椅子がニ脚しかねえ、壁も穴だらけなボロい小部屋だが、そこへ通すとヴィクターと名乗るその男は、早々に依頼内容の話を切り出した。
ヴィクターの話をまとめるとこうだ。
彼はこのサント・ミゲルからほど近い、植民者の開拓した〝バビエラ〟という村に住んでいるのだが、そこに最近、恐ろしい大男のバケモノが現れ、農作物を荒らしたり家畜を喰い殺したりしているのだという。しかも、そのバケモノはあろうことか、彼が留守をしてる間に彼の家に住みついてしまったそうなのだ。
で、街の噂で俺のことを知り、そのバケモノを始末してほしいと村を代表して依頼しに来たわけなんだが、その際に一つ条件を付けられた。
「私の家にバケモノが住みついているということは、他の村の者には黙っていてほしいのです。このことはまだ私しか知りません。村内にバケモノのねぐらがあるとわかれば怖がるでしょうし、自分の家に住みつかせたとあっては村での私の立場がないので」
とのことらしい……。
ま、気にするこたねえと思うんだが、村に住んでる者からすりゃあ、そんな世間体も気にするってもんか……。
「では、よろしくお願いします。そういうわけで、私は港の〝ディオダティ亭〟という宿に泊まっておりますので、万事すみましたら、そちらをお尋ねください。報酬はその時にお渡しします」
俺が委細承知をすると、男はフードの下で安心したように笑みを浮かべ、最後にそう告げて帰って行った。
依頼者なんだし、道案内がてら一緒に来てくれてもよさそうなもんだが、自分もそのバケモノが怖いし、家はそんなで帰れないから同行はできないとか、なんとも他人事みたいな言い訳をぬかして、あとは全部丸投げされた。ったく、自分の村…いや家がバケモノに荒らされてるってのになんだかなあ…って感じだぜ……ま、俺は金さえもらえりゃあ別にいいけどな。
「さて、ちゃっちゃと片付けて、あの因業オヤジに家賃を叩きつけてやるとするか……」
ヴィクターを見送った後、俺も一張羅の灰色のジュストコール(※ジャケット)を颯爽と羽織り、赤いチェックのスカーフと灰色の
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