第191話 ハプニング


 生徒会が主催する校内行事、収穫祭が学園内大ホールで始まった。

 午前中の授業終了後の開催だ。


 一学期は聖アンナ生誕祭を生徒会一同で取り仕切っていたわけなのだが、今回は生誕祭よりも規模が小さい。

 仮装パーティやら仮面舞踏会やら、出しものやら。

 そのような有り体に言って主宰する方の精神力が摩耗するようなものがないことが幸いした。


 来月に剣術大会という大きなイベントが待ち構えているので、そちらに注力しなければいけないという事情も多分にあったのだろう。

 現にジェイクは収穫祭のことよりも騎士団との連絡役でバタバタと忙しそうにしていることは知っている。


 騎士になりたいものにとってこの学園の剣術大会の上位入賞は必須条件と言っても過言ではない。

 貴族に連なる者しか騎士叙勲される資格がない。が、ただ血統だけが良くても入団は難しいものだった。

 相応の実力が無ければ、実際に戦地に赴くこともある騎士職は大変危険なものである。

 騎士は一代限りの爵位だと実しやかに囁かれるように立場、身分は安泰。国王によってそれが保障される。

 給金の額もただの兵士と比べ桁違いだそうで、家を継げない子だくさんの貴族の次男以下がその道に活路を見い出したいと全力を尽くす十分な理由であった。


 ……一部の生徒達にとっては将来が絡む行事なので、事前準備の緊張感は比べ物にならないくらい強いだろう。

 いまからうんざりするが、避けては通れない。

 何せリゼの恋愛イベントを無事に通過するには、この大会で上位入賞が必須条件フラグだ。


 本気で挑みかかってくる同年代の男子生徒達に勝たなければいけないのだから、本当に大丈夫なのかとカサンドラも冷や冷やものである。

 一回戦で負けたからと言って夏休み前までセーブを遡る、なんて芸当は出来ない。


 あくまでも一発限りの真剣勝負。

 体験したことはないけれど、当日は重苦しい空気でピリピリ殺気立っているのだろうな。

 今から胃が痛くなってきた。



 ――だが、来月のことはその時点になって真剣に悩めばいい。


 今は収穫祭当日、全校生徒が郷土料理を楽しんで食する姿を見守り、トラブルが無いように目を光らせるのみだ。


 伝統の行事ということもあって、ホールに呼び出される料理人達も勝手は分かっている。

 潤沢な予算と人員と器具がドンと用意されたそうそうお目にかかれない規模の立食パーティは、またとない腕の見せどころでもあった。


 金に糸目をつけないと学校行事もここまで立派に体裁を整えることができるのか、とカサンドラも感動してしまった。


 本来は舞踏会のために用意された高い天井の大ホールを余すところなく収穫祭カラーの布やリボンで飾り、二階の音楽隊専用席からは陽気で賑々しい曲が奏でられている。


 制服での参加でも、女子の多くは普段身に着けないアクセサリを着け、しかも色が黄色や赤、橙ばかりの差し色なので大変場が華やかな空気に様変わる。

 特に加工していない床のいろは薄い茶色で、それがまた暖色カラーを程良く映えさせる下地になっているのだ。


 普段は口うるさく「紳士淑女たれ」と。


 物静かさを善しとする校風であっても、この時ばかりは皆雑談を重ねながら料理ごとのブースの列に並んで普段口にしない料理を楽しむことが出来る。

 シリウスも食事中に騒々しい音が立つと眉を顰め不快感を隠さない人間だが、今日ばかりは全く周囲の雑音を気にしない。

 王子とともに、淡々と来賓達を迎え入れるホスト役に徹していた。


 皆が思い思い、興味がある料理を提供してくれるブースの前に並んで料理を食べる、という非常にシンプルな催し。


 屋台でのお祭りみたいなものだな、とカサンドラは楽しく食事を続ける生徒達の様子をニコニコと見守り続けていた。

 既に試食会で厭と言う程食べたということもあるが、今日カサンドラが仰せつかっている役目はホール内のトラブル防止要員である。


 トラブルなんて予想出来ることではないが、全体を見渡して素早く動ける役員の手は多い方が良い。

 王子やラルフ、シリウスが接待要因として王城から招待したお偉いさんたちを歓待している最中、カサンドラは不穏な気配がないか注意深く会場を見据え生徒達の動きを邪魔しない様に流れに沿って場内を歩く。


