第6話

 静けさと退屈さが混じる空気の中過ぎていった午後の授業。休み時間、坂井が野田に話しかけることはなかった。


 霧島邸に行って、霧島を学校に来るよう説得する。


 坂井にとって、野田の提案は突飛すぎたのかと思ったけどそうじゃない。学級委員長の立場で考えればすぐに返事は出来ないように思う。

 野田が提案したあとの教室内のどよめき。

 それが秘めるのは、霧島への好奇心と悪意だろうから。


 調査という、日常からかけ離れた野田の発想と霧島が学校を休み続ける理由わけ。好奇心と悪意が呼ぶ憶測は、霧島を傷つけながらタチの悪い噂になっていく。

 慎重にならなきゃって坂井は思ってるのかな。だけどなんらかの答えを出して動かなきゃ、好奇心と悪意は姿を変えて動きだしてしまう。

 世の中だってそうじゃないか。

 憶測や批判がありもしない噂を呼び込んで真実ほんとうを踏み潰してしまう。


 クラスメイトがいなくなり僕と野田だけになった放課後の教室。空を染める夕焼けが窓際の机と椅子を赤く染めている。いつもなら僕は、クラスメイトに紛れ早々と教室を出る。だから知らなかったんだけど、野田は坂井の次に帰宅するのが遅い奴だった。


 野田が居残る理由わけはスマホのゲーム。時間限定のクエストをクリアするためらしい。

 帰らないのか? と聞くと『今、大事なとこだから』と真顔で言った。ゲームと霧島邸……野田にとってどっちが大事なんだろう。


 スマホの音を聞きながら、メモを破り書き込んだメールアドレス。野田の机にメモを置きながら、鞄があるのを見て坂井が帰ってないのを確認した。

 みんなが帰ったあと。

 霧島のことで、坂井と話そうと思ってたけど今日は諦めよう。坂井は学級委員長として、帰れない理由があるんだろうし。


「野田、遅くなりすぎないよう気をつけろよ」


 うなづきもせず、ゲームに没頭する野田を残して教室を出た。







 ***


 誰もいない廊下を歩きながら、野田と話したことを思いだしていく。野田から聞いたことは信じられないものばかりだけど、驚いたのはマリーが本当にいたかもしれないという事実。 

 何枚ものマリーのスケッチ画。

 ノートに挟まれていたのを考えると、描いたのは霧島貴音しか考えられない。

 町の住人を恐れさせたマリーの噂。


 黄昏の慟哭では、不思議なものが見える人物としてマリーは描かれている。

 妖精や妖怪、地球に降りてくる宇宙そらの精霊達。誰もが憧れ恐れをいだ存在ものとマリーは話すことが出来た。彼女と過ごす時の中で、人になりたいと願い続けたリオン。


 霧島貴音。

 彼が住むのが霧島邸だとしたら。

 彼はどんな思いで噂に向き合いマリーを描いたのか。

 それに信じ難いのは、霧島邸の主人が若いままだということ。授業中も考えたけど若いままなんてあるはずがない。野田の母親は、似てる人とすれ違っただけなんじゃ。


 現実には不老も不死もない。

 誰もが歳を取り死んでいく。

 だけど。


 ノートに書かれ、黄昏の慟哭には書かれていなかった、リオンの翼から生みだされた人物。

 リオンの不死を思えば、死ぬことはないと考えられる。だけどそんな話誰が信じられるのか。リオンは、黄昏の慟哭に出てくる架空の存在なんだから。

 




 背後に響く音に足を止めた。

 何かが落ちたような音

 なんだろう。

 誰もいないし、音を立てるものがあるはずはないのに。


「なんで?」


 ありえないものが廊下に落ちている。

 机の上にあるはずのノート。

 拾おうと、近づきしゃがみ込んだ時。床の光沢の中、滲み見えだしたもの。


 色味を帯び、鮮明になっていく人影。


「なんだよこれ」


 光沢の中。

 白い衣を纏う、白い翼を持つ女が僕に微笑んだ。霧島貴音と……同じ顔で。


「坊っちゃんってば……私からの贈り物を手放すなんてね。それを手に入れたのは人間君」


 僕に語りかける女。

 坊っちゃんって彼のことか?

 彼が手放し僕が持っているもの。贈り物ってノートのことだよな。

 人間君ってなんだよ。

 僕には都筑颯太って名前があるんだぞ‼︎


 ノートを手に取った瞬間とき

 ズブリと音を立てて、床から飛び出した灰色の手。それは立ち上がるより早く僕の腕を掴んできた。水のような冷たさが体中に震えを呼ぶ。

 

「人間君、君は随分と坊っちゃんが気になっているようね。君の思いは私に伝わっているわ。私が作りだしたノートを通じてね」


 何が起きてる?

 リオンとマリー、彼のことを考えてただけなのに。



 人になりたい。

 人になって……マリーと一緒に。



 黄昏の慟哭の中、繰り返し読んだ文章ものが僕の中を巡る。腕を掴んだ手はひび割れ粉々に砕け散った。


 女が消えた代わりに現れだした人影。


 白く長い髪と身に纏う黒い衣。

 悪魔を思わせる黒い翼。

 僕に向けられた赤い目が宿す寂しげな光。

 リオン……なのか?


 苦しさと絶望。

 足掻きと嘆き。

 

 黄昏の慟哭を読む中で、感じ取ったリオンの悲しみ。それが彼に綴られた真実ほんとうだったとしたら。

 不死の人物が、本当にいるとしたら。


「リオン」


 僕の声がかき消していく人影。

 灰色になり透明になっていく衣と翼。


 ノートを持つ手から力が抜けていく。 

 まぶたが重い。何かが触れ閉ざそうとするように。


「私はリリス。坊っちゃんを生み見ている者よ。坊っちゃん……霧島貴音は、優しく悲しい存在もの。君がいだく思いが坊っちゃんに何をもたらすのか、見させてもらおうかしら。……人間君」


 リリス?


 ノートに書かれていた天使の名前じゃないか。

 不死の天使が……本当にいるのかよ。


 体から力が抜けていく。

 赤いはずの夕焼けが……黒く……染まって


「人間君に何が出来るのか。坊っちゃんを救えるのか……楽しみね」


 リリスの笑う声と閉ざされたまぶた。

 訪れた暗闇の中思う。


 リオンとマリーの真実ほんとうのモノガタリ。追いかける先に……彼がいる。











「……太。颯太」


 聞き慣れた声が聞こえる。


 目を開けると、真っ白な天井と兄貴が見えた。

 何処だここ。どうして兄貴がいるんだろう。


「颯太、大丈夫か?」

「兄貴? どうして……兄貴がいるの?」

「びっくりしたんだぞ。母さんが店に電話をくれたんだ。颯太が倒れてるのを、先生が見つけて連絡くれたって。お前は救急車に乗せられて病院に運ばれた。覚えてないか?」

「病院? ……僕は」


 帰ろうとした時に見た、リオンとリリスの幻影まぼろし

 あの時……僕は気を失ったのか。

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