第195話 暗中模索


 収穫祭イベントが終わった翌日、カサンドラはいつもより遅く家を出ることになった。

 昨夜寝つきが悪かったせいだろうが、若干寝坊したことがその理由である。


 とは言え、十五分程度の寝坊ならば登校時間が普段より少々遅くなるだけだ。

 特に慌てることはなかったが、王子のたった一言で自分の生活ペースにここまで影響があるのかと今更ながらに思い知らされる。


 今までは、不安なことはあっても少しずつ前に進んでいるという実感があった。

 着実に会話の機会が増え、一緒に行動する時間も多くなってきた。

 カサンドラ自身も王子のことがより身近に感じられるようになっていたので、毎日楽しく過ごすことが出来たのだと思う。


 お互い未知の状態、つまりゼロからのスタートは決して悪いことばかりではなかったのだ。

 徐々に親しくなり、近づいていく過程を全てプラス要素に捉えることが出来たから。

 どんな形でも関係性が上乗せされると思えば幸せだった。


 だが一度躓きを感じた瞬間、一気に不安が押し寄せてくる。

 こういう状況を一喜一憂と言うのだろうな、とカサンドラは朝陽を浴びながら学園内の並木道を歩いていた。

 いつもはもっとまばらで閑散としている並木道も、少々遅い登校時刻のせいなのか人影が多く感じる。




「カサンドラ様! おはようございます」


 手の甲を額にあてがい、朝陽の眩しさに目を細めていたカサンドラ。

 そんな自分の背後から複数の足音が駆け寄ってくる気配を感じ、ふと立ち止まって肩越しに振り返った。


 キラキラと木漏れ日をその身に受けニコニコ笑顔で登校してくる三人の姿。

 それは言わずもがなの三つ子だった。


 見慣れた白を基調とした制服にそれぞれのカラーのリボンを髪に着けている。

 外見上のパーツは三人とも全く同じ相違ないものであるのに、仕草や表情、雰囲気が全く違う。三人を間違えるクラスメイトは絶滅したと言っても良い。


「おはようございます、皆さん」


「昨日はお疲れさまでした、どれもすっごく美味しかったです!

 ……あ、一つだけすっごい変な味の魚がありましたけど」


 リタは満面の笑みを浮かべて、ひょいとカサンドラの隣に立った。

 彼女の気に入るイベントだろうことは前もって分かっていたが、彼女の満足そうな笑顔にホッとする。


「普段口にする機会のない料理ばかりで、目にも楽しい一日でした」


 おっとりした口調と表情、リナもニコニコと柔らかな微笑みでリタの更に隣に並んで歩く。


「――リゼも楽しかったよねぇ?」


 一人マイペースに歩いて来るリゼを待ちきれず、くるりと顔を向けるリタの眼差しは完全に”冷やかし”を籠めたものである。


「……ええ、楽しかったわよ。

 どれも美味しかったし」


 若干居心地が悪そうに、言い淀む。

 そのバツが悪そうな表情は既視感を覚え、先日のジェイクを見ているようだ。

 彼女もまた、囃し立てられたりからかわれることが嫌いなのだろう。


「そうじゃない、違うでしょ。

 カサンドラ様聞いて下さい、リゼったらホントに柄にもない事してたんですよ!

 いやー、まさかあのリゼがリナみたいに気を遣ったって聞いて今日は嵐か雪かって思いましたもん」


 四人揃って、ゆっくりと校舎に向かって並木道を進む。

 流石に姉をからかうためと言っても人物名を出すのは不味いと判断したのか、リタは一見思わせぶりな語り口になった


「わたくし、丁度用件があってその時のリゼさんにお会いしました。

 ……事情は存じておりますよ」


 ジェイクが外回り警備担当に急遽回されたため、彼はホール内で収穫祭に参加することは出来なかった。

 そのためお腹を空かせているのではないかとリゼが気を遣って、こっそり食事を彼に運んだ。現場を目撃したので知っている。


 ……そして既に腹を満たしていたはずの彼が、恐らくリゼからの差し入れを無理矢理胃に押し込んだのだろうという事も。

 カサンドラも王子も疑惑の眼差しを向けざるを得なかったが、一々問いただして追及するほど自分達はデリカシーの無い人間ではない。

 事実を論えばリゼの方も気まずい想いをするだろうし、何も言わなかった。


 それに二度目の昼食を遂行したのもジェイクなりの気遣い、優しさなのだろうとスルーした――その後に王子から呟きの爆弾を放り投げられたわけだが。

 今はその事は考えないよう、記憶から一生懸命排除する。


「カサンドラ様も知っていたんですね!