 普段声を抑え気味の令嬢達も声量が一段階上がり、そのせいで一層騒々しくなり話し声も大きくなっている状況。

 女の子の多くはお喋りが好きなもので、場の空気に後押しされていつもより積極的に話に興じているように見受けられた。


 特にトラブルの芽は見当たらないな、とカサンドラも次第に緊張を解いていく。


 トラブルだけは起こしてくれるな、という学園側のいつものお達しのせいで気が張りつめていたのだ。

 この場にいる殆どの生徒は国のお偉いさんの血縁者で、滅多なことがあっては困るという彼らの意向もわかるのだが……


 それならもう全部大人達が仕切ってくれればいいのにと思う。

 この学園の行事一つ思うように采配できず、国という大きな箱を不足なく動かせるのかと詰め寄られれば閉口するしかないけれど。


 生徒の多くは近い将来国を背負う立場になるのだから、これ自体が取り仕切りの模擬練習だという意識はある。

 同じ年代の人間たちを纏めるのでも、結構大変だと実感する。

 卒業した先の大人たちを交えた本物の社会が恐ろしいな、と俄かに不安に駆られた。



 カサンドラが静かに場内を見回っていると自然に多くの生徒達と目が合う。

 皆こちらに向かって会釈をし、その表情は大方楽しそうなものだったのでホッと胸を撫でおろした。


 食べるものがないと困っている生徒がいるわけでもない、爪弾きにされて壁際に追いやられている生徒もいない。


 少なくとも王子やシリウス達が生徒会の役員として君臨している以上目に見えたいじめや嫌がらせ、迫害は無い。

 僅かな不穏の影さえ、誰かが事前に摘み取っているかのように表面上は穏やかなものだった。



「……カサンドラ様!」


 そんなことをつらつらと考えていると不意に呼び留められた。

 聞き馴染んだ声を受け、カサンドラは安堵の感情を交えてにっこりと微笑む。

 髪飾りを鮮やかな赤色のものを選んだ以外、派手な飾りはしていないカサンドラ。

 

 そんな自分の目に映ったのは、一人の女生徒。

 普段青色のリボンをつけているが、今日に限ってはオレンジと赤色を縒って編んだ紐で髪を飾る一人のクラスメイトの姿だった。

 肩で切り揃えたふわふわな栗色の髪にとても鮮明に映える可愛い髪飾りを揺らし、彼女は小走りに駆け寄ってきた。


「ごきげんよう、リナさん。

 楽しんで下さっていますか?」


「はい、どの料理もとても美味しいです。

 ええと……その、申し訳ありません。

 お耳を少々拝借しても宜しいでしょうか」


 満面の笑みで頷きかけた三つ子の末っ子リナは、しかし自分の用事を思い出してブンブンと首を横に振った。

 その様子が少し焦っているような雰囲気で、釣られるようにカサンドラも真剣な顔で彼女に向き合う。


「先ほど近くで食事をされていた上級生の方のことですが、体調が良くないのではないかと気になって……

 その、杞憂かもしれませんが念のためカサンドラ様にお伝えしようと」


「体調が? ……もしもご気分が優れないのであればわたくし共に話しかけて頂くか、直接医務室に行かれるのではないでしょうか。

 歩くことが難しい状況ではないのでしょう?」


 リナの奥歯にモノが挟まったような言い方に首を傾げる。

 もう皆、生徒とは言えそれなりの歳を数えているのだ。

 何から何まで他人任せ、体調が悪くても無理をして食べ続ける事を選択する程判断力が無い生徒はいないのではないか。

 このような騒々しいホール内だ、離席したとしても見咎められる心配はないはずだった。

 皆、てんでばらばらの個人移動中なのだから。


 体調が悪いなら移動すればいい。

 幼い子供ではないのだから。


「いえ、それが……」


 リナはそう言って、こっそりカサンドラにだけ見えるように指でその方向を指し示した。

 一体何だろう、と思った。


 リナの視線と指の先には一人の女生徒と、シリウスと。

 そして――にこやかに談笑をしている来賓のお偉いさん、クローレス王国宰相のエリックの姿があってぎょっとした。


 片眼鏡モノクルの紳士、シリウスの父で侯爵位を賜るエルディムの現当主様が同席している……だと……?


 エリックに対しにこやかに話を聞き相槌を打つ女生徒には見覚えがあった。

 物腰柔らかく淑やかな深窓のお嬢様、上級生のシャルロッテだ。


 長い豊かな蜜色の髪は、波打つように彼女の背中を覆う。

 カサンドラの金髪と色は似ていたが、その性質は真逆のようだ。生まれつきウェイブのかかった髪なのだろう。


 今日が収穫祭だからということで首に巻いた赤いスカーフが印象的な美人さんだ。

 はっきりとした目鼻だちで、三つ子より若干背が低い程度の背丈しかないが迫力のあるシャルロッテ。

 

