第98話 嬉しくて


 すっかり体調も元通りになり、登校することに何の問題もない週明けの月曜日。


 カサンドラはとても悩んでいた。


 ――王子への手紙を書くか否かという、カサンドラ当人以外にはこの上なくどうでもいいことだ。だが仕方ない、延々悩んでしまったのだ。

 

 週末にわざわざ王子からお見舞いの手紙と一輪の花をもらった身の上。

 そのお礼として彼に手紙を書くことは何一つおかしなことではない、逆に書かなければ礼を失しているとも言える状況。

 そんなカサンドラが躊躇って躊躇って、結局今日は書くことを躊躇い送らないようにしようと決めたのは王子からもらった手紙のせいとも言える。




  勉強など根を詰めず、ゆっくり休めという指示……!




 果たして手紙を書くということは勉強に値するのか?

 うーん、とカサンドラは頭を悩ませた。


 試験範囲も分かっているのだから学期末試験に向けての勉強も進めなければいけないのだが。

 こちらに関しては、勉強そのものではなく試験勉強の予定表を組むというだけに留めておいた。

 試験日まで一日どれくらいの範囲を復習していくかの大まかな予定を記す。

 カサンドラはそういうスケジュールを組むのが大好きだ。だがスケジュールを組んだ段階で満足し、勉強したつもりにならないよう気を引き締めなければいけない。


 自分の決めたペースで試験勉強をしようと、自室の壁に自作スケジュール表をぺたりと貼り付け「よし」と頷く。


 勉強ではないからセーフ、と自分の中で折り合いをつけた結果である。

 それにこの週末勉強したかどうかなんて王子には確認することも出来ないし、「休めた?」と聞かれるようなことがあっても、ずっと寝てました! 休んでました! と申告すればいい。 


 だが手紙は……?

 手紙を渡すということは、家で休むということをせずに『余計なこと』をしていましたという紛れもない証拠になりうる。


 勉強などせずにゆっくり休めという指示を無視したのか? なんて。

 そんな穿った見方をされると非常に不本意な事である。


 それにカサンドラが王子への手紙を書くのは、文章量に対して時間もとてもかかるものだ。

 一時間で終わらない時間がかかってしまう。


 根を詰める――という状況に値するかもしれない。真剣度で言えば勉強なんかより遥かに高く、集中力を要することは確かだ。



 王子から初めてもらった事務的連絡事項とは全く異なる、カサンドラ個人への『お手紙』。

 机の中にしっかりと大事にしまっているが、その王子の気遣いや好意を無視するような行動をとりたくない。


 そもそも毎週月曜日に手紙を置くというのが習慣化して久しいけれど、放課後王子と会うことも含め義務ではない。

 何らかのアクシデントがあれば容易く覆される程度の予定だ、と王子も認識しているだろう。


 それなのに病欠した直後もしっかりと手紙をしたためて早朝に登校して――




  客観的に見て ちょっと 重たいんじゃないかな?




 考えると額に汗の粒が浮かぶ。

 王子に気を遣わせる選択肢は採りたくない。


 本当は王子の手紙の返信を書きたい! 物凄く書きたい。

  

 断腸の想いで、カサンドラは王子への返信を渡すのを諦めた。

 でも来週まで待てないので、今日放課後彼と会うことが出来たら真っ先にお礼を言おう。

 



 そんな決意を胸に秘め、月曜日の朝だというのに少し遅めの登校時間。

 既に多くの生徒達の声が響く教室の扉に手をかけ、よし、と気合を入れて後ろから入った。


 ごきげんよう、と何事もなかったかのような振る舞いで自分の席に着こうとしたのだけれど。




「カサンドラ様、もうお元気になられたのですか!?」


「先週は欠席されて驚きました」


「長引かず本当に宜しゅうございましたね」




 教室に入った途端、何故かその場にいたクラスメイトの女子に一斉に詰め寄られるカサンドラ。

 前方に陣取る王子達の傍を取り巻くのは、他のクラスや別学年からわざわざ彼らに挨拶にしにきた生徒ばかりだ。

 彼女達は不思議そうな顔でカサンドラの周囲に駆け寄るクラスメイトを眺めているが、カサンドラとしては出来れば彼女達のように”普段通り”が良かった。


 舞踏会の招待状を受けた時のこともそうだが、それまで興味のベクトルが王子だったりラルフだったりバラバラな女子たちが――

 ここぞとばかりに一斉に矢印の先を一致させてくる現象は何なのだ。


 出来れば視線を集めるような真似をせず、光り輝く王子達に紛れて学園生活を送りたいものだというのに。


 だが一度注目や関心を集めるようなことがあれば、それににこやかに応対することも自分の義務だ。

 そっとしておいてほしいとお願いすれば良いのかもしれないが、カサンドラの立場では中々難しい。


 彼女達が本心で何を思っているのかは分からないが、自分のことを憂い声を掛けてくれているのは事実。

 そんなクラスメイト達の心配りを無下に接し、邪魔だと言わんばかりの言動をしてしまうことは彼女達に恥をかかせるようなものだ。

 何より”何様?”なんて思われ傲慢な人間だと評価されかねない。

 ……怖い!


