第193話 対照的な


 シャルロッテの顔色は随分良くなったように思う。

 その上で実の兄が後のフォローをすると言われれば、カサンドラも無理を通して彼女の傍にいる理由がない。

 彼女だってよく知りもしない後輩に世話を焼かれるよりも、頼れる兄に身を委ねたいと思うだろうし。


 そう判断し、カサンドラは控室を退出することにした。入って来た時と同じ、外に繋がる扉を使う。

 ホールと直接繋がっている出入り口は奥にあるが、出てすぐの場所で料理人や給仕たちがバタバタと忙しなく走り回っているのだ。

 こちらからの役員の出入りは急を要しない限り止めておくように言われている。


 既にシャルロッテの緊急事態は回避された後だ。敢えて料理人達の邪魔をすることもないだろう。


 彼女が甲殻類アレルギーというのは意外な事実だった、この世界で目に見えた拒絶反応が身体に出現した人をカサンドラも初めて見たほどだ。


 元の世界と比べてこの世界の人は食に対する耐性が強いのか。

 はたまた化学調味料が普及するほどの”技術”が発達しておらず、自然派な人間ばかりゆえの特徴なのか。


 見た目は普通の人間なのだが、カサンドラは専門家ではないので当然詳しい差異は分からない。

 身体を動かすのに一切違和感がないことは確かなので、ゲームの中の人間はほぼほぼ前世――この『世界』の基となる世界観を擁したゲームを作った世界の人間と同じと見做して良いのだろう。


 どのみち、カサンドラは記憶の中に潜むあの前世の世界に戻る方法など知らないし、今更都合よく戻れるなんて期待していない。

 最近ではこちらの世界の質量と現実感に圧倒され、もはやあちらの世界の出来事が遠い世界のように感じることがあった。間違いなく存在し、三十年近く生きていた世界が遠い。


 ……それこそ”あちら”の方が創られた物語の世界に思えてくる。

 この場合も、主客転倒と言うのだろうか?


 益体のない事を考え、再びホール内に戻るために外壁に沿って出入り口に向かうカサンドラ。



「カサンドラ嬢」


 すると、急に視界がキラキラと眩しい輝きに包まれカサンドラは思わず目を細めた。

 自分の名を呼びかけながら、前方からゆっくりと歩み寄ってくる男子生徒の姿に不意を突かれて動悸が速くなる。


 立ち止まり「王子」、と彼に話しかける。彼は緊張した面持ち、強張った表情でカサンドラに駆け寄ってきたのだ。


「シリウスから話は聞いたよ、シャルロッテ嬢の具合が心配だ。

 容態はどうなのだろうか」


 柔和な笑みとは程遠い真剣な表情、眼差し。

 普段あまり見ない姿なので、不謹慎ながら彼のそんな表情さえもこちらの心拍数を上げる一因になってしまう。

 もしも自分に非がある行いをしたとして、こんな風な真面目な顔で責め立てられたら……

 きっと責任転嫁や言い訳など数秒も保たず、平伏して「申し訳ございません」と謝罪を始めることだろう。


「シャルロッテさんは控室にお連れしました。

 体調は回復傾向で、十全に会話ができる状態です。

 また彼女はビクターさんの妹御、現在彼が控室でシャルロッテさんの容態を看て下さっています」


 呼吸困難や痙攣、また嘔吐や発熱という症状もなかった。


 あれだけ元気に宰相を毒づける程の様子なら、そう心配することもないだろうと思う。

 ビクターが「妹のことはお任せください」と額を再び床にこすりつけんばかりに哀願してきたので、元々任せるつもりだったが完全に彼に一任することにしたのだ。


 状況を報告すると、ようやく王子は安堵して胸を撫でおろすかのように胸元に片手を添えた。


「そうか、ありがとう。

 シリウスの説明では、まるで毒でも盛られたかのような話だったからね。

 とても穏やかではいられなかったよ」


「当たらずとも遠からずという状況でしたからね」


 シリウスも淡々と状況を報告したのだろうが、王子は食に全く好き嫌いがないと聞く。

 自分は違和感なく食べられるものが、体質によっては『毒』になりうるものがあるなんて――教えてもらわなければ想像できないことなのだろう。 


「……?

 どういうことかな、カサンドラ嬢。まさか本当にあの皿の上に毒が?

 確か宰相の手元にあった品だと……

 宰相を狙った者がいるということだろうか」 


 彼は眉宇を顰めた。


「いいえ、そのような心配は無用です、王子。

 個人の体質によっては、ある種の特定の食物に拒絶反応が出る場合があるそうです。

 湿疹だけで済むような場合もあれば、稀に呼吸困難に陥って昏倒される方もいらっしゃるとか。

 甲殻類に対し体調不良という形で反応が出てしまったシャルロッテさんと違い、宰相は海老や蟹を召し上がっても体調を崩されることはないでしょう」


 すると彼は驚き蒼い目を瞠って、興味深そうに話を聞いてくれた。

 普段周囲にアレルギー反応を示す者がいないのなら、知りようもない。概念が無いのだから、全て一緒くたに『好き嫌い』で済まされてしまっている。

 