 ――エルディムの当主に話しかけられ、それに堂々と応じることが出来るだけの後ろ盾を持つお嬢様。

 だが相手が相手だけに体調が悪くとも簡単に中座してしまうなど、失礼なことができないのだ。


 一見普通に歓談を続けているように見えるが……


 彼女の顔は、そうだと言われてみれば若干蒼褪めているように見えた。採光の加減かと空目したが、唇が小刻みに震えている。

 余裕のある微笑みとは違うことも、普段の彼女を知っている者ならわかっただろう。


 そして片手に料理の乗った皿を持ち、空いた片手で……

 長袖だから見えないが、袖口や肘の内側辺りをしきりに指で掻きたがるような仕草を見せている。


「教えて下さってありがとうございます」


 リナに軽く頭を下げ良く見えるように近づいていると、「ああ、アレルギーかもしれない」とすぐにアタリがついた。

 彼女の皿に乗っているものは、甲殻類が材料のフリッターだったからだ。

 カサンドラは食物アレルギーの経験はないけれど、蟹や海老が食べられない人は決して珍しくないことは知っている。


 自分のキノコ嫌いとは違って、気管支が狭くなって呼吸困難になったり皮膚に湿疹が出来て痒くなるという物理的に食べられない現象だ。

 ……だがこの世界でアレルギーなんて周知されていることではなく、好き嫌いとして片づけられるものである。

 アレルギーによる重病人が身近にいなかったから今まで考えたこともなかったが、これだけの数の生徒がいるのだ。

 甲殻類が駄目な生徒の一人くらいいてもおかしくない。


 仮にアレルギーでなかったとしても、調子悪そうに脚を震わせたままオジサンの自慢話を延々聞かされるのは苦行過ぎる話ではないか。


 ……しかし、一体どうするべきか。

 リナの心配を一手に引き受け彼女の傍に近寄ろうとするが、いくらカサンドラでも宰相とは面識がないに等しく割って入るには及ばない。

 リナは自分ならどうにかできると期待して相談してくれたのだろうけど、果たして自分に出来ることがあるのか?



 するとその時、宰相に同席していたシリウスと目が合った。


 彼もまた眉を顰めているのは、彼女が辛いということを理解しているのかもしれない。

 だがグルメなご高説を気持ちよく語るエリックを苦々しく見遣るだけで、無言を押し通している。

 彼を遮ることも出来ない状況なのか?


 実の父でも、心理的距離が遠すぎて逆らえないというのはままあること。

 国王と王子のように、カサンドラと父のように、そして宰相とシリウスのように。

 親子の血の繋がり以上に隔たった「溝」がある。


 たかが一生徒が、宰相との歓談を中座など――

 少なくともシャルロッテには出来ることではあるまい。



 そしてまさにカサンドラも彼と同じように眉を顰め、近づいているということがシリウスにも見て取れたのだろう。


 それに気づいた彼の行動は早く、そして一切の躊躇いがなかった。



「……きゃっ!」



 突如シャルロッテが短い悲鳴を上げ、手に掲げていたお皿をテーブルの上に反射的に置く。

 ガシャンと騒々しい陶器の音が響いた。


 宰相の様子を遠巻きに眺めていた生徒達はぎょっとした顔で表情を凍り付かせ、だが巻き込まれたら恐ろしいと言わんばかりに皆露骨に視線を逸らす。


 何故ならシリウスがテーブルの上に置いてあるグラスを掴み損ね、オレンジのジュースを勢いよく零したからだ。

 その結果、彼女の制服の裾を汚してしまった。


 通常ならば考えられない。

 手が滑ったとはいえど、もはや乱心状態に近いシリウスの挙動に面食らって誰もが見てはいけないものを見てしまった恐怖に身を強張らせた。

 見て見ぬふりというのは正しい判断かもしれない。


「シリウス、お前は一体何をしているのだ」


 心底不愉快そうにエリックは実の息子を叱責する。

 その憤りを隠さぬ低い怒声に、一瞬場の空気が凍りかけたが――


「指が滑りました。

 カサンドラ、すまないが彼女を控室へ案内してくれないか」


 オレンジ色のジュースの染みがシャルロッテの白い制服のスカートに大きな染みを作っている。

 給仕係がサッと俊敏な動作でテーブルの上、床の上を拭きシリウスの失態の痕跡を一瞬で消し去っていく。


 だが彼女がそこに残ったままでは外聞が悪い。

 だから当然のように彼女の着替えを手伝うため、近くにいたカサンドラが彼女の世話を任される。


「畏まりました。

 失礼いたします宰相閣下、歓談中誠に申し訳ございません。

 ……シャルロッテさん、どうかこちらへいらしてください」



 呆然と佇むシャルロッテの背中に軽く触れる。

 ハッと気づき、彼女の深紅の双眸の焦点が合った。我に還った、というべきか。


 そのままゆっくりと、割れる人垣の中を先導してホール外に出ることに成功したのだ。



 指が滑ったというのは完全に嘘だな。


 ああでもしないと、彼女を歓談から早く遠ざけるのは難しいとの咄嗟の判断。

 他の誰がやらかしても大事になるが、やらかしたのがシリウスなら宰相もあの場で小言の一つで済ませるだろうし。

 まぁ、親子の話し合いでチクチク厭味ったらしく言われるかもしれないが、恐らくそんなどうでもいい小言などシリウスには馬耳東風だ。


 一番ダメージが少ない方法と言えばそうなのだろう。

 


 ……まさかシリウスが泥を引っ被ってくれるとは思わなかった。


 もしも彼がしでかさなければ、同じことをカサンドラがやって強引に一緒に退出していたかもしれない。

 その場合、宰相から冷ややかな目で見られていたのは自分だったのだろう。







「………。」


 シャルロッテはカサンドラの横で俯き、終始肩を震わせ口元を押さえていた。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る