 ラルフやシリウス達に、カサンドラはやはり高飛車で謙虚さの欠片もない高慢ちきな勘違い女だと思われることが何より怖い…!


 それにカサンドラは派閥のようなものを作りたくないし、取り巻きなど以ての外という意思を表明している。

 こういう時くらいにこやかな対応が出来なくてどうする。社交界でやっていけるわけがない。

 目立ちたくないから放っておいて、なんて我儘も学生の内は通じるかも知れないけれど。


 所詮――王妃だ。

 そこには王族を盛り立て支える実家の権勢が反映されるかもしれないが、基本見世物小屋の珍獣と変わりはしない。

 遠目から見られ、好き勝手な感想を表に裏に言われる立場。

 実権を握るのはあくまでも国王、そして宰相をはじめとする実質的に政務に携わる人たちだ。

 王妃など子どもを産んで初めて仕事をしたね! よくやったね! と評価される身分だし。

 妃本人が偉いのではなく、次の王になる子を産める立場にあるから妃は偉いのだ。


 実権なんてあってないようなものだが、社交界において王妃と親しいかそうでないかでかなり差が出てくることは事実。

 王妃に邪険にされるなんてことがあっては……嫌な話だが、虐めを助長することになりかねない。

 人間関係では非常に気を遣う。

 改めて、王子のような人当たりの良いフラットな態度は王族としてのお手本だと分かる。


 デイジーなど親しい令嬢を招いてのお茶会を四月に開いたのだから、夏休みはロンバルドやエルディムなどの派閥の令嬢達にも声をかけないとなぁ、と考えているところだ。

  

 王子のような完璧なアルカイックスマイルでの対応は出来なくとも、声を掛けてくれたクラスメイト達にお礼を言うことくらいは出来る。




 結局三つ子と普通に会話が出来たのは昼休憩の時間になってからだったが、彼女達はちゃんと自分達に課せられたスケジュールをこなしている。

 週末も試験勉強をしつつ、適度な気分転換も出来ているようだ。こちらの言うことをしっかりと守ってくれる彼女達の優秀さに感動する。

 素直な女の子達で、本当に可愛い。




 風邪を引いて一日無駄にしたのがカサンドラで本当に良かった。 





 ※




 流石に試験準備期間ということもあり、放課後王子を待つカサンドラが手にしているのは歴史の教書だった。

 選択講義の歴史のことは試験範囲に一切入っていないので、この一冊の教書の中から練られた設問が並ぶわけだ。

 しかもカサンドラの前世でよくあったような空欄の穴埋めではなく、単語を覚えているのが前提としての小論文的な問いが多い。

 アイリスから過去の設問を教えてもらったけれど、ただ単に暗記していればいいというわけにはいかなさそう。


 逆に文章の背景を理解していれば多少単語や表記に揺れがあっても見逃される感じの採点――か。

 

 一夜漬けでは無理だな、とカサンドラも気を引き締めて試験対策に挑む。

 カサンドラが学年順位で何位であろうが何の問題もないはずなのだけど。

 まさか平均点以下なんてことになったら化けの皮が剥がれるなんてものではない。


 どうせ王子もシリウスも満点に近い結果を叩きだす、ラルフも十位以内には普通に入るだろう。

 ここでカサンドラが平均以下の点数などとろうものなら……



   ええ? カサンドラ様って、成績が良いわけではないのね

   幻滅しちゃうわ

   頭良さそうな雰囲気なのにね~




 駄目だ、耐えられない!



 想像しただけで汗が噴き出そう。


 結局、良い恰好しいにならざるを得ないカサンドラは切羽詰まった状況に追い込まれている。

 これは合奏でのフルート練習、舞踏会のためのダンスレッスンと何が違うというのか。

 目に見えて出来の良し悪しが貼り出されるプライバシー皆無の順位制はどうにかならないのかと思うが、そういう慣習である制度を変えることなどカサンドラに出来るわけがない。