 吃驚しちゃいましたよ、私」


 リタはあっけらかんとそう言い放つ。  


「いいじゃない、もうそのことは蒸し返さなくっても!」


 彼女は眉を顰め、リタを睨む。

 ただ、教室に向かうまでの話の断片を繋ぎ合わせて想像すると……


 リゼはリゼなりに、結構悩んでいるらしいことは推測出来た。

 傍から見れば良い雰囲気ではないか、これで付き合ってないのが信じられないと目を丸くするような状況であったとしても。


 結局二人で会っても話題など、剣の話だ馬術の話だ、勉強の話だ……まぁ、総じて色恋沙汰とは無縁な会話の応酬だそうで。

 それはカサンドラも納得だ、あの人の頭の中には筋肉でも詰まっているのではないか疑惑が脳裏を掠めたこともあったわけだし。


 完全に対象外、半分男友達扱いされている自覚がある。

 女性らしく扱えとは今更思わないが、全く”無性”な相手扱いなのもモヤモヤする。


 そう悩んだ結果、当日リナに相談してもらったアイデアらしい。


 一見仲が進展しているとしか思えないのに、本人の中では深く悩むことも多くあるのだろう。

 それはカサンドラも同じなのかもしれない。


 王子の婚約者として同じクラスで過ごし、舞踏会でも一緒に踊ってもらったし、誕生日もお城に招待してもらえたわけだ。

 事実だけを羅列するなら、良好な関係だ。

 そして実際に以前より親しくなったことは自分でも自覚しているけれど――


 本当に望んでいる核心には全く手が届いていない。

 彼にとって自分は全くそういう対象ではないのではと不安ばかりが募っていく。



 当人の内心を訊くまで、外側から見ているだけでは実態などわからないものだな、と。

 リゼの話を聞いていて強く思ったカサンドラだった。




 ※



 いつもの中庭で王子を待っている間中、ずっと緊張していた。

 こんなに彼を緊張しながら待つのはいつぶりだろう、まるで自分の気持ちが初心に返ったようだ。

 王子に会って話をする日があることを自然に受け入れていたが、こちらからアクションを起こさなければこの時間は存在しないものだったはずだ。


 本当に来てくれるのだろうかと言う緊迫感は日を追うごとに薄らぎ、今日はどんな話が出来るかと期待する気持ちの方が大きかったように思う。

 半年前の、緊張でカチンコチン状態だった自分の姿を思い出す。つい姿勢を正して全く頭に入らない文字列を凝視し続けていた。


「――カサンドラ嬢」


 昨日、自分は彼の何気ない呟きにあれほど醜態を晒してしまった。義弟に呆れられるほど落ち込んで。

 思い煩い、寝つきが悪くていつもの時間に起きることができなくなった。


 だがこちらの心境など一切わかるはずもない王子は、全く普段と変わらない様子でカサンドラに話しかけてくるのだ。

 何度見ても慣れることのない惚れ惚れとする美しい容色だけでなく、穏やかな笑顔や落ち着いたトーンの声音だとか。

 まるで彼の周囲にだけ初夏の爽やかな空気が漂っているのではないかと感じる、存在自体が奇跡的なバランスの上に成り立つ王子様。


 顔が良いだけではなく、その内面も紳士としか言いようがない。

 多少八方美人な側面があるけれども、出来る限り公平平等を心掛ける王族の模範となる王子様だとカサンドラは勝手に思っている。


 自分がレンドールの侯爵令嬢ではなく彼の婚約者になれなかったら、今頃その他大勢の女子生徒に紛れて彼と少しでも会話をしたいとしのぎを削っていたことだろう。


「ごきげんよう、王子。

 先日は大変お疲れ様でした」


 カサンドラも立ち上がり、彼に一礼する。

 胸を締め上げる大きなつかえを目敏い彼に悟られることがないよう、努めていつも通りに振る舞う。

 自分が露骨に右往左往して狼狽していては、彼もどうしたのかと困るだろう。

 理由を絶対に説明できないことを追及されるわけにはいかないのだ。


「カサンドラ嬢もご苦労様。

 シャルロッテ嬢に大事なかったのも君のお陰だとビクターも感謝していたよ」 


「いえ、わたくしはシリウス様の指示に従っただけです」


「もしあの場に君が居なかったらシリウスも助け船など出せなかったはず。

 彼も君が様子を見に来てくれて安堵した事だろう」


 あの日の一幕はリナの言葉がきっかけだったというのに、カサンドラが気を遣ってくれたという認識が広がっているのがどうにも収まりが悪い。


 本当はリナがあの場に割って入りたかったのだろうが、目下の人間が目上の人間に話しかけることは社交界ではマナー違反にあたる。

 同じクラスメイトだからと日常生活ではそんな慣習を無視して欲しいとお願いしていても、まさか宰相の前で人目を憚るような真似は彼女には出来なかったのだろう。


 宰相のエリックはまつりごとにおいて国王陛下に次ぐ偉い人なのだ。

 まさしく雲上人そのものの御仁、カサンドラだってもしもシリウスがあんなことをしでかさなければ割って入ることなど難しかっただろう。


 リナとシリウスの姿を思い浮かべ、二人の縁の下の力持ちぶりが凄いと思った。


 リゼがジェイクに差し入れを持って行ったのも、リナの助言があってのことと言うではないか。

 女性らしく見てもらえないと悩む彼女に、さりげない気遣いを演出させる提案は流石だと思う。

 尤も、現実はその必要は無かったわけだが。行動自体は、気の付く女性という印象付ける一役となるだろう。


