第233話 休日出勤


 土曜日とは、本来世間様一般から”休日”と呼ばれる一日である。

 大多数の普通の学園生徒にとって週末の貴重な一日であることに聊かの替わりもないであろう。


 だが、今週は三日間にも及ぶ大規模な武術大会が開催される大変忙しい週だ。

 月曜火曜と生徒達が普通に学園生活を送っている中での設営作業は難しい。


 先月の収穫祭など比較にならない程の多くの関係者が集い、大掛かりな話で――当然今週末役員に休日などありませんが? と、当然のような顔で学園内に顔を出すことになっていた。


 そこには王子の姿もいたし、ジェイクの姿、そしてラルフやシリウスも先に着いて忙しない様子である。

 今日から運動場を剣術大会の会場として設営準備をするのだという話の通り、十人を超える技師や職人が資材を学園内に運び込んでいる。

 毎年のこととは言え、今年は王子在学中の観覧イベントとして緊張感も例年以上だと言う。

 学園敷地西側に広がる無駄に広大な運動場が、即席でコロッセオのような円形闘技場に変わっていくのをカサンドラは唖然として眺めていた。


 ここまでやるのか、王立学園。


 流石に本物のコロッセオのような高さはないものの、観戦者が窮屈にならないよう、また見栄えに難がないように土台から組み立てていくその様には職人魂しか感じない。

 他にも応援の左官が十人単位で応援に駆け付けているようで、場内は喧騒に包まれ通常とは全く違う様相を呈す。


 カサンドラは事前準備で考えられる変更点を確認、進行表や台本を学園長などに確認してもらったり。

 数少ない女性役員ということで、騎士団関係のお偉いさんである老元騎士にお茶出しや世間話に付き合う接待などを任されていた。


 お偉いさんの接待、しかも騎士団。

 あまり率先して担当したいわけではないが、仕方ない。


 休憩所として張られた幕の中で彼に淹れたてのお茶を勧めた。


 彼は得意げに昔の苦労話や手柄話などを語ってくれるが……

 あまりにも自分と縁のないこと、作り笑いで「そうなのですね」「凄いですね」など相槌のバリエーションをあっという間に使いつくしてしまう。

 だがそんな控えめなカサンドラの態度は老騎士をいたく感動させてしまったらしく、更に延々と話が続く……という負のスパイラルに陥っていた。


 「儂が若い頃は」を枕詞に、いくつの武勇伝を聞かされ、現在の若者の軟弱ぶりを嘆かれた事だろう。


 そんな言葉も磨き抜かれた社交スキル、聞き流しを発動して凌いでいたつもりだったのに。


「お嬢さんは見かけに反して慎ましやかで大変宜しい、全く騎士団に関わる女性共ときたらいつもはねっかえりで可愛げというものが……」


 などと一層愚痴へのエンジンを加速させる結果となって大変やりづらい御仁であった。

 騎士団を退団した後も顧問としてあれこれアドバイスと言う名の茶々を入れてくることが多いと言うが。

 功績も大きく、騎士団の元重鎮ということもあって同行した騎士達は誰もこのお爺さんに積極的に関わろうとはしない。


 そろそろ席を外したいのだが、誰か助けてくれないだろうか。


 そう思ってこっそり忙しく周囲を駆けずり回る一般騎士と目が合ったのだが、彼はスーッと目を泳がせてその場をダッシュで去っていく。

 酒も入っていないのに、お茶だけで何故こんなに長時間接待させられなければいけないのか。

 それもコロッセオ設営現場、真横の天幕の中で。


 幕が張られれていると言っても前方は全開なので、この老爺にカサンドラが長時間捕まって雑談を聞かされていることくらいは見えるだろうに。

 皆自分の仕事で忙しいのか、神経を擦り減らすカサンドラの救いを求める視線を見ないフリで通り過ぎていく。


 まぁ、これもお役目の一つと言うなら――彼が満足するまで語り倒してもらおうではないか。

 そう決めて午前中いっぱい、天狗鼻で自慢話を繰り広げる彼の太鼓持ちとなっていたカサンドラである。




「――おい、いい加減にしろよジジイ。」

 