 諦めて勉強しよう。




「……待っていてくれたんだね」


 王子の声が聞こえ、ピクッと耳が反応する。

 大慌てで教書を閉じカサンドラは木造りのベンチから跳ねのいた。


「ごきげんよう、王子。

 先日はお見舞いを下さってありがとうございます、お陰様でこの通り体調が元通りになりました」


「うん、元気になったなら良かった。

 ――今日はもう帰宅しただろうと思っていたのだけど、様子を確認しに来てよかったよ」


「わたくしは先日までずっと休養しておりました、以前より元気だと自負しております。

 お礼を申し上げないまま帰宅する無礼を働くなど、とんでもないことでございます」


 そうか、と彼は何故かホッとしたような表情。

 そして彼が一つ右隣りのベンチに腰を下ろしたので、カサンドラも彼に倣った。


 一層激しく照り付ける夏の陽光は、中庭に植えられた多くの樹の枝葉によって遮られている。

 こんなに暑いのに、彼を見ているととても涼やかで爽やかな気持ちになれるのだ。

 木漏れ日の下でキラキラ眩しい。


 眉目秀麗、完全無欠とは彼のためにある単語だなと見惚れる。


「いや……その。

 今日は手紙が無かったから、カサンドラ嬢は来ないのだろうと思い込んでいたから。

 ここに来たのは念のためだったんだ」


 彼は苦笑した。


 一瞬でザーッと血の気が引く。

 本来あるはずの手紙がなかったせいで、カサンドラがとっとと帰宅したと思われるなど……!

 そんなつもりで書かなかったわけでは、と急に心が忙しなくなる。

 弁明が咄嗟に出てこなかった。


「勿論体調を崩していたのだから、もらえなくて当たり前なのは分かっていたよ。

 勝手なものだ。

 分かっているのに……少し寂しいと思ってしまってね」



 ………!

 自嘲気味にそう話す彼を前に、色々と抱えているものが粉みじんに吹っ飛ばされた気がした。


 社交辞令とは思えない、蒼い瞳が寂しそうに翳っている……?


「も……申し訳ありません、来週は必ず」


「ごめん、催促したみたいになってしまったね。そういうわけじゃない。

 いつも君からもらってばかりだから、私も君宛てに手紙を書こうと思ったんだけど……

 思いの外手紙を書くとは難しいものだね、気の利いた文章など一つも思いつかなかった。

 カサンドラ嬢も受け取って驚いただろう? 私には全く文才がないから」


「いえ! とんでもないことです、凄く王子のお気遣いが伝わる、わたくしなどには勿体ないお手紙でした!」


 全力で彼の発言を否定する。

 食って掛かるような勢いに彼は虚を突かれたような顔で一瞬戸惑ったが、すぐにいつも通りの微笑みを見せてくれた。


「こんなに手間のかかることを毎週してくれていたのかと理解できたのに、今日はそれを受け取ることができなかった。

 だから余計に物足りなさを感じたのかもしれない、つくづく勝手なものだと自分で呆れているよ」


 自分の感情を冷静に分析しているらしい王子。

 だが今日の彼の言葉の全てがカサンドラの心の急所にグサグサ突き刺さってハリネズミ状態なので……!

 息も絶え絶えになりそうな衝撃。呼吸が苦しい。



 まさか王子に寂しい想いをさせてしまったのか、無理をしても書いてくれば良かったと思う自分と。

 自分の手紙をそんな風に待ってくれていた……! と嬉しく思う自分と。


 


「――何にせよ、登校できるまで元気になってよかった。

 毎日頑張りすぎて体調を崩さないようにして欲しい。

 これは、私からのお願いだ」




「重ね重ね、王子に心を配っていただき恭悦です……」



 でも無理と言われるような努力も時には必要で。

 それを放棄してしまったら、このハイスペックすぎる王子の婚約者でいることに今以上に自信もなくなるし。

 気後れして、置いて行けぼりになりそうで。


 主人公達はメキメキとパラメータを上げて想う相手に相応しい自分になるよう成長しているのに……

 素の状態で王子みたいに何でも器用にこなせるなら良かったのになぁ。



 彼が自分の置く手紙を迷惑がっているわけではないということは分かった。

 それが何より嬉しい、自分が勝手にやろうと思ってやっていることなのだけど。

 

 相手にも喜んでもらえるなら、自分の行いが無駄ではなかったのだと安堵できるから。



 

 カサンドラは自分が浮き沈みの激しい感情に振り回されていると自覚していた。

 揺れ幅は大きく、更に垂直移動。


 今日は空中散歩が出来そうな浮遊感に満たされ、幸せな気持ちで帰路につくことができたのである。





 ※








 帰宅したカサンドラは、とるものもとりあえず使用人の中で『押し花』の作り方を知っている者を探すことに。

 幸い、行程を知っている使用人をすぐに捕まえることができた。


「押し花の作り方……ですか?」



 不思議そうに首を傾げる使用人は、必要があれば自分が作ると気を遣って提案してくれた。

 だがこれはどんなに見目が悪くなろうが絶対に自分で作りたかったから丁重に断る。

 乾燥に時間こそかかるが、カサンドラでも何とか作業できそうだ。



 王子がくれた一輪の花は当然寿命もあっという間。

 もらったままの綺麗な姿を留め置く術などこの世界にはない。



 だから花弁がまだ一枚も散っていない内に、とカサンドラはそれを押し花にすることにした。



 ……栞にすれば、ずっと鞄の中に入れておける。



 


  



  幸せな気持ちを、この花の姿に留めることが出来るから。

 

 

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