「成程、カサンドラ嬢は良くそのようなケースがあると知っていたね」


 感心したようにそう言われ、つい鼻が高くなってしまいそうになる。

 だが調子に乗ってはいけない、これは別の世界で得た常識の話で自分が何かして得た知識ではないのだから。 


「お褒めに与り光栄ですが、同じような状況に陥った方を知っていただけの話なのです。

 体調に変化が生じるケースは稀なことだと推察いたします、王子がご存じないのは無理もないことかと」


 彼は未知の知識について大変興味を示す勉強熱心な人だ。

 こういうケースがあると知れば、もしかしたら熱心に身近な人から同じような症状が無かったか調べ始めるかもしれない。

 王子のような理知的で権威を持つ人が気づき、周知することによってアレルギーと言う概念が広まるのかもしれないなぁ、としみじみ思うカサンドラ。


「もしかしてカサンドラ嬢がキノコを苦手としているのは――拒絶反応が身体に出るからでは?

 だとすれば昼食の際、残さず食べるような無茶はしないで欲しい」


 彼はサッと表情を曇らせる。

 だがそうも過剰に心配されては、それはそれで恥ずかしい。



「いえ、わたくしの場合は……

 ただの、好き嫌い……です……」





 彼はきょとんとした顔で数度目瞬き。

 なら良かった、と彼が小さく笑う姿を見ていられず、顔を真っ赤にしてカサンドラは目を逸らす。

 何でも好き嫌いなく食べることが出来る人を眼前に幼児の我儘のように「キノコが嫌いです」と改めて宣言させられるのは物凄く恥ずかしい。



 これを機会に好き嫌いをなくす訓練でもしようかな……。






 ※





 結局そのまま王子とともに会場に戻ることになった。

 シャルロッテが体調不良なのは事実だが、彼が様子を見に行っても彼女達を恐縮させるだけだろうし。

 表面上はただのシリウスの『やらかし』の後始末をしているという体裁で終わればそれが最良だ。王子も歓待役として活躍している、いなくなるとラルフ達も大変だろう。


 シリウスも再び自分の父が何かしでかさないかという監視や牽制の役目で宰相にしっかりと貼り付いているらしい。

 彼も本当に気の休まらない人だなぁと心の中で少し同情するカサンドラ。


 そもそも本来宰相を呼ぶという話は直前まで無かったのに、急遽先日予定がねじ込まれたのだから現場は結構てんてこ舞い。


 生誕祭の時にはラルフの父レイモンドが学園に顔を出し、そして来月の剣術大会にはダグラス将軍が間違いなく来席する。

 自分も一度くらい生徒の様子を見ておこうではないかという突発的な思い付きからの行動のようだ。

 傍迷惑な……という言葉が役員の間に浮かんでいただろうが、誰もが呑み込んで粛々と対応した。


 結局ここに宰相エリックが来訪するという事で、ジェイクは騎士公務の一環としてホール前に護衛として立つことになったのだ。

 「接待役じゃないなら何でもいい」と快く引き受けてくれた事には感謝するけれど。

 他の騎士の面々も数人引き連れていて手は足りているのに、現職の騎士が役員にいるのだからとわざわざ呼び寄せられて面倒な話だろうなと思う。

 エリックという御三家の当主さえ来席しなければ、ジェイクの出番まではなかっただろうに。

 学園側としても生徒会としても、王城から宰相が来るのに警護は通常通りのままというわけにはいかない。間違いが無いように厚くするため、ジェイクの肩書きが使用された形だ。


 試食会で一通り食べたから、彼としてはもう十分なのかも知れないが――


「あら?」


 カサンドラはホールの外、少し建物から離れた場所に誰かがいるのを発見した。

 全校生徒、皆揃って大ホール館内で収穫祭のイベントを楽しんでいるはずである。


 ホールの入り口の両隣、左右対称に植えられている大樹の内の一本。

 その木陰で話をしている人影を確認し、ついつい声を上げてしまったのだ。

 カサンドラの訝し気な声につられて、王子も視線を向ける。



「リゼさん?」


「ジェイクじゃないか」



 大樹の下で何やら話をしていた二人が、こちらを振り返って手を挙げた。

 勢い余って声をかけ、二人の時間の邪魔をしてしまったのではないかとカサンドラは背中に汗をかいて後悔したのだけど。

 リゼ本人は全く気にする素振りもなく、逆にカサンドラの姿に喜んで手を振ってくれたくらいだ。


「こちらで何をされているのです?」


 郷土料理を楽しもうというコンセプトで、この大ホールを全面的に使用して沢山の調理ブースまで設置しているのだ。

 まさか建物の外に出ている生徒がカサンドラ達の他にいるとは。


「ジェイク様が今日、見張りのお仕事と聞いたので……料理を持ってきたんです」


「……。」


 その言葉に何やらジェイクは弁明をしたそうに口を開きかけたが、若干居心地が悪そうに眉を顰めた。

 式典ではないので騎士の鎧姿ではなく、かなり軽装でブレスト・プレートを騎士略装の上につけているだけ。ただ、大きな剣を背に負っているのでそれは大変物々しい。


 リゼはただ純粋な厚意で、昼食も食べることなく立ちっぱなしの見張りの仕事は大変だろうと持ってきただけなのだと思われた。

 混じりけなしの純度百パーセントの善意なのは確かだろう。

 