 天幕の前方から入る陽光を遮るように、長身の青年がうんざりした様子で入ってくる。入口の高さが彼には低すぎるのか、若干腰を屈めながら。

 厚手の黒いタートルネックは彼に良く似合っていた。明るい色より、濃い色の服の方が彼には映えるのかも。


「なんじゃい、ジェイク。

 もう休憩か、まだまだ時間はそう経っとらんぞ」


「うるせーなぁ、俺は朝からずーっと資材運び入れを手伝わされてたんだ。

 それでもまだ手が足りないと来た」


「ハッ、あの程度の荷下ろしにここまで時間がかかるとはな。

 全く最近の若いもんは」


「爺がこんなところで堂々とサボってくれてるから捗らないんだよ。

 アンタの指示ならもっと効率よくあいつら動かせるだろ?

 ちょっと顔出して檄飛ばしてやってくれよ」


「ム……。

 しょうがないのぅ、図体ばかりデカくなって、この程度の指揮も満足にできんとは」


 元騎士の老人は、その大きな身体をそわそわと揺する。

 彼は退団した身とは言え、まだまだ心は現役なのだ。

 普段騎士団内のことに自ら関わる権利を失ってしまったが――こうして指揮をしてやってくれと直々に言われて悪い気がしていないようだ。

 それまで顧問と言う肩書きで具体的にやることもなく、カサンドラを捕まえて雑談をすることで適当に時間を潰そうと画策していたのだろうが。


「かー、儂がおらんと回らないとは情けない。

 どれ、様子を見に行ってやろうか」


 コホンとわざとらしい咳ばらいをして彼はいそいそと休憩用にと張られた天幕から出ていく。その後ろ姿は心なしか嬉しそうだったし、彼を見送るジェイクは軽く舌を出していた。