 王子と別々のベンチに腰を下ろし、話を続ける。

 内容は先日の収穫祭の話題ばかりで、真面目な役員同士の意見交換にしか見えない会話だったことだろう。


 でもカサンドラは王子の話を聞くだけでホッとして嬉しかったし、何より些細なことが楽しかった。

 本来は会議で意見を交わすような真剣な議題であっても、だ。

 無言の帳が降りるとちょっと焦って話題を探そうとするが、彼は自然に話題を変えて安堵させてくれる。


 彼は変わらず気遣いの塊であった。

 ……だからこそ、昨日の王子の呟きは無意識に出た本音なのだと悟る。

 自分はまだ彼の心の中の特別な存在ではないのだなぁ、としみじみ思ってしまうわけだが。


 アレクの言う通り、焦ったところで今以上のスピードで距離が縮まることはないだろう。

 折角最初の頃より打ち解けて来たと思える状況なのだ。

 嘆くよりも、嫌われていないということを喜ぼう。


 そう思うと少し心が楽になった。

 アレクの前向きな励ましが、一日経った今じんわりと効いている気がする。

 持つべきものは何でも相談できる身内だなとカサンドラは王子の話に相槌を打ちながらそう思った。




 そういえば――

 果たしてジェイクは、今の時点でリゼの事が『好き』なのだろうか。

 好感度が可視化されていないので、占い師でもないカサンドラには明確な判断など不可能だ。


 自分がショックを受けるばかりですっかり思考の後回しにしてしまった事だが、今朝のことを思い出せばリゼもかなりヤキモキしているのだろうことは伝わってくる。

 彼女もまた自分と同じく迷える子羊状態。

 カサンドラは三つ子の恋路を陰ながら応援している身だ、彼の現時点の気持ちがハッキリと分かるのであれば非常に助かる。


 チラと王子の様子を伺う。

 先日カサンドラと一緒に、リゼの隣に立つジェイクを訝しげな視線で眺めていたのも記憶に新しい。

 そこに浮かんでいたのは、疑惑の一文字だった。


 一旦会話のやりとりが途切れ、僅かながらも沈黙の時間が訪れる。


 それを機に王子は腕時計に視線を遣った。

 いつもならこのあたりで楽しい時間が終わりを告げると覚悟しなければいけない。

 だが去り際だと感じ取ったからこそ、勇気をもって彼に質問しようと震える声で彼を呼び留めることが出来た。


「先日の事をお話していて思い出したのですが……

 王子、ジェイク様には……その、お気持ちをお聞きになったのでしょうか?」


 指先がチリチリと熱い。

 自分の事を聞いているわけではないというのに、心拍数が高くなる。


 王子自身だって「どう思う?」なんてカサンドラに質問を振ってきたくらいなのだから気にしているはず。

 何かしら思うことがあったのは明白だ。

 王子にジェイクの好きな相手だなんだという話題を振られたことは、今思えば驚愕の出来事だ。

 

「いや、聞いてはいない。……聞くつもりも今のところはない。

 気にはなるけれどね」


 気になるという表現こそ、カサンドラは気になる。

 そういえば以前王子は、ジェイクやラルフ達に定まった相手がいないからカサンドラと日常的に共に行動することが憚られると言っていた気がする。

 あれはその場限りの言い訳ともとれたが、彼は嘘をつくような人ではない。

 もしかして、ジェイクの恋が進展することによって――間接的にカサンドラと王子との関係性も進展するのでは? なんて。


 風が吹けば桶屋が儲かる理論で、カサンドラにも案外影響があるかも?


 勿論、それは都合の良い考えだったようだ。


「流石に、ジェイクも立場が立場だから……

 仮に聞いたところで私には如何ともしがたいことだし、忽ちは見なかったことにしようかと思っているよ」


 苦笑する王子の表情に、カサンドラは複雑な感情を読み取らずにはいられなかった。

 カサンドラとしてはジェイクとリゼという組み合わせは相性こそ悪いが、あり得る組み合わせだという意識が強い。

 主人公と攻略対象が恋愛関係になる事こそ、乙女ゲームの本懐というものだから当たり前だ。


 だが王子はそんな世界の設定など知るはずもない。

 分かっているのは、ロンバルドの後継ぎと田舎出身のただの平民少女との組み合わせという事だけ。


 客観的に考えればうまくいくことなど絶対にありえないし、三つ子の立ち位置を鑑みれば頑張っても囲われる愛人になれるかどうか。

 第二夫人だってまず無理だろう。


 ふわふわとした恋愛模様から少し視線をズラせば積み上がる、その恋路の険しさに彼が思い至らないわけがない。

 如何ともしがたい、という言い方になるのも王子の立場では当然の話だ。

 直に尋ねて藪蛇になるのも望むところではないだろうし。


 リゼとジェイクと言う、同じ二人の人間を同じ目で見ているはずなのに……

 それぞれ抱える想いや目線がこうも違うというのは不思議なものだ。


 カサンドラなどは恋愛イベントさえ段階を踏めば上手くいくのだという前提が頭の中にあるので、親友の現状に思い煩う王子の心境とは中々シンクロできないでいる。





 色んな意味で、ちょっぴりガッカリした放課後だった。


  

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