 既にリゼが持っている皿の上は空っぽになっている。

 皿の様子、残された串の数など見るに結構な量の肉料理が乗っていたのではないかと推測されるが――


「そうですか、わざわざ役員のことに気を遣っていただいてありがとうございます。

 あと十分ほどでデザートが解禁されますので、早めに会場に戻って下さいね、リゼさん」


「はい、分かりました」


 デザート、と言う単語を聞いたリゼが目をきらんと輝かせる。

 王子が釈然としないという表情で――彼女の隣に立つジェイクを眺めていたが、その視線に耐え切れないのか。

 彼はふいっと視線を明後日の方に向けた。


 宰相のその場の思い付きの発言を、急に憤りを抑えるシリウスに聞かされた。

 つい先日の話だ。

 ゆえにジェイクがホール外護衛のために外にいるなんて話は役員以外誰も知らないはずなのに。アイリスやビクターでさえ今日の事前準備まで知らされていなかったことだ。




 ――昨日の放課後、ぺらぺらとリゼに話したな? 



 そんな疑惑の視線を受けて気まずい状況。……というだけではない。


 何を隠そうこの人。

 これから警備役で中に入らないからと、直前準備で慌ただしく駆け回っている傍で一人先に昼食を食べていたのである。

 遠慮なくバクバク食べている姿をカサンドラも王子もシリウスも見ていたので間違いない。


 その上で更にリゼからの差し入れまで全部食べたのかこの人。

 ……よく全部入ったな?



 カサンドラと王子が同時に向ける疑惑の眼差しに、彼は黙秘という形でしか答えてくれない。



「ではジェイク様、引き続き周辺警護の任宜しくお願い致します」



 彼にはそう微笑み告げて、カサンドラは王子と一緒に再度ホール内へと戻ることにした。


 まぁ、彼らが仲良く交流を持ってくれるのならカサンドラとしてはホッとする話ではある。

 来月の剣術大会の結果いかんでどう転ぶかは予想もつかないことであるが。

 現段階では友好度は現状で許される最も高い値ではないか?

 目に見える順位結果だの、パラメータだの――育成型の乙女ゲームは大変無慈悲な側面を持つ。

 イベントの結果が白か黒かではっきり明暗が分かれ、グレーという概念がない。

 成功か失敗かの二択だ。  




「カサンドラ嬢、一つ聞いても良いだろうか」


「何でしょう」


 相変わらず彼は困ったような、釈然としない悩める素振りでカサンドラの方を振り返る。

 急に真に迫った声で問いかけられ、カサンドラの声は脊髄反射で上擦った。




「ジェイクは、リゼ君の事が好きなんだろうか?」



 王子が直球を真っすぐに投げ込んできてカサンドラはよろめいた。



「さ、さぁ……どうなのでしょうね。

 わたくしはジェイク様とそこまで親しいわけではありませんので、何とも分かりかねます」 


 少なくとも好意はあるんじゃないだろうか。

 まぁ、ジェイクだって根は優しい人であるのは確かだ。


 気を遣って料理を持ってきてくれたら、それがリゼじゃなかったとしてもきっぱり「要らない」と言うような人ではないと思う。気を遣って無理矢理食べるくらいの気遣いは見せるだろう。

 だが……


 総合的に判断したら、親しい関係であるように見える。




「ジェイク様に関しましては王子の方がお詳しいのではないでしょうか」


「彼とはそんな話は一切しないから分からないんだ。

 ……少々どころではなく、驚いてしまったよ」


 カサンドラも結構驚いたし、それはお互い様か。


 すると彼は、独り言のように呟く。


 なんということもない、本当にただの確認事項を見直しているかのようなごく自然な口ぶりだった。

 



「私には経験のないことで、あくまでも想像に過ぎない。

 ――まぁ、深く聞くこともないかな」






 ……分かってる。


 彼が本当に偽りが苦手で、嘘がつけなくて、正直な人なのだということ。

 でも彼の言葉が、こんなに深くカサンドラの心を抉ったのは初めての事かもしれない。


 いつも真綿に包み優しい――悪く言えば他人行儀のような言葉とが違う、それが彼の偽りのない素の反応。



 彼は誰かを好きになる、つまり恋をしたことがない。

 カサンドラとは全く違う。


 ……分かっていたことだけれど、本人の口から悪気なく言われる言葉に傷つく自分が惨めに思える。


 本来であれば誰も傷つけることのないはずの言葉なのに、今のカサンドラにはどんな罵倒よりも心に効く彼の言葉。








 リゼの恋の進展を陰ながら喜びたい、でも今、それが出来ない自分の醜い感情に気づいて慌てて蓋をした。




 泣きそうになるのを、必死で堪える。

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