推し作家と同棲(くら)してます。

やもげ

第1話 推し作家と放課後

「ひ、柊くん」


「ん……」


 時は放課後。

 自由時間の始まりに浮足立つクラスメイト達を横目に、どっこらせと席を立った俺にちょこちょこと寄ってくる影が一つ。


 橘だ。


 柔らかな栗色の髪をした彼女はその周囲にほわほわとした陽気を纏わせていて、初夏を迎えつつある今現在にあっても見た者に春の訪れに似たものを感じさせる。

 小柄な彼女に合わせて少しばかり身をかがめると、橘はこちらの右耳に向けてこしょこしょとウィスパーボイスを紡いできた。


「この後はスーパーですか?」


「あぁ、ちょうど特売だしな。一応家計を預かってるものとしても見逃せない」


「あ、ありがとうございます。でも、遠慮なく使ってくれていいんですよ?」


「ほぉー、それほどの貯えがあると。やっぱ売れっ子作家は違うな……」


「そ、そういうわけじゃ……!」


「冗談だ、冗談。……ありがとな。いつも助かってる」


「そ、そんな……むしろ助けてもらってるのは私の方で……」


 礼を告げたこちらに、橘はわたわたと両手を振る。

 小動物のような振る舞い、その可憐さに思わず頬が緩む。毎日結構な時間眺めているはずだがまるで飽きない。『美人は三日で飽きる』と言うが、可愛いには飽きが来ないようだ。


「そんなわけだから橘は先に帰っててくれ。あ、夕飯は腕によりをかけて作るから間食は控えめで頼む」


「い、いえ! 私も行きます!」


「? 必要な物があるなら買ってくぞ? とっとと帰って休むなり絵描くなりした方が……」


「私も荷物持ちくらいにはなれますから。……ダメ、ですか?」


「う……」


 上目遣いでお願いされ、思わず一も二もなく頷きを返す。

 本人は分かってないと思うがその威力は必殺のそれだ。断れる男子はそういないだろう。


「……分かった。じゃ、ちょっくら頼む」


「! は、はい!」


 こちらが了承の意を見せると、橘の顔はぱぁっと華やいだ。

 おそらく家事を任せっきりな事を気に病んだのだろう。なんとも律儀なやつだ。


「そんじゃ、また公園の前で待ち合わせだな」


「はい! ……ふふっ」


「? どうした?」


「あ、いえ……待ち合わせって聞くと、なんだかデートみたいだなって」


「言われてみると確かに……そういう事なら、今日は放課後デートと洒落込むか」


「へぇっ!?」


「冗談冗談。じゃ、また後でな」


「え、あ、はい……」


 最後までこそこそ話のまま会話を終え、俺は鞄片手に教室を出た。

 


「デート……放課後デート……」


 最後の方、橘が一人で何かつぶやいていたが気にしない。次回作の構想か何かだろう。家でもああやって呟く姿が多々見受けられる。


「しかし、あそこまで驚かれるとは……」


 生徒たちで賑わう廊下を歩みながら、一人苦笑する。

 冗談でデートに誘っただけであの驚かれよう。

 やはり俺は彼女に異性として見られていないようだ。

 まぁ、こちらとしてもその方がありがたい。

 何せ俺は今、彼女のアパートに居候させてもらっているのだから。

 

「何作ってやるかな……」


 親愛なる推し作家様のために献立を考えながら、俺は待ち合わせ先の公園へ歩を進めた。



 高校二年、六月。

 俺は推し作家と同棲していた。



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