 流石、扱いを良く分かっている。


 衝突するわけでもなく、体良く彼を外に出してくれたわけだ。



「いやー、悪いな。面倒な相手を任せてて」


 彼は苦笑いで肩を竦めた。同時にこちらも同じような表情になりかけたが、相手は騎士団関係者だ。

 いつどこで、誰の耳にカサンドラの言葉が伝わるとも限らない。


「まぁ、とんでもないです。

 とても勉強になるお話を聞かせて頂きました」


 本当は内心辟易していたのだが、その本心をさらけ出しても良いことはあるまい。

 貴族の子女として申し分ない振る舞いだと自分でも思いつつ己の胸に手を添えると――彼は憮然とした表情で口の先を曲げた。


「お前、どこまで優等生なんだよ」


 一応彼に礼を言わなければいけない立場なのは変わらないのだが。

 うっかり失言だけは避けたいものだ、と心の中で彼に手を合わせて感謝しておいた。


 この天幕に顔を出したという事は、彼もちょっぴりお疲れモードなのだろう。

 他にも休憩したいと思った人間は多いかもしれないが、流石にあの老人が真ん中を陣取って足を拡げて武勇伝を語り続ける席に自ら飛び込んでくる者はいなかった。

 そして今度はジェイク――年下の騎士でも、大将軍を父に持つ彼に気安く声をかけられる者も多くないのだろう。

 皆ジェイクの姿を見つけると、敬礼して踵を返してUターンだ。


「……とりあえず、お飲み物でも淹れましょう」


「ああ、頼む。

 疲れたー」


 体力お化けの彼がそこまで疲労するのも珍しい。

 だが聞けば資材搬入ということで、大人数人がかりで運ぶ角材を一人で肩に乗せて延々と一人で運び入れていたとのこと。

 それは疲れて当然だな、と。


 淹れ直したコーヒーを彼に勧めつつ。

 カサンドラは彼の一つ隣の椅子を空け、自分も腰を落とした。




 ※




「六時……? そんなに早朝から訓練されていたのですね」


 何気なく今朝のリゼとのやりとりを聞かされ、ジェイクの今日のスケジュールにカサンドラは目を丸くした。

 彼は砂糖も何も入れない苦いコーヒーを呑み進めながら、大袈裟に天井を見上げたのである。


 早朝六時に訓練とは、リゼもさぞかし大変だったことだろう。

 しかもわざわざ学園内で稽古をつけてもらうなんて、カサンドラも全く想像さえしていなかった。

 自分達が学園に集合するずっと前から、ここにいたのか。

 ジェイクが一番乗りだったとシリウスが驚いていたが、その謎が解けた気がする。


 ――尤も、当初の約束通りジェイクと一緒に剣の訓練が出来たのなら今頃リゼもホクホク気分で寮に戻っているのだろうな。

 連続して武術大会設営のための人出として駆り出され、休む間もないジェイクは大変だけれど。


「ど、どうでしたか?」


 カサンドラも緊張で、ついどもってしまった。

 彼女の指導教官であるフランツはああ言っていたけれど、現実に大会に参加する彼の目から見てリゼの腕はどの当たりまで上がったのだろう。

 イベントが成功するくらいの実力を得ることが出来たのだろうか。


 ここのところそればかり気になってしょうがない。


「いやー、まぁ話には聞いてたけどな。

 十分期待は出来るんじゃないか? ま、本選で早い内に俺と当たったら手心も容赦もないけどな」


 その時は御愁傷様、と呟いて湯気の立つコーヒーを更に一口。

 情け容赦のない言葉だが、まぁそれも当然の話か。


 フランツにジェイク、彼らから合格点がもらえているのなら……余程の事が無い限り大丈夫なのでは?

