<The End of Arcana> -地獄篇-
@rabaco
第1話 「黒い獣」
「未礼‼ おい、反応しろ!」
千砂は大声で叫ぶ——
が、下半身を蛙のように潰された未礼はピクリとも動かない。電脳を介しておらず、確実に冷静さは欠いている。しかし千砂は激情に駆られない、いや駆られないようにしているのか。激情に駆られたプレイヤーは確実に死に近づく事を千砂は良く知っているからだ。
千砂のPKプレイヤーキラーとしての過去な経験が、咄嗟に選んだ行動は「見」。
狩られる側の獲物としての絶望的な感覚を感じてはいるが、弟の命が蹂躙されている千砂は最早そんなことはどうでも良く、確実に勝てる方法を冷静に模索する。
未礼の躯の上に乗っている「何か」は千砂を眼に写し、奇妙な咆哮音を放ち、明らかな殺意を持って威嚇する。山羊の鳴き声のような獣の咆哮。
その声の中には電子音のような不協和音も交じり不快感が体に突き刺さる。その「何か」は一見すると獣であり、体長3m程度の大きさのように思えた。
山羊の頭、胴体と両手は人間のそれ、下半身は2本足だが樋爪を携えていた。
その「何か」は右手に大鎌を携え、こちらを明らかに牽制していた。
——バフォメットに似ている。千砂はそう思った。
バフォメットとは「サバトの山羊」。
魔女達に崇拝を受ける悪魔であり、どこまでアップデートが進んでいるか誰も分からない、この深い深淵のようなゲームの敵MOBにいてもおかしくない。
ただ、何かがおかしい。
このゲームでは、視界に入る人物は名前が表示される。だが、この化物には名前がない、というより文字化けをしていて読めないのだ。千砂はこのゲームにかなりの時間を費やしているが、このようなバグは一度も見たことがなかった。
(千鶴、リザレクション、早く!) 電脳を介して奇跡を使える千鶴を急かす。
(もうやってる——でも駄目。奇跡が発動しない——。)
「何か」、いや「ァ�ェ繧ゥ譁�ュ怜」と千砂が見えている獣は、蟻のように踏みつけていた未礼の体を無機質に空高く放り投げる。「ミッ…」 千砂が瞬間的に思うより早く、獣は右手に掲げた鈍い光を帯びた大鎌で、一切の慈悲もなく、未礼の体を横に真っ二つに切り裂いた。
◆ ◇ ◆
アルカナ・インターナショナル(AI)、民間軍事企業。軍事専門誌が年に1回発表している世界の軍事企業の売上ランキングに民間企業でありながら1位に君臨する、化物企業である。AIは他国への兵器輸出を生業にしている傍ら、医療やナイトレジャーにも大きな力を持ち、軍事企業でありながらこの日本で、また世界で暮らす為に欠かせない一つの世界の欠片となっていた。
『アルカナ世界にようこそ!』
夥しい数のメディアに囲まれ、数多のライトに照らされた女性が壇上にいた。女性の帽子にはAIの象徴である鷹のエンブレムが光っており——能面のような笑顔は彼女がある種のプロであることを示しているようだった。
「アルカナ世界はAIが持つ最先端の軍事、医療、科学——その全てをフィードバックしてユーザーの皆様に提供するMMO-RPGです。」
さらに続く。
「アルカナ世界で得た金銭はすべて現実世界で使える仮想通貨。レア・マジックアイテムを入手した日には一攫千金も夢ではありません。」
「最新の科学技術により後頚部に埋め込んだ5㎜ほどのインプラント。これが感覚神経から脊髄、そして脊髄神経を介して皆様の脳内に直接オンライン・サーバーが繋がります。」
「安全性は極めて高く——。」
嘘つき——と男は思った。
男はソファに持たれかかった状態で目を瞑っていた。髪の毛はやや長い、やせ型——やや不健康そうにも見える白い肌。まわりにはペットボトルが倒れており、テーブルには携帯電話が置かれていた。
男が脳内で「この映像」をスクロールすると新たな画面に切り替わる。
画面——いや正確には男の見ている風景には、アルカナ世界のログイン画面が映し出されていた。
男の後頚部には先ほど説明されていたマイクロチップが埋め込まれている。アルカナ世界の公式サイトにアクセスするように脳が感じると、60秒後に五感はすべて停止して全感覚はインターネットに没してしまう。現実世界の肉体は、まるで植物かのように動かなくなってしまうが、代わりに全感覚を持った自分がネット上に誕生する。
この技術は、一介の軍事企業であったアルカナ・インターナショナルを瞬く間に総合企業に押し上げた「魔法」であり、後頚部の1円玉以下ほどのマイクロチップを介して運動神経、感覚神経、脳神経——そのすべてをAI本社にあるコンピューターで総括管理するBMS(Brain Management System)と呼ばれるシステムである。現実世界のいわば抜け殻となった体躯は、代謝が極端に落ちるため冬眠のような休息状態となり空腹も排便も尿意も生理現象は感じにくくなる。
また、魔法の所以の最も大きな理由として、アルカナ世界は現実の時間と全くリンクしていないことにある。現実世界の1日はこの第三世界の1年に及んでしまう。そしてアルカナ世界で得た金銭はアルカナ・インターナショナル社を通じて現実世界の金銭を交換する事が出来るのだ。
先ほどの女性が言っていたように希少な武器やアイテムを得て、それを販売、現実世界で換金することにより巨万の富を得た話は決して珍しくはない。——この魔法でアルカナ・インターナショナル社は「アルカナ世界」という第三世界を完全に確立して現実世界とリンクさせたのである。
ログイン。男がそう思うと河口の畔に立っていた。潮風が肌全体を打ち、喧しく聞こえる鳥の鳴き声、噎せ返る川の匂い……まさにただの現実そのものであった。見える風景は威厳さえも感じ、喧噪に満ち溢れた雑踏でもあり、人間の5感に本能的に訴えかけるものだ。武具を販売している露天商、煙突から囂々と黒い煙を吐き出している精錬所、剣を持った人々が往来する宿屋、現実の東京とはまるで違う風景だけが、そこがゲームであることを表す唯一の証拠であった。
行き交うのは人間だけではなく、エルフ、はたまた獣人など多様だ。ここは現実世界とはまるで異なるが座標だと東京都新宿区。現実世界とアルカナ世界の座標はリンクしているが、外観はまるで異なるようになっている。
「依頼は……」
そう呟いた男は身長こそ高くないが黒い外套に身を包み、背中には人丈ほどある不気味な大鎌を背負っていた。髪は腰ほどある艶やかな黒髪。一見すると女性のような端正な顔立ちであるが、外套と大鎌のせいで禍々しいオーラを発していた。
男の名前は現実世界では「柳川 千砂」、アルカナ世界の名前は「千砂」。
この日、最も長い一日になるであろうことは、千砂はまだ知る由もなかった。
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