 一気に気が抜け、足元から崩れ落ちそうになる。


 ここでジェイクが笑いながら言った通り、早々はやばやと二人が交戦することになったらリゼはどう足掻いても上位陣には入れないだろう。

 そんな運の悪い事にはならないことを祈るだけだが、そんな期待外れな運命はこの世界は良しとしないのではないか……とも思う。


 主人公特権は未だに健在だ。


 勿論それは人事を尽くした上での、特権。彼女達がそのステージに立てるように努力を重ねて来たからこそ、報われるというものだ。

 努力は必ずしも報われるものではない、と世知辛さも重々承知している。


 だが何らかのストーリーで主人公を任されるのであれば、そんな身も蓋もない演出などしらけるだけだ。

 努力は報われて欲しい――


 せめて物語の中だけは、と。

 そう願う人が多いから、この”作り物”の世界においてさえ勧善懲悪の英雄譚や御伽噺は無数に作り出されている。

 この世界もまた、それを望むのだろう。


「しかしまぁ、あいつの腕にも驚いたけどさ。

 それ以上にお前の事、初めて”すげー”って思ったかもな」


 彼は愉快そうに、カラカラと裏のない様子で笑う。

 子供が無邪気な感嘆の声を上げるように、発言相手がシリウスだったら嫌味か皮肉を疑っただろうがそれもない。

 毒牙を抜かれるような、陽気な声だ。


「…? わたくしが、何か?」


「――お前が知ってるかどうかは分からないけどさ。

 ちょっと前、ジェシカが煩い時期があったんだよ。

 ……カサンドラをロンバルトの、まぁ要するに俺の嫁にしたらどうかって」


 もしも自分がコーヒーを飲んでいたら、そのまま彼の顔に噴き出していたかもしれない。

 話し相手と言う接待する側、何も口にしていなくて助かったと言わざるを得ない。


 いや、その話は……以前アイリスから聞いたことがあるけれども。

 既に雲散霧消した話で、何の音沙汰もないしそもそも本当の話だったかさえ定かではなかった。


 ……本当に、リアルな話だったのかと背中に汗がとめどなく滴り落ちる。

 頬からぽたぽたと冷や汗が落ちていく心境である。


「ああ、その話は親父やオッサンの手で潰されたから気にすんなよ?」


「そ、そうなのですか……」


 声が震えそうになるのを懸命に堪えていたが、きっとこちらが動揺したことは彼にも分かっただろう。


「あいつらが命令するならしょうがないけどさ、それでも地獄絵図だろ……

 まかり間違って実現したら、俺、どんな顔してアーサーと話をすればいいんだよ」


  明け透けな彼の感想に、カサンドラの方が埴輪みたいな顔になりそうだ。

 休憩途中の茶飲み話にする話か、それが。


 だが――仮に王子の婚約者が自分でなくなり、解消し変更したら自分達の関連性はどうなったのだろう。

 彼は一体どんな言動をとるのだろうか、何も反応がないか「ジェイクと仲良くね」なんて言われかねない。

 想像しただけで胃がシクシクと痛む。


「今朝、リゼを見て上達ぶりにも目を瞠ったけど。

 何よりあいつがここまで『伸びる』なんて普通思わないだろ、最初の運動音痴全開の状態でさ」


 彼女は生憎剣術や体術に適性がない。


 リタやリナならもっと早く上達するだろうが、今が彼女の精一杯だ。

 それでもコツコツ経験、パラメータという数値を積み上げて行けばジェイクに肉薄するどころか打ち倒すことだって出来る。

 まさに主人公の一人、彼女は可能性の塊。


 早いか遅いかだけで、彼女達は望んで努力すれば何にだってなれるのだ。


 今回はリゼがジェイク狙いだったので剣術を推さざるを得なかったが、もしも他の二人だったら……そう想像しようとして、全くイメージが湧かなかった。

 彼女がシリウスやラルフのために別の系統の努力を重ねる姿など今更想像できない。


「才能があるってピンときたら、俺だって最初に声掛けて誘ってたさ。

 でもリタと違ってアイツは絶対向いてないとしか思えないだろ」


 リタに執拗に声をかけていたのは、少し接しただけでわかる人並外れた運動能力。

 彼女が剣を習えば、それはスイスイとスポンジのように一瞬で技術を習得してもっともっと高いところに立つことが出来たのかも知れないけれど。

 それを拒まれてしまえばもうどうすることもできない。


 彼女の行動を決めるのは、あくまでも彼女の意思でしかないのだから。



「あんな素人以下のリゼに強くなれるって太鼓判押して、実際フランツも驚愕の成長ぶりだ。

 ……お前にそういう隠れた才能を見つける力があるなら、是が非でも――

 ジェシカが粘り強く進言した理由が初めてやっとわかったって言うか」


 そんな理由で自分を……と、カサンドラは頭を抱えたい気持ちになった。

 一体自分のどこかロンバルド側の琴線に触れたのか全く理解が及ばなかったが、最初にジェシカに挑発まがいな台詞を吐いたのは自分ではないか。

 それが彼女の中では、武芸に長ずる可能性を持った人材を発掘できる能力がある、と大きな誤解を生んでしまったのだ。


 余計な事は言うもんじゃないな、と何度目かの後悔に苛まれる。



 自分はそんな大した存在ではない。

 特殊な力など何一つ持たない、凡庸な人間である。

 基礎スペックは高くないが王子と釣り合う身分を持たされただけの、どこか憎みきれない”悪役”でしかない。


 ジェシカの望むような成果など、何一つ出すことはできないだろう。

 億が一の確率でジェイクとの話が進んだところで、何一ついいことのない結果に終わるだけなのだ。



 ジェイクの父や親族がこの勘違いから生まれた話を潰してくれて本当に良かった。

 まぁ常識的に考えれば、王子の婚約者を勝手な都合で「息子に寄越せ」なんていくら将軍でも言えるわけがないか。



「今更聞かされましても……とは正直な感想ですけれど。

 ジェイク様も決まった婚約者がいないということで振り回されているのですね。

 正式なお相手が発表されれば、このような不謹慎なお話もなくなるでしょうに」


 彼らの身分で、この歳になっても婚約者が決まっていないなんて普通はあり得ない話だ。

 まぁ、全てはこの世界の都合、主人公達が遠慮なく恋が出来る環境を用意してくれただけ。


 そこに深い事情があるなんて、カサンドラには中々想像が出来なかったのだ。



 すると――

 コーヒーを飲み終えたジェイクは、マグカップの取っ手の輪の中に人差し指を入れグルグルと手持無沙汰に回転させる。



「そんな話に興味があるのか?

 ……別に教えてやってもいいけど」



 彼は事も無げな様子でこちらを一瞥する。


 結婚適齢期間近の彼らに、ちゃんとした婚約者がいない理由か。



「いいのですか? その、込み入ったお家の事情までお聞きすることは憚られますが」


「んー、まぁお前に全く関係ない話かって言われたら、多少はありそうな気もする。まぁ他人事には変わり無いだろうけどさ。

 別にいいだろ、お前が言いふらすなんて思ってないし」


 彼はしばし天幕の天井部に視線を上げた後、全く懊悩の様もなくあっけらかんとそう言うのだ。




  果たしてこの世界は、その問題せっていに――どんな『解答』を用意したと言うのだろう